三百九話「誰がための知恵」
が、まぁあれだけ用意周到にフルフを攫った犯人が、ちょっとした聞き込み程度で見つかるような痕跡を残してるわけがなく。
「……はいお姉さん、水」
「あ、ありがとうこっくん……!」
船へ戻って小一時間。船に残っていた第一デッキから第三デッキの人に小さな毛玉のような生き物を見ていないかと尋ねるも、悲しきかな目撃者は一人もおらず。なんなら第三デッキの人にはシロ様が居ないのをいいことにヒナちゃんの件について迫られ……結果として、私はかなり疲弊した。主に喉が。
何度もフルフの特徴について説明したせいもあるが、主に貴族の方々を上手いこと言いくるめるのに疲れたというか。こっくんが釘を刺すどころか相手の脳天にナイフをぶち込もうとしたのを阻止するのに疲れたというか。まぁあの件に関してはこっくんが憤るのも無理は無い。私とて、思い出すだけで不快だ。
『……わかった、いくら欲しい?』
『……は、』
『それだけの能力を持つ娘を手放すのはさぞ惜しいだろう。言い値で払ってやる』
……あーもう、また思い出してしまった。こっくんから貰ったお水を飲み干しながら、私は先程の騒動を思い出し眉を寄せた。ヒナちゃんの勧誘を受けたことは何度だってあるが、あそこまで露骨にヒナちゃんを物として買おうとした人は初めてである。出来れば一度たりとて経験したくない初めてだった。
『その子供が件の傷を癒す娘と聞いた。いくらでも払ってやる。その娘を寄こせ』
聞き込みの最中、私達が居ることをどこからか聞きつけて来たのか現れたでっぷりと太った男性。袖に大ぶりの宝石のカフスを付けた彼は、傲慢な仕草でそう言い放って見せた。
私達のような平民相手に名乗る必要も無いと思っているのだろう。こちらへ向けられた細い瞳には見下すような色が乗っかっていて不快感しかなく。というか開口一番ヒナちゃんを買おうとする人間と話す理由だってなく。相手からの要求を受け入れることなんて、ハナから私の頭にはなかった。
『……この子は大切な家族なので、そういうのはお断りしています』
『……水晶貨一枚でどうだ?』
『っ、だから……!』
しかしまぁ相手にもこちらの話を聞く気なんて無かったのだろう。私が声を荒げれば、不快感を表情に乗せた男性は傍に付けていた護衛らしき人達を数人前へと差し向けた。恐らくは無理やりヒナちゃんを奪うか、私達を武力制圧してヒナちゃんだけ連れ去ろうとしたかのどちらか。シロ様が居ないのをいいことに、そこに付けこもうとしたとも言うべきか。
が、まぁ。
『っ、……!? な、……!?』
『ぐあっ……!?』
『がっ……!』
『ひっ、ひいっ……!?』
その三人は、すぐさま地に沈むことになった。本来船の床からは生えてこないような植物の蔓。それが生えてきたかと思えば、その三人の足を絡めとって地面に伏せさせたのである。
蔓は三人を拘束してから更に数を増し、足のみだった拘束を全身へと伸ばす。地面から離れられなくなった護衛三人が呻く異様な姿を前に、男性は慄いたような声を上げた。そんな彼に、くるりとナイフを手の中で回したこっくんが近づく。首元の黒い痣、それをわざと見せつけるようにしながら。
『シロが居ないから、そんなことを考えたな?』
『おっ、お前、いや、貴方は……!?』
『人間の『ムツドリ族なら下に見ていい』って考え方は相変わらず吐き気がする』
こっくんは男性に侮蔑の視線を向けると、そのナイフを男性に向けた。間近に迫った刃に男性は青ざめるも、こっくんはその表情が見えていないかのようにさらにナイフの切っ先を近づけて。
『……釘ついでに、刺しとくか?』
『ストップ!!! ストップストップ!!!』
……とまぁ、これが先程起こった騒動のあらましである。完全にシロ様の悪影響を受けているこっくんにどう対処すればいいのか、心理学のプロの方が居たら話を聞きたい。聞いてもダメな気はするが。
それはともかく。恐らくは高位の貴族相手にあんな態度を取って、後からまたエーナの街のような事にならないかとこっくんに尋ねたが、返ってきた返事は「大丈夫」だった。どうやらこっくん、というよりはレイブ族は基本的に人間の貴族よりも立場が上らしい。それならばコダなんちゃら様の時は……と続けて尋ねれば、あの時は自暴自棄になっていたから、とのこと。
