十六話「不思議な力が使えたら」
「ほう、じゅつ?」
「ああ。一般的にはそう呼ばれている」
お互いの身を清め終わって、水筒に水を汲み終わって。そうしていよいよ泉でやることがなくなった私達は、小屋へと戻ろうとしていた。当分の予定や私の荷物の確認など、やることはまだまだある。いつまでも泉でのんびりしているわけにはいかないというのが私達の共通の考えだったのだ。
そうして帰る道すがら。結局あの風が何だったのか気になった私は、少しだけ前を歩くシロ様におずおずと問いかけてみる。問いかけて開いた、一瞬の間。その沈黙に聞いてはいけないことだったかと少し怯えそうになって、しかしあっさりと返ってきた答えに私は間の抜けた声を零した。振り返った瞳と目が合う。シロ様はなんてことない顔で、肯定するように頷いた。
「そうか、お前の世界には法術もないのか」
「……うん」
異色の瞳が何かを考えるように僅かに揺らいでいる。どうやら先程の間は、意外なことを聞かれた驚き故のものだったらしい。聞いてはいけないことではなかったらしいと少し安堵しながらも、私は確かめるような問いかけに頷いた。その頷きに、シロ様は何かを思案するように瞳を伏せて。
どうやらどう説明したものかと、少し困っているらしい。難しげに眉を顰めるシロ様を珍しいとは思いつつも、けれど少し申し訳なくなって私は苦い笑みを浮かべる。確かに私も当たり前に使っていた物の仕組みが何かと言われれば、答えに困窮するはずだ。例えば電気などの仕組みを聞かれても、私では確かな答えを告げることができないだろう。勿論それは、ただの勉強不足故なのだけど。
「……法術とは、偏に言えばこの世界に循環する気を己の力に変換する術だ」
「……う、うん?」
しかし私がそんなことを考えている間に、シロ様はどうやら自分なりの言葉を見つけたらしい。逡巡の後に紡がれた言葉。けれど私はその言葉が意味するところがわからずに、思わず首を傾げる。その動きに、また難しげにシロ様の眉が寄ったこと。それに少し申し訳なくなりながらも。
「……とりあえずは神の力を借りて使うことが出来る力、だと思えばいい」
「……魔法、みたいなもの?」
「そのマホウが何かは知らないが、不思議な力だというのなら多くの差異はない」
私に伝わらなかったことで更に言葉を噛み砕いたのだろう。苦心しながらも絞り出されたシロ様のふわっとした説明に、私は漸く法術というものの概要を理解する。つまるところ法術とやらは、不思議な力ということらしい。私の居た地球で言う魔法みたいなものだろうか。いや勿論魔法なんてものは実際には存在せず、フィクションの世界の話なのだけど。
そう本を読む方ではないし、ゲームをやる機会もまた微々たるものだったが、それでも魔法くらいは知っている。小学生の頃に図書室で読んだファンタジー小説では、主人公の女の子が魔法を使って鮮やかに活躍していた。なんだか懐かしくなりながらも、私は続くシロ様の説明に耳を傾ける。変わらずに眉を寄せながらも、私に出来るだけ伝わりやすいようにと彼は言葉を続けた。
「法術には属性があり、それに応じて使う力もまた変容する」
「……さっきのにも、属性があるの?」
「ああ。先程のは風に僅かな火を混合させた」
属性。恐らく火の魔法だとか、雷の魔法だとか、そういう類のものだろう。とはいえ私達の言う魔法とどれくらいの差があるかわからず問いかければ、想像の範囲内の答えが返ってきた。ドライヤーっぽいあの風は、風をメインに火を少し混ぜた法術。成程、どうやら私の理解とかけ離れた力ではなさそうだ。法術が納得ができる構造で使われていること、それを理解して少し安堵する。
「主だった属性は五つあり、風に火、水に土。そして……金」
「金?」
「……金は全とも呼ぶ。早い話が、万能な力だ」
「そ、そっか……」
しかしその安堵は、金という言葉を紡いだ瞬間声音が冷たくなったシロ様によって吹き飛んでいって。詳細は我も知らぬが、とシロ様は金に関する説明をそうして吐き捨てる。一つだけ浮いているように聞こえた金が気になって思わず問いかけてしまったが、あまりしたい話ではないのだろうか。不愉快と言わんばかりに歪んだその顔に、一瞬言葉を戸惑う。
風に火、水や土。彼が最初に述べたその四つは、私が読んでいたファンタジー小説