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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第五章 雪積もる世界と地の底の少年
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百八十四話「雪解け」

 人なんて皆裏切る。血が繋がっていようと、子供の頃から知っていようと、なんだろうと。全ての生き物にとって何よりも可愛いのは自分であり、それを守るためなら何を切り捨てたって構わない。俺の冬に春なんて一生訪れない。


『っ、待ってください!』

 

 けれど最も激しい春の嵐は、俺の世界に突如として現れた。








 どこに居たって何も変わらないのだと、少年がそう思い始めたのはいつからだっただろう。街に入る時に門の者に薄気味悪いと言わんばかりの視線を向けられた時か、宿を取る時に子供一人では取ることが出来ないと門前払いされた時か。

 自分のこの、外見の全てを覆う外套が悪いのだとは分かっていた。人間は見えぬものに忌避感を覚える。知らぬものに拒絶感を覚える。さりとてこの外套を外した先の未来はなんとなく見えていた。少年にとって一番嫌いなものは、一度隠した手のひらを再度くるりと反転されること。黒、それだけで自分の価値を決められるのが何よりも嫌だった。だから不気味なものを見るように見られても、寒い町中で野宿を繰り返しても、それでも少年はその外套を脱ぐことはなかったのだ。


 ……まさかそれが、結果として斬首にまで行き着くとは思っていなかったが。いつから目を付けられていたのか、ある日ぶつかった男は理不尽な言いがかりと共に残酷な結末を少年へと突きつけて来た。少年がしてないのだと言い張っても、その薄汚れた赤い瞳に浮かぶのは嗜虐の色ばかり。少年にとっては見慣れた、欲の滲む汚らわしい色ばかり。

 それを見た瞬間、その男のお付きの人間に拘束された瞬間、不憫そうにこちらを見つめながらも誰もが見て見ぬ振りを選んだ瞬間、少年は息を吐いた。諦めた、と言ってもいい。逃げてきたとて、結局自分の結末なんてこんなものなのだ。手のひらに僅かに残っていた粉雪のような期待を握り潰して、少年は瞳を伏せた。精々自分の首を落とした瞬間に……いや落とした首をこいつらが見た瞬間に、絶望に陥ればいいと思いながら。


 それだけで良かったはずなのに。


『その子は、貴方の朝夜石の腕輪を盗んでません!』


 第一印象は愚かな女。正義感なのか、それとも何か事情があったのか。飛んで火に入る夏の虫のごとく飛び出してきた黒髪の少女を見て思ったのは、そんなことだった。まさかこの時に彼女があの男へと罠を仕込んでいたことなんていざ知らず、少年はただ少女を見下していた。いいや、恐れていたとも言う。こうして手を差し伸べて、そうして自分をどうする気なのかと。どうせお前も裏切るのだろう、と。


 それなのに。


『……そ、そうかもしれない……』


 馬鹿なの、少年がそう嘲笑えば彼女は深刻そうに俯いた。助けてやったのに、と激昂することもせず。


『……そういうわけで、貴方は別に悪くないんだよ』


 巻き込んでごめんと、巻き込まれた側であるはずの彼女は謝った。少年は何一つだって悪くないのだと、春のような柔らかな眼差しをこちらへと向けながら。


『だから証明するよ。約束する』


 けれど暖かな春の中咲き誇るは、高潔な花。確かな自信を秘めた言葉は、潰れかけた少年の手の中の期待を僅かに揺れ動かした。その名前を、引き出すほど。


 ──もし次に”自分”が”名前”を教えた人が。


『私はミコ、っていうんだ。貴方の端名はなんていうの?』


 ──悪人だったら。


『コクヨウ・ユェアン。それが俺の『名前』だよ』


 ──その時はもうこの世界に自分が生きていける場所なんてないんだと、この命を絶とう。

 

 どうせもう終わるのだから、という諦め。けれどもしかしたら、という期待。それら二つを以て少年が……コクヨウが名前を教えれば、ミコと名乗った少女は忘れなければと言わんばかりに石の壁に頭を叩きつけ始めたけれど。それでもその愚かさと、瞳の奥に滲む聡明さが妙におかしくて。だからコクヨウは自分の命を彼女に預けることにしたのだ。その魂も、全ても。


 それからは色々あった。貰ったゆで卵、披露された知らない知識、当たり前のように渡された毛布。冷たい牢獄の中でも、それらはコクヨウの心に久方ぶりの喜びを齎した。人生の今が一番幸せなのかもしれないなどと、そんな馬鹿なことを考えてしまうほどに。

 けれど確かにそうだったのだ。だって彼女はコクヨウを騙していない。彼女の価値観は”色”では揺らがない。聡明であれどどこか無知で、だからこそに信用できる人。彼女が紡ぐ偽りで塗り固められていない幸福は、コクヨウに生まれて初めて差し出されたものだった。差し出される温かさや優しさが、こんなにも心地良く胸に滲む。春のような幸福は、コクヨウの胸を少しずつ満たしていった。


