百六十一話「コンセプト宿と二人の麗人」
「ちょいちょいちょい! 間違えてないっすよ!」
「ひぇっ!?」
きっと幻覚、多分何かの間違い。隣の建物が本当の宿だったとか、そんなオチ。しかしそんな私の現実逃避は、閉めたはずの扉が開け放たれると同時にがらがらと崩れ落ちた。開いた扉からひょこっと顔を出したのは、先程まで箒を片手に掃除をしていた可愛らしい方の麗人で。美しいブロンドの髪が揺れると同時、扉の隙間から伸びてきた腕に手首を掴まれて私は思わず悲鳴を上げた。
「お姫さん方、宿のお客さんっすよね? いやー、よくいらっしゃいました!」
「イヤ、アノ……」
「まぁまぁまぁ! 入って入って! 可愛い子たちが風邪引いちゃったらと思うとこっちの胸が痛むんで!」
きらきらと無邪気な光を宿す碧眼。そこから悪意は感じられないが……如何せん、異様な雰囲気だった店とこの勢いが怖い。だが生粋の日本人としては、気遣いの言葉をかけられてしまった以上意固地になって拒否することも出来ず。結局私はその人に促されるがまま、宿?へと入店した。というよりは、引きずり込まれた。勿論シロ様とヒナちゃんも一緒に、である。
「お姫さんお二人と王子さんお一人っすよ~、店長」
「こらティア、エスコートする時は腰を支えるようにと言ったでしょう?」
「あ、そうっした。失礼しますね~」
「ヒェ……」
そうして再び目にすることになった店内は、先程見た時と何ら変わらず。訝しげなシロ様の視線と、ぱちぱちと瞳を瞬かせたヒナちゃんの視線が店内を右往左往とする。大理石で出来た床と、妙に光沢のある艷やかな白い壁。店の外観とは真逆の真っ白な世界。輝かんばかりに磨かれたカウンターの先には、やはり輝かんばかりに美しい麗人が立っていた。
黒髪をオールバックにかき上げているせいか、その先の赤い瞳が真っ白な肌に映えてより印象的に輝く。掃除をしていた人とは違い、どこか妖艶な雰囲気を纏ったその人は「店長」らしい。成程、確かに貫禄あるお姿である。余計な一言を言いやがってくれはしたが。するりと腰に回った手に私は悲鳴を上げた。これは何のサービスなのだろう。望んでないので早急に手を離してくれないだろうか。
「おや、随分と初な姫君でいらっしゃる。ティア、離して上げなさい」
「うぃっす~。大変失礼しました~」
「あっ……いえ、どうも……」
しかし私が嫌がっていることが伝わったのか、手は予想外に早く離された。解放されたことに安堵を覚えながらも、そっとシロ様の方へと近づく。そうすれば私の怯えようを察してくれたのか、そっと背後に庇うように立ってくれたシロ様。私はその気遣いに感謝しつつ、ぎゅっとヒナちゃんの手を握った。悪い人たちではなさそうだが、正直この状況……というよりはこの店自体がよくわからない。
私は改めて辺りを見渡した。店の内装は現代における高級なホテルに酷似している気がする。だがこの世界の宿としては結構異様だ。だって今まで私達が見てきた宿は、ブローサの宿を除けばどれもがファンタジー小説における温かみのある宿、といった感じだったのだ。その時点でこの店が一風変わっているのは伝わるだろう。
次に謎なのは、店員二人の服装と接客態度。決して悪いというわけではないのだが、これもまた一風変わっている。恐らく女性であろう二人は男性物であろう燕尾服を身に纏い、こちらを「姫」やら「王子」やらと呼んできた。それらは正直に言えば……現代で言う夜の店を彷彿とさせた。行ったことはない。ただの勝手なイメージである。いや、寧ろこちらにあだ名をつけるという意味では、「ご主人さま」と呼ばれるらしいメイド喫茶の方が近いのだろうか。こちらも行ったことがないから、未知数でしか無いが。
「三名様でよろしいでしょうか? お部屋はいくつ取られます?」
「……一つで、お願いします」
さりとて、今ある情報をいくら分析しようと「結局この店はなんなんだ?」という疑問への答えが見つかることはなく。強いて言うならあの店員さんの「ちょっと癖がある店長さん」という言葉の意味がわかったくらいで。結局私は、店長さんの言葉に流されることとした。明らかに怪しい店ではあるが、ここはシロ様が問題ないと判断した宿でもあるのだ。見かけは確かに怪しいと言うか不可解だが、シロ様の言葉に間違いはない。……多分。
「それでは代表者様の端名をここに。何泊するかはもうお決まりですか? 料金は朝食の代金を含め一名様一泊七金銭となっております。未成年の方は五金銭という形です。昼食夕食に関しては別途お代を頂いており、全て退出される時の後払いです」
「えっと……とりあえず一週間、でいいかな?」
「ああ」
「じゃあひとまず一週間でお願いします。延長って可能ですか?」
「構いませんよ。それではひとまず成人の方一名、未成年の方二名で一週間ということでご記入させていただきます」
ほら、接客にだっておかしいところはないわけだし。コートの下に隠れた成人証明のネックレスを見せるようにしながらも、私は差し出された紙に「ミコ」と記入をした。宿泊期間はひとまず一週間。この先の聞き込みによっては滞在期間が長くなるかもしれないが、ひとまずとしては妥当なところだろう。成人が一泊七金銭で、未成年が五金銭。つまり一週間泊まれば十二万円……じゃなくて十二札くらいか。うん、料金も問題なさそうだ。というかこの施設でそれなら安い方だろう。シロ様の了承を得た私は、その方向で話を進めてもらうこととした。店長さんから向けられる、誘うような流し目に若干動揺しながらも。
