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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第五章 雪積もる世界と地の底の少年
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百六十七話「約束とあなた」

 別になんてことない、ただの話。「スマホは高校生になったらね」なんて言葉はきっと、日本中で溢れかえっていた言葉だっただろう。もちろんそれよりも前に買い与えられる家庭もあるだろうけれど、うちは……というよりも彼と私は、そうじゃなかった。

 正直に言えばスマホが特別欲しかった、というわけではない。同級生の皆がやっているゲームよりも、私にとってはハンカチに可愛らしい刺繍を施す方がよっぽど楽しい娯楽だったから。けれど「高校生になっても要らないよ、大人になったら自分で買うから」と告げた私にその人は笑ってこう言ったのだ。「何を遠慮してるか知らねぇが、周りと同じものを共有するってことも大事なんだぞ」と。まるで、本当の親ではないからという遠慮があった私の心を読み取ったかのように。


『人間は自分よりも劣っている人間を見つけては爪弾きにしたがる。自分の優位性を示すために』


 納得できない顔をした私に、彼は続けてそう告げた。そのことは、知っていた。だって小学生の頃にそういういたずらは、あるいはいじめと称されることは、ある程度経験していたから。だからそう言われてしまえば、喉の奥は自然と詰まって。そうして言葉に詰まった私の頭を彼は撫でた。相変わらず温かくて優しい手だった。


『そういうのは持ち物でだっておんなじなんだよ。別に持ってる物なんてそいつそのものの価値に直結するはずねぇのに……なんだったかな? マウントってやつを取りたがるんだ』


 ちっせぇことでやりあってる暇があったら、もっと上に行って相手から羨ましいって思わせればいいのにな。心底不思議そうな呟きに吹き出してしまったことを覚えている。だからこの人にはいじめとかそういうのに縁がないんだろうな、と思ったことも。

 彼の言葉は正義に溢れていた。なんていうと少し大袈裟かもしれないけれど。でもそれでも、私はこういう大人になりたいと思ったのだ。彼の職業は安定しているとは言い難いものだったけれど、なんならしょっちゅうおばあちゃんやおじいちゃんに怒られていたけれど。それでも彼の言葉に、いつだって暗い影は見えなかった。彼はいつだって、自分の言葉を信じていたのだ。おじいちゃんとおばあちゃんに教えられた、信念と言葉たちを。


『まぁでも、まだ弱いガキのうちはそういうのはしょうがねぇ。だからせめて俺がマウント取られねぇようにしといてやるよ』


 だから私も、彼の言葉を信じた。知り合いに頼んだ最新機種、容量もギガも最大……と続いた言葉の意味は、いまいちわからなかったけれど。なんなら今でもわかっていないけれど。そうしてこれからもきっと、わかることはないのだろうけれど。それでもその時はただ純粋にその言葉を信じて、待ち続けた。例え高校生になっても。それから一ヶ月が経っても。あっという間に季節が過ぎ去って、また新しい春が来ても。


『だから、楽しみにしとけよ!』


 その間、一度も彼が家に帰ってくることがなくても。


「……そいつは、何故帰ってこなかったんだ」


 ぷつんと、記憶の糸が途切れる音。思いを馳せる内にいつのまにか閉じていた瞼を開けば、そこには戸惑うように瞳を揺らすシロ様が居た。その姿に淡く微笑んで、今度は眠るヒナちゃんを見下ろす。細く続く穏やかな呼吸と、安らかな寝顔。握った手とは反対の手でその頭を撫でながらも、私はもう一度シロ様の方へと視線を向けた。


「……それが、わかんなくて」

「……わからない?」

「うん。いわゆる、行方不明ってやつだね」


 ゆくえふめい。拙く言葉を繰り返す少年の、揺れる瞳を見ている。シロ様がそんな辛そうな顔、しなくてもいいのに。思ったのはそんなことだった。だって私よりもよっぽど、シロ様の方が辛い思いをしているのだ。こういうのは比べるものではないということはわかっている。けれどどうしても、心に浮かぶのはそんな言葉だった。

 大切な人に裏切られて、家族どころか里の人達を無残に殺されて。そんな体験に比べれば、私の心の痛みなんてきっと些細なことだろうに。それでもシロ様は、痛いという顔をしてくれる。それが不思議な反面、少しだけ嬉しかったというのは秘密だ。だってこんなの、性格が悪すぎるから。


