三百十七話「鏡張りの駒」
「まず一々遠回しに話したことを謝罪するわ。理由あってのことではあるけれど」
「理由、ですか」
イファさんが組んでいた脚を元通りに整える。それは彼女なりの「真面目な話をする」という合図に思えて、私も思わず姿勢を正した。考えていた通り、先程からやけに勿体ぶるように話していたのには何か理由があったらしい。そして恐らく彼女は、今からその理由を話そうとしているのだろう。
「そう。ミコさん、あたしは貴方を危険視してたの」
「えっ……?」
「わからない? 貴方は周りから見て十分に危険視される人間よ」
「わ、私が……?」
けれどその理由は、正直予想外だった。本来は結論から話すタイプらしく、ばっさりとそう言い切ったイファさんに私は思わず目が点になる。わ、私を危険視? 自分で言うのもなんだが、この世界において私は大分弱い方に分類されると思うのだが。
えっ私危険かな? ということを確かめるようにこっくんとヒナちゃんへと視線を向ける。しかしヒナちゃんはぱちぱちと目を瞬かせ、こっくんに至っては何言ってんだこいつと率直な感情をそのまま表情に乗せていた。どうやら私を危険視しているのはこの場ではイファさんだけらしい。ちょっとほっとした。
「貴方は貴方の周りに居る才能ある幻獣人の子供たちから、とても懐かれている」
「……!」
だけど続いた言葉に、私の表情は強ばる。……ああ、そういうことか。確かにそれは、私を危険視するのは十分な理由かもしれない。彼女は私個人ではなく、私の周りを危険視していたのだ。
ヒナちゃんは変わらずイファさんの言葉にきょとんとしていたが、こっくんは言葉の意味を理解したらしく瞳を細めていた。今まで周りの誰かに指摘された事がなかったから気にしていなかったが、確かにイファさんの言う通り、私達の関係は第三者には危うく思われてもおかしくないのかもしれない。
私は力ある子供達の、引率的な立場にあるのだから。
「特にこの場には居ないシロという子供。彼は何百人の兵士が束になって全滅させられた霧雪大蛇をほぼ単独で滅したのよね。……そして、恐らくクドラ族」
「……ええ、そうです」
「更に法術面に置いても漆黒の痣のあるレイブ族から好かれ、奇跡の星火を生むことの出来るムツドリ族の保護者的存在。挙句の果てに今となってはミツダツ族の姫君まで連れていると来た」
「…………」
貴方はその気になれば一つの国くらいは容易く制圧出来るかもしれない。そう眼光を鋭くしたイファさんに、言い返すことは出来なかった。私が「その気」になることはない。それは断言出来る。けれどその証明を初対面同然の彼女にどう示せばいいのか、それが分からなかったのだ。
「でもどうやらカネラさんの言った通り、あたしのこの懸念は杞憂だったみたい」
「……え、」
「貴方は慎重な性格でいっそ恐ろしい程に我欲がない。あたしの目には子供達を正しく導こうと努力しているように見えたわ」
けれどどうやら証明は必要ないらしい。店長さんが先回って話していてくれたことが一つ、彼女の観察で二つ。私はどうやら、害のない人間だと判断していただいたらしい。少しだけ過剰に持ち上げられているような気もするが……こっくんが視界の端で頷いてるのが、ちょっと恥ずかしい。
「そしてあたしと話す時もコクさんに任せきりにするのではなく、フォローするように心がけている」
「は、はぁ……」
「そんな貴方になら、冠の水のことを話しても大丈夫でしょう」
極めて当たり前のことしかしていなかったと言うのに、何がイファさんの琴線に触れたやら。ま、まぁ……認めてくれたのなら、良かったのかな? これで話も続けられることだし。
そのタイミングで何人かの空になったカップに、新しい紅茶が注がれた。そのままお付きの人は部屋から出ていってしまう。どうやらあまり人に聞かれていい話ということではないらしい。それならば、とこっくんに目配せをすれば、指パッチン一つで部屋全体に結界のようなものが張られた気配がした。それに満足気に微笑んだイファさんがカップを置いたのを皮切りに、話は始まる。
「先程も言った通り、冠の水はレイブ族の長老直々に作られた組織。枯渇死事件が何件か各地で連続して起こった時、レイブ族の領地のめぼしい貴族に長老が声をかけて作り上げたのが始まりよ」
そこから始まったイファさんの話は、冠の水の発足から主な活動内容と続いた。枯渇死に対する調査や対策などが、冠の水の主な活動内容らしい。メンバーは発足当初は貴族が殆どだったが、そのメンバーの貴族たちがある程度好きに勧誘することが許される様になった今となっては身分関係ない組織になっていると。
