百九十一話「怪しい用事」
まず悪かったのはファーストコンタクト。あの時のシロ様の冗談から事態は拗れたと言ってもいい。なんというか、妙にこっくんがシロ様を警戒するようになってしまったのだ。一応冗談だったとは説明したのだが、一定の距離を保ちたがるというか、必要以上に近づきたがらないというか。
一緒に旅をする以上、その状態はまずい。何も仲良しこよしになる必要はないけれど、ある程度は気を許せる仲というか……せめて警戒はしなくてもいい存在ではあるべきだろう。このままにしておいてはこっくんの心が休まらない。そう判断した私は事態の収拾にかかった。こっくんを旅に誘った以上、軋轢を改善するのは自分の役目だと思ったからである。
しかし。
『シロ様は頼りになるんだよ! 今まで何回も私を守ってくれたんだ』
『……へぇ』
まずシロ様の第一アピールポイント、とにかく頼りになるという一面。最終兵器たるそれを放った時から、こっくんの様子は何故かますますおかしくなった。なんか納得行かないというか、面白くないというか、そんな顔をしていたのだ。
そう、雲行きは最初からまずかった。今思えば、あそこで一度退いてプランを練り直すべきだっただろう。けれどその時の私は「まだ警戒してるのかな?」なんてのんきなことを考え、更に打って出る作戦に出たのだ。シロ様の良いところをアピールすれば、こっくんの警戒も解けるだろう。その目論見は多分半分くらいは成功して、そうして残りの半分は斜め四十五度辺りに四回転くらいして着地を決めた。
『すっごく強いし、色んなことに詳しいし、いつも冷静でね』
『…………』
『私がこの世界で一番信頼してる人、というか相棒みたいな存在なんだ』
今考えても、これらの台詞のどこがこっくんの琴線に引っかかったのか。先のヒナちゃんの例を考え、私はこれできっと上手くいくだろうという根拠のない達成感を感じていた。しかしこっくんの表情はますますと曇る。そうして私が気がついた時にはもう遅く、何故かこっくんはヒナちゃんと共に帰ってきたシロ様に妙な対抗心を燃やすようになってしまったのだ。
『……お前には負けない』
『……? よくわからんが、負けるつもりはない』
こんな風に。
当然、私としてはぽかーんであった。帰宅直後のシロ様に何故か宣戦布告。シロ様の横で満足気ににこにことしていたヒナちゃんも、口をぽっかりと開けて困惑していた。勿論ヒナちゃんはそんな表情でも可愛かったのだが、今はそれは置いておくこととしよう。語りだしたら止まらなくなってしまうので。
ともかく。皆様御存知のようにシロ様は好戦的だ。こっくんによる突然の宣戦布告にも、王者の構えで応えたシロ様。彼もそれ以来こっくんに対してちょこちょこと対抗心を燃やすようになってしまった。とはいえ先述した通り、シロ様のそれはこっくんと比べると薄い。例えるならばこっくんのそれが「絶対倒す!!」ぐらいの勢いであれば、シロ様のは「かかってこいや」ぐらいのそれだ。とはいえシロ様も強者の余裕かなんなのか、大体の人はあんまり相手にしないのでこっくんに少し思うところはあるのだろう。……私としてはなんとなく察してるところはあるが。
いやそれはシロ様の名誉のために、というか私がしばかれないために置いておくとして。問題はこっくんである。なんだかんだいってもシロ様は放っておいても大丈夫だ。何かあれば気付ける自信がある。しかしこっくんは事情がまた違うのである。
なんというか、わかりづらいというか。例えばヒナちゃんと比べると、表情からほとんど機敏が読み取れない。まぁそもそも全人類が素直かつ天使なヒナちゃんと比べればわかりづらいとは思うが、こっくんは年頃の子供にしてはかなり表情が薄い分類に入ると思う。ちなみにシロ様もこっくんとは同類、それどころかこっくんよりも表情が虚無だが、魂が繋がっている影響なのか瞳を交換した影響なのか私はある程度考えが読み取れる。なのでやっぱりシロ様は問題ないのだ。何かあれば言ってくれるだろうし。
「……うーん」
「……? どうしたの、お姉さん」
「あ、なんでもないよ。今日のご飯なにかなって思って」
となるとこっくんの方をやはりどうにかしなくては。しかし何から手を付けるべきなのかなんてことは全くわからずに。腰を掛けていたベッドにぽすんと背を預ければ、隣に並べられていたこっくんからお声がかかる。まさか正直に「こっくんとシロ様のことをどうにかしようと考えてます」というわけにもいかず。雑にへらりと誤魔化せば、細められた三白眼からは呆れたような視線が飛んだ。
「……食い意地張りすぎ」
「ふふ、実は私は食いしん坊なのでした」
「フルフのやつより?」
「いや、フルフには流石に負けるかな……」
ふわふわとした会話の間に浮かんだ、小さくとも確かな少年の笑顔。そこから伝わってくるのは、こっくんが私との時間に安心感を抱いてくれているということで。……うーん、対抗心も悪い感情ではないと思うけれど。それでもやはり、ある程度の信頼関係を結んでほしいと思ってしまうのは私の我儘なのだろうか。答えに困窮する問いかけ。自分に出したそれへの答えは、やっぱり出せなかった。
