三百十六話「螺旋問答」
そこからイファさんから聞いた話はこうだ。私達とピリア村で別れた後、店長さんはエーナの街へと戻った。そしてエーナの街で起こった二件の枯渇死事件について更に詳しく調べていたらしい。そう、あのコダなんちゃらさんの従者と護衛だった……ハヤとイコーについてのことである。
「意識不明になる前、あたしに手紙を送ってきたカネラさんは貴方達に対してこう綴っていたわ。『今回彼らに払った代価はあまりにも少なすぎる』……ってね」
「代価……霧雪大蛇のこと、でしょうか?」
「そうね、その話も聞いてる。情報を災害級に挑ませる代価にしといて捕虜が死んだから聞き出せませんでした、なんて……あの人としては、相当悔しかったでしょう」
「悔、しい……」
……店長さん、別れ際にはそんな様子を見せていなかったのに。艶やかでいまいち真意が読めなくて、けれど瞳の奥だけは優しかったあの笑顔を思い出す。意識不明。今となってはその瞳は、開かれることなくずっと閉じられているのだろうか。
きゅっと心臓が鷲掴みにされたような感覚を前に、思わず唇を噛み締めた。少しだけこの先の話を聞くことが怖い。だってイファさんが話してくれたことが本当ならば、店長さんがどうして意識不明になったのかは明白だから。
きっとあの人は、私達に報いるために。
「……そこからは貴方達の想像通りよ。あの人はちょっと踏み込み過ぎた」
「…………」
「心配しないで。彼女は枯渇を迎えたわけじゃないから……ただ、」
「……ただ?」
ただ。この部屋に居る誰もがその言葉の先に心臓の鼓動を逸らせて、緊張という圧力の元口を閉じる。店長さんは枯渇死によって命を奪われたわけじゃない。イファさんの口ぶりからそれはわかる、分かるけれど……。
だがこの部屋の雰囲気から察するに、店長さんの状況が悪いことには何も変わらないはず。沈黙はとてもとても重かった。一秒が何十秒にも引き伸ばされたかのように思えるほど。けれどその沈黙は永遠では無い。ふ、と零すような溜息が一つ。私としっかり視線を合わせると、イファさんは口を開いた。
「カネラさんは『長老』達との会合の帰り道、その馬車を襲撃されて意識不明の重症を負ったのよ。つまり事故の結果ってこと」
「……!」
「っ、長老……!?」
馬車が、事故? そのことにいつかの記憶を思い出しそうになった瞬間、その記憶は大きな声によって掻き消された。がたんとソファーが揺れたかと思えば、声の主……こっくんが立ち上がってイファさんを驚愕の表情で見下ろす。彼の表情は信じられないと、そう物語っていた。
「長老が人間と話したのか……? レイブ族の、あの長老が?」
「そりゃ話すわよ。冠の水は、現長老の指揮下にあるからね」
「は……?」
こっくんがこれだけ反応を見せるなんて、その『長老』とは一体。イファさんはまるで知ってて当然のような反応を見せているし、こっくんは明らかに平静を失っているしで、尋ねるのがはばかられるところである。が、聞かなければ話は進まないわけで。
「……その、長老って……?」
「……ああ、変なところで常識的な知識が抜けてるってカネラさんも言ってたわね。レイブ族の王が冠する名前よ。ようするにレイブ族で一番偉い人」
「……ミツダツ族の族長さまと同じ、ってこと……?」
「そう」
恐る恐る尋ねれば、先に店長さんが色々話してくれていたのかすんなりと教えて貰えた。成程。ヒナちゃんの言うように、ミツダツ族においての族長と同じ身分なのがレイブ族の長老。こっくんが動揺したのも頷ける。だって自分の一族の一番偉い人が突然話にでてきたのだから。
それにこっくんの言いぶりから察するに、長老という立場のレイブ族は普段人間とは話したりしないようだし。そんな人が何故店長さんとは話す気になったのか……いや、それよりも重要なことがある。こっくんが今表情を怪訝に顰めている理由。冠の水の指揮権が、その長老にあると言う点。
「……あの、さっき冠の水は人間だけで出来た組織って言ってませんでした?」
「…………」
これは先程イファさんが言っていた、冠の水は人間だけで出来た組織ということに相反する。レイブ族の頂点が指揮しているというなら、それは厳密には人間だけで出来た組織とは言えないのではないだろうか。それならば何故、彼女は先程あんなクイズを?
