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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第一章 マンホールの底からこんにちは
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十九話「少年の絶望と希望」

「ちょっと待って……! それはシロ様の叔父さんが、シロ様の家を、その……」


 理解できなかった。いいや、理解したくなかったという方が正しいか。思わず頭を抑え問いかけた言葉は、しかし確信に近づくに連れて尻すぼみになっていく。どうして容易く口にできるだろう。表面上は無表情に凪いでいる顔をして、けれどその瞳の奥に諦めと怒りを宿している彼の顔を前に。


「ああ、叔父……いいやビャクという男が、我の家を滅ぼした」

「そん、な……」


 けれど目の前の少年は、私が形にできなかった問いかけをあっさりと肯定する。皮肉めいた笑みでその口の端を釣り上げて、そうしてひどく痛むはずの傷跡を晒した。真新しいその傷はまだ痛むはずなのに、苦しいはずなのに、それでも。まるで起きてしまった現実から、自分の逃げ道を塞ぐかのように。


「ひどい有様だった。仕えてくれていた使用人も、家族も、皆が皆殺された」

「…………」

「女子供も、その全てにあの男は容赦しなかった。親しい者の顔をして部下と共に乗り込み、そうして義のない惨殺を繰り返した」


 シロ様は淡々と話を続ける。だがそれは語り口に反して、凄惨な光景を思い起こすような話だった。私は思わず返す言葉を失って、唇を噛み締める。シロ様の身に起こった絶望の記憶。その想像が出来てしまうことが、どうしても嫌だった。

 シロ様はわかりやすく例えるならば、王様の子供。彼が住んでいたその場所にはきっと、たくさんの使用人の人達が居たのだろう。その人達が全て、性別も幼さも関係なしに殺された。信用していた人に、何の理由もなく殺されるのはどんな気持ちだったのだろう。信じていた叔父がそんな行動を繰り返すのを、シロ様はどんな目で見ていたんだろう。


「当主であった父はあの男に卑怯な手段で殺され、残された祖父と祖母、母は我らを守るために武器を取った。そうして本来ならば適うはずもない、数百人の武人を抑え込んだ」


 そうしてシロ様の家族の人達も、きっと同じ思いを抱えながら戦った。ぎゅっと握った拳には痛いくらいに力が篭もってしまって、けれどそうしていなければどうしてと問いかけてしまいそうだった。きっと一番それを知りたいはずの、目の前の彼に。


「姉上は我を連れてただ走った。背後から槍に刺され矢に刺され、それでも我を庇い続けながら」

「……うん」

「……そうして姉上は息も絶え絶えになりながら、我を非常時の移動用転送法陣まで連れ出したのだ」


 それだけは避けなければいけないとただ言葉を飲み込んで。そうしてその代わりに、拙い相槌を打った。響く慰めの言葉を持たない上、人の話を飲み込んでは自分までもが苦しくなってしまうように錯覚する未熟な私だけど。それでもここに居るよと、シロ様にそう伝えられるように。

 それに何を思ったのか。それまで氷のような無表情で話していたシロ様のその温度が、僅かに融けて。そうして取り繕うかのような澄まし顔の仮面は剥がれ、シロ様は表情に感情を浮かべた。悲しいと悔しいが入り混じったようなその顔を、私へと向けてくれたのだ。


「我を敵の攻撃から守り抜いた姉上は言った。いつかこの日の惨劇、その裏を我が詳らかにするのだと」

「…………」

「……それが、最後の言葉だった」


 変わらず語り口は淡々としていたけれど、それでもその瞬間に白皙の美貌が微かに歪む。きっと心底、悔しかったのだろう。私の頭の中に、シロ様に似た美少女の姿が描かれる。槍や矢を背に受け、それでもたった一人の弟を守り続けようとした少女の姿が。それを前に、無力を嘆くことしか出来なかった少年の姿が。

 さっきの私と少し似ている。無力を突きつけられ、劣等感が刺激されて、それでも現実を受け入れるしかない。私には、守ってくれるシロ様が居た。けれどそこに、シロ様やお姉さんを守ってくれる人は居なかったのだ。それでは劣等感に苦しむどころではない。きっとシロ様は己の無力を呪い、その原因を恨んだことだろう。


「我は姉上の亡骸を隣に、法陣での移動を始めた。家族が命懸けで繋いだ命を、無駄にするわけには行かなかったからな」

「……うん」


 亡くなってしまったお姉さんを隣に、それでも逃げることしか出来ない。その現実はどれだけ悔しかったことだろう。叶うのならばその瞬間に激情をそのまま、叔父という存在に立ち向かいたかったはずだ。けれどシロ様は、それでも履き違えなかった。自分の無力を正しく知って、感情のままに敵である叔父に向かうのではない。家族の願いを、お姉さんとの誓いを、たった一つの希望を繋ごうとしたのだ。


「……だが、あの男はしつこかった」

「え……?」


 しかし彼の強さを改めて目の当たりにして息が詰まった瞬間、話には暗雲が立ち込める。忌々しいと言わんばかりに口調と共に、シロ様はそこでそっと自分のお腹の辺りを見下ろした。その位置は、確か。脳内に、出会った直前の彼の姿が思い浮かぶ。この森の中、シロ様は瞳とお腹が真っ赤に染まった状態で倒れ込んでいた。けれど話にはそんな怪我をした話は出ていない。何故ならばお姉さんが、シロ様を守っていたから。


 でももし、お姉さんが亡くなった後にまた敵が訪れたのなら?


