表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第五章 雪積もる世界と地の底の少年
180/483

百七十四話「こっくん」

 コクヨウ・ユェアン。頭に刻み込まれてしまった、名前。端名じゃない、彼の本当の名前。その事実が明瞭さを帯びると同時に感じた体がどこか重くなるような感覚に、私の顔からは一気に血の気が引いていった。そして錯乱状態になった私が取った行動とは。


「っちょ、何やって……!」

「なまえ、なまえ、忘れなきゃ……!」

「その前に死ぬから! ほんとに馬鹿なのあんた!?」


 そっと冷たい石壁に手を添えて、頭をごつんと。しかし額に鈍い痛みは広がれど、頭に刻み込まれてしまった彼の名前は記憶から消えてくれない。一回では足りなかったのだと引き続き頭を壁へとぶつけようとした私の行動は、けれどそこで止められてしまった。

 初めて聞いた焦ったような声に思わず振り返ってしまえば、そこには顔を引きつらせながら私の肩に手を置く少年の姿がある。その必死な姿に若干申し訳なくなって、されどこんないかれた行動に出たのはこの少年のせいなのだよな、という思いもあって。しばしの葛藤の後、勝ったのは後者だった。


「これに関しては馬鹿なのは貴方の方だよ!」

「言い返せねぇけど、流石に石壁に頭ぶつけて忘れようとしてる狂人には言われたくない!」


 ぎゃんぎゃんぎゃんと、冷たい牢獄の中に響くのは子供同士が諍うような声。ここまで来て私は何をしているのだろうという虚無感に襲われないこともなかったが、この点に関しては私の方が正しいという確信があった。だってよく知りもしない他人に名前を預けるなど、魂を渡すなど。

 私とシロ様の時と変わらないだろう、と言われれば確かに出会った時間的にはそう変わらないかもしれない。なんなら口数的には私達の方が少なかっただろう。しかしあの時は特例中の特例だったのだ。私があんまりにも無知で、シロ様は追い込まれまくっていて、そうせざるをえなかった状況。対してこの状況はぜんぜん違う。私は昔ほど無知ではないし、追い込まれまくっているわけでもない。そんな状況で命と同じくらい大切な名前を差し出すとは、一体どういうことなのだ。


「うるさいぞ! 囚人共!」


 しかし「馬鹿!」「そっちの方が馬鹿!」という低レベルな言い合いは長くは続かなかった。遠くから聞こえてきた、威圧的な声。そういえばここは牢獄なのだから見張りの人も居るよな、と当たり前の思考に至ったところで私はまたしても血の気を失った。今日だけで何回この心地になるのか、もう少し私の心臓に優しい世界になってほしい。などとごちる余裕もなく、私は聞こえてきたその声に叫び返した。反射的とも呼べる速度で。


「っ、すみませーん! 会話、聞こえてましたかー!?」

「は、何言って……」

「聞こえておらん! だが音は響くから静かにしろ!」

「……! はーい、ありがとうございますー!」


 うるさい。その声から生まれたのは見張りの人にもこの声……というか会話が聞こえていたのでは、という懸念。それならばこの子の名乗りがこの見張りの人にも届いてしまった可能性がある。何よりも優先するべき確認事項に口喧嘩をやめ、私は叫ぶように問いかけた。例え隣の少年に、混乱するような視線を向けられても。

 そうして返ってきた返事。どうやらこの人は律儀で優しい人らしい。囚人の問いにこんなにも真面目に返してくれるとは。嘘偽りの潜んでなさそうな真っ直ぐな声音に、私はほっと息を吐いて肩から力を抜いた。どうやらこの子の名前は彼には聞こえていなかったようだ。だからといって私の記憶からこの子の名前が消えるわけではないけれど、必要以上に広がってしまっていたよりはマシなはず。


「……わかった? 誰に聞こえてるかわからないんだから、軽率なことは言っちゃ駄目」

「……いまいち納得がいかないけど、まぁ一応は」


 めっと言うように人差し指を少年へと突きつける。そのお姉さんぶった仕草にか、それとも焦りから狂人の行動を取っていた私に叱られているのが納得がいかないのか……恐らくは後者だろう。それでも少年は言葉通りいまいち納得がいかなそうに眉を寄せながらも、一応は頷いてくれた。聞き分けがよろしいようで大変何よりである。シロ様だったら「ならばお前以外を全員消す」くらいは言いそうだ。なんせ彼には私が名乗り返さなかったら殴って記憶を消そうとしていた前科があるので。


「……それで、どうしよっか。私も名乗ればいい? そうすれば交換っこになるんだよね?」

「……いや、全然落ち着いてないな? さっき誰が聞いてるかわかんない、って言ったのそっちだろ」


 頭を掠めた全世界物騒代表の姿をかき消しつつ、私は声を潜める。そのままこそこそと少年の耳だけに聞こえるように矢継早と疑問をけしかければ、返ってきたのは呆れ顔だった。いや、それはそうなのだけれど。それを先に名乗ってきた方に言われるのは微妙な気分である。その思いで眉を下げれればこちらの気持ちが伝わったのか、眉を歪めた少年はぷいと視線を外した。その口が淡々と言葉を語る。


