三百十三話「二人目の容疑者候補」
「ただいま……あれ、こっくん?」
「っ、あ……」
手を振って見送ってくれたシノノメさんに、遠慮がちに手を振り返しつつ。私は難しい表情をしているこっくんと、そんなこっくんを心配そうに見つめるヒナちゃんの元へと戻った。とんと肩を叩けば、弾かれたように顔を上げたこっくん。予想外だと言わんばかりのその表情に、私は思わず首を傾げてしまった。
「どうしたの?」
「……や、あの人」
「シノノメさん?」
離れていたうちに何か……と思ったのだが、どうやらシノノメさんに気になることがあったらしい。何かあった?という視線をヒナちゃんに向けてみるも、特に心当たりがないらしく首を振られてしまう。となるとこっくんだけが気になること、ということだろうか。
「あの人、さ……」
「うん」
「俺とシロが見てた時とお姉さんに対する対応が、全然違くて……」
「……うん?」
まさかこっくんから見たシノノメさんは嘘を付いているように、つまり彼が誘拐犯の犯人に見えたとか!? と少し動揺して。しかし言いづらそうに続けられた言葉に、私は思わず首を傾げてしまった。対応? シノノメさんの対応がどうだったというのだろう。
思い返してみる。シノノメさんは終始こちらに紳士的な様子で接してくれた。先程ヒナちゃんを無理やり連れていこうとした貴族の人や、懐かしきコダなんちゃら様とは全然違う。どちらかというと店長さん、エーナの街でお世話になった男装の彼女に似ているような。貴族とはもしかして紳士的か横暴かの二択しかないのだろうか。店長さんはどちらかというと蠱惑的と言った方が正しいような気もするが。
「俺が前見た時は、あのデブみたいな奴らを海に落とそうとしてる姿だったから」
「……ん?」
「そのやり口がキツくて、シロと同類のやばい人だと思ってたけど……」
「い、いい人だったよ!!?」
「うん、だから驚いた」
だから先程会話したシノノメさんの雰囲気の違う姿がぱっと思い浮かばず。眉を寄せて暫く考えるも、それより先に答えが示されてしまった。海に、落とそうと? どうしよう、さっきのヤの付く自由業の重鎮というイメージが当て嵌ってしまう。
シロと同類、そう言いきったこっくんの中のシロ様のイメージには何も触れず。とりあえずシノノメさんの方だけを弁明すると、こっくんは神妙な表情で頷いた。若干滲む申し訳なさはシロ様と同類にしてしまった、という罪悪感から来るもののような。相変わらずシロ様にだけ異様に当たりが強い子である。
「まぁ分かると思うけど、あの人、嘘はついてなかったよ」
「そ、そっか……!」
そしてこっくんの見立てでも、シノノメさんは嘘はついてなかったと。そのことに私は無性にほっとしてしまった。少し話しただけなのに何故だろう。あの人にはどこか、懐かしさを覚えるような感覚があったのだ。だから犯人でないことは素直に喜ばしい。
「っていうかむしろ、お姉さんになんか感謝してたような……?」
「感謝?」
「そう。お姉さんあの人を助けたりしたの?」
「……ううん、心当たりは無いなぁ」
でもあの懐かしさは、どこから来るものだったのだろう。そんなことをふと考えてみても、答えは見つからず。むしろこっくんの言葉によって、謎は迷宮入りとなった。感謝? シノノメさんが、私に?
