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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第五章 雪積もる世界と地の底の少年
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百六十六話「こころの熱」

 すぅすぅと、落ち着いてきた寝息が聞こえる。白い頬はまだ赤く色づいたままだけれど、それでも寄っていた眉が和らいだ穏やかな寝顔。私は大きなベッドの上に仰向けの状態で眠るそんな少女を苦笑交じりに見下ろすと、その額に今しがた絞ったばかりのタオルを畳んで乗せた。ひんやりとした感触が心地よかったのか、その瞬間に眠る少女……ヒナちゃんの口元は、ほのかに緩んで。


「ミコ、粥を作ってもらった」

「あ、ありがとう。でもヒナちゃん、今丁度寝ちゃったから……」

「そうか」


 そのタイミングで響いたノック音。数拍の後、恐らくは足で扉を開けたのであろうシロ様が部屋へと入ってくる。お行儀が悪いことこの上ないのに、それでもどこか上品に見えるその姿。顔が良いのはこういう時には得なのかもしれないと頭の端で考えつつ、私はそのまま彼が備え付けのテーブルの上にお盆を置くのを見守った。


「ヒナの様子はどうだ?」

「そんなに重症じゃないみたい。疲れが出ちゃったのかもね」


 お盆の辺りから漂ってくる、牛乳のような甘い香りが部屋に優しく広がっていく。もしかして、アレが噂のミルク粥というやつだろうか。なんて食べたことのない味に思いを馳せつつも、私はそのままソファーに座り込んだシロ様からの質問に答えた。何かを探すように彷徨った少女の手に、優しく自分の手を重ねながらも。

 熱からかぐずるヒナちゃんに道中で聞いた限り、頭痛や腹痛、喉の痛みなどの症状は無い。ただひたすらに体が重いと泣きながら言っていた少女の言葉から考えるに、恐らくは疲れから来る心因性の熱である可能性が高いだろう。本来なら病院に行った方が良いのだろうが、知らない人に検診をされることでヒナちゃんにかかるストレスを考慮して今は取り敢えず部屋で休ませることにした。悪化するようであれば医者に駆け込む必要はあるが。


「……時空断裂の影響だろうか?」

「……直接的ではないかもだけど、それも関係があるかもね」


 手を握ったことでか、安心したような吐息が隣から聞こえてくる。それに思わず笑みを零しながらも、難しい表情を浮かべたシロ様に頷いた。私とシロ様が健康な以上、今のヒナちゃんのこれが時空断裂による直接的な症状だとは考えにくい。なんせこの三人の中で一番そういうのに耐性がないのは、自分でも言うのも悲しいが私なのだ。これまでの話を総括すると、幻獣人と人間では根本的な作りが違うので。

 だから恐らくは、時空断裂によって起こったあの激しい揺れ。それに対する心因的なストレスや、新しい街に来たというヒナちゃんにとっては初めての興奮が引き起こした熱だと考えていいだろう。旅行に行った子供が熱を引き起こすアレだ。私にも覚えがある。


「ヒナちゃんはまだ心が幼いから、突然色んなことを知ったり体験したりするとこういう風に疲れちゃうんだろうね。それが限界になって、こうして熱として表に出てきたんだと思う」


 祖父母と旅行に行った時に体験した、遊びに来ているのに熱で引きこもるしか無いという苦みの残る懐かしい記憶。それを軽く首を振ることで振り払いつつ、私はそうやって話を纏めた。そう、ヒナちゃんはまだ心が幼い。きっと恐らくは、その見た目以上に。普段は優しくて賢いから忘れてしまうが、まだ彼女は光の下を歩き始めたばかりなのだ。いくら幻獣人とは言え、子供は子供。その辺りはこちらが考慮しなければ。


「……詳しいな。医学について学んだことがあるのか?」

「いや、そんなんじゃないよ。私の居た世界では、こんなのは一般常識みたいなものだから」

「一般常識……」


 そんな風にどこかセンチメンタルな気分になっていると、珍しくシロ様からお褒めの言葉を賜った。ちょっと嬉しい。しかしこの程度は私の居た世界、つまり現代日本では一般常識のようなものなのだ。パソコンとかで調べればすぐ出てくるし、なんなら保健の授業で習ったりしたかもしれない。

 私が特別すごいわけではないし、学んだなんて言っては真剣にお医者さんになるために勉強している人達に失礼だ。そもそももしかしたらこの見立てが完全に的外れ、っていう可能性も無いわけではないのだし。そんな風に考えながらも首を振れば、シロ様は何かを考え込むように手を顎に当てた。何か引っかるところがあったのだろうか?


