二十五話「フルフという生き物」
お弁当箱にたっぷりと入ったジャム。それを付属の箸で少しだけ掬って、その子の口元に運ぶ。驚かせないようにとゆっくりと運ばれていくそれを、小さな生き物はまだかまだかと瞳を輝かせながら待っていて。そうして自分の届く距離にまで近づいたジャムに、ふわふわは飛びついた。
「ふふ、美味しい?」
「ピュ!」
「そっか、良かったね」
真っ白な毛玉のその口元が、嬉しそうな鳴き声と同時に少しだけ赤く汚れる。それに淡く微笑んで問いかければ、元気で無邪気なお返事が返ってきて。どうやら味はお気に召したらしい。まぁそんなのは、フォークを盗まれてしまった時点で察しが付くところだったけれど。
苦笑を浮かべた私を他所に、ふわふわはまた小さな口を開けた。どうやらおかわりをご所望らしい。お弁当箱に飛びつかないだけお行儀がいいな、なんて思いつつ。私は仕方ないと再び箸にジャムを取る。そうしてそれをまた口元へと運べば、ふわふわは嬉しそうに鳴きながら再びジャムを食べた。
「……フルフ、という生き物らしい」
「え!? もうわかったの?」
その姿にほっこりと和んでいれば、背後から声が掛けられて。その言葉に驚いて顔だけ振り返れば、そこには生物の教科書(今となっては図鑑)を手に持ったシロ様が居る。私が餌付けをして警戒心を解いている間に、シロ様はこの子の事を調べていてくれたのだ。
「ああ、恐らく間違いない」
私の言葉に頷いたシロ様は、私に見えるように該当のページを広げて見せてくれた。少し距離こそあれど、視力は高い方である。目を細めてそのページを睨みつければ、そこには確かに今手元にいるその子とそっくりな生き物が居た。
生憎とそこに連ねられた小さな文字までは見えないが、写真だけでも一目瞭然である。どうやら今ジャムをご機嫌で貪るその子は、フルフという魔物?らしい。熊もどきを知っている身としては到底魔物には見えないなと、私は何だかやるせない気持ちでふわふわを見下ろした。
あれから。ジャムを奪われたことにお冠なシロ様を何とか宥めて、怯えているふわふわを手にとって。そうして火の始末を終えた後、私達は小屋の中へと退避していた。勿論しっかりと煮詰めたジャムと、小さなお客様も一緒にである。フォークの回収もしっかり行った。
そこでこの子の情報収集をしていたと、そういうわけである。まぁ調べてくれたのはシロ様で、私はふわふわと戯れていただけなのだが。小屋の中に謎の生物を入れるなんて迂闊かと思われるかもしれないが、シロ様曰くふわふわに敵意はないとのこと。不機嫌そうにしながらもそう告げる彼の言葉を、疑う理由もない。そうして案の定、ふわふわに私達を害す能力はなかった。
「何々……君、繊維を吐き出すの?」
「ピュ?」
「その後機織りをするらしい。だがこれはあまり知られていないらしいな」
近寄ってきてくれたシロ様の、その手元にある教科書に目を向ける。フルフとは、繊維を吐き出す魔物。更にはその後、自分で布を織るところまでセットらしい。だが森深い奥地に群れとして暮らすことが多く、人里には滅多に寄り付かない。故にその生態については広く知れ渡っておらず、書かれている文面曰く愛玩用の動物代わりになりやすいんだとか。
一瞬群れで暮らし繊維を作るのなら森が繊維まみれになるのではと思ったが、どうやら繊維を作るにも条件があるらしい。その条件とは、食事を取った後に法力を外部から流されること。いまいち構造が謎だが、魔物なんて不思議生物は皆そんなものなのだろうか? ただそんな特殊な条件下なら、その生態が知れ渡っていないのも納得だ。愛玩用の小動物にわざわざ法力を流すような最低な人間は、中々居ないだろう。
「……ハンターに狙われやすい、って書いてる」
だがそんな謎や納得よりも、気にかかったのは。最後の方に書かれていた「無力故に群れが見つかれば、群れごと珍獣ハンターに狩られる事が多い」という文面だった。フルフは小さい。恐らく食肉用や、毛皮として狩られるのではない。恐らく狩った後は、愛玩用として売り捌かれるのだろう。こんな小さくてふわふわな生き物を、愛玩という人間の私欲のために狩る。そのことに心臓が握られるような心地になる。今も無邪気にジャムを食べているこの子を見てしまえば、余計に。
