三話「白銀の少年」
現実味のない美貌がこちらを強く睨みつける。絶望の死地の最中にあってもまだ尚、生のため抗うように。その容姿は幼く、体格ですらも私よりも小柄で。だが彼のその視線には確かに何かの圧があった。狩られる側ではなく、狩る側としての強者特有の何かが。倒れ伏し痛みに喘ぎながらも、その少年はまだこちらを睨みつけている。強く、強く。
「……っ、文句は、後で聞くから!」
「……!?」
私は向けられたその殺気とも呼べる空気に怯えそうになって、しかしその恐怖を振り切った。未知の世界に落とされたせいか、きっとどこかネジが外れていたのだろう。普段であればそのまま顔を青褪めて、そうして逃げ去ってしまっていたかもしれない。けれど死の恐怖を直前に味わった私は、心が麻痺しているのにも気づかずに少年へと手を伸ばした。
少年が倒れている茂みへと半身を滑り込ませる。驚いたように見開かれた髪と同じ白銀の瞳を横目に、私は少年の体を観察した。服に隠れ見えている範囲は全身擦り傷だらけだが、血溜まりを作るほどの傷は無いように思える。それならば服の下かと、私は怯えた呼吸を噛み殺して少年の腹部を見つめた。着物に似た形状のその服は、いやに一部分だけが赤く染まっている。
「……刺されたの?」
「…………」
非日常的な状況を前に生唾を飲み込んで問いかけても、少年は答えを返してくれはしなかった。だが顰められた眉が言葉よりも雄弁にその答えを語っている。こんな年端も行かない子供が刺されるなんて、私の想像よりもこの辺りは物騒なのかもしれない。一瞬先程までの不安がぶり返しそうになって、しかし私は軽く首を振ることでその不安を振り切る。まずはこの子を手当しなければと、その一心で私は再び少年へと問いかけた。
「ごめん。手当、どうすればいいかわからない。貴方が知っているなら、教えてほしい」
「……!」
片方が空洞の銀の瞳を真っ直ぐに見つめる。警戒を宿してこちらを睨みつけるその瞳から、少しでも信頼を得るために。未だ殺気のような何かはびりびりと肌を焼くし、未知の恐怖が心を揺らすけれど。それでも彼をこのまま見捨てたのなら、私は一生後悔する気がしたから。
こんな大怪我をした状態の彼に何をと思われるかもしれないが、私はこんな大怪我の手当の仕方を知らない。ぼんやりと止血をすればいいという知識はあるが、それだってやり方を間違えれば彼の命を余計に蝕むことになるだろう。だから自分よりも幼くも、荒事の中で生きてきたような雰囲気を持つ彼に問いかけるほうが確かだと思ったのだ。こんな大怪我をした子供に聞く自分の情けなさを、歯痒くは思ったけれど。
「……無駄だ」
「え……?」
眉を下げて聞いてきた私に、少年は何を思ったのだろう。一度私の言葉に驚いたように瞳を見開いた少年は、暫くの間の後漸く口を開いた。最もそれは期待していたような手当の指南なんかではなかったのだが。呆然と声を漏らした私を、少年は見つめる。そこには先程までの敵意はもう無く、細められた瞳からはここから去ることを促しているかのような雰囲気すらも感じ取れた。
殺気を宿していた瞳に諦念を灯し、少年は緩く一度首を振る。まるでここいらが引き際だと、そう悟ったかのように。そこからは幼い子供らしい雰囲気は感じ取れず、私の頭の中では時代劇に出てくるような武人の影が彼に重なった。白皙の肌を赤く染め上げて、少年は小さく呟く。儚くも凛と、散り際の花のように。
「我はもう助からない。お前は早く行け」
「……どういう、こと」
零した言葉通り、私は彼の言葉の何もかもが理解出来なかった。先程までこちらに殺意を滾らせ、死の最中にあるというのに生きようとしていた少年。そんな彼が口を開いた瞬間に、何故か生きる希望を失った。私の言葉のせいで彼を変えてしまったのだろうかと言葉を失いそうになって、しかし私は少年の視線の行く先に気づく。彼は諦めを宿しながら、私の目を見ていた。
「どうもなにも、見ればわかるだろう」
「…………」
いやきっと、彼は正確には私の瞳の中の自分を見ていたのだろう。白銀と空洞の不揃いの瞳が私の真っ黒な瞳の中に映る。それを見た少年は諦めの溜息と共に瞳を瞑って、唇を噛み締めた。見たくもない現実を直視したと、そう言わんばかりに。その唇は嘲笑の形に歪み、無念を形にするかのような言葉を紡ぐ。
「……我は瞳を失った。後は死を待つのみだ」
私の瞳を鏡として、この少年が見たのは空洞になった自分の左目。瞳がどれほど彼にとって重要な意味を持つのか、私にはわからない。けれど先程まで足掻こうとしていた少年が全てを諦めるほど、彼にとっては瞳が重要なのかもしれない。口惜しいと悔しいと、表情でそう奏でながらも彼は全てを諦めてしまった。瞳を瞑るその表情は現実味がないほど美しく、しかし全てを諦めたこの少年は間違いなく死へと向かっている。
それを嫌だと、私は思った。状況が何も理解できないまま、彼がどうして諦めたのかなんてわからないまま。それでもここで彼を見捨てることは出来ないと、そう思った。ここで見捨てたら私はきっと、一生後悔する。これからの人生の隙間隙間で、この美しくも儚い死に顔を思い出すはずだ。
瞳を瞑る少年の顔にいつかの両親の顔が重なる。あの日棺の中に横たわってもう目を開くことがなかった、二人の姿が。
「……じゃあ、あげようか?」
「……は?」
ぽろりと自然に言葉が零れる。それは意識の外にあった言葉で、しかし確かに私の意思を反映した言葉でもあった。瞳を閉じた少年がその言葉に目を開いたことに私は笑って、そっとその頬に手を伸ばす。白皙の滑らかなそれを汚す赤を指先で拭い、私は呆然とこちらを見つめる少年に確かに視線を合わせた。白銀と空洞に、真っ黒な瞳が重なる。
「目、あげる。それで……貴方が助かるなら」
正直、その時は自分でも何を言ってるかなんてわからなかった。目をあげるなんてそんなことが、医者も病院も居ないこんな森で出来るはずか無いのに。でもそう言わなければいけないと、本能が常識的な考えを押し流していく。そしてその本能は、後々になって考えてみれば実際正解だった。
「……っ、!?」
「っ、おい!」
あげると、そう告げた瞬間に焼き付くような痛みが左目へと走って。それに耐えられないまま倒れ込んだ私に、少年が声をかけてくれる。けれどそれに答える余裕もないまま、私は両手で左目を抑えた。例えるならば高温に熱された焼型を瞳へと押し付けられるような、そんな拷問のような痛みの中。警鐘を鳴らす脳内が次に知覚したのは、喪失感で。
しかしそれをまともに受け取ることも出来ないまま、私は意識を失った。脂汗が滲み出て、痛くて苦しくてたまらなくて。けれど私は意識を失う瞬間に、どこか確信していた。ああこれであの子は助かったはずだ、と。