「私の国では七年経ったら、失踪申告って言うのを適用させることが出来るの。まぁ、事実上の死亡判定かな」

「…………」

「本当はそれまで、待とうと思ってた。それまでは私の方も約束を守って、誰からもスマホを貰わないようにしようって。買うにしても、自分のお金でって」


 一瞬、声が躊躇いに揺れる気配がして。けれど結局は話したい気持ちの方が勝ってしまって。か細い声で部屋の空気を揺らす。思ったよりも平気で話せているのは、シロ様が相手だからだろうか。それとも私と彼との約束に、ある種の区切りが付いたからだろうか。


「……でも、約束は無効。だって私が、もう帰れないから」


 奇妙な気分だった。穏やかな昼時に、穏やかな声でこんな話が出来ているのが。だってあの頃、まだ日本に居た時は誰にだって触れられたくない話題だったのに。でもそれもこれもあれも全部、約束に区切りがついたからなのだろう。もう約束は守られない。彼が破ったのではない、私が破ったから。そう思うようになったからきっと、こんなにも落ち着いた気分で話ができるのだ。

 へらりと笑った私に、何を思ったのだろう。シロ様の瞳は細められた。けれどそれは決して楽しい意味ではなくて、寧ろどこまでも悲しい意味で。おかしいな、悲しい気分にさせたいわけではなかったのに。好奇心に輝く瞳を、見たかっただけなのに。余計な話をしてしまっただろうかと、胸に滲む黒が一つ。しかしそんな思考は、一瞬で覆った。


「……!」

「……別に、嫌だったわけじゃない」


 ひゅ、と思わず息を呑む。何が起こっているのかがわからなくて、一瞬思考が飛んで。それでも答えは一つだった。いつの間にか傍に近づいてきたシロ様が、私を抱きしめている。ヒナちゃんの眠るベッドの傍らに座る私を、その小さな体で一生懸命に。移って滲んでいく熱の温かさに、一瞬落ちかけた心の中の染みはあっという間に溶けていった。


「お前の話を、聞けてよかった」


 シロ様の顔は見えない。けれど降ってくる言葉はどこまでも温かかった。なんで、その言葉に嘘の一つがないことがわかるのだろう。なんでシロ様は、私が話をしたことに少しだけ後悔したことがわかるのだろう。全部がクドラの瞳の効果……いいや、瞳を交換したことの効果なのだろうか。

 心を一部共有出来ている。前からそんな風に感じれることはあった。戦士として訓練されたことで表情の薄いはずのシロ様の機敏を細かに拾い上げることが出来るのも、私が隠したはずの思いを掬いあげられるのも、全部。瞳と瞳がかち合うだけで、考えていることの全てが共有できるように思えた。それはきっと、出会って二ヶ月くらいの私達が出来ることではなくて。何年も同じ時間を過ごしたような人達が、出来るようになることで。


 なのに、今はそれだけじゃない。もはやいっそ、言葉なんて要らないようにも思えた。まるで二つの心が、一つに溶け合っているように。


「……私も、聞いてもらえてよかった」

「……ああ」


 それが少しだけ怖くて、言葉を発した。そうすれば温かい腕は離れていって、見上げる位置にはいつもの二色がある。……例えるのであればさっきのは、シロ様の片方の白銀の瞳すらも黒く塗り替えていくような何かだった。侵食とは少しだけ違う、けれど私の持つ語彙ではどう例えればいいのかがわからない、そんな感覚。

 きっとそれは、シロ様だって体験したのだろう。見上げた瞳は、僅かに躊躇いに揺れている。何だったのだろう、今のは。でもなんとなく、どこか、体に力が満ちているような気がする。心に抱えた重い荷物を、少しだけシロ様に預けることが出来たからなのかもしれない。思えばシロ様にはずっと、私の感傷を引き取ってもらってばっかりな気がするけれど。


「え、えっと……一回ヒナちゃん起こして、お粥食べさせよっか」

「……そうだな。毛玉でも出せば、ヒナの元気も出るだろう」

 

 ほんのりと情けなくなりつつも、私は話を逸らすために慌てて口を開いた。すぐに肯定が返ってきた辺り、シロ様もこの妙な雰囲気を払拭したいと思っていたのだろう。小さな背中がリュックが置かれているクローゼット前に向かっていくのを見届けつつ、私は自分の手のひらを見下ろした。なんとなく、心惹かれるがままに。


「……!」


 左手の小指、乳白色が輝く指輪。そこに一瞬だけ、菖蒲が咲いていたような? けれどそう見えたのはほんの一瞬で、慌てて瞬きをした先にもう花は咲いていなかった。まるで白昼夢のような、一瞬の光景。けれどそれがなんとなく夢でも幻覚でもないような気がして、私は右手で左手をぎゅっと握りしめた。今の話で何かが変わった気がした、そんな予感を抑え込むように。

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