「でも、今となっても勧誘が許されてるのは人間のみ。それは長老が、自分以外の全てを警戒しているから」
「警戒、ですか」
「そう。冠の水に入る人間は、この薬を飲むことになっているの」
「……これ、は」
そして遂に明かされる、組織が人間のみで構成されている理由。イファさんはそのタイミングで、私達にとあるものを差し出した。小さな宝石のような、透明なキラキラとした球体。イファさんが言うには薬らしいが、とてもそのようには見えなかった。新種の鉱石と言われた方が納得ができる。
こっくんも見たことがないものらしく、興味深そうに観察していた。となると市販では出回っていないものなのだろうか。まぁ秘密組織に入る際のものだしそれはそうかも……などと考えていた私は、次のイファさんの言葉に思わず度肝を抜かれることになった。
「この薬はね、飲むと相手を強制的に監視下に置けるようになるの」
「……えっ」
飲んだ相手を強制的に監視下に置けるように、なる? そんな監視カメラのようなことが、薬で可能になるというのか。信じられないという私の心情を察したのだろう。イファさんはテーブル越しに私に近づくと、私としっかり目を合わせた。近づいてわかったが、その紫の瞳はどこか反射するような輝きがある。
「あたしの目を見なさい。光沢があるのはわかる?」
「あ、ありますね……」
「これは鏡張りの術にかかってる証拠。長老はいつだってあたしたちメンバーの行動を監視できる」
その者の体内にある法力を媒介に瞳を鏡へと変え、相手を監視する法術が込められた薬。それがこの鏡面薬なの。鏡のように光を吸った瞳を反射させながら、イファさんは口角を上げる形で挑戦的に微笑む。それは到底、見張られている人の表情のようには思えなかった。
「獣人が法術を使えないのは知ってるでしょ? 彼らには法力がない、だから獣人にこの術をかけることは出来ない」
「あ、……」
「そして幻獣人は人間に比べて圧倒的に法力が多い。彼らが相手だと、この薬では情報量を上手く制御出来ないらしいわ」
それはそうかもしれない。だって彼女は恐らく、自ら監視されるのを受け入れて組織に入ったのだから。そうやって聞くと、冠の水が人間だけで構成される理由はよく理解できた。監視下に置けないから、だから獣人と幻獣人は組織から排除される。長老さんは自分の監視下にある者以外を信用していないのだ。
冠の水は私の想像よりも覚悟した人間が集められている組織で、そしてその薬を作った長老さんだってきっと。そんなことを考えた途端、急に目の前にある透明な球体が重く見えるような気がした。きっとこれは覚悟の証なのだ。枯渇という謎を追うことを身に刻んだ者だけが、その切符を手に入れることが出来る。その時思ったのは、私達にこの秘密を教える代価として店長さんは何を支払ったのだろうか……ということ。
「……で、カネラさんの話に戻るけれど」
「……はい」
「彼女も当然監視下の人間。けれど見ただけでは通じない情報もあるでしょ? だからある極秘の情報を手に入れた彼女は長老に会いに行って……その帰り道、何者かの襲撃に遭った」
だってそれは、彼女が重症に追い込まれるほどの価値があるものだったのだから。極秘の情報……それは一体どんな情報で、何を理由に店長さんは襲われたのか。それはきっとイファさんにだって分からないのだろう。わかるのであれば、今の彼女なら話しているだろうから。
「あたしはその前日、貴方達に冠の水について話すことを彼女に頼まれたの。長老から許可は得たからと、そう言われてね」
「……そういうこと、だったんですね」
「でも極秘の情報については話して貰えなかった。結局あたしだって貴方達に話せるのはこれくらいね」
ともかく、これでイファさんの話は終わりらしい。話し終えて息を吐いた後、紅茶を口に含んだイファさん。彼女から齎された情報は確かに今すぐ参考になるものでは無かったが、少なくとも大まかな背景は掴めた気がする。それとどうしても赤い羽の件で詰まった時は、長老さんに会いに行くのも手段の一つなのかもしれないということも。
「……それなら、他に聞きたいことがある」
「……何かしら」
でも今の私達にはまだ、聞くことがある。こっくんの言うように赤い羽についてのことが終わったなら、次はあの子の事だ。ぎゅっと手を強く握ったヒナちゃんを横目に、私は瞳を細めたイファさんを見つめた。どうか彼女があの子に付いてのことを一つでも知ってますようにと、祈りながら。