「お前のそれはどこで学んだんだ?」

「あーっと……学校で伝わるかな? 時代的に寺子屋? こっちの世界の名前はよくわかんないけど、そういう風に子供たちが集まって勉強する場所があって……」

「学校でわかる。テラコヤ? は知らない」


 成程、どこからの出典だったのかが気になったらしい。こっちの世界に寺子屋という概念はないのだな、と新たなことを学びながらも私は好奇心を瞳に煌めかせてこちらを見つめるシロ様を見返した。まぁヒナちゃんを置いていくわけにはいかないので他にやることもないし、たまにはこんな風におしゃべりをするのも悪くないのかもしれない。あくまで小声で話すことを心がけなければいけないが、シロ様は耳が良いし大丈夫だろう。


「私のこれは多分、保健の授業で学んだのかな。よくは覚えてないんだけど」

「ホケン」

「人の肉体の作りとか、それこそ病気とかのことを学んだりする分野だね。私が持ってる本があるでしょ? あんな風に教科書を貰って、専門の先生に教えてもらうんだ」


 広い部屋に、細々と紡がれていく声。けれどその一つだって、少し遠くに座る少年は取りこぼしたりはしない。知識欲に輝く瞳を見て微笑ましい気持ちになりながらも、私はそこでそっとヒナちゃんの方へと視線を移した。うるさくないかと心配だったのだが、こころなしか先程よりも穏やかな表情になっている気がする。人の声がする方が安心できるのかもしれない。それならば、もう少しばかり話してもいいだろうか。


「もしくはパソコンとかで調べたのかも」

「パソ……?」

「……うーん、説明がちょっと難しいな。色んなことが出来て、世界中の色んな情報がどんどん更新されていく機械……って感じで思ってもらえればいいかも」

「……お前の世界には、そんなふざけたものがあるのか」


 調子に乗った私は、そのまま話を続けた。パソコンの存在に感心してか、大きく目を見開いたシロ様はどこか可愛らしい。ふざけたもの。確かにこの世界から見てみれば、パソコンは叡智の結晶みたいなものに見えるだろう。なんせ私の持っている生物の教科書が最高峰の生物図鑑だというくらいなのだ。もし私がこの世界にパソコンを持ち込んでたら、世界が壊れてしまっていたかもしれない。

 ふと浮かんだ想像に、ちょっと怖いななんて思いながら。けれどそこで私は、もしかしたらそれがありえたのかもしれないということに気づいてしまった。いや流石にパソコンではないのだが、アレならば持っていた可能性があったかもしれない。一度そう思ってしまえば、言葉は勝手に口の端から零れていって。


「……シロ様のそういう反応見てると、スマホ買ってもらえばよかったなって思うかも」

「スマホ?」

「パソコンをちっちゃくしてちょっと機能を落としたやつ……って言っても今のはすごいから、もしかしたら見劣りしないのかな。私の世界というか国では、私ぐらいの年頃の子なら殆どの人が持ってる機械だよ」


 そう、スマホ。電話やらメールだけでなく、様々なアプリとやらが使える小型の端末。生憎と諸々の事情で私は買ってもらえなかった……というよりは買ってもらうのを拒んでいたのだが、シロ様がまだ見ぬ知識に目をきらきらとさせているのを見るとやっぱり買ってもらえば良かっただろうかという気持ちになる。例えこの世界の知識が内蔵されていなくとも、元の世界の知識だって今のように何か役に立つものがあるかもしれないのだから。……いや、ネットが繋がらない以上そもそも使えないのかもしれないが。


「なら、何故お前は持っていない?」

「……うーん、事情があってね」


 それでも他の持ち物と同じようにこの世界仕様に適用されるかもしれないし、なんてことを考えていた私。しかしシロ様の突然の質問に私の心臓は跳ねた。突然、ではないかもしれない。確かに私くらいの年ならば誰もが持っている、と言えば私が持っていないことが気になるだろう。散々とクラスメイトや部活仲間にも突かれた質問だ。「なんで買ってもらってないの?」って。唯一聞いてこなかったのは椎葉ちゃんと、 橋本くんくらいか。

 一度小さく息を吸い込みながらも、私はじっとシロ様の方を見つめた。揶揄も悪意もない、ただ純粋な疑問だけが浮かぶ二色。その色を見ていると、彼ならばという気持ちが浮かぶ。シロ様ならばあの日、役に立てないのが怖いと言った私を宥めてくれたように、お父さんとお母さんを失った私を悪くないと言ってくれたように、この気持ちも否定しないまま受け止めてくれるだろうか。そんなのは、考えるまでもなかった。


 きっとありのままを、彼は受け止めてくれる。


「……約束が、あってさ」

「約束……」

「そう、約束」


 一言目を滑り出したところで、私は不思議な心地になった。声が震えない。それが彼への信頼を痛いほどに叫んでいるように思えて、なんだか無性に泣きたいような気持ちになる。ああ、私は確信しているのだ。シロ様ならばきっと、この感情をわかってくれると。例え理解できなくても、決して否定することはないのだと。そう思えば、心の殻は呆気なく溶けていって。


「……高校生になったら、買ってくれるって約束した人が居て。その人が帰ってくるのを待ってたら、いつのまにか一年が経っちゃってたんだ」


 言葉は、自然と口を出た。

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