二十二話「自分にできること」
「落とすぞ」
「うん!……っと、」
私でも取れるようにと気遣ってくれたのか、緩やかな軌道を描いて落とされたリンベリー。それを何とか地面に落とすこと無くキャッチして。そうしてキャッチしたリンベリーを足元にある大きな葉っぱの上に置いて上を見上げれば、また一声と共にリンベリーを落とされる。私達は先程からこんな作業を、ずっと繰り返していた。
新たなリンベリーが降ってくるのを待ち構えながらも、私は遥か高みでこちらを見下ろすシロ様を見上げる。器用にもこの巨木に登っていったシロ様は、今も身軽に枝と枝の間を移り渡っていた。果実を目指してはひょいとその足を持ち上げ、危なげのない動きで次の足場へと飛び移る。運動神経が良いとはこの事を言うのだろう。私は幻獣人である彼の能力の高さを垣間見て、改めて感心していた。到底訓練を受けていない人間には出来ないことである。
あれから更に詳しく話を聞き続けた結果、シロ様はこの一週間で少しずつ幻獣人についての話をしてくれた。どうやら幻獣人という存在は五種類に分けられるんだとか。まずシロ様の一族であるクドラ。クドラ族は虎に近い生態を持ち、風の法術と武術を得意とする。その強さは、この世界を牛耳る四家の中でも群を抜いているらしい。それだけあって、身体能力を高く持つ者が生まれることが多いんだとか。
後は簡単にしか教えて貰っていないが、それでも四家と一家のその概要はあらかた聞いている。火を司るムツドリ族、土を司るレイブ族、水を司るミツダツ族。そうしてその四家とは別枠として数えられる、リンガ族。リンガ族は簡単に説明をすれば、この世界の王様みたいな存在らしい。やっぱり説明するのを嫌がったシロ様によって、あまり良くは知らないのだけれど。
「ひゃっ!?」
「……顔で受け止めてどうする」
しかしそうして考え事をしていたのが良くなかったのだろう。馴染んできた合図を聞いてもまだ油断していた私は、遂にやらかした。シロ様が落としてくれたリンベリーを、顔面でキャッチしてしまったのである。いくら果物とは言え程々な硬さを持つそれは、当たればまぁまぁ痛い。思わず悶絶して蹲った私の耳に、呆れたような声と軽い音が聞こえる。とんと、何かが着地したような音が。
「……見せてみろ」
「……うん、ごめん」
「別に気にしていない」
その音に額を抑えたまま顔を上げれば、そこには呆れながらも心配そうにこちらを見下ろすシロ様が居て。大きな怪我をしていないかと不安になって、わざわざ木の上から降りてきてくれたのだろう。鈍臭い私にも、シロ様は大概慈悲深く優しい。自分よりも年下の少年に面倒を掛けるなんて、高校生だというのに大変情けない話である。
そんな情けなさと申し訳無さを思い浮かべつつ、私は言われた通りにリンベリーが直撃した額をシロ様の方へと向けた。すると慰めの言葉と共に、温かい手のひらが患部に触れる。シロ様は幻獣人だからか、人よりも基本的に体温が高いのだ。
「……問題はなさそうが、帰ったら冷やしておけ」
「はーい……」
温かい手にどこか癒やされ思わず瞳を細めながらも、私はシロ様の言葉に素直に頷いた。たかだか果実が頭に直撃したくらいで何をと思われるかもしれないが、私にとってこの世界は未知である。貧弱な私では、小さな怪我が死を招く要因になりかねないのだ。些細なことが後々の大惨事に繋がってはいけない。つまるところ、シロ様の言葉はいつも正しいということである。死が隣り合わせのこの世界では、大事にしておいて損することはない。
「想像より集まった。戻るぞ」
「えっ?……あ、そうだね」
次は気をつけなければ、そう力んでいた私はしかし落とされたシロ様の言葉に目を丸くする。けれど彼の視線を追えば、その言葉の意味はあっさりと理解できた。確かに、大きな葉っぱにはもう十分すぎるくらいのリンベリーが集まっている。これ以上取ってしまえば、ここで暮らす小動物達の生活にも悪影響が出るかもしれない。