「別にどうもしなくていい。これは決めてたことだから」

「……決めてた?」

「……どうでもいいでしょ。それに魂を渡すって言ったって、そっちが変なことしなきゃこっちはどうにもならないし」


 ……そうおっしゃられましても。こちらとしては一方的に大金の入っていたお財布を預かってしまっているような、そんな心地なのだ。まさか何かしようとでも思ってるの? とでも言うようにこちらに視線を向けてきた少年。どうして預けた側がそんなに強気なのか。最近の若い子のバイタリティは謎である。

 それにしても、変なこと。変なこととは、具体的に言えば一体何か。そういえばシロ様からも魂を握ることになる、以外の説明を受けていなかったなということを思い出す。魂を握ったからといって、一体何だというのだろう。その魂を撫でたり出来るのだろうか。その場合どんな感覚なんだろう。私としてはそんな大事なものに触りたくないし、触られたくもないなという感じなのだが。


「……な、なでなで……」

「……一応聞いていい? 何してんの?」

「いや、変なことって言うから……その、魂? 撫でたりできるのかなって」

「…………」


 けれどこちらに差し出してきたっていうことは、もしかして彼はそういうことをされたいということなのかもしれない。その考えに至った私は、そっと虚空を撫でた。とても虚しい。叶うのであればヒナちゃんの頭を撫でたい。そういえばヒナちゃんは今頃大丈夫だろうか。私の訃報……いや死んでない。悲報を聞いて、熱が上がったりしていないだろうか。一通り看病の仕方はシロ様に伝えたが、少し心配である。

 そんなことを考えながらも、おっかなびっくりと虚空を撫でる私。そんな私に突き刺さるのは隣の少年からの「こいつ頭大丈夫か?」という表情である。どうやら魂を撫でられたかったわけではないらしい。いやよく考えなくてもそれはそうなのだが……駄目だ、まだ正直頭が混乱している。牢獄に入れられただけでもだいぶびっくりだというのに、名乗りまで食らってしまったせいで私の矮小な脳みそはパニック状態になってしまったのだ。決して元からこんな出来なわけではない、はず。


「あー、もう……ちょっと落ち着くので、少し待ってください」

「……まぁ、そうした方がいいとは思う」


 このままでは彼の警戒心を悪戯に跳ね上げるだけだろう、と判断した私。ぱっと虚空を撫でていた手のひらを膝の上へ。目を閉じて深く息を吸った私を、相変わらず彼は見ていたのだろう。目を閉じていても熱烈と感じる視線に、私を見てて何が面白いのだろうと内心で首を傾げる。彼のように容姿が整っているわけでもない、どこにでもいそうな平凡な旅人だというのに。


「…………」


 いや今は、そんなことを考えている暇はないか。私は真っ暗になった世界の中で、思考のピースを一つ一つと積み重ねた。この少年の名前を知ってしまった、というハプニングこそあったものの収穫はいくつかあった。まずこの牢には、やはり私達以外の第三者が居ること。反響の感じからして距離は離れているようだが、この声が響く環境では下手なことは言わないほうがいいはず。あの見張りの人は悪い人には思えなかったが、それでもコダなんちゃら様の手のものであることに変わりはないから。

 次に、ここで何をするべきかということ。そうは言ってもここで出来ることは少ない。もうコダなんちゃら様を論破する材料はあるし。強いて言うならこの少年と友好を深めることくらいだろうか。敵対心はだいぶ解けた気がするが、また別の「こいつ頭おかしいのでは?」という方向で心の距離を感じる。まぁでもそれらよりも今最初にやるべきは、と私は目を開いた。そうしてゆっくりと視線を下ろす。


「……なにやってんの?」

「……おまじない、だよ」


見下ろした先にあったのは、左手の小指。それをくいっと四回連続で動かす。ここに居るよ、と伝える”大丈夫”の合図。いつか一緒に考えたそれは少し別の形ではあったけれど、彼相手ならばこれだけで過不足なく伝わるはずだ。迷子対策が思わぬ形で役に立ったなと苦笑を浮かべつつ、私は不思議そうに問いかけてきた少年に声だけで笑った。これはどんなおまじないよりも効果的な、大丈夫のおまじないなのである。


「……よし、とりあえず」

「…………」

「貴方のことはこっくん、って呼ぶね」

「……は?」


 さて、次に出来ることをしようか。私は下げていた視線をそっと持ち上げて、こちらをじっと見つめていた少年と目を合わせた。仲良くなるため、まずは渾名呼びというのはどうだろうか。結局端名は教えてもらっていないわけなので。その思いから微笑みかければ、露骨に歪んだ顔。どうやら名乗りの時に驚かせてもらった分は、仕返しが出来たようである。

総合評価が300ポイントを超えました! いつもブックマークや評価、いいねなどありがとうございます。大変励みになっています。

新しいキャラも増え、これから第五章の後半戦が始まりますが最後まで見守っていただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