百七十話「快晴の下の珍道中」
そんなこんなで久しぶりに二人で街を出歩くことになった私達。窓から見た通り、本日のエーナの街は快晴。降り注ぐ日差しはひやりと冷たい空気を僅かに和ませ、街のあちこちで山を作っている積雪を徐々に溶かしている。雪解け水が作った水たまりがところどころにあるのが難点だが、それでもやはり適温というものには敵わないのだろう。一昨日昨日よりも人で溢れかえった街は、この世界に来てから初めてみるような賑わいようだった。
「わー……はぐれないようにしないとね」
「ん」
生憎とこのレベルの混み合いは田舎育ちには縁がない。一度修学旅行でいった都心を思い出しながらも、私は気づくと握られていた右の手のひらを見下ろした。恐らく、私のはぐれないようにしないとという言葉を聞いての対策なのだろう。重なった手から伝わってくるシロ様の体温は今日も温かかった。
この場合はぐれる側が私なのだろうな、ということに思い当たっては一抹の情けなさを感じつつ。しかしこれだけでは足りない可能性があると、私はシロ様とは繋がれていない左手の方へと視線を向けた。ふっと意識を伸ばす感覚。すると小指に嵌められた乳白色は僅かに輝き、不可視の糸を作りだす。しゅるりと透明な糸は、私とシロ様の間に結ばれた。
「……今、何かしたか?」
「糸、結んでおいたの。はぐれた時の対策」
当然何か違和感があったのだろう。繋いでいない右手を持ち上げて首を傾げたシロ様に、左手を持ち上げながら小さく微笑む。生憎と私では四属性の法術の全てを使えない。つまりヒナちゃんと違って、風運を使ってシロ様と連絡を取ることが出来ないのだ。
その場合どうなるか。そう、はぐれるということが致命傷になるということである。土地勘もないこの土地で一人ぼっち。宿に戻ろうにもこの広すぎる街では、日が暮れても戻れない可能性があるだろう。その上、基本的に街というものは人が増えれば増えるほど治安が悪くなるものだ。シロ様とはぐれている間に奴隷騒ぎの時のような犯罪者に襲われては、目も当てられない。
「迷子になったら、シロ様だけに見えるようにするから」
「それを追ってこいと」
「お手数をおかけします」
きっと諸々のリスクはシロ様の頭の中にだってあった。故に納得してくれたのだろう。小さく頭を下げれば、返ってきたのは短く鼻を鳴らす音。一見素っ気ない態度だが、私は知っている。これは了承の合図なのだと。最近はヒナちゃんが居ることで彼なりに努力していたのか、素っ気なかったり物騒だったりする態度は鳴りを潜めていた、が……これがシロ様なりの私への甘えだというのなら、正直悪い気はしない。
「さて、じゃあどこから行こっか?」
「討伐者ギルドか昨日とは別の雑貨店が無難だろうな」
「了解。近いところから順繰りに行こう」
なんだかんだ可愛げはあるのだよな。なんてことを頭の隅っこで考えながらも、私達は歩きだしていた。人混みの中に時折開く線を縫うように、決して手は離さないように。目指すは旅人に多い職業だという討伐者が集まる討伐者ギルドと、旅人が寄りやすいであろう雑貨店。そこならば今度こそ何かしらの情報は得られるかもしれない。
ヒナちゃんに我慢して貰っている以上、成果は上げなければ。そんな覚悟と共に、私はちらりと空を見上げた。太陽の日差しが降り注ぐお昼前。差し込む日差しはどこか心を前向きにさせてくれる。まるで太陽が「今日ならなにかいいことがありますよ!」と言ってくれているような感覚だ。こんなにいい天気なら、今日は何かの手がかりが掴めるかもしれない。そんな根拠のない自信を胸に灯らせ、私達はひとまずはと討伐者ギルドへと向かって行ったのだった。
しかし。
「ムツドリ族で赤い羽? ここ最近は見てねぇなぁ」
「そ、そうですか……」
「てかそれならムツドリ族の方の大地に行ったほうがいいんじゃねぇの?」
「そ、そうですよね……」
根拠のない自信というものは。
「そもそもレイブの領地内ではムツドリ族のお客様自体を見かけることが少ないんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。確かにムツドリ族の方は世界を旅する方が多いですが、やはり育ってきた環境とは真逆の極寒であるレイブの土地はお気に召さないようで」
「な、なるほど……」
結局何の確証があるわけでもなく。
「待ってシロ様! その人酔っ払ってるだけだから!!」
「離せ。酔った勢いだろうとなんだろうと、不躾に婦女子の体に触るなぞ万死に値する」
「ひっく、んだよガキ、やんのか~?」
「やめてください! 早く逃げないと死んじゃいますから!」