「ピュイ?」
私の視線に不思議そうに首を傾げるふわふわ。その無垢な姿を見るに、自分が人間に狙われやすい存在だということを何もわかっていないのだろう。だからこそこんなにも無防備に、私達がジャムを食べている所に近づいてきた。ただその生態として、美味しいものが好きだから。
「……戦闘能力は皆無らしいからな。だからといって、お前が罪悪感を感じる必要はない」
「……うん、ありがとう」
そんな彼らが狙われることを考えると、心は少し暗く落ち込んでしまって。なんというか、人間の欲に巻き込んでしまって申し訳ないという気持ちだ。それを慰めてくれているシロ様は、変わらず優しいんだけれど。うん、シロ様は幻獣人ではあるが、人間側にも良い人は居る。お仕事とは言えフルフたちのような子まで狩る珍獣ハンターのことは、あまり好きにはなれないけれど。
ああ駄目だ、このことを深く考えるのはやめよう。私の方が年上の癖に、シロ様に気を遣わせてしまうようではいけない。今はともかく、この子を群れとやらに返す方法を考えなければ。本人……いや本魔物?は無邪気にジャムを咀嚼したままなのだけれど。
「シロ様、この子の群れについて心当たりってある?」
「……いや、これに類似した生き物を見かけた覚えはないな」
「そっか……」
とりあえずジャムに夢中になってくれている内に、シロ様と相談を進めてみる。だがこの森を私よりも知っているシロ様でも、この子のような生き物を見かけたりはしていないらしい。シロ様が知らないならば当然、私のような半ば引きこもり人間が知る由もなく。
「……ああ、だがそうだな」
「! 何かあるの?」
「いや、こいつに関係はないが話しておきたい話だ」
手がかりなしかと、落ち込みかけた私。しかしそこで続けられた言葉に、顔を上げて。だがどうやらふわふわに関係があることではないらしい。落ち込んではぬか喜びをして首を傾げる。我ながら忙しいと思うが、これは話の展開が悪いのだと思う。思いたい。
しかして、ふわふわには関係ないが話しておきたい話とは。今はこの子を群れに返すことを優先するべきだと思うが、それよりも重要な話なのだろうが。首を傾げながらもシロ様を見つめていれば、生物の教科書を置いたシロ様がすっと立ち上がる。それと同時に、彼の背中の方にふわりとした真っ白な尻尾が現れた。片方だけの白銀の瞳が強く輝いて、そうして彼の指先に風が集まる。
「先程の見回りで、この森の出口らしき場所を見つけた」
「……!」
そうして収束した風を柔らかく扱って、シロ様は端的にそう告げた。先程の見回りとは、私がジャムを作っていた時のことだろうか。この一週間の間、シロ様は時折こうして風を扱ってこの森の出口を探していた。何でもこの深い森の中、風が停滞せずに吹き抜けていく場所ならば、何かしらの穴がある可能性が高いから。
とはいえ余力を残しておく必要があるため、派手に風を使うような大々的な捜索は行えない。だからこそシロ様は日々少しずつだけ、捜索を進めていた。だが今こうして、日々積み重なっていた捜索は実を結んだらしい。思わず目を瞠ってしまったのは突如として吹き込んだ風に驚いたのか、聞かされた事実に驚いたのか。そんなのは考えるまでもなく後者で。
「だからこそ、これの事も含めたこれからの展望に付いて話したい」
真剣な瞳が私を見下ろす。これとシロ様が指を差すのは、フルフ。ようはフルフをどうするのか、私達はこれからどうするのか、それを話したいとのこと。シロ様にはお姉さんとの約束を守りたいという意思がある。いつまでもこんな森の中で、停滞の日々を過ごしているわけには行かないのだ。
……そんな彼を前に私の心の準備なんて、そんな甘えたことは言えない。
「……わか、った」
一度強く息を吸って、吐いて。そうして私は立ち上がったシロ様の瞳を見返した。突如として訪れた未来の選択に心が怯えそうになるけれど、それでもいつかは選ばなければ行けない日が必ず来る。それならばもう逃げること無く、考えなければ。元の世界に帰れない以上、私もこの世界で生きる意思を見せなければならないのだから。