 そうしてだからこそ、怖くなったのだ。彼女が外に仲間が居ると言った時、その仲間に絶対の信頼を寄せているのだと知った時。知ってはいたけれど、理解したくなかったこと。それはコクヨウにとって彼女は絶対的な存在になりかけていたのに、彼女にとって自分はそうではないということ。それを突きつけられて、酷く胸が痛くなった。

 外に居る仲間よりも、あの時彼女に続いて助け舟を出さなかった薄情な仲間とやらよりも、どうして同じ場所で閉じ込められている自分を見てくれないのだろう。わかっている。彼女は切り捨てられたのではなく、送り出されたのだと。そう彼女が心から信じていることも。それでも納得が行かなくて、八つ当たりめいた言葉を紡いだ時。その時、彼女は微笑んだ。


『でも絶対なんてないからこそ、私はこっくんを助けに来たんだよ』


 絶対仲間とやらに裏切られている、絶対この人は可哀想な人だ。絶対なんて信じていないはずなのに、絶対に浸かっていた自分の矛盾にそこで気付かされた。愚かで間が抜けていて、けれど物事の本質を見抜ける聡明な人。


『あの人が絶対勝てるなんて保証はどこにもない。絶対にこっくんが盗んだことを証明できない、なんてことはない。だってこっくんが言ったんだから。絶対なんてないって』


 気付かされてしまったら、もう信じるしか無かった。自分の負けなのだ。きっとそう、出会ってしまったときから。敗北感が妙に心地良く胸に染み込んでいくのを感じながらも、コクヨウはもう全てを彼女に任せることにした。コクヨウの感情に気付いていない鈍さも、看守に脱獄を促されて首を振る優しさも、それら全てを受け入れることにした。だって自分がそう、決めたのだから。

 先に何が起こるかなんてわからない。定められた結末通り、自分は斬首されてしまうのかもしれない。でももうそれでもいいと思えた。突如として現れた春の嵐に巻き込まれるがまま、行き着くところまで行き着いてしまおうと。その嵐に身を任せることに、もう抵抗感なんて無かったから。


 ……けれど。


「な、なぜ……わ、たしは領主の息子で、知ある黒髪だ……こんな侮辱が、許されるわけが……」


 誰もの予想をひっくり返して起こった革命。コクヨウは手のひら返しのそれを冷めた目線と、それでもと滾る熱い心で見つめていた。別に滾っているのは革命が起こったことに対してではない。それを起こした人々にではない。それを揺れ動かしていた少女に、だ。

 彼女は群衆の中で自らの知を証明した。コクヨウが愚かにも飛び込んできたと思っていたあの時から、彼女は勝ち筋を描いてここまでを歩んできたのだ。黒髪だからという幸運も、きっといくつかはあっただろう。それでもこうして結末までもを描いたのは彼女の知だ。自分が名前を預けた人間は、確かに悪魔の証明を果たしたのだ。結んだ約束を果たしたのだ。お得意の話をずらす、というやり方で。


「なぜ……父上、助けてください……」


 聞こえてくるは愚者の呻き声。けれどそこに視線を割くことなんて全くの無駄。コクヨウはただじっと、彼女だけを見ていた。自らの手を離れていった物語を呆然と見つめる少女を。革命を起こしたはずなのに、予想してませんでしたと言わんばかりに目を見開いている少女を。

 その姿に、どう声をかければいいのか迷った。ありがとうと言うべきなのか、自覚しろと言うべきなのか。……さようならを、告げなくてはいけないのか。自分の心がわからないまま言葉を胸の中でわだかまらせていくうちに、時間はゆっくりと過ぎていく。そうしてそれは、起こってしまった。


「……! 危ない!」


 どこかからか放たれた老人へと向かっていく火の玉を庇うため、彼女が前へと躍りだす。聞こえたのは幼い少女の悲鳴。視界に入ったのは彼女が今にもと火に背中を焼かれようとしている姿。いいや、脆弱な人間の体では背中まででなく命までも落とすかもしれない。その火が彼女の背に、触れようものなら。

 葛藤と躊躇。ずっと抱えていたそれらが、先の未来が見えた瞬間に一瞬で霧散していくさま。許してはいけないという心だけが手を動かし、纏っていた外套を剥ぎ取る。もっとちゃんと”見ろ”。そうして”選び”掴み取れ。心に従うがままに伸ばした手から奔流のように溢れ出していくそれを、使う予定はなかった。たとえ自分が死にかけたのだとしても、それでも。けれどもう仕方ない。


 知を証明した人間が、殺されるのを黙って見ていていいのか?

 それは、そんなのは。

 ……自分の”種族”に対する、裏切りだ。


「……『土塊・守護式』!」


 轟くような声と共に現れた大きな土色の手は、彼女を襲おうとしていた火の玉を容赦なくかき消した。そうして細い体を掬い上げ、誰も手が届かない高みへと彼女を持ち上げていく。そう、たかだか人間の法術が自分に敵うわけがないのだ。レイブ族で、なおかつ”黒い紋様”を持つ自分に。

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