二百九十八話「風切羽の残痕」
「そもそも、ミコと結婚するならもれなく我とヒナが付いてくるが」
「なんでだよ!」
「えー、シロくんはいらなーい。ヒナちゃんならいいよ!」
こっくんとアオちゃんの結婚戦争(主題は何故か私)は、いつの間にかシロ様まで参戦し大混乱を極めていた。なんか私と結婚するとセットでシロ様とヒナちゃんまで付いてくるらしい。正直メインメニューよりサイドセットの方が千倍くらい豪華な気がする。
がうっと外敵を見つけたワンちゃんのように吠えるこっくんと、ナチュラルにヒナちゃんは歓迎しているアオちゃん。私はそんな三人を横目に観察しつつ、この話はいつ終わるのだろうと考えていた。だって結婚とかまだ皆には早い話だし。後少なくとも私は、皆が独り立ちするまで結婚する予定は無い。いくら嫁ぎ遅れようと絶対にである。
「……お姉ちゃん」
「ん? どうしたのかなヒナちゃん?」
まぁ全員に独り立ちされたらきっと泣くだろうな……なんてことを考えつつ。私はそこでヒナちゃんに呼ばれ、思考を止めた。さっきから皆の話に入っていけない様子ではあったが、何かわからないことでもあったのだろうか。尋ね返した私に、ヒナちゃんはおずおずと口を開く。
「……その、けっこんってなぁに?」
「えっ」
しかしそのクエスチョンはあまりにも想定外で。思わず漏れ出た私の声に、ヒナちゃんが途端に不安そうな表情をする。自分が変なことを聞いてしまったのかと不安になってしまったらしい。いやいや、違う。まさかそんな基本的なことを今までヒナちゃんに教えていなかった自分に驚いたのだ。
「び、びっくりさせてごめんね! そういえば教えたこと無かったなって気づいて驚いちゃった」
「そっか……」
「えっと結婚だよね! うーん……特別に好き合ってる二人が、家族になることかな」
「かぞく……」
簡易的な説明だったが、これで理解して貰えただろうか。むむ……と考え込み始めたヒナちゃんを私は黙って見つめる。ここで余計に口を出すとヒナちゃんを混乱させてしまうだろう。なのでまず、今ヒナちゃんが理解出来るところまで理解してもらうのだ。何かを教える時はいつもこのやり方にしている。
「……じゃあお姉ちゃんとわたしはけっこんしたの?」
「う、うん!?」
「シロお兄ちゃんも、コクお兄ちゃんも、アオお姉ちゃんも?」
だがどうやらこれだけでは理解出来なかったらしい。まさかの重婚。しかもヒナちゃんは私達全員が家族だと思ってるので、もう誰がどれだけ重婚してるかわからない。
衝撃の返答を前に、私は言葉に詰まってしまった。違う、違うんだけど……違うと答えた結果、もしヒナちゃんに「じゃあわたしたちはほんとはかぞくじゃないの?」などと言われてしまったら。これはとても難しい問題である。果たしてどう答えたものか。
「……ヒナ、違うよ。結婚ってのは恋とかそういうやつ。俺らのは親愛」
「こい、しんあい……」
「書類とか提出して契約を結ぶことで不安定な恋を保証すんのが結婚。俺らはそんなのなくても信頼関係があるから、結婚なんてしなくていいんだよ」
しかしそこで助け舟が。いつの間にか言い争いをやめたのか、こっくんが救援に来てくれたのだ。少々穿った言い方……というか大分結婚を悪い見方をしているのが気になるが。えっこれに素直に頷くのは違う気がする。同意を求めるようにこちらを見てきたこっくんを前に、私は思わず困惑してしまった。
「違うよ! 結婚はそんなんじゃないもん!」
「アオお姉ちゃん……」
「いーいヒナちゃん! 結婚てのは好きな人同士が周りの人に祝福されて最高に幸せになるイベントなの! 書類がどうこうも確かにあるけど、もっとハッピーなんだよ!」
すると援軍が別方向からもう一人。こっくんの言葉があまりにも聞き捨てならなかったのか、アオちゃんが慌ててヒナちゃんの思考を誘導しにかかったのだ。う、うーん、まぁ私としてもそのイメージの方が近いが……。ヒナちゃんの出自を考えると、こういう説明をすると後々悪い方向に行く気が。
「そんな夢見させるようなこと言うなよ! 大体結婚なんて妾とかそういうのがつきもんだろ!」
「妾!? いつの時代の話してるのこっくん!! もっとこうきらきら〜で、ふわふわ〜なの!」
「そんなん一握りだって! 結婚は人生の墓場って本にも書いてあったし!」
「喜びを二倍、悲しみを二分の一の方に決まってるじゃん!」
またしても始まってしまった論争を前に、挟まれた私とヒナちゃんはしどろもどろになってしまった。全く話に着いていけずに何が正しいのかと目を白黒させるヒナちゃんと、どっちの意見もちょっとわかるからこそどっちの肩も持てない私。いやこれどうやって収拾をつければ……!?
