百八十八話「初めてのお説教」
「ミコお姉ちゃん、そこに座ってください」
「……ハイ」
三日ぶりに戻ったホテル、その一室。いつの間にか運ばれていた四つめのベッドに驚くよりも早く、私は可愛らしい天使から沙汰を下された。ぴ、と指し示されるは三日間借り主が不在だったベッドの上。特に指示もされてないのに滑らかなシーツの上で正座になった私は、目の前で可愛らしく腕を組む少女を見つめた。赤みのあるまぁるい頬が、ぷっくりと膨れている。そんな場合ではないことは百も承知で言わせていただこう。今日もヒナちゃんは世界一可愛い。
「ご飯まで、お説教です!」
「ハイ……」
お説教。ヒナちゃんが言うと響きまで可愛くなるそれに逆らうすべなど、私にあるわけがなく。明らかにこの空気に困惑を隠せないこっくんと、静観を決め込むことにしたらしいシロ様。二人の少年に見守られる中、ヒナちゃんのお説教は始まったのだ。
「まず最初! 危ないことはしちゃだめ、だよ」
「ピュッ!」
「う……その通りです」
まず最初に飛び込んできたのはド正論。恐らくはこっくんを助けるために飛び込んでいった時と、おじいさんを庇って火の玉に突っ込んだ時のことを言っているのだろう。しかもヒナちゃんには、一切の相談もなく。いやまぁ、相談できる時間の余裕が無かったという方が正しくはあるのだが。
ヒナちゃんのベッドでうたた寝していたフルフがいつの間にか参戦していたことに若干の恨めしさを覚えながらも、その心を隠したまま私は頷いた。前者の時はともかく、後者の時は大変よろしくなかった。どうにかしようという思考ではなく、本能的なもので突っ込んでしまったからである。こっくんが助けてくれなければ、まず間違いなく死にかけていたはずだ。私はこれでも二人……三人か。三人の子供たちの保護者のようなもの。私の方が保護されてるのでは?という情けない疑問は置いておいて、人を助けるにしてもしっかりと後先を考えるべきである。あと出来るのであれば相談も。
「……わたし、すごい心配だった」
「ピュ」
「ご、ごめんなさい」
自分の中で今回の反省点を上げていたところで、目の前から聞こえてきたのは悲しげな声。しゅんと眉を下げたヒナちゃんと、若干毛並みが萎れているように見えるフルフ。どうやら私はこの可愛い生き物二人に随分と心配をかけてしまったようだ。こんな表情を見せられてしまえば最早誠心誠意謝る以外の選択肢はない。そろそろ土下座も考えるべきだろうか。
「……でもお姉ちゃんは優しいから、危ないことをしなきゃって時もあると思うの」
「ひ、ヒナちゃん……!」
しかしそこで差し出されるは助け舟。きゅっと両手の指を交わらせてこちらを見下ろす少女の姿は、やはり天使に見えた。私が優しいかはともかく、お説教の時ですらこちらの意思を汲もうとしてくれるヒナちゃんは間違いなく優しい。
一応私だって、あんまり危ないことはしたくない。大体の人はそうだろう。スリルを求める人でも無い限り、危ないことに手を突っ込みたくないはずだ。けれど理不尽な光景を見てしまうと、私はどうしてもどうにかしたいと思ってしまう。自分が物語のヒーローになんてなれないのは百も承知で、それでも。
それはきっと、理不尽に奪われて傷つけられた痛みを知っているから。
「けどそういう時なら、ちゃんと相談しなきゃだよ?」
「ピュイピュイ」
「……ハイ」
最後には上手いところに落とされてしまったが。そうだぞ、と言わんばかりに続いたフルフの鳴き声に苦笑いを浮かべつつ。どうやらお説教はこれで終わりらしい。ふぅと初めてのお説教に気疲れしたのか、息を吐くヒナちゃん。お疲れと言わんばかりに頭に乗るフルフがなんとも微笑ましい。
……お説教、と聞けばげんなりする人も多いとは思うが。実は私は嫌いじゃなかったりする。いや、決して怒られたいとかそんな欲望があるとかではなくて。なんというか自分のことを思って考えて、そうして言葉をくれる人は大切な存在だと思うのだ。だってそれは、愛がなきゃできないことだから。
当然、愛無く自分の言いたいことだけを押し付ける説教も世には溢れ返っている。正論を言って自分が楽しくなりたいだけの、ただの御高説のような何か。けれど今のヒナちゃんみたいに、私のことを考えて理解しようとしてくれる”お説教”は、大切にしたい。こういうことを言ってくれる人を含めて、全部。
「……ヒナちゃん、ありがとね」
「……え?」
「心配してくれて、ちゃんと怒ってくれて」
だから気持ちはきちんと伝えておかなくては。話は終わったのだろうかとどこかそわそわして見える少年二人を横目に、私はヒナちゃんに笑いかけた。ヒナちゃんにとっては、人を怒るなんて初体験だっただろう。しかも初戦の相手が私。きっと緊張とか、不安とか、そういうのを抱えてくれていたはずだ。
それでも私が心配で、私を失いたくなくて。だからヒナちゃんが駄目だと思ったことを、私に伝えようと思ってくれた。変に遠慮なんてしないで、私にありのままでぶつかろうとしてくれた。それがすごく嬉しいなんて、少し変な話かもしれないけれど。少なくとも今目の前に、具合が悪くなったことを申し訳なく思ってしまうような少女は居ない。それが分かった気がして。
「……しんぱい、したの」
「……うん」
「ぶじで、よかった……」
「うん」
見開かれた赤い瞳。そこから透明な雫が溢れると同時、小さな体は私の胸元へと飛び込んできた。ぐずるように落ちていく声に相槌を。久々に触れられたふわふわな頭の感触に、なんだか私まで泣きそうになってしまった。指に触れる温かなそれが、いつも以上に愛おしい。ぎゅって抱きしめて、抱え込んでしまいたいほど。
……ん? ぎゅって、抱きしめる……?
「っ、ヒナちゃんストップ!」
「えっ……?」
そこでとんでもないことに思い当たった私は胸元に縋り付いていた少女を無慈悲にも引き剥がした。突然のことに、当然赤い瞳はぽかんと見開かれる。当然突如として始まった抱擁シーンを、温かく見守っていた二人と一匹の三対の瞳だって。
だがしかし、今の私に触れさせるわけにはいかない。だってヒナちゃんが汚れてしまうだろう。そう、私は気付いてしまったのだ。あの四畳くらいの牢獄にあったのは藁のベッドと二枚の毛布、それと隣にあるトイレ。それが意味することを理解していただけただろうか。そう、私は三日間お風呂に入っていない。ここの気候が寒いからこそ臭いは薄いのかもしれないが、間違いなく体は汚れている。
「ごめん、ご飯の前にお風呂入ってくる!」
「……ああ、そうだったな。好きにしろ」
今ティアさんが用意してくれているらしいご飯。それを食べる前に、身を綺麗にしておかなくては。このままではヒナちゃんとハグどころか頭を撫でることだって出来やしない。子供に不清潔は敵なのだ。またヒナちゃんが風邪を引いたりしたらたまったものではない。しかもそれが私のせいだなんて、そんなことになったら申し訳無さからハラキリをするレベルである。シロ様の了承を得た私は、ダッシュで備え付けの浴室へと向かった。ぽかんとしたヒナちゃんを置いて。
あ、そういえば。
「……このお風呂、二人くらいなら入れるけどこっくんも一緒に入る?」
「なっ……!?」
浴室へと入りかけたところで、頭だけを出して問いかける。そういえばこっくんも私と同じ状態だ。一刻も早くお風呂に入りたいだろうし、何より私が居なくなると彼としては色々と気まずいだろう。二人とは初対面だし、それならば時間短縮も兼ねて私とお風呂に入った方が効率的な気がする。
「馬鹿お姉さん! 一人で入れ馬鹿!」
「えっそんな怒る……?」
しかしその考えは一蹴された。馬鹿と二回も言われた挙げ句、風呂桶を投げられるような勢いで怒鳴られる。普通のホテルだったらうるせぇぞ!とお隣さんから苦情が来るレベルの声量だ。ここが普通じゃなくてよかった。
まぁなにはともあれ、私と入るのはお断りらしい。こっくんが何歳かは聞いてないが、恐らくは十二から十三。確かにその年頃であれば年上の女性とお風呂に入るのは色々気まずいかもしれない。私のような子供っぽい人間が女性、に分布されて良いのかは置いておいて。それなら一人で入ることにしよう。ヒナちゃんはともかく、シロ様にいじめられないといいのだが。いやそうなったら、ヒナちゃんが止めてくれるか。
「ピュ……」
「?」
フルフから向けられる、呆れたような視線に首を傾げつつ。まぁ小動物の視線なんて気にしても仕方ないだろうと、私はお風呂へと入ることにした。シロ様とヒナちゃんはこっくんの怒りっぷりに首を傾げていたし、そう問題でもないのだろうと自分を納得させつつ。