三百話「カサヴァの街」
「ヒナちゃん、お手をどーぞ!」
「あ、ありがとうアオお姉ちゃん……」
「へへ、王子様っぽいでしょ!」
タラップの最後の段、先に地上へと降りたアオちゃんに手を差し伸べられたヒナちゃんがその手を取り船から降りる。私はそんな二人を微笑ましく、けれどヒナちゃんが万が一にでも転んで海に落ちたりしないようにと後ろから見守っていた。
まぁヒナちゃんはそんなドジっ娘ではないのだけれど。ぴょんっと跳ねたヒナちゃんが、アオちゃんに抱きつく形で無事地上へ辿り着く。とうちゃーく! なんてはしゃいでいる女の子二人はとても可愛らしく、同じことを感じてか先に降りて見守っていたこっくんの表情も少し和らいだ。地面に足を着けたことで船酔いが少し良くなったのもあるのかもしれない。
「シロくんも手貸したげよっか?」
「いらん。どけ」
「え〜? もう、お姫様っぽいのはお顔だけなんだから」
「ふふ、シロお兄ちゃんはかっこいいよ」
「ピュイ」
「脳筋馬鹿が姫とか薄ら寒いだろ……」
今日も元気にシロ様に悪態を付いているようであるし。アオちゃんの言葉にげんなりとして見せたこっくんを見て思わず苦笑を零しつつ、私は野次が飛ぶ中一人で軽やかに地面へと降り立ったシロ様に密やかな感嘆の拍手を送った。するとその背はすぐさまこちらへと振り返り。
「ミコ」
「……ふふ、ありがとうシロ様」
「ああ」
無言で差し出された手の意味なんて尋ねるまでもない。私よりも少し大きなその手に手のひらを置けば、頼もしい力で手を引かれた。これにて私も無事下船。久方ぶりの揺らぎのない確かな地面は、なんだかとても安心する気がした。
「で、どこ行く?」
「はいはーい! お腹空きました!」
「ピュイッ!」
「なら市街地に向かうか」
ここはムットールにあるカサヴァという街。本来ならば観覧船イェブリオの停泊地ではなかったが、あの騒ぎのせいで一刻も早い補給が必要となり留まることになった地である。こっくんの話では一週間ほど停泊する予定だったか。
はしゃいでいる子どもたちをよそに、私はもう一つのタラップの方へと目を向けた。そちらでは従業員服に身を包んだ人達が忙しなく担架などを運んでいる。きっとあそこに乗せられてるのはあの騒ぎで亡くなった人の……いや、これ以上を考えるのはよそう。考えたって私にはどうしようもない事なのだから。
「お姉ちゃん、私卵が食べたいな……!」
「……いいね、オムライスのお店とか探そうか」
「!!」
「ふふ、ヒナちゃん嬉しそう! あたしもさんせーい!!」
影を振り切って前を向いた。きらきらとした瞳を向けてお強請りしてきたヒナちゃんの頭を優しく撫でれば、もう片方の腕にアオちゃんが抱きついてくる。軽く視線を回せば、目が合ったこっくんが心得たと言わんばかりに頷いて走り出して行った。多分お店の場所を街の人に聞きに行ったのだろう。
……そしてシロ様は、さりげなく二人があちらのタラップを目にしないようにと障害物になってくれる。今日もちゃんとお兄ちゃんをやっていらっしゃるようで感服というかなんというか。頼りになる二人の男の子に内心で感謝をしながらも、私はきゃっきゃとお話している女の子二人と一匹を見守った。
五日ほどの航海を終え、今日から一週間私達はこの街に留まることになる。
「ん! このホワイトソース美味し〜い! はいヒナちゃん、あーん!」
「え、あ、あーん……! おいしい!」
「ねー! はいはいミコ姉も!」
「ふふ、じゃあ私のデミグラスも二人にあげるね」
こっくんが探してくれたメニューに卵料理が豊富な『朱色の卵』という名前の店にて。私達は美味しい卵料理に舌鼓を打っていた。最近は船の事情で保存食が多かったりしたので、あったかい出来たての料理がより格別に美味しく感じる。
