百八十二話「頓智勝負」
しんと、静まり返った大通り。誰が息を吸う音も、吐く音も、聞こえてこないそんな空間。憐憫に満ちていた人々の表情が驚愕に変わり、予想できていた結末はこれからは展開がわからない舞台劇へと早変わり。向けられる数多の視線に秘められ始めたのは期待か、それともそれ以外の何かか。
「っ……! そんなわけ、そんなわけないだろう!」
「…………」
しかしまぁ、残念なことに相手はこれだけで「はいそうですか」と引いてくれるような潔さを持ち合わせていなかったらしく。だんだんと地面が叩かれる音。振り返ればそこには子供のように地団駄を踏んで顔を真っ赤に怒るコダなんちゃら様が居る。
……そう簡単に納得するわけがないとは思っていたが、まさか早速反論してくるとは。悪い意味でプライドの高い人間は大変扱いに困る。さりとてこの反応は予想済み。自分より立場の弱い子供を甚振りたかっただけのこの人が、これだけの屈辱を受けて黙って引くだなんて最初から思ってはいない。反論なんて想定内。ならば徹底抗戦と行くだけだ。
「では何故その腕輪は今は青色なのですか? これだけ日の光を浴びれば桃色に変わるはずです」
「その、その情報が嘘だと言っている! あれだけの値を支払ったこの腕輪が偽物だったなんて……そんなことが、あるはずがない!」
「……私の言ったことが嘘だと」
第一問、私が言っていることが嘘だという言いがかり。なんというかこの人は、本当に私が証明しにくいところを突いてくるのが上手いと言うか。あの相当に目が肥えているクスノさんから説明を受けたのだ。シロ様も訂正することはなかったし、この話が嘘だというわけがない。だがそれは相当に証明しづらく。
「……失礼、少しよろしいでしょうか?」
「え……?」
しかしそこで口を出してきた人が一人。どこから声が聞こえたのかと辺りを見渡したところで、私は遠巻きにこちらを見ていた群衆の中の一人が手を挙げていることに気付いた。その人の顔色はこの場に踏み込むことを恐れてか青白く、決して健康そうには見えない。けれどそれでも彼は多数の視線が突き刺さる中、挙げた手を降ろそうとはしなかった。一度躊躇うように白い吐息をこぼすと同時、彼は恐る恐ると口を開く。
「私は商人なのですが、その少女の言っていることは正しいです。朝夜石は色が変わることで知られている鉱石。今が桃色ではない以上、その腕輪は朝夜石ではなく静寂結晶で作られているのかと」
「……!」
言葉が一つ零される度、見事に手入れされた髭が揺れる。眼鏡をかけた奥の瞳は怯えるように縮こまっていて、それでも彼は最後まで語りきった。私の知らない、コダなんちゃら様の腕輪が何で作られているのかという情報のおまけ付きで。
……何故見知らぬおじさんから助け舟が出されたのか、なんてことはわからないけれど。何故彼が商人という身分でありながらコダなんちゃら様に目を付けられるリスクを恐れず、こうして手助けをしてくれたのかなんてことはわからないけれど。けれどこれが好機であることに変わりはない。その人の身分を知っている人達によって、大通りにざわめきが広がっていく。「私の言っていることの方が正しい」というざわめきが。
「な、な……!?」
当然それに納得が行かなかったのがコダなんちゃら様だ。ただでさえ赤かった顔を更に真っ赤に染めながら、彼はもう言葉も出ないと言わんばかりに震えていた。暗い赤色が睨みつけるのは私。恥を上塗りにさせられたのだから、その張本人である私に敵意を向けるのは何もおかしな話ではないだろう。
正直、人に睨まれるのは怖いけれど。いっそ殺意が込められたそれを、平気だなんて受け流せはしないけれど。それでもここで怯んではいけない。私は真っ直ぐにその瞳を見つめ返す。私は貴方に逆らうのだと、貴方に勝つのだと。その意思表明を固く。そうすればますますと煽られたと思ったのか、顔を憤怒に染めたコダなんちゃら様はもう一度その足で地団駄を踏んで。
