二十七話「二人で辿るこれから」
どこか重苦しい雰囲気が落ちた室内。手を重ねても、シロ様はまだ暗い顔をしたまま。そうして私はそんな彼にどんな声を掛けるべきか、わからないまま。お互いに言葉を失って、何も言えなくなって。しかしそこでそんな沈黙を壊すように、一つの甲高い鳴き声が聞こえた。
「ピュイー!」
「えっ」
「っ!?」
私の視界に、もふもふとした何かが飛び込んでくる姿が映る。けれどそれは一瞬のことで、次の瞬間にはそれはシロ様の頬にダイレクトなアタックを決めていた。効果音を付けるのであれば、もふーんと言ったところか。突然過ぎたそれは、流石のシロ様であっても受け止めきれなかったらしく。私と手を繋いでいたシロ様は、そのもふもふアタックの影響で後ろへと倒れ込む。あの勢いは私だったら、思い切り床に頭を打っていたことだろう。
「……貴様、何をする」
「ピュ!」
倒れて手が離れてしまったシロ様の、不機嫌そうな声。それをわかってるのかいないのか飛び込んできたもふもふ、フルフは短く鳴いて。そして白いもふもふはそのまま、シロ様の頬にすりすりと体を寄せた。まるで元気を出せと、そう告げるかのように。
……もしかして、この子はシロ様を慰めようとしているのだろうか。この小さな生き物にどれくらいの知能があるのかはわからないが、それでもこの子はシロ様に元気がないのを察して、そうして慰めようとしているのかもしれない。懸命に体を擦り寄せる白いもふもふを見て重なるのは、昔飼っていた犬の姿。いつもは少しお馬鹿なのに、私の元気がない時は寄り添ってくれていた優しい私の愛犬。
「……なんなんだ」
「ピュイピュイ!」
シロ様がどこか疲れたように溜息を零す。けれど倒れ込んだその表情からは、先程までの暗く憂うような色は消え失せていて。それを私と同じく確認したのだろう。体を擦り寄せるのをやめたフルフは、どこか嬉しそうな鳴き声を上げる。そんな光景を見た私の顔に浮かんだのも、自然な笑顔だった。
「シロ様、はい」
「……ああ」
倒れ込んだシロ様に手を差し伸べる。私の笑顔にか一度眉を寄せた彼は、しかし結局素直にその手に応じてくれて。そこに先程までの重い沈黙はない。何故ならばフルフが、その沈黙を取り払ってくれたから。
シロ様に手を貸す傍ら、私はシロ様の体から下りたその子を左手で撫でた。重い空気を壊してくれた感謝を告げるように。そうすればフルフは、ピュイとまた高く鳴いて。まんまるな瞳をきらきらと輝かせて鳴く姿はやはりどこか、私の愛犬だったあの子と少し似ていた。
「……もしシロ様の叔父さんが起こした反乱に、ムツドリの人が関わっているとしたら」
「!……ああ」
だが、和むのはそこまでだ。喜んでいる様子のフルフを二度三度撫でた私は、そこですっとその手を引く。そうして起き上がったシロ様に視線を合わせて、私は今度は地図の下側に指先を添えた。現在地であるクレイシュよりもずっと下、南側の大地の方を。私が指したその場所に、シロ様の表情が真剣味を帯びたものに変わるのを確認しつつ。
「それなら一番近いのはここ……ムツナギかな」
シロ様の叔父さん、ビャクの反乱にムツドリの人が関わっていると仮定して。それならば今は直接ビャクの下に向かうよりも、まずその裏に何があったかを調べた方が良いだろう。なんせシロ様がお姉さんと約束したのは、ビャクを打ち倒すことではない。惨劇の裏に合った真実を詳らかにすること、なのだから。
いつかシロ様に教えてもらった幻獣人それぞれの領地を思い出しつつ、私はムツナギと書かれたその場所を二回ほど人差し指で叩いた。クドラが西方を治めているのと同時で、ムツドリが治めているのは南方だったはずだ。そして現在地であるクレイシュから一番近い南の大地は、ムツナギ。それでも海を渡ることには変わりないのだから、きっと長旅になるだろうけれど。
「……確かクレイシュの下、クーロンからはムツナギ行きの飛行便が出ていたはずだ」
「うん、じゃあひとまずはクーロンからムツナギに向かおうか」
そこで私の指先に合わせてか、シロ様もまた地図に指を伸ばす。その指が示したのは、クレイシュの直ぐ下のクーロンという国。成程。シロ様の言うことが正しければまずはクーロンに赴き、そこから南へと渡るのが良いらしい。それならば森を抜けた後はクレイシュを超えクーロンを目指し、そうしてそこからムツナギに渡る。その道筋で問題ないだろう。