「我が法陣で転送する瞬間、その離れ屋の扉を二本の槍が貫いた。突然過ぎたそれを避けられずに、我はその二本の攻撃を受けた」

「っ、!」

「何とかその瞬間に法陣が発動したが、我は致命傷を負った。最もそれは、お前に会うまでは気づかなかったがな」


 そうして私の中の記憶と想定を裏付けるように、シロ様は最後の最後で起こってしまった事件を話す。二本と注釈を入れてくれる辺り、私の想定は的外れではなかったのだろう。シロ様は法陣とやらで移動する直前に、敵の攻撃を受けてしまったのだ。

 なんでそんな直前に、苦々しい感情が浮かぶ。シロ様の叔父とやらは、余程執念深い人間らしい。私の知っている叔父という存在とは真逆だと考えつつ、私はじっとシロ様を見つめた。何故ならば彼が、私の目を見ていたから。正確には瞳を失い今はぽっかりと空いた、左目の眼孔をではあったけれど。


「……お前の瞳を見た時、死を悟った。腹はともかく、我は左目にだけは傷を負ってはいけない存在だったから」

「……そんなに、目が大事だったんだ」

「ああ。悔しくてたまらなかった。家族の死を無駄にし、姉上との約束も守れないまま散るのかと絶望もした」


 シロ様の言葉と視線に思い出すのは、あの瞬間の彼のこと。それまでは致命傷の中生きようとしていた一人の少年は、私の瞳の中の自分を見た瞬間全てを諦めてしまって。その時も言っていた。瞳を失ったのなら、後は死ぬだけだと。

 私がぽつりと零した言葉に、シロ様は短く頷く。どうやらシロ様にとって目、とくに左目は大切な物らしい。失明しても人間は生きていけるような気がするが、幻獣人は別なのだろうか。例えば、左目が心臓の役割を担っているとか。


 そうどこかで理性的に考える頭とは裏腹、零された言葉に私は心臓が締め付けられたような心地になる。その時、シロ様が抱いた絶望はどれほどだっただろう。全てを無駄にして死ぬのだと、どれだけ自分を憎んだことだろう。私が抱いた劣等感や不安とは比べ物にならない、真の絶望が彼を蝕んだはずだ。


「……だが、お前が我を救った」

「……!」


 だが感化されるかのように暗く落ち込んだその思考は、他でもないシロ様の言葉で浮かび上がる。一瞬俯きかけた視線は、ふっと掬い上げられるかのようにシロ様の瞳へと移った。いつか貫かれた赤で染まっていたそこを埋めるのは、黒。私がいつか持っていた、私の色。


「見慣れぬ服装、無知な言葉。何だこいつと、そう思ったことは否定しない」

「……うぐ」


 私の色に私ではない感情を浮かべて、シロ様は語る。そんなことを思っていたのか、いやでも否定できないような。あの瞬間の私は、滅多に見ることのない重傷者に戸惑っていたし。他の世界からやってきた私を、この世界のシロ様が怪訝に思うのはおかしいことではない。

 とはいえ何だこいつと、その言葉は年下の少年に向けられるには刺さる言葉だ。眉を寄せて短く呻いた私に一瞬シロ様は淡く微笑んで、しかしすぐにその表情を切り替える。そうして切り替えた先の真剣な表情のまま、シロ様は真っ直ぐこちらを射抜いた。正面から受け止めるには、些か強すぎる視線を以て。


「しかしそれでもお前は、我を救った。ひいては我へと希望を託した家族を、姉上たちを救った」

「……う、ん」


 シロ様が語るそれは全くの偶然の産物で、私は別に高尚な理念を以て何かをしたわけではない。けれどそれは、純然たる事実ではあるのだ。あの瞬間に彼を死なせたくないと、私は瞳をシロ様へと譲った。そうしてそれは今ここにある結果として彼の命を、そして彼に希望を託した人達の願いを繋いだ。どういう原理かどうかなんて、それに関してはさっぱりわからないけれど。


「……お前を傍にと望むのに、我にそれ以上の理由が必要か」


 縋るような声が聞こえる。どこか拗ねたように、逃げるのは許さないと告げるように。その声に、私は漸くそこで納得することが出来て。ああ、きっとそうなのだ。メリットとかデメリットとか、役に立つとか足手まといだとか、要る要らないとかそんな話ではない。

 私はシロ様が仮に強くなくても、一緒に居たいと思う。それは彼が優しいことを知っていて、ぶっきらぼうにこちらを気遣ってくれていることを知っているから。そうしてそれはきっと彼も、同じことを思ってくれている。私と一緒に居たいから、居てくれる。


「……ううん」

「……それでいい」


 それならば、不安に思うなんて元より馬鹿馬鹿しいのだ。ふっと体から解けたのは不安か迷いか。浮かんだ笑みはひどく間の抜けた表情だっただろう。それでもそれを見たシロ様が、どこかほっとしたように頷くから。思わずおかしくなってくすくすと零した笑みに、冷たい視線が返ってくることはなかった。

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