「ええ、言ったわね」
「その、長老という方が指揮しているなら……冠の水は人間だけでできた組織、とは言えないんじゃないでしょうか……?」
「そう、ね。だからまぁ正確に言えば、冠の水は今代の長老が作った人間のみの組織って言う方が近いのかも」
「…………」
私達が溢れかえる疑問を抱えているのが分かっているのだろう。全てを知っている笑みを浮かべてイファさんは頷く。まるで手のひらからすり抜けていく波のように、明確な答えを述べてはくれないまま。イファさんは分かっているはずだ。私の言葉の裏の、「どうして最初に冠の水は人間だけの組織と強調し、長老のことについては触れなかったのか?」という疑問を。
なんとなく気づいていたが、この人はこちらに考えることを求めているような気がする。ただ質問して答えを知るのではなく、自ら答えを獲得しようとすることを求めているというか。或いは試されている、とそう言うべきか。だが、試されているのは恐らく『私達』ではない。
「……その人間のみってのは長老が決めた条件ってことか」
「そう。彼は他の一族の者には情報を伝えるのを控え、一人で冠の水を作りあげた」
……ほら、この通り。彼女はこっくんの質問にはあっさりと答える。こうなってくると多分イファさんが試しているのは、多分私だ。それが何故かは分からないが、彼女から特に悪意は感じないのでこちらを見下してのことではないのだろう。何かしらの思惑があるのか、それともただの私の気のせいか。
でも今はそれを気にしている場合では無さそうだ。
「どうしてかわかる?」
「っ、だから……!」
「……こっくん、大丈夫だから」
「……お姉さん」
また問いが、投げかけられる。彼女の瞳は私を見ていた。私が思考することを求めていた。幾度も繰り返されるまどろっこしい問答をいい加減腹立たしく思ったのだろう。まだ立ったままでいたこっくんは、左足を乱暴に床へと叩きつけた。その仕草に、ヒナちゃんの表情が不安へと曇る。
これはいけない。こっくんがフルフの件や今話に出てきた長老のせいで心乱されているのはなんとなくわかるが、この場における苛立ちは私達にいい結果を齎さないだろう。私はこっくんの服の裾を引くと、座り直すように促した。こっくんはそれでも落ち着かないようだったが、私の表情を見てひとまずは引いてくれることにしたらしい。いつもよりも乱暴な仕草で席に再び座る。……そこでヒナちゃんが心配そうに見てくるのに気づいたらしく、少々バツの悪い表情になった。
「イファさん、クイズに答えても大丈夫ですか?」
「どうぞ。あたしは貴方の答えが聞きたいの」
この様子なら、少し放っておけば自然と落ち着くだろう。それならばクイズの解答権は私に譲ってもらうことにするか。それを彼女も望んでいるように思えるから。座り直して不器用に微笑みかければ、イファさんも口角を上げてこちらを見つめる。……うーん、あまり自信はないけれど。でも私のちっちゃい脳みそじゃ、いつだって単純な回答くらいしか思いつかないから。
「……それはその長老さんが、人間以外を」
「…………」
「疑わしいと思ったから、ですか?」
人間だけの秘密組織を、同族のレイブ族にも内緒で作る理由。それは長老さんが自分以外の幻獣人を、そして獣人を、何らかしらの理由で疑わしいと思ったからでは無いだろうか。というよりは、それくらいしか答えが思いつかないと言うべきだが。
この回答がハズレだったとして、それで私が彼女からの試しを越えられなかったとして。その結果どういうことになるかはわからないが、でも。イファさんの表情を見るに、どうやら私は彼女からの何かしらの試練を突破したらしい。紅に彩られた口角が、さらに釣り上げられる。
「正解よ」
彼女は私を見てひどく満足そうに、そう告げた。