心当たりと言えばシロ様とタコを倒した事くらいだろうか。あのなんでも知っていそうな雰囲気を纏うシノノメさんなら、あの現場を目撃してもおかしくないよう気もする。そういうことなのだろうか? けれどいまいちしっくり来ない気も。
「……ま、考えてもしょうがないか。ヒナ、疲れてない?」
「! だ、だいじょうぶ! あのかっこいいおじいさんは、フルフちゃんになんにもしてないんだよね?」
「うん、そうだね。だから他の人を……ってことであってるかな、こっくん」
「そ。疲れたらおぶるから、いつでも言うんだよ」
そういえばあの人からは仄かに桜の香りがしたな、とかつて私を見送ってくれた桜色を纏う夫婦と、私に優しくしてくれた兄、いや姉弟を思い出し。が、今はそんな感傷に浸っている余裕は無いのである。
ひとまずシノノメさんは候補者から外れた。ついでに街に居るシロ様やアオちゃんからも進展の情報は入っていない。それならば次の犯人候補を探しに行くまでである。まだ元気! とこころなしか表情をキリッとさせるヒナちゃんに和みつつ、私は辺りを軽く見渡した。ええとあとの候補者は……。
「アーシャ・イファさんとミハイル・マスクさん……」
「……そういえば、容姿に関して説明してなかった。歩きながら話すけど、まず言えるのは二人とも目立つ容貌だから見たらすぐ分かると思う」
二人の名前を口にすれば、ミハイルの当たりで表情が固くなったこっくん。……相変わらず、こっくんの中ではその人に対する疑いが濃厚らしい。お兄さんと似ていると言っていたけど、あれはどういう意味だったのだろう。
「まずイファの方。女の貴族にしては珍しく肩より上で髪が整えられてて、黒髪」
「……レイブ族の領地の人で、黒髪」
「うん、お姉さんの想像通り。エーナの街のゴミ息子と一緒で『祝福持ち』って奉られたタイプ」
あの憎悪すら感じられた表情の意味は、一体。……いや、こっくんが話さなかったことから判断するに今考えることじゃないか。それよりはアーシャ・イファさんのことをインプットしておかなければ。
真剣に聞くヒナちゃんを微笑ましく見守りつつ、私はこっくんの説明を元に頭に人物像を描いた。黒髪でショートカットの十六歳で、ご令嬢さん。そういえばそれぐらいの年格好の女の子を船内で見かけたような気はする。姫ショートで、いつも赤いドレスに身を包んだ印象的なあの美少女がアーシャ・イファさんだったのだろうか。
……で、レイブ族の祝福が与えられたと周りに持ち上げられてきたと。
「とはいえあのゴミ程思い上がってる感じでは無いと思う。商才があって敏腕らしいし」
「……でも、だからこっくんは警戒してるんだよね?」
「そう。強欲なんて渾名が付く上に、腕もあると来た。当然、あのゴミよりは厄介だろうなって」
遂に息子すら消えてゴミ呼ばわりされることになったかの人のことを、そっと脳内から消し去りつつ。成程、確かにそれは怖い相手だと私は思い直した。同い歳くらいの女の子だからと思っていたが、この世界の十六歳は日本に比べてずっと大人びているはずだ。うちの子たちが皆、歳の割に大人びているように。
「で、もう一人の方もさっき言ったように目立つ容姿。金髪金目、見るからに成金って感じ」
「……そ、そんな人、船に居たっけ?」
「わ、わかんない……」
「二人は会ったことないと思うよ。俺も第三デッキに降りた時に見かけただけで、あの男は基本的にあそこから移動してないみたいだから」
油断しないようにしないと。そう気持ちを切り替えているうちに、こっくんはもう一人……ミハイル・マスクさんの情報も教えてくれた。しかしそちらには心当たりが一切となく。金髪金目のきんきらきん。そんな人が居たなら絶対忘れないはずなのだが、いまいち心当たりがない。
まさかそんな目立つ人を見落としていたのだろうか、と首を傾げるヒナちゃんと一緒に慌てて。しかしどうやら相手が引きこもりだっただけらしい。せっかく船に乗っているというのにずっと部屋に篭もりっぱなしだった、ということだろうか。貴族の考え方はわからないが、庶民的には勿体ないような気がしてしまう。
「確実に選民思想強め。平民とは同じ呼吸を吸いたくない……ってタイプ」
「あ、そういう……」
「だからあいつに聞き込みはしない。シロが帰って来たら、俺とあいつでこっそり調べようかと思ってる」
けれどまぁそういうことらしい。確かにその人相手じゃ聞き込みも無理そうだ、と私は眉を下げた。シロ様とこっくんに丸投げするのは少し申し訳ないが、それが一番ベターな選択肢だとは思う。主に余計な争いを招かないという観点において。
「……居た」
「え、あ……」
その二人だとワンチャン暗殺が起こる可能性があって怖いが……となんとか言い含めて事件が起こるのは避けようとしていた私。しかしそこで聞こえてきたこっくんの声に、私は釣られるように視線を彼の見ている方へと向けた。
するとそこに居たのは、姫カットのショートを緩やかに揺らし水面を見ている美しい少女。纏う赤いドレスが揺れる姿はとても華やかで、少女らしい魅力に満ち溢れていて。そう、アーシャ・イファさん。彼女はシノノメさんとは真逆の船首の方で、のんびりと寛いでいたのだった。




