百八十九話「ファーストコンタクト」
そうして三日ぶりのお風呂から上がった私が見た光景とは。
「お前これ以上近づいてくんな!」
「し、シロお兄ちゃん……」
しゃーと猫のように威嚇するこっくんと、そんなこっくんにじりじりと近づくシロ様。そして二人を見て困ったようにおろおろと視線を動かしているヒナちゃんと、その肩の上でまるで鼓舞するかのように跳ねるフルフという図だった。……え? どうしてこうなった。
「あ、あの……?」
「っ、お姉さん!」
まだ湿った髪の毛をタオルで拭きつつも、とりあえず膠着状態のように見える子供たちに声をかけてみた私。するとその声に天の助け、と言わんばかりに反応したこっくんはダッシュでこっちへと駆け寄ってきた。くるりと隠れるかのように私の後ろに回る動きは、天敵に出会ってしまった猫のようで可愛い。
いや、そんなことを言っている場合ではないか。ぎゅっと首元に巻いたスカーフを握りしめながら、私の後ろから鋭い視線を飛ばすこっくん。その三白眼が捉えるは当然、悠々と佇むシロ様だ。多分シロ様がなんかしたんだろうな、と思いつつ私は事情聴取をすることにした。くるりと振り返って視線を合わせれば、苦々しげに少年の柳眉が歪む。
「あ、あいつなんなの……」
「あいつって、シロ様?」
「……様?」
おっと、様付けに疑問を持たれてしまった。ヒナちゃんが特に反応しなかったために、というか出会ってきた人の殆どが反応しなかったためについ癖のままに好き放題呼んでしまっていたが、やっぱり傍目から見ればおかしく見えるらしい。
まぁ今更矯正しようとしても出来ないだろうし。気にしないで、と言わんばかりに手を振れば怪訝に思いながらも流してくれることにしたらしい。それとも、味わった鬱憤の方が堪えきれなかったのか。こっくんは未だ警戒を示すようにシロ様を睨みつけながらも、私に訴えた。シロ様の暴挙を。
「あいつ、遠慮とかないの? スカーフ、奪い取ろうとしてきたんだけど」
「シロ様……」
うーん、予想内ではあったが言葉にされると中々の暴挙。それは警戒もするだろう。特にこっくんであれば、最悪この一室で法術対武術の争いが起こってもおかしくはなかったかもしれない。こっくんの堪忍袋の緒が切れる前に出てこれたことに安堵しつつ、私はシロ様の方へと視線を向けた。変わらず凪いだように……というよりは興味深そうに、こっくんの首元を見つめ続けるマイペースな少年の方へ。
「シロ様、駄目だよ。人が嫌がってることをしたら」
「……だが」
「だが、じゃないの。そんなにこっくんの首が気になるの? 落としたいとか思ってたりする?」
「!?」
全く、何がそんなに気になるというのか。シロ様のことだし、さっき戦っていた従者さんの首を落とせなかったことを気にしている、とかだったりするのかもしれない。いや、だとしたらこっくんには何の因果関係もないのだが。流石に落とせなかった首の代替品を探すほど、シロ様は狂ってるわけでも首を落とすことに執着しているわけでもないだろうし。
浮かんだ思考をそのまま、冗談交じりに問いかけてみた私。しかしこの冗談は思ったよりもこっくんに効いてしまったらしい。さっとますます私の背後に身を隠し、ぎゅうっとスカーフを握りしめた少年。……やってしまった。よくよく考えれば本当に首を落とされそうな目に遭ったこっくんにとって、このジョークは笑えないだろう。申し訳無さから謝ろうとした私。けれど私が口を開くよりも早く、先に口を開いたのはシロ様だった。
「……そんな物騒なことは考えてない。黒紋が気になっただけだ」
「え? こ、こくもん……?」
出た、新規ワード。久しぶりに聞いたな、なんてことを考えながらも私は考える。こくもん。もしかしてそれは、こっくんの首にあった黒い入れ墨のことを指しているのだろうか。黒い紋、だから黒紋。安直だがわかりやすい。けれど入れ墨があったから何だというのだろう。あれはただ、レイブ族であることの証明なのではないのだろうか。シロ様の耳と尻尾しかり、ヒナちゃんの耳元の羽しかり。
「……話していなかったか? レイブ族には生まれつき、首に皆それぞれの紋が描かれている。とはいえ模様は皆同一。違うのは刻まれた色のその濃さだ」
「色の濃さ……?」
「ああ。色が濃ければ濃いほどに、レイブ族としての力が優れていると言われている。つまり、その身に莫大な法力を秘めているということだ」
疑問を浮かべれば、始まったのは説明。シロ様に説明してもらうのもなんだか久しぶりに感じる、などと考えながらも私は新たな情報をインプットした。成程、レイブ族の証明はやっぱり首に刻まれた紋で、その色が濃ければ濃いほどに力が強いレイブ族になると。実にわかりやすい話である。
