二十四話「ジャムに釣られたのは?」
「……よし、できた!」
「!」
ジャムをことことと煮詰めること数十分。あれからレモン代わりのリーモという果実(何故か葡萄みたいに連なっている)の一粒を潰したものを入れて、そうして時折掻き混ぜながらもひたすらに煮詰めていた。その間シロ様は何が気になるのか、ずっと私やジャムを観察していて。
日頃忙しいシロ様が穏やかに過ごせているのなら私に文句は無いのだが、ジャム作りの観察なんて退屈ではないかと少し心配だった。まぁそんな私の心配を他所に、出来たという言葉に当の本人は耳をぴこんと立てて反応しているのだけど。背で揺れる真っ白な尻尾も、どこか機嫌が良さそうにゆらゆらと揺らいでいる。
「えっと、ご機嫌だね?」
「……ああ、これか」
「あっ」
何故ジャム如きでこんなにもシロ様がご機嫌なのか。それがわからずに思わず問いかける。すると一瞬不思議そうに私の問いかけに瞳を瞬かせた彼は、しかし直ぐに私の視線の先を理解したらしい。眉を寄せたシロ様は自身の尻尾を掴むと、それを消してしまった。ご機嫌に揺れていた猫よりも少し太いふわふわの尻尾は、もうどこにもない。
「別に消さなくてもいいのに」
「ふん」
思わず零してしまった残念そうな声に返ってくるのは、素っ気なく鼻を鳴らす音だけで。どうやら本日の尻尾は営業終了らしい。余計なことを言わなければ良かった。無表情ばかりを浮かべているシロ様の様子を窺うには、尻尾が一番わかり易いのに。ちなみに、次点は耳だ。
シロ様の種族であるクドラ族は、虎に近い生態をしている。これは以前にも話したことがあったはずだ。だからこそ耳があるし、尻尾がある。しかしクドラ族はもふもふで綺麗なその尻尾を、法術で隠してしまう者が多いんだとか。シロ様曰く、耳の方とは違って戦闘に役に立たないから。
「ご機嫌伺いをされるのはごめんだ」
「そういうつもりじゃないよー?」
耳は音を拾い集めるのに便利だが、尻尾は彼らにとって戦闘面に置いての利点にならない。それどころか対人戦に置いては、感情を悟られやすく危険。武に生きる者が多いらしいクドラ族にとっては、それは尻尾を隠す十分な理由になる。故にクドラ族は、感情を曝していいと思った相手の前以外では尻尾を見せないんだとか。
それは彼らの習性みたいなもので、仕方がないことだとはわかっている。でも今シロ様が尻尾を隠したのは、絶対にそんな理由じゃない。大方、私に感情を悟られるのが恥ずかしかっただけだ。ここ一週間で機嫌がいいこと、悪いことを指摘しては、何度も彼は尻尾を隠していたので。まぁ何度か繰り返しておいて、学んでいない私も悪いと言えば悪いのだけれど。
「……もう、ほら」
「……?」
「味見! 気になるんだよね?」
「!……ああ」
時折大人びすぎていて忘れるが、シロ様は私よりも年下なのだ。見た目から判断するに、恐らく中学生くらいだろう。そんな多感な年頃に、相手に感情を悟られるのは嫌なはず。そんな事を考えながらも、私は今度はフォークでジャムを掬った。本当はスプーンの方が掬いやすいのだが、お玉代わりの調理器具として使っている以上フォークを使うしか無い。
そうして掬い上げたそれを、そっとシロ様の口元に近づける。彼は突如として近づいてきた赤く透き通ったそれに、不思議そうに首を傾げて。けれど続いた私の言葉で、意図を理解したらしい。目を瞬かせたシロ様は頷きの後、恐る恐るとそれを口に含もうとした。しかし。
「ピュイ!」
「わっ!?」
「っ!?」
甲高い鳴き声。それが聞こえた瞬間に、私の手には僅かな衝撃が伝わって。そうして反射的に瞑ってしまった目を慌てて開ければ、もう私の手の中にフォークはない。この一瞬でどこに行ってしまったのかと、目の前で呆然としているシロ様の視線を追えば。異色が混合した彼の瞳は、少し離れたところにいるふわふわとした生物を見つめていた。
「……えっと、誰? あの子」
「……知らん」
そこに居る生き物は、小刻みに体を揺らしている。恐らく私の手からフォークを攫ったのはあの子なのだろうと当たりをつけて、しかしそれがわからなかった。何故動物も近づけない結界を張っているらしいこの場所に入ってきていて、フォークを奪ったのか。念の為知り合いかとシロ様に問いかけても、彼は不機嫌そうにふわふわとした生き物を睨むだけだ。どうやらジャムを奪われたことにお冠らしい。
「……あの子、魔物だよね」
今はそういう場合ではないのでは? シロ様の不機嫌そうな表情にそんなことを思いつつ、私は少し離れた先にいるふわふわを観察した。シロ様の知り合いではなく、この結界に入ってこれた生き物。それ即ち、あの無害そうな生き物はそこそこ強力な魔物である可能性が高いということ。それに気づいた私は、思わず足を一歩引いた。シロ様は私が暮らしている周囲に、強めの結界を張ってくれている。目で捉えることが出来ないそれは、こちらに敵意のある野生動物や弱い魔物を遠ざけるんだとか。
しかし時折、その牽制が通じずに入ってくる生き物も居る。それは、牽制が効かない強い魔物である。そういうのが私一人の時に入ってきた場合は、更に強い結界が張ってある小屋に戻れと言われていた。だがシロ様が隣に居て、魔物の方が小屋に近い場合。その場合はどうすればいいんだろうか。
「……おい」
「ちょ、シロ様!?」
迷って、しかしシロ様の後ろに下がろうとした私。あの生き物はいつか出会った熊もどきより危険に見えないし、いっそのこと可愛くもある。だがそれでも魔物で危険な存在ならば、可愛いと迂闊に近づくわけにも行かないだろう。けれど緊張感に生唾を飲み込んだ私とは真逆、シロ様は私が止める事もできないままその子に近づいていって。
咄嗟に手を伸ばすも、後ろに下がってしまったせいでその背中にすら触れられない。そんな丸腰で、という言葉が喉のあたりまでせり上がって。だが焦りのあまりそれは声にならず、詰まるような音を漏らすだけだった。
「っ、待って!」
触れられない背中に、悪い想像は勝手に膨らんでいく。どうしよう、あのふわふわが急に振り返って牙を剥き出しにしたら。もしくは突然巨大化して、シロ様を押し潰そうとしたら。シロ様は強い、仮に不意打ちを貰っても撃退することは出来るだろう。それにクドラの瞳だってあるし、大怪我を負ってもすぐ治る。でも、彼にだって痛いという感覚はあるのだ。何かあればと脳が警鐘を鳴らすままに声を投げかけて、しかし続くはずだったその声はそこで途切れる。
「お前、誰のものに手を付けている?」
「ピピッ!?」
シロ様の手が、握りこぶし大の生き物を摘み上げる。ふわふわは私が想像したように牙を向くことも巨大化することもないまま、驚いたような声を上げて摘まれて。ぷらぷらと宙に揺れるその姿は、無害な小動物のそれだった。形にしようとしていた言葉を忘れてしまうほどに、シロ様に摘み上げられるその姿は哀れだったのである。
「……誰のものに手を付けたと、聞いている」
「ピュ……!?」
しかしその姿程度では、ジャムを奪われたシロ様の溜飲は下がらなかったらしい。少年にしては低いドスの聞いた声が、ふわふわを短く脅す。その声に明確な敵意を汲み取ったのか、ふわふわは怯えたような声を上げて。そうして今度は小刻みに震え始めてしまった。そこに強い魔物らしい影は見えない。
ぷるぷると、小動物めいた生き物が震える。真っ白な毛玉のような体に、はめ込まれたかのような茶色い二つのまんまるな瞳。助けてと訴えかけるその瞳は、少し遠くに居る私を見ていた。
「……シロ様、ジャムまだあるから離してあげて?」
がらりと、私の想像していた悪い未来が打ち砕かれる音。それに安堵したような、心配損したような、そんな複雑な感情を抱きつつ。私はそっと摘み摘まれる彼らの方へ近づいていった。流石に小さな生き物に助けを求めるような視線を向けられて放っておくほど、冷酷には成り切れなかったので。