むしろ眩しい晴天を見て良いことがあるかも、だなんて思ったことすら。
「すげぇ……あのガキワンパンで沈めやがったぞ」
「あの回避に特化したオルの爺に一発入れれる奴がいるとはな……正直ざまぁねぇぜ」
「ちょっと、感心してないでお医者さん呼んでください! 大丈夫ですか、お爺さん!」
「へ、へへ……若い娘が俺を心配してくれてる……死ぬには良い日だ……」
「ちょっと!?」
「そんな変態放っておけ。行くぞミコ」
「行けないよ!?」
……何かの勘違い、だったのかもしれない。
ぐたりと置かれたベンチの背もたれに頭を預ける。先程まで雪が乗っていたのをどけて座ったせいでお尻が少し冷たい気がするが、今はそんなことを気にする余裕もなかった。見上げた空は嫌味なくらいに青い。先程までは祝福してくれていると思えた空が、今となってはどうしてこんなにも憎らしく思えてしまうのか。その原因は実にシンプルである。数時間に渡る情報収集の結果、手に入った目撃情報はゼロ。その上道中で余計なトラブルまで引き寄せてしまったからだ。
「ミコ」
「……おかえり、シロ様」
若干頭が痛むのは背もたれが頭に突き刺さってるからか、単なる疲れからか。空が遠いな、と現実逃避をしていた私の視界に突如として入り込んできたのは白銀。上から覗き込むようなその素振りは可愛らしいが、やらかしたことは全然可愛くないシロ様の姿である。
何やら手にいっぱいのものを抱え込んだ少年は、くるりとベンチの正面に回ると同時に隣に座り込んだ。鼻孔をくすぐる香りはどれも美味しそうで、鳴ってしまいそうになるお腹が悔しい。ついでに、シロ様が座るならと反射的にどけてしまった自分の体も。シロ様は私に甘いが、私とて大概シロ様に甘いのだ。そう、やばいことをやらかしたとしても僅かに眉を下げたその姿一つで許してしまいそうになるほど。
「焼き鳥だそうだ。食べれるか?」
「……うん」
シロ様が何をやらかしたのか。察しのいい人なら既にお気づきかもしれない。そう、今殊勝にこちらに焼き鳥を差し出している少年は先程、罪なき……いや罪多きおじいさんを殴り飛ばした。理由は単純明快。通りすがりに私のお尻が撫でられたから、である。
いやまぁ痴漢絶対許すまじ。処されろ。という感情は私にだって理解できる。友人の椎葉ちゃんが電車で知らないおじさんに触られたと泣いていた時は、絶対に見つけ出して警察に突き出してやると思ったものだから。しかしクドラ族の力で容赦なく殴り飛ばすのはやりすぎだろう。幸いにもそのおじいさんが巷で噂の回避の達人で攻撃が掠る程度に留めていたから良かったが、急所に命中していたらまず間違いなく彼の命はなかったはずだ。過剰防衛である。
「甘いのもある」
「……今はいいかな」
「…………」
差し出された焼き鳥をもぐもぐと咀嚼する。ちなみにこの焼き鳥も合わせ、シロ様が今抱え込んでいる食べ物たちは全て、シロ様が華麗なブローを繰り出した瞬間を見物していたおじさんたちからの貢物だ。なんでも昔娘さんがおじいさんに触られ、その報復をしたくとも避けられまくって相当な鬱憤を溜め込んでいた人達らしく。……こう考えればシロ様は良いことをしたとも言えるのだろうか。いやでも掠って重症の殺人パンチはやっぱりやりすぎだ。お孫さんに連れられてお医者さんのところにいったおじいさんは大丈夫だろうか。
「……ミコ、悪かった」
「……う」
「お前の言う通り、やり過ぎたのは認める。迷惑をかけた」
何故かこちらが平謝りされるという異常事態になっていたことを思い出しながらも、私はそこで聞こえてきた声に漸くシロ様の方へと視線を向けた。素っ気ない返事を返していたからかしょんぼりと下がった眉はいつになく弱々しくて、こちらの罪悪感が刺激される。いや、悪いのはシロ様なのだけれど。そういう顔をされるとまるで私が苛めているみたいというか、なんというか。
い、いやまぁでも、こうして謝ってくれたわけだし。美味しい焼き鳥も分けてくれたし。多分シロ様も反省してくれているんだろう。それならばいつまでも怒っていても仕方ない。疲れで濁っていた思考が、あっさりと流されていく。そうしてそのままもういいよ、気にしてないよ、とそう告げようとしたところで。
「次はちゃんと明るみに出ないようにする」
「……そういうことじゃないんだよなぁ」
けれどやっぱり許して良いものなのだろうか、という思考が入り混じり。今のは間違いなく余計な一言だったなと苦く思いつつ、私は結局その後シロ様を許すことにした。悲しげな顔に怒りが継続しなかったとも言う。……決して私がちょろいわけではなく、シロ様の顔が良すぎる弊害だったことは書き留めておこう。