……ん? つまりこっくんの首にあった紋から考えるに、こっくんは結構強いレイブ族ということなのだろうか。黒紋なんて言葉があるくらいだし、もしかしてムツドリ族で言う赤い羽みたいな珍しさだったりするのかもしれない。どっちにも共通しているのは、綺麗ってことくらいだけれど。私からすればヒナちゃんの真っ赤な翼も、こっくんの力強い黒で描かれた入れ墨も、どっちも見とれてしまうくらい綺麗だ。ついでにシロ様のふわっふわで真っ白なお耳と尻尾様も。
「ええとまぁ、紋が何色でもいいんだけど。結局シロ様はその黒紋がどう気になったの? 見てみたかったの?」
いやまぁ、こっくんが黒紋だろうが灰紋だろうがどうでもいいのだが。大事なのはこっくんがこっくんであることである。つまるところ、好奇心に駆られたからと言って彼が嫌がることをしてはいけないのだ。見たいなら素直に見たいと言えばいいのに、何故スカーフをいきなり取ろうとしたり、あんなじりじりと迫るような真似をしたのだろう。問いかければ、きょとんと二色の瞳が丸まる。少し間が空いた後、薄い唇は開かれた。
「いや、削ったらどうなるのかが気になった」
「……駄目だよ!?」
いやいや、いやいやいや!? まさかのまさかである。シロ様は思ったよりもとんでもないことを考えていたらしい。削る、削るってなんだ!? まさか彫刻刀みたいなのでさり、と……考えるだけでぞっとする、というか怖い。慌てて振り返れば、背後のこっくんの顔色は蒼白だった。多分私も同じ顔をしている。この虎ゴリラはなんてことを言ってくれたのだろうか。
「ひ、ヒナちゃん! シロ様に突撃!」
「えっ!? え、え、ど、どーん……?」
「…………」
唯一削る……?と首を傾げていたヒナちゃんにお願いを。それ以上考えてはいけない。素直なヒナちゃんはすぐに私の言葉の方に気を取られたのか、戸惑いながらもシロ様にぶつかっていった。ちなみに先程までヒナちゃんの肩でるんるんとしていたフルフは、私の言葉を聞くと同時に急降車をしている。多分、やばい発言をしたシロ様に近づきたくなかったのだろう。毛玉ながら懸命な判断である。
どん、というよりはぽすん。飛び込んできたというには些か優しすぎるヒナちゃんの体を受け止めつつ、シロ様は変わらずこちらを見つめている。無表情ではあるのだがなんか若干、困っているような? 困ってると言うか焦ってるのはこちらの方なのだが。いやそれはともかく、ひとまずは。
「こっくん、今のうちにお風呂入ってきておいて! シロ様は私達が説得しとくから!」
「う、うん……」
丁度いいと言わんばかりに自分が出てきた浴室を指差す私。それに逆らう余裕もなかったのか、青褪めたままにこっくんは浴室へと逃げ込んでいった。青い顔色もお風呂に入れば戻ると良いのだが。いやそれは、私の手にかかっている。
私はシロ様と相対した。知的好奇心が旺盛なのは大変いいことだが、それで人を傷つけるのは大変宜しくない。シロ様がマッドサイエンティストへの道を進むのは断固として止めなければ。進むのであれば武人の道であってほしいものである。そんな思いでシロ様をじっと見つめる私。しかしシロ様の様子はどこかおかしかった。腰のあたりにヒナちゃんを巻きつけながら、若干の困り顔である。
「……冗談だったんだが」
「……言っちゃ駄目な冗談もあるんだよ」
……いや、冗談だったんかい。そんなお笑いの突っ込み役にしてはあんまりにもお粗末な言葉が浮かぶ。でも言っちゃ駄目な冗談、という意味では私も人のことを強くは言えず。結局お風呂から上がったこっくんの目に映ったのは、「言っちゃ駄目なことがあるんだよ」と困った顔のヒナちゃんにお説教される私とシロ様の姿だった。
当然、「こいつら何やってんだ」という顔を向けられたのは秘密である。
城崎尊、元女子高生。時空断裂に巻き込まれエーナの街に辿り着いた私達を待っていたのは、男装の麗人たちが経営をしているらしい謎のホテルで? しかしまぁなんやかんやと馴染んだ私に次訪れたのは、見知らぬ少年と牢屋に叩き込まれるという珍事。
しかしまぁ、終わりよければ全て良し。結果的に旅の仲間が増え、街の問題も片付いたのだから言うことはなしと言っていいだろう。いや、もう少し自衛できるように努力を重ねなければという目の上のたんこぶはあるのだが。とりあえず異世界で生きることにした私がすることは、今日も大事な仲間で家族である子供たちと誠意を持って接していくことである!
これにて第五章は終幕となります。この後一週間ほどのお休みを頂き、次回更新は8/28の月曜日です。
ようやくみんなが揃っては来たものの、まともなツッコミ役の参入ということで会話文が増えそうな予感に震えている作者です。鈍行進行にならないように励んでいきたいと思います。読者の皆様、評価やブックマーク、いいねなどいつも応援して頂きありがとうございます。これからも「四幻獣の巫女様」をどうぞよろしくお願いします。