三百十四話「アーシャ・イファ」
アーシャ・イファ。こっくん曰く、『強欲令嬢』なんて
渾名を付けられるほどに欲深く、その上でその欲を叶えられる程に有能な人物。その彼女はなんというかこうして改めて見ると、見た目だけではそんな風には見えないほどに普通の少女のように見えた。いや、普通と言うには些か美人過ぎるが。
確かに雰囲気はある。少なくとも私とは住む世界が違うというか、ご令嬢らしく纏っているオーラが輝いているように見えるというか。けれど洗練されたその姿は強欲、というイメージには似つかわしくない。高貴な姫君、と呼ぶのがぴったりな気がする。
「……さん、お姉さん?」
「はっ……! ご、ごめん、考え事してて……」
「大丈夫? まぁそれならもう一回話すけど」
と、そのようにぼうっとしていたせいでこっくんのお話を聞き逃してしまったらしく。不思議そうに見上げてくる黒の三白眼に意識を覚醒させて謝れば、こっくんは怒ることなく心配そうな視線を向けてくれた。優しい、本当にいい子である。シロ様にだけ当たりが強いのと、最近反社精神が芽生えてきてるのが玉に瑕だが。
「もう一回お願いします……」
「了解。……アーシャ・イファとは、俺が話してくるって話。さっきロウ・シノノメと話した時に思ったけど、ここは見晴らしがいい。たとえ俺があの女と話していたとしても、二人に何かあればすぐに気付ける」
「それはまぁ、確かに……」
「俺相手……というかレイブ族相手なら、貴族でも下手な態度は取れないだろうし。出身を考えると余計に」
しかしこっくんは本当に優しいのである。話を聞き逃してていた私を怒ることなく文句すら言うことなく、こうして話し直してくれるくらいには。
成程、今回も私が聞き込みをしてみようと思っていたが……確かにこっくんの言うことは理に叶っている。先程絡んできた人がこっくんの痣を見て引き上げて行ったように、どうやらレイブ族の人達は貴族と対等な立場にあるらしい。まぁこれまでの話を聞くにこの世界の文明を築いているのは彼らのようだから、その扱いには納得だが。
「……ま、正直この痣を使うのは複雑だけど」
「……え?」
ミツダツ族もレイブ族と同じような扱いを受けていて、しかしムツドリ族は軽んじられている傾向があるとこっくんが言っていて……それなら、クドラ族は一体。と思考がまたしてもずれそうになった私。けれどそれは小さく落とされた一言によってすぐに掻き消えた。
痣を使うのは、複雑? そういえばこっくんは牢獄に入れられた時も、というか死刑にされかけた時も、その権利を使うことを避けた。使わずに、死を選んだ。それはその時のこっくんが自暴自棄になっていたのもあるだろうけれど、それと同時に痣を利用することに何らかしらの忌避感があったから?
「……ごめん、なんでもないよ。フルフが居ないって時にこんなこと言ってられないし」
「……こっくん、」
「任せて、お姉さん。俺は"この使い方"は、間違ってないと思えるから」
それなら無理はしないで。その言葉は発するよりも早く、彼に掻き消されてしまった。静かに微笑むその姿からは無理は感じられない、感じられないが……こっくんは他の子に比べると表情を隠すのが上手い。本当に大丈夫だろうか。
「じゃあわたしは、お姉ちゃんのこと守るね!」
「……うん。よろしく、ヒナ」
「……!」
……いや、こっくんを信じよう。ヒナちゃんと同じように。家族とその役割分担、お互いの得意不得意を分け合って一緒に生きていくこと。それをヒナちゃんに教えたのは私なのだから。こんな優しい表情をしているこっくんなら大丈夫。きっと大丈夫、大丈夫……。
「遅い、いつになったら話しかけに来るのよ」
「っ……!?」
しかしそう気を緩めようとした瞬間、すぐ近く、というか耳元から聞こえてきた声に私は飛び退いた。いや、飛び退こうとした。生憎と肩をがっしりと掴まれてしまい、それは叶わなかったのだが。
目の前のこっくんが身構え、ヒナちゃんの表情が驚きから警戒へと移り変わる。多分それは全部、私の後ろのすぐ近くで今私の肩を掴んでいる彼女が原因なのだろう。そう、彼女。ひらりと視界の端に過ぎった赤色が見えただけで、気づけば私の背後に歩み寄っていた彼女が誰なのかはわかった。
アーシャ・イファである。
「御機嫌よう『眼帯の姫君』さん? 全くいつあたしに話しかけに来るものかと見守ってたけど、あの方の話以上に慎重派なのね?」
「え、え、え……?」
「あら、何その顔? まさかあたしのこと聞いてないとか……いや、彼女の現状から考えると……」
まさか彼女の方から話しかけてくるとは露にも思わず、困惑してカチカチになってしまった私。だが初対面にも関わらず、何故かイファさんの対応はこちらに対してやけに親しげだった。いや……こちらに、というよりは私に?
肩に重みがかかったかと思えば、少女の顔が私の肩の上に乗っているのに気づく。そのままおとがいに白い手が寄せられて、私は更に硬直した。なん、なん、何何何何!? 初対面でこのゼロ距離は絶対におかしいだろう!? そのせいか警戒していたヒナちゃんもこっくんもぽかんとこちらを見つめている。完全に戦意が削がれてしまったらしい。
……ん? 待てよ? 眼帯の『姫君』?
「……ええと、そのあの方って……店長さん、じゃない。カネラさんのことですか?」
「……は?」
「そうよ。……その様子だと、根回ししてないらしいわね」
私が回答したことによってか、やっと距離を取ってくれたイファさん。彼女は呆れたように腕を組みながらこちらを見つめている。多分橋本くんだったら、「ありがとうございます!」やら「踏んでください!」とか言いそうな場面だ。彼の読んでいたライトノベルでは、彼女のような気の強そうな美少女が表紙になっていたので。
「道理で全然話しかけてこないわけね。とんだ時間の無駄だったわ」
「え、ええと……」
「ま、今"意識不明"な彼女に根回しを求めるのも酷か。完全にあたしの配慮不足。この情報は極秘だって言われてたし」
「……え、」
が、ちらっと読ませてもらったその本にもこんな時の対処法は書かれていなかった。確か主人公はその女の子にめちゃくちゃに罵倒されてて、近距離のきの字もなかったから。まず何から聞くべきだろうか……とそんなことを考えたところで。
意識不明。物騒なその言葉に、私の思考は凍りつく。意識不明って、誰が。いいや、そんなことは尋ね返さなくたってわかっている。文脈的に十中八九店長さんだ。でもなんで店長さんが意識不明なんてことに。一体誰があの人を、そんな目に遭わせたというのだ。
「……興味がある、って顔ね」
「……そ、れはそうです。店長さんが、どうして……」
「よろしい。じゃ、付いてきて頂戴。他にもあたしに用があるのでしょう?」
突然の情報を前にヒナちゃんとこっくんも様子が混乱しているようである。それはそうだ。フルフのことを聞こうと考えていただけなのに、まさかイファさんは店長さんの知り合い。しかもその店長さんが意識不明だと来た。混乱しない方がおかしいだろう。
が、何はともかく話を聞かないことにはなんにも始まらない。どうやらイファさんには話してくれる気があるようだし、ここは付いて行った方が得策だろう。こっくんとヒナちゃんと顔を見合わせること一瞬。私達は颯爽と前を歩き出したイファさんに慌てて付いていくことにした。