オムライスを頼んだのは私、ヒナちゃん、アオちゃん。卵料理が多いということもあり、ソースも豊富だったオムライスの中からそれぞれデミグラス、トマトソース、ホワイトソースを選択した。全員がオムライスではつまらないということでシロ様は親子丼、こっくんはチーズオムレツとベーコンのオープンサンドである。
「はい、こっくんもどうぞ?」
「っ、! え、あ、ありがと……ん、美味い」
アオちゃんとヒナちゃんにオムライスを分けた後、私は今度はこっくんにオムライスを一口分差し出してみた。なんせこっくんはデミグラスのオムライスとオープンサンドで迷っていたみたいだったので。
ちょっと照れたように頬の辺りを赤く染めながらも、スプーンにぱくついたこっくん。目元がふにゃりと緩んだあたり、相当美味しかったのだろう。その顔も納得出来るくらいここのオムライスは美味しい。こっくんの食べ物に対する嗅覚は、流石レイブ族ということもあってかとても優れている。おかげで美味しい店に行けるので本当にありがたいと言うか。
「じゃあシロ様も……」
「待ってスプーン変えてから分けて」
「えっ」
「ほんとお願い頼むからお願い」
……しかしまぁ気遣い屋さんで聡く弱点がないように見えるこっくんでも、シロ様に対する思春期感は強いというか。いやこれ思春期とかそういう問題か? なんて首を傾げている内、シロ様が仕方なさそうに箸で私のオムライスを一口分攫っていった。箸でとろとろオムライスを掴むとは、シロ様の器用さも相当なものである。
「で、行くわけ? その妖精の密林……ってやつ」
「……うーん」
「ピュイ?」
そんなこんなで暫く皆で料理を食すること数分。一足先に食べ終わったこっくんからの質問に、私は思わず眉を下げた。その表情を見てか、私に餌付けされていたフルフは「どうしたの?」と問いかけるように首を……というか体を傾げる。
ちなみにここの食事は量が多いということが事前情報で分かっていたので、フルフは皆からちょちょこと分けてもらうビュッフェモードだ。小動物の特権である。それぞれをちょこっとずつ貰ってたこともあってか、美味しい物を沢山食べれた毛玉は毛並みをつやつやさせて実にご機嫌そうだ。でも今はその姿を微笑ましく見つめることが、なんとなく出来ない。
「……フルフちゃんも連れてくの? ミコ姉」
「…………」
アオちゃんとヒナちゃんの縋るような視線が、痛いからだろうか。あの日妖精の密林という言葉を聞いた時に話した、「いずれフルフは同じ種族の群れに戻してあげたいと思っている」という話題は今も二人の中で複雑な形に揺れているらしい。
帰してあげた方が正しいのはわかっている。それでも寂しい。そんな感情が容易く読み取れる赤と青の瞳を見て、私は小さく息を吐いた。二人の気持ちは分かる。けれど、やはり……。
「連れていく」
「……! シロ様、」
「元より群れに戻すために連れていた。珍しい魔物で攫われやすいのにも関わらず、従魔契約もしてこなかったのもこの為だ」
「…………」
「…………」
重い口を開こうとした瞬間、私よりも早く言い放ったのはシロ様。淡々と物事を告げる口調はいつも通りだが、少しだけ固く思えるのは私の気のせいだろうか。いいや、気のせいじゃないはず。だってヒナちゃんもアオちゃんも、シロ様の心情を悟ったように口を噤んでいるのだから。
……そう。フルフを群れに戻すのは、最初から決めていたこの旅の目的の一つだ。
「ピュイ……?」
こっくんも視線を落とす中、唯一よくわからなそうに体を傾げた毛玉の鳴き声だけが賑やかな店内に妙に響いて聞こえた気がした。




