百七十八話「帰れなくても」
「ええとそれで、ビタミンCは不足すると壊血病っていう怖い病気になるらしくて……」
「壊血病?」
「うん。私の居たせか、……場所では大昔海で航海していた海賊の人が恐れていた病気で、体の軟骨とかが失われたり、体内の動脈とかが壊疽したりしていくんだって」
コダなんちゃら様が去った後。私とこっくんは夕食が運ばれてくるまでの時間を満たすため、昨日に引き続き家庭科と保健を混ぜ合わせた授業のような会話を交わしていた。授業と違い先生側の私が始めたというよりは、こっくんから「昨日の続き」と促されての形ではあったのだが。大変学習意欲のある少年である。シロ様といい、この世界の男の子は皆学ぶことが好きなのかもしれない。……いや、この二人を一般的な男の子像に当て嵌めるのは大変危険かもしれないが。
「で、そのビタミンCってのは野菜とか果物とかから摂れるの?」
「そうだね。当時は新鮮な野菜や果物からしか摂れなかったから、保存食だけの食事が続くことが多かった海賊の人達はすごい苦しんだし悩まされたらしいよ」
「……当時は?」
まぁそれはともかく、なんだかんだで私はこの少年を楽しませてることが出来ているらしい。昨日で一通り覚えている栄養素とそれが生む効果や効能について話したが、それはこっくんの脳味噌にしっかりとインプットされたようである。一度聞いたことをしっかり覚えられる辺り、こっくんは大変賢い。私の脳味噌とは比べるべくもないだろう。
こっくんだって黒髪だし、黒目だし、なんなら私よりも余程「知ある者」なのではないだろうか。コダなんちゃら様の見る目のなさに呆れつつ、私は話を続けた。するとそこで引っかかるものがあったらしく、首を傾げたこっくん。鋭い雰囲気とはちぐはぐの少年の幼い動きは、しかしもう私の中では可愛い要素として認識されていて。私はほっこりとしながらも、人差し指を立てた。この分野ならおまかせである。
「私の居た場所にはサプリメントっていう名前の薬……というよりは栄養補助のための錠剤みたいなのがあって、今では海の上で旅していない人もそれに頼る人が多いんだ」
「……さぷりめんと」
「そうそう。こっちの……えっとレイブ族の領地ではまた見たことないから、無いのかな?」
「…………」
そう、サプリメント。この点に関しては一般的な女子高生よりも詳しい自信がある。何故ならば私はおじいちゃんおばあちゃんが少しでも長生きできるようにと、一時期”彼”とサプリについて調べていたので。とは言っても幸いにもおじいちゃんおばあちゃんは大きな病気にかかったこともなく、美容に強い興味を抱くタイプでもなかったので詳しいのはベースサプリメントについてだけなのだが。
とはいえおすすめのメーカーを紹介しても、こっくんとしては全くわからないわけで。あれ、もしかしなくても話せることなんてないかもしれない。サプリの詳しい作り方とかに関しては知らないわけだし。などと先程大見得を切ったのはなんだったのか、内心焦っていた私。しかしそこでこっくんから返ってきたのは、予想外の質問だった。
「……お姉さんは、どこから来たの?」
「え?」
「四種類の幻獣人の領地の中で、一番発展しているのはレイブ族の領地のはず。なのにそこにもない物を知ってて……レイブ族の奴らも知らないような知識を知ってる」
怪訝そうに細められた黒い瞳。それにぎくりとする。確かに、この世界の文明レベルでは知らないようなことをぺらぺらと話してしまったかもしれない。こっくんは中々に博識だ。一般常識に関してはシロ様よりも詳しいと言える。そんな彼が持つ一般常識と照らし合わせた結果、私が持つ知識は異常だと思われたのだろう。かといって、私がどこから来たのかなんてことを話すわけにはいかず。
「……うーんとね、それは言えないんだ」
「……言えない?」
「そう。言ったらこっくんを、きっとすっごく驚かせちゃうから」
だから、曖昧にぼやかした。実は異世界から来ました、そんなことを仮にも敵の根城で言うわけにはいかない。シロ様曰く、稀人という伝承は確かにこの世界に存在しているのだ。こんなことを言って、希少価値の高い生き物だとコダなんちゃら様にますます目をつけられたらたまったものではない。かといって言ったって信じて貰えない、なんて言ってはこっくんを傷つけるかもしれないから。だからこそ、言葉を薄いベールで包んで密やかに。秘密を告げるように人差し指で唇に蓋を。
「言えることと言えば、私はもう二度と故郷に戻れないってことくらいかな」