「っだ!?」
「っ、いった!?」
「落ち着けお前ら。ミコとヒナが困ってる」
するとそこに三人目の援軍……いや、救世主が。両手を手刀の形に作ったシロ様が、すぱんと言い争う二人の頭にその手を下ろしたのだ。割と痛い音が辺りに響き渡り、頭を抑えて蹲った二人を見て私は大分心配になった。こ、これが幻獣人同士の力加減。これを見ると、普段の私へのデコピンがどれだけ気を遣われているかがわかる。
「ヒナ」
「し、シロお兄ちゃん……?」
「正直このように結婚の見方は人それぞれだ。故に今度結婚に書かれた本を何冊か買ってやるから、それを読んでどういう仕組みか自分で判断するのがいいだろう」
「……! うん」
ついでに、シロ様が割とヒナちゃんに対する教育を自分なりに色々考えてやってくれているのも。こういう面を見ると、シロ様は子供たちの中で一番お兄ちゃんなんだよなぁとほっこりする。うんうん、それがよさそうである。そもそもの仕組みを知り、自分が納得出来る正解を探すのが。
納得できる答えを見つけたのか顔を輝かせて頷いたヒナちゃんの頭を、優しく撫でるシロ様。やっと痛みから解放されたらしい二人はそんなシロ様を恨みがましく見つめるが、論争に熱くなってしまったのを自覚しているのだろう。それ以上口を挟むことはしなかった。なんか私の結婚話も有耶無耶になったし、ひとまずこれで良しである。
「あ、そうだヒナちゃん」
「?」
「一個大事なお話があって……私が持ってるヒナちゃんのお名前、ヒナちゃんに返してもいいかな?」
ついでに、と私は昨日教えられた問題点の一つを解決しにかかった。そう、ヒナちゃんの名前及び魂を私が握っている問題である。私が持ってたところでデメリットにしかならない気がするし、他の三人には拒否されたがせめてヒナちゃんにだけは返しておきたい。
「……いや!」
「……え、」
しかし「? うん」 なんて呆気なく了承されると思った私は、そのヒナちゃんの反応に度肝を抜かれることになった。ヒナちゃんらしくない、鋭い声の拒絶。それにこの部屋の全員が呆気に取られた。きっと誰もが、彼女がこんな反応を見せるだなんて予想していなかったのだ。
「……いや、やだ、こわい……」
「ひ、ヒナちゃん……?」
「わたしのこと、すてないで……」
「ええ!? ちが、違うよヒナちゃん! そんなに嫌なら全然私持ってるから! 大事にするから!!」
床に蹲って怯えだしたヒナちゃんを見て、私は焦った。こんな怯えさせるつもりなんてなかったのだ。ただちょっと、名前を返せたら気は楽になるってそう思っただけ。でも私の軽い行いがヒナちゃんに強いショックを与えている。
蹲るヒナちゃんを上から優しく抱きしめた。拒絶されると思ったが、ヒナちゃんは弱々しく私の服を握ってくる。その縋り付くような姿に、私は皆と顔を合わせた。皆はそれぞれ困惑した表情でヒナちゃんを見つめている。この様子を見るに、ヒナちゃんがこんな反応を見せた理由が同じく名前を握られている三人にはわからないらしい。
「……大丈夫、ずっと一緒だから。ヒナちゃんを一人になんて、しないから」
「……うん」
……だとするとこれは、ヒナちゃんの奴隷時代……いいやもしかしたら、もっと遡った奴隷になる前の話が関わってくるのだろうか。意図せず触れてしまったヒナちゃんの過去がどんなものなのか考えながら、私はそのまま暫くヒナちゃんを抱きしめていた。