『あんま生きる気もなかったし。俺を処刑させてついでにあいつの人生もぶっ壊そうかと思って』
と、目から光を消したこっくんはなんというかいつになく怖かった。その後「ま、お姉さんに会えたからよかったけど」とはにかんだ姿は可愛かったけれど。
「だいじょうぶ? お姉ちゃん」
「……大丈夫だよ! ヒナちゃんは疲れてない?」
「うん、だいじょうぶ」
色々なカオスを思い出して思わず顔が死んでいたらしい。ヒナちゃんの心配そうな視線を見て正気に戻った私は、眉を下げたヒナちゃんの頭を撫でておいた。すると回復する体力。うう、この癒し力を考えると色んな人がヒナちゃんを欲するのもわかる気がする……。
「……でもフルフちゃん、見つからなかった」
「……ヒナちゃん」
……でもヒナちゃんは、癒すためだけの物ではなくてちゃんと自分の意思がある一人の人間なのだ。現在位置は私とシロ様とこっくんが寝泊まりしていた二人部屋。そこでこっくんのベッドの上に座り込んだヒナちゃんは、悲しげに眉を下げる。コップを握る手にもこころなしか力が籠っているようだった。
ヒナちゃんはあの貴族の人の接触なんかより、多くの人に声をかけられたことより、フルフの安否を心配しているらしい。いつだって自分のことよりも誰かのことを気にする、優しい女の子。俯いて口篭るヒナちゃんを見てか、難しい顔で俯いていたこっくんの表情も変わった。その手が私と同じようにヒナちゃんの頭へと伸びる。
「……ヒナ、大丈夫だよ」
「……コクお兄ちゃん、」
「犯人候補は大分絞れてきた。これならフルフがどうにかなる前に見つけられる」
「……えっ?」
けれど優しく慰めるこっくんの言葉は、私にとっても予想外のもので。犯人候補が、絞れてきた? だって誰に聞いても見かけてないの一点張り、挙句の果てに変な人に絡まれて時間を無駄にしたというのに? 私の驚く表情を見てか、こっくんは静かに話し始めた。
「まずこれが、乗客名簿なんだけど」
「……え、あの、こっくん?」
「ああ、別に盗んできたわけじゃないよ。災害級の騒ぎの時に添乗員が持ってたのをちらっと見て暗記した」
「いやすごいね!?!?」
しかしいくらこっくんが冷静でも、私は全く冷静になれなかった。こっくんが自分のベッドから何かを取り出したかと思えば、それはどうやらこの船の乗客名簿らしく。
乗客名簿? 添乗員の人が持ってたのを一瞬だけ見てそれを全暗記? つくづく思うがこっくんと私は頭の出来が違いすぎる。いやまぁレイブ族だから当然と言われればそうかもしれないが……いやいや、でもこっくんはすごいだろう。これは親バカ?じゃないはず。
「って言っても盗み見だから穴はあると思う。あと添乗員の方の名簿は無いし。でもここにある名簿の名前と人間の顔は一致させてる」
「す、すごすぎて声が出ない……っていうかそんなのいつの間に……?」
「面倒な人間が多そうだったから。ヒナが目付けられてたし、いざと言う時のために覚えといた方がいいと思って」
「コクお兄ちゃん……」
でもこっくんの本当にすごいところは、それ以上に誰かのためにその知恵を使うことが出来るところだ。暗記するのも、それを書き出すのも手間だっただろうに、こっくんがそんな手間をかけたのは全部ヒナちゃんを、私達を守るため。
シロ様が武力で私達を守ってくれるのと同じだけ、こっくんはその知恵を私達のために惜しみなく使って守ろうとしてくれる。その事に信頼を感じて胸が少し詰まるような心地になった。……やっぱり、会えてよかった。あの時こっくんが自暴自棄になって死んじゃうより、よっぽど。
「ちょっと待ってて、犯人候補のリスト作るから」
「……うん、任せるねこっくん」
並んだ名前に一本ずつ線を引いていくこっくん。そんな彼の真剣な横顔を、私とヒナちゃんは静かに見守っていた。こっくんが迷いなくこちらに向けてくれる信頼。それにどうやったら応えることが出来るだろうか、と考えながら。