「え……」
「だからこっくんに、私以上に故郷のことについて詳しい先生は紹介できないんだ。そうなると私でごめんね、って感じなんだけど……」
当然こっくんは納得がいかないようにこちらを見つめていた。まぁそれはそうだろう。驚かせちゃうから、なんて言葉では私だって納得できない。けれどこれ以上を話してしまうわけにはいかないわけで。なんとか別の方向に意識を逸らせないかと、言葉を続けた私。しかし落とした言葉にか、こっくんの表情は一瞬の内に変わっていった。
呆けたように丸くなった瞳。そ、そんなに変なことを言ってしまっただろうか。やっぱり私よりも詳しい人が居ない、という事実がショックだったのかもしれない。学習意欲の高いこっくんからすればがっかりとかいうレベルではないだろう。もう一度謝り直すべきかと、そんなことを真剣に悩んでいた私。しかしそんな考えは、次の瞬間落ちてった掠れるような呟きで消えていって。
「……ご、ごめん」
「えっ?」
「い、嫌なこと言わせたから……」
ぽつり、淡雪のように小さくとも確かに積もる一言。それに目を見開けば、少年は俯いたままにそう続けた。そこで頭を過ぎったのはついさっき自分が告げた言葉。確かに「二度と故郷に帰れない」っていうのは中々に重い言葉であったかもしれない。少なくとも聞いてる側からすれば、良い記憶とは思えないだろう。こっくんはつまり、辛い過去に踏み込んでしまったかもしれないと私に申し訳なく思っているのだ。
「ふふ、気にしなくていいんだよ。こっくんは優しいね」
「……優しくないよ、全然」
「優しいよ、すっごく」
……やっぱりこの子は優しい。少しばかり素直じゃなくてぶっきらぼうだけれど、それ以上に。心が温かくなって思わず笑みを零せば、反抗的なお返事が帰ってきてしまったが。でもそんなツンケンした態度一つでは、私の心に訪れた温もりを消し去ることは出来なかった。
こっくんについて、私は何も知らない。この街には誰と来ているのか、家族は居るのか、そもそも彼こそどこから来たのかだとか。でもそういう彼の持つ経緯は知らずとも、知っていることはいくつか。それは彼がとても聡明な少年であるということ。そうしてその心に聡明という言葉に相応しい優しさを秘めているということ。素直になれずに不器用だということ。あとは外套の下のお顔が、将来有望と言っていいくらい整っているということ。
「確かに最初帰れないって知った時は落ち込んだけど、今は大丈夫なの。一緒に旅してくれる子達が、私の新しい家族みたいなもので……」
「……家族」
「そう! 二人ともすっごく良い子で……いや片方はまぁまぁくらいかな? 」
優しくて頭がいい。その二つにあてはまるのは、よくよく考えてみればシロ様もヒナちゃんもだった。シロ様の場合、(私の周りだけ)という注釈が付くが。私は将来有望な子供たちに出会うような運命が決定付けられているのかもしれない。そんなことを考えながらも、私はにこにこと話を続けた。”家族”という言葉に何か引っかかったのか、目の前の少年が眉を動かしたのを思考の端に留めておきながらも。
「……そんなに仲良いなら、心配してんじゃないの」
「……うーん、してるかな。多分すっごく」
家族。それが何かしら、彼の人を信じない態度に影響を与えているのかもしれない。憶測でしか無い考えを頭の隅っこへ。ぶっきらぼうに戻った問いかけに苦笑を返す。シロ様は私を信じてくれているだろうが、それでも少しは心配してるはず。ヒナちゃんやフルフなら尚の事。
ふっと瞳を伏せて二人と一匹のことを思えば、胸が少しだけ痛くなった。特にヒナちゃんは熱で不安定な状態だったし、私が居なくなることが何かしらの悪影響となって彼女の心を揺らしているかもしれない。勝手なことをしてしまったな、と反省する。でもこの行動に後悔はなかった。こうしなきゃ、私は優しくて真っ直ぐな二人の子供たちの前で胸を張れない気がしたから。最初は衝動に駆られてのものだったけれど、それでも今に後悔はないのだ。
……それに。
「でもそれ以上に、帰ってくるって信じてくれてると思うんだ」
「……そう」
たとえ心配してくれてるとしても、きっとそれ以上に信じてくれている。それだけが強い確信として胸にあるから、それ以外は些細ごとなのだ。そうへにゃりと笑えば、こっくんは息が詰まったように唇の端を噛み締めて。そこから少年は何故か、看守さんによって食事が運ばれてくるまでの間ずっと無言を貫いていたのだった。