「……良いのか」
「え?」
しかし行く先を決定したところでシロ様から上がったのは、こちらの様子を窺うようなそんな声。それに私が首を傾げれば、薄い唇は物言いたげに歪められて。そんな顔をされても、良いのかという言葉だけでは流石に何もわからないのだが。困ったように眉を八の字に寄せれば、その表情を見たシロ様は息を詰まらせながらも俯く。そしてそのままシロ様は、いつになく弱々しい声で言葉を紡いだ。
「我の仇討ちに、お前が付き合う必要はないだろう」
「……!」
「恐らく危険な旅になるだろう。死人に口なし……お前が望むのなら、我は仇討ちを諦める。失った物の真相を突き止めるよりも、今ある物を守るほうが重要だ」
そして紡がれた言葉に、私は思わず驚いてしまって。だって、流石に驚きだったのだ。まさかシロ様がお姉さんとの約束を守るよりも、私を守ろうとする方を優先するなんて。確かにシロ様の言葉は理念に叶っているが、それでも感情というのは中々に切り捨てられないものだろう。それなのにシロ様は、出会ったばかりの私の方を優先すると言ってくれたのだ。きっとお姉さんとの約束は、彼にとって何よりも大切な物なのに。
例えばお前が付いてくる必要はないだとか、そんな言葉だったらまだわかった。シロ様が私を置いて一人で赴くのなら、それもまた理に適っているから。けれどそうではなく、シロ様は約束自体を諦めると言ったのだ。死んだ家族との約束を果たすより、生きている私を守るほうが重要だと、そう言って。
「……確かにシロ様の言う通り、危ない旅かもしれないけど」
「…………」
「でもさ、私だって真相が気になるし。あ、後ね……」
その事実に気づいた瞬間、ふっと肩の荷が降りた気がした。どうやら一週間前のあの夜と変わらず、彼は私を足手まといや役立たずなんて思っていないらしい。私を置いていこうだとか、そんなことも考えていない。そうすれば言ってはいけないだろうか、なんてそんな考えは自然と解けていった。
するりするりと、今まで意固地になっていたのはなんなのだろうと言わんばかりに言葉が零れ落ちていく。確かにシロ様の言う通り、危ない旅になるだろう。真相を探ろうとすれば、恐らくどこかで、ビャクはシロ様が生きていることに気づく。そうなれば、今度はこちらが追われる側になるのかもしれない。けれど、それでも。
「シロ様の心に霧がずっと掛かったままなのが、嫌なだけ」
「……!」
気になるは、二の次で。第一の考えとしては、シロ様が大きな荷物を抱えたまま生きようとするのを止めたいのだ。目の前の優しい少年のこれからに、お姉さんとの約束を果たせないままなんて重荷を背負わせたくはない。そう告げれば、こちらを窺うように揺らいでいた二色の瞳は見開かれて。
「だから付いていってもいいかな、あの日の真相を見つける旅に」
「……この、お人好しが」
そうしてそのまま苦笑を浮かべて言葉を続ければ、シロ様は吐き捨てるかのような溜息を吐いた。けれど疲れたような言葉とは裏腹、その表情には安堵という安らぎが浮かんでいて。
きっとシロ様も、不安だったのだろう。真相を知りたい気持ちと、それに私を巻き込みたくない気持ち。直接私に言葉にして伝えるのは憚られて、けれどいつまでもここに居られるわけがないからと前に進もうとした。その結果が彼の望んだものと同じになったのか、それは言葉で尋ねなくても彼の表情が物語っていて。
「ピュイイ!!」
しかしそうして話が纏まったところで、聞こえてきたのは甲高い鳴き声。私とシロ様が思わず顔を見合わせて、それから同時に下の方を見遣れば。そこにはまんまるな瞳を少しだけ細めて、私達を見ているフルフが居た。ふわふわな毛が少し逆立っていることだし、もしかしたら怒っているのかもしれない。とはいえその姿は全く恐ろしくなく、いっそのこと気が抜けるような愛らしさのままだったのだが。
「……まずはこの子を、群れに返さないとだけど」
「……そうだな」
どうやら放って置かれたことにお冠らしい生き物の頭を撫でる。そうすれば単純らしいフルフの機嫌はころりと直ってしまって。今度は機嫌良く鳴くそれに苦笑を浮かべつつ提案をすれば、シロ様もまた同じような笑みを浮かべながら頷いてくれた。今後の方針に関してはひとまず一件落着と、そういうわけである。