……あ、ちなみに。今名前が出たから言っておくが、こっくんとフルフ、そしてこっくんとヒナちゃん間での関係はすこぶる良好である。前者の一人と一匹は言葉もなく戯れていることが多く、その光景は見ていてとても和む。こっくんの扱いは丁寧なのでフルフとしても懐いているのだろう。まぁ扱いが雑なシロ様にもあの子はピュイピュイと懐いているのだが。
そうしてこっくんとヒナちゃん。二人はなんというか、可愛い。こっくんのことをヒナちゃんが「こっくんお兄ちゃん」と呼んでいるということから、もう既に二人の可愛さを察することが出来るだろう。こっくんは困ったような顔をしながらも、ちょくちょくヒナちゃんに文字を教えてあげたり当たり前の常識を教えてあげたりと世話をしている印象だ。その姿、まさしくぶっきらぼうなお兄ちゃんと可愛い妹。血が繋がっているのではと錯覚するほどだ。
……と、つい先日のこっくんの分のマフラーを頑張って編むヒナちゃんとそれを少し嬉しそうにしながら見守っていたこっくんを思い出したところで。
「……! ど、どうぞ?」
「うぃ~、失礼しますッス」
コンコンコンコン、ノックの音が四回。この部屋に来る人は限られているとは言え、ノックをしてくるのであれば間違いなく身内二人ではない。だらけていた佇まいをしゃんなりと直せば、私に釣られてかこっくんも背筋を伸ばした。それを確認したところで返事を返す。すると扉の向こうから覗いたのは美しい金髪、聞こえてきたのは軽い口当たりの滑らかな声。
「あ、ティアさん」
「こんにちはッス。いや~おやすみしてるところ申し訳ない」
「いえ、大丈夫ですよ。ちょうど暇していたところで」
「あ、それならよかったッス」
そこに立っていたのは、なんだかんだと私達と馴染み深いこのホテルのもう一人の従業員であるティアさん。本当はもっと色々と従業員が居るらしいが、他の方々はプロ中のプロらしく仕事を淡々とこなして客の前には姿を現さないらしい。料理人さんなど表に出てこないタイプの職種の人はともかく、掃除の人までも徹底してそうだと聞いた時はちょっと黒子みたいだな、と思ったりした。
「いや実は店長から、お姫さんたちに用事があるらしくって」
「店長さんから?」
「うっす。でも今は皆さん揃ってないみたいッスね……」
それはともかくとして。何やら店長さんが私、というよりは私達に用事があるらしく。部屋を見回し、こっくんと私しか居ないことに眉を下げたティアさん。シロ様とヒナちゃんは絶賛訓練中。お昼になれば帰ってくるとは思うが、今の時刻的に後一時間位は帰ってこなそうである。ちなみに特訓内容について私は全く知らない。何故ならば何してたの、と聞いても二人に濁されるからだ。
ちょっと仲間外れみたいで寂しいが、今はこっくんが居るからその寂しさはちょっと払拭されている。あとついでに今は寝ているが、フルフも一応居てくれているので。リュックの中でぴすぴすと寝息を立てているのであろう毛玉に思いを馳せながらも、私は窺うようにティアさんを見つめた。すると彼女はある程度考えがまとまったのか、拍手をするかのように一度手を打って。
「んー、お手数っすけど残りのお二人が帰ってきたら下に降りてきてもらえます? 美味しいお茶とお菓子、用意しとくんで」
「え……? わ、わかりました。でも、お気遣いなく……」
「いやいや~、お気遣いまくるッスよ。こっちの都合に付き合わせてるんで」
「あ、ありがとうございます……」
浮かべた笑顔はそれこそお姫様のように完成されているのに、気の抜けるような口調が彼女だけのバランスを作り上げる。気安すぎず、けれどこちらを萎縮もさせない。上手いこと流された気がする、と引っかかるものを覚えながらもお礼を告げれば、またしても向けられたのは輝く笑顔だった。ティアさんは容姿の整いようで言えば絶世と称するに相応しいシロ様レベルの美少女なのである。何度も言うが、スーツを着ていなければ一国の姫君で通じるくらいなのだ。
「そんじゃ、お邪魔しました」
「は、はい……」
最後に笑顔を残し、ティアさんはそうして去っていった。去り際の眩しい笑顔に目を灼かれつつも、私は再びベッドに倒れ込む。なんかどっと疲れたような気分だ。美少女に気を遣われるのには未だ慣れない。いや、あちらも仕事だというのは理解しているのだが。なんか気を遣ってしまうというか、申し訳なくなるというか。
そうしてその気持ちはこっくんもどうやら同じだったらしい。ベッドに倒れ込んだ者同士、ぱちりと目が合う。思わず笑ってしまえば、変なものを見るような視線を向けられた。それに若干傷つきつつも、私は再び天井の方を見遣る。用事。店長さんからの、用事。先日の事件についてある程度は当事者として説明を受けたが、まだ何か話すことがあったのだろうか。
「……用事って、なんだろうね?」
「……さぁ。でもまぁ、碌な話ではなさそうだけど」
「え、なんで?」
気になって問いかければ、返ってきたのは素っ気のないお返事。思わず起き上がってこっくんを見下ろせば、彼は若干の警戒をその表情に灯していた。細められた三白眼。訝しむような色を乗せたそれが一度閉じられた後、まっすぐ私を突き刺す。どこか心配するかのような、そんな気配を覗かせながら。
「……あのクソ野郎の叔母って人、食えない感じだったから」
そうしてこっくんのその予感は、この後見事に的中することになる。