「っ、私がお前に命じたのは、この子供が腕輪を盗んだかどうかの証明だ! 腕輪の真贋など関係ない!」
「……いいえ」
「な、なに……!?」
第二問、これは話の本題がずれているという難癖。しかしそれに関しては、私はしっかりと事前に罠をしかけていたのだ。余裕を見せつけるかのようにゆっくりと首を数回横に。そうすれば慄いたような声が返ってくる。私はそんな彼に微笑みかけた。できるだけ優しく、まるで悪いことをした子供に言い聞かせるかのように。
「貴方が私に命じたのは、貴方の朝夜石の腕輪を盗んだのがこの少年ではないことの証明と弁明です。この話が始まる前にも、それは確認させて頂きました」
「……!」
「先程も申し上げましたが、この腕輪が朝夜石ではないのなら彼は貴方の”朝夜石”の腕輪を盗んでいません。無いものを盗むなんてことは出来ないのですから」
正直これに関しては、頓智勝負が近い気がする。だって腕輪に触れた時、こっくんがその腕輪を盗もうとしていたか否かなんてことは証明しようがないのだ。それこそ正邪の天秤を持ってくれば話は別だろうが、当然なことにこの場にそれは用意されていない。だってこの罪が冤罪かどうかなんてコダなんちゃら様には関係ないのだから。何度も言ったように、誰かに理不尽を押し付けて嘲笑いたいだけ。
ならば論点を盗んだ、盗んでない、ではなく朝夜石というところに移した。彼に問いかける時に、朝夜石という言葉を入れるのを忘れなかった。その腕輪が朝夜石ではない以上、こっくんは朝夜石の腕輪を盗むことなどできはしなかったという方向に話を持っていくため。これが私の突破口。ずるくて正攻法じゃない、何一つだって格好良くないけれど私が自分で導き出した答え。
「……他に何か異論はありますか?」
「……ぐ、ぐぐ……」
静かにコダなんちゃら様を見返す。従者の人は命じられていないせいか、まだ動かない。けれどその瞳には私への敵意がありありと映し出されていた。コダなんちゃら様に関しては、もはや説明するまでもないだろう。プライドの高い人相手に間違いをこんな公衆の面前で指摘し、卑怯な手口で勝利しようとしているのだ。こんな目を向けられるのはわかりきっていた。
……それでもどうか、ここで折れてくれないだろうか。そんな願いが心の中に生まれる。鼻っ柱を折られて、ここで沈んではくれないだろうかと。間違いを認めることが出来るのなら、彼はまだ変われる。甘っちょろいことは百も承知で、そんなことを願った。自分が決めた約束さえも反故にしてしまえば、もうそこに義なんてものは一切なくなってしまうから。どうかそれだけは、捨てないでくれないだろうかと。
「……殺せ! 私に逆らったこの女も、子供も、商人も!」
けれど、願いは通じなかった。
「はっ!」
激昂したコダなんちゃら様が命じる声。それと同時に、従者の人が剣を抜いたのが見えた。ああ、駄目か。心の中に浮かんだのはそんな失望。この人は自分で決めた約束すら、怒りの前では破ってしまうらしい。たった一つの境界ですらも、感情のままに超えてしまうらしい。
それならきっと、もう駄目なのだろう。瞳を伏せてそんなことを考える中で、私はそっと指輪に触れようとした。脳内に展望を描く。籠繭を展開して、それから。……自分で始めたことだからあまり頼りたくはなかったのに、いよいよシロ様に頼らなくてはいけない時が来てしまったらしい。きっとそれをシロ様は気にしたりはしないけれど。
「待たんか!」
「えっ」
描いたのは、籠繭でこっくんと一緒に引き篭もっているうちにシロ様に従者の人を倒してもらう。そんな光景。しかし私の予想図は、またしても一人の乱入者によってかき乱されていった。いいや、ここからは私すらも予想だにしていなかった超展開に巻き込まれていくことになるのだ。
「お、おじいさん……?」
何故かあの時私のお尻を触ってシロ様に半殺しにされたおじいさんが、いつのまにか私と従者さんの間に入り込んでいた。その時から。