さっさと葉っぱを抱えたシロ様は、その小さな体躯に大量のリンベリーを抱え込んでしまった。半分くらい私が持つのにとは思いつつ、しかし帰り道に下手に転んでリンベリーを台無しにしてしまっては事だ。自分の鈍臭さは、この世界に来てからの一週間で大分自覚してしまっている。まぁ隣に居る比較対象が、運動神経の寵児であるのも悪いとは思うけれど。
「帰ったら我は周辺の確認に行く」
「そっか……そっちにはついていけないなぁ」
結局半分持つよ、なんて言い出せず。せめて彼の手から果実がこぼれ落ちるようなことがあれば拾い集めなければと、私はシロ様の少しだけ後ろを歩いていた。まぁ私と違ってしっかりしているシロ様がそんなミスを犯すはずもなく、そのやる気は徒労に終わりそうなのだが。
迷うこと無く森の中を歩いていくシロ様。時折振り返っては私を確認しながらも、彼は淡々と道を歩いていく。その道中、連絡事項として伝えられたそれに私は眉を下げた。シロ様は一日に一回、小屋の周辺を散策する。それは主に、小屋の近くに人を害する生き物が居ないかのチェックだ。ここは人の少ない森の中なので、高い確率で魔物に遭遇することがあるらしい。恐らく私のためにしてくれているそれに私が着いていくのは、正直言って足手まといだろう。多分シロ様がそれを言葉にすることはないし、彼ならそう思いもしないのだろうけれど。
「うーん、じゃあ私は……」
でも客観的に見れば、私が足手まといであるのは良く理解している。出来れば散策にも付き合ってこの周辺の地理くらいは覚えたいが、そうすることは彼の負担になるだろう。だからこそ、私は出来ることをしようと頭を働かせた。そして考えようとした瞬間、タイミング良く振り返ったシロ様の腕の中の物が視界に入る。
「……シロ様、帰ったら火をつけてもらってもいい?」
「?……構わないが」
それに思いついたのは、生物図鑑と変わり果てた教科書に書かれていた文面。リンベリーは確かかなり糖度が高く、そのままジャムにされることも多いのだとか。たくさん取ってきてしまったリンベリー。きっと今シロ様の腕の中にあるその全てをエコバックに収めるのは、中々難しいだろう。それならばこの一週間で見つけたもう一つの保存容器を使って、簡単なおやつにしてしまえばいい。
私のお願いに、首を傾げつつも了承してくれたシロ様。その左右が揃わない瞳は、何をするのかと不思議そうに問いかけてきている。私は普段よりも少し幼く見える彼のその表情に微笑んで、前方に見えてきた古びた小屋に視線を向けた。確かレモンに似た果実も、ここ一週間で見つけていたはずだと思い出しながらも。
「お弁当箱を使って、ジャムを作ろうかと思って」
「ジャム……? 作れるのか?」
そのままでは到底酸っぱくて食べられず、エコバックにしまっていたあれ。エコバッグに比べれば容量が少なく、使い道がなかったあれ。それらが漸く日の目を見そうだと笑みを浮かべれば、シロ様は目を丸くした。普段冷静で大きく表情が変化することが少ない彼にしては、珍しく驚いた様子である。私がジャムを作れるのはそんなに意外だろうかと内心首を傾げながらも、私はその言葉に頷いた。伏せた瞼の裏に一瞬、優しく笑っていたあの人の顔が浮かぶ。
「うん。……おばあちゃんと一緒に、よく作ったから」
六月が訪れる度、家の裏山に実る木苺。おじいちゃんが取ってきたそれを、困ったように笑うおばあちゃんと煮込んだ毎年の思い出。あの人もあの子達も、これが好きだったのよねぇ。その間延びした優しい声は、今も耳に残っている。生憎たっぷりの砂糖はないけれど、それでも近いものは出来るはずだ。砂糖なしのジャムなんて、そんなレシピを聞いたこともあるし。
少し瞼を伏せた私の表情に何を思ったのだろう。シロ様は驚いた表情を一瞬だけ、切なげに歪めて。けれどそうかと、それだけを告げて頷いてくれた。それきり黙ってしまったシロ様に私はなんとなく、シロ様も家族のことを思い出したのかと、そんなことを思ったりもした。