「それでは、この店の説明をさせていただきます」
「えっ……」
「当店はお客様を姫、王子として扱うコンセプトの宿泊施設となっております。そのコンセプト故、このような接客が主体となっているのですが……問題はありませんね?」
「は、はい……」
しかしその動揺に叩き込まれるように、今度は謎の説明が始まった。圧のある言葉に思わず頷きながらも、私は思考を走らせる。この店はいわゆるごっこ遊びを楽しむ、コンセプトホテルのようなものなのだろうか。とりあえずいかがわしいお店ではなかったようで一安心だが、まさかこの世界にもそんな店があろうとは。
ちらりとシロ様の方を見て、こういう店はよくある方なのかと目だけで訴えてみる。すると見事そのアイコンタクトは伝わったらしく、シロ様は緩く首を振った。成程、無いらしい。あの時この宿を風で探っていたシロ様の混乱はここから来ていたのだな、と改めて納得しながらも私は目の前で満足そうに微笑んだ店長さんに微笑みを返した。見たところセキュリティやら内装は問題なさそうだし、ちょっと接客が変わっているくらいは問題ない。浮かべた笑顔が引き攣っていなかったかに関しては、少々自信はないが。
「接客が変わっているだけで、その他は他の宿と変わらないのでご安心ください。お客様の嫌がる接客もしないようにしていますので」
「わ、わかりました」
すると私の考えが見抜かれたのか、念を押すかのように言葉を続けられて。それに再度頷きながらも、私はじっと店長さんが身に纏う燕尾服に視線を向けた。今までは混乱のせいで意識できていなかったが、上等な作りということは見ただけでわかる。前を留めるボタンは照明によって見事な光沢を演出しているし、生地の滑らかさもかなりのものだ。何よりも仕立てがいいのか、それとも本人が大切にしているからなのか……いや、恐らくは両方だろう。服全体に崩れが見受けられない。ほつれや襟の皺がここまで無い服は、この世界に来て初めて見たかもしれない。私の作った服やセーラー服を除いて、ではあるが。
「お客様、どうなされました?」
「あっ! す、すみません……不躾に見てしまって」
思わず見惚れてしまったせいで、話を聞き逃してしまっていたのだろう。目の前から聞こえてきた怪訝そうな声に、私は慌てて首を振った。顔を上げると、店長さんはどこか困ったようにこちらを見下ろしている。そりゃあそうだ。説明をしようとしていた客が上の空では接客する側も困るだろう。
「……その、執事カフェみたいだと思って」
「……執事カフェ?」
「あっ、その……私の故郷にあったお店で、店員さんが執事になってお客さんに接客をするって言う……」
その表情に申し訳なく思いつつ、私はへらりと笑って話を誤魔化そうとした。まさか当人ではなく衣服に見惚れてました、なんて言うわけにはいかないだろう。変人だと思われるし、そもそも服を着ている本人に失礼だ。それに執事カフェみたいだ、と思っていたことに嘘はないわけだし。
そういうコンセプトの店が故郷にはいくつもあって、それで懐かしくなって……。などと話す私を、店長さんはじっと見つめていた。ヒナちゃんよりも色味の暗い瞳は、彼女のその雰囲気も合わせてどこか吸血鬼のような雰囲気を放っていて。その異様とも呼べる真剣な表情に、私は内心で冷や汗を垂らした。まずい、また余計なことを言ってしまっただろうか。そもそもがちゃんと話を聞けということである。もう一度謝らなければと、口を開こうとして。
「……素晴らしい。姫君の故郷にはそのような店があると」
「えっ……」
「よろしければお話をお聞かせ願えませんか?代価は本日の宿代……ということでいかがでしょう?」
しかし予想していた言葉とは裏腹、返ってきたのは好奇心に満ち溢れた言葉だった。がしっと腕を掴まれると同時、カウンター越しに引き寄せられる。最大限まで近づいた店長さんの美しいかんばせに宿る瞳は、これ以上無いくらいに輝いていた。その態度は、どう足掻いても「よろしければ」というものには見えず。寧ろ「聞かせなければ帰さない」と言っているようにも見えた。
……つまるところ、ジエンドである。
「……我らは先に部屋に行ってるぞ。案内を頼む」
「了解っす王子さん! ほらちっちゃいお姫さんもどうぞ!」
「え、シロお兄ちゃ……」
面倒な気配を察知したのか、あっさりと見放された気配と最後の助けすらも持っていかれた事実を叩きつけられつつ。私はにこにこと圧のある微笑みでこちらを見つめる麗人を前に、内心で半泣きになっていた。どうしてこうなった。胸に過るのはその一言である。
結局その後執事カフェのことどころかメイドカフェ、果てには動物を扱った癒やし系のカフェのことを説明させられた私は、シロ様が頼んだらしい運ばれてきた美味しいご飯を食べながらも店長さんの圧を思い出しては打ち震えていた。流石にそんな私が不憫だったのか、シロ様はデザートであるプリンを譲ってくれたが……生憎とそれだけでは、置いていかれたという私の傷が癒えることはなかったのだ。