百八十七話「エンドロール」
そうしてこっくんの説得に成功した私は……私達は、ひとまず地上に戻ることにした。現在位置が高度何メートルかはわからないが、何をするにしたってとりあえず下に戻らないことには何も始まらない。しかしそんな考えで下へと戻った私達を待ち構えていたのは、斜め四十五度にトリプルアクセルを決めたような予想外すぎる現状であったのだ。
「おや、おかえりなさいませ。ミコさん」
「え……店長、さん?」
こっくんが生み出したらしい腕くんに身を任せるがまま、再び地に足を付けることに成功した私。けれどそうやって降りてきた地上の様子は、劇的に変化していた。中心に穴が空くかのように人々が集まっている状況は変わらない。変わったのはその中心に追加された面々と、その中心でふんぞりかえっていたはずのコダなんちゃらさまや従者さんの格好、というか状態である。
何故か中心部にはおじいさんとシロ様と加え、ヒナちゃんと私達が泊まっていたホテルの店長さんが。謎のメンバーに疑問を覚えるよりも早く、目に付いたのは縄でぐるぐる巻に縛られているコダなんちゃら様と従者さんと、先程私に火の玉を撃ってきたらしい男の人。まるで役者は揃ったと言わんばかりの現状に、過るは混乱ばかりである。それは私と一緒に降りてきたこっくんも同じだったのだろう。再び首元にスカーフを巻き直した少年は、意味がわからないと言わんばかりに眉を寄せていた。その気持ち、よくわかる。
「お怪我はありませんか? そちらの少年が守っていた、とは思いますが……」
「だ、大丈夫です。それよりその、この状況は……?」
じっとこちらを見るシロ様と、おじいさんの傍らで何かをしながらもちらちらとこちらに視線を向けるヒナちゃん。そんな二人や店長さんの心配の言葉に、問題ないことを告げるように両手を胸の前で振りつつ。とにかく私はこの状況が気になって仕方なかった。一体何がどうなったら、コダなんちゃら様が縛られるような事態になるのだろう。恐る恐る問いかければ、返ってきたのは妖艶な笑み。ルージュに彩られた情欲的で中性的な唇が、言葉を紡ぐ。
「実は私、この街の現領主の姉でして」
「……え?」
「ここ暫くの間愚弟に頼まれ、この甥っ子と呼ぶのも憚られる屑の見張りをしていたのです」
……え?
「……つ、つまり。今回の騒動はその、コダ……さんを見限る最終通告みたいな感じ、だったんですか?」
「はい。……ところで、あんな豚にはさんも付けなくて結構ですよ。本当にミコさんはお優しくいらっしゃる」
店長さん、改め領主の姉君であるカネラさん。そんな彼女が先程告げた言葉は、その後辺りに大絶叫やら大混乱やらを齎した。まさかのまさか、十年前に領主様の奥さんが追い出した姉君が領地へと戻ってきていた。そのことに驚く気持ちはわかる。私だってびっくりした人々の仲間なのだから。しかもまさか秘密裏にコダなんちゃら様を監視していたなんて。
そんな集まった人たちの絶叫の合唱会を、「お静かに」の一言で静めたカネラさんの手腕は見事と言わざるを得なかった。これがカリスマか、と思わず考えてもいなかった彼女の身分に納得してしまったくらいである。なんというか、コダなんちゃら様とは色々と格が違いすぎる。血が繋がっているとは思えないほどだ。
そのコダなんちゃら様といえば、すっかり大人しくなってしまい。どうやら自分が街の人に憎まれていたという事実や、自分の手のものたちがあっさりとやられてしまったことにすっかりメンタルをやられてしまったらしい。あれだけのことをしてそこに思い至って居なかった面の皮の厚さには驚愕するが、捲ったその先の精神性は脆弱。まぁ精神が幼いのは、人を傷つけることに愉悦を感じていたそのさまから既に知ってはいたのだが。
大人しくなった甥っ子であるコダなんちゃら様を他所に、カネラさんは主に街の人達に向けて説明を続けた。領主であるカネラさんの弟、つまりコダなんちゃら様のお父上はとっくに息子の問題に気付いていたこと。最初の数件や間接的な被害を除き、理不尽な処刑を課されたとされている人々はカネラさんが経営していたホテルで保護されていること。今回の件で息子は完全に廃嫡とすること。それら全てを。
「当然、被害に遭った方々には賠償をさせていたただきます。先の商人の方であれば被害額の二倍の賠償金を」
「……そ、それはありがたい!」
誰もがこっくんみたいに観衆の中で処刑されかけたわけでも、本当に殺されかけたわけでもないらしい。よくよく考えれば理不尽な処刑が町中で行われていたのなら、この街にあんなに健全な活気があるわけがなかったのだ。被害者の人はコダなんちゃら様に攫われたあと、あの牢のような場所で処刑が行われかけたのを領主様側の人に助けられていたのだろう。自分が思うよりもずっとコダなんちゃら様による被害が少なかったことや、先程自分に助け舟を出してくれた商人さんに利が返っていったことに安堵しつつ。しかしそこでカネラさんはふっと瞼を伏せた。心苦しそうに紡ぐ声が、雪が降り始めていった街を吹き抜けていく。
「……しかし。こちらのご老人の奥方様のような、直接的ではなく間接的な影響で亡くなってしまった被害者の遺族の方々。そして我々が気づかぬうちに殺されてしまった数人の被害者の遺族の方々への賠償は難しいでしょう。商品とは違い、人の命を戻すことは出来ませんから」
「…………」
けれど思うよりも少なかったからと言って、被害は決してゼロではなくて。カネラさんの言葉に、ヒナちゃんの傍にいたおじいさんは顔を上げた。浮かんだ表情のやるせなさに、胸の奥が詰まる気配がする。例えば薬の流通を止められて亡くなってしまったとか、そんな理由で亡くなってしまった人だっているのだ。おじいさんの奥さんはきっと、そのうちの一人なのだろう。一時的なものであったとしても、それは重病人であった人にとって致命的なものになる。最初の頃、領主様たちがまだ気付いてなかった頃に本当に処刑されてしまった人だって。
「この男のせいで亡くなってしまった方々の名前は全て抑えています。エーナ領の名にかけて、出来るだけの償いをしていくと領主は言っていました」
カネラさんの言葉に、大々的に声を上げる人は居なかった。先程は声を上げてくれたおじいさんだって、今度は口を噤んだまま。わかっているのだろう。ここで異議を唱えたって、怒りのままに抗議を叫んだって、失った人が返ってこないことくらい。そもそも出来る限り誠実に対応しているカネラさんに怒鳴りたくはない、という考えの人もいるのだろう。
それでも静まった大通りは、どこか物悲しくて。その悲しさを埋めるかのように降り積もっていく雪だけが、唯一の慰めのようにも思えた。いつか全部、今回の一連の騒動で空いた穴が埋まる日は来るのだろうか。いいや、決してこない。無くしたものの代わりものなんて、どこを探したって見つかりはしないのだから。
「……さて、話はまだ続きますが。ひとまず先に、今回の功労者には休んでいただきましょう」
「……?」
しかしそこで雪の代わりに降ってきたのは、重く落ちた雰囲気を軽くするかのような茶目っ気に溢れた言葉。思わず下げていた視線を上げれば、そこにはこちらに悪戯な笑顔を向けるカネラさんの姿が。彼女は私の方に近づいてくると同時、自分が巻いていたマフラーを私の首に巻いてくれた。香るは百合のような甘くも品のある匂い。真紅のそれから伝わったのは、包み込むような温もりだった。
「ミコさん、そしてそこのお坊ちゃん。三日も幽閉され、こんな騒動に巻き込まれ、随分とお疲れでしょう。私の宿で休んでください」
「え……」
「後日時間を設け、またお話をさせていただきます。ひとまず今は、貴方を心配していた仲間たちと休まれてはいかがですか?」
ふわりと浮かぶ甘やかな笑顔。朱殷の瞳の奥に秘められた穏やかな輝きに、凍りつきかけた心が温むのがわかった。仲間たち、彼女のその言葉と同時に私に近づいてきたのは小さな温もりが二つ。傍らに立った白銀を揺らす少年と、手をぎゅっと握ってきた赤髪の少女。それに戸惑ったように体を引いたこっくんを見れば、不必要に体に籠もっていた力が抜けていった気がした。
……どうやら、自分で思うよりも私は疲れていたらしい。私でこれならば、私よりも小さいこっくんは相当だろう。幻獣人だろうとなんだろうと、子供は子供。それはヒナちゃんが証明してくれている。それに玄武……蛇と亀ってことは、寒さに弱そうだし。ここはお言葉に甘えさせていただくべきだろう。
「……はい。ありがとうございます」
「いいえ、礼を言うのはこちらですよ。慈悲深き姫君」
「ひ、ひめ……」
あ、そのロールプレイは終わってなかったんですね。向けられた蠱惑的な微笑みに、若干笑顔が引き攣ってしまったのをなんとなく自覚しつつ。私達は混沌と化し、今となってはエンドロールを語るだけになってしまった舞台を後にした。これから先は大人に任せようと、そんな気が抜けた欠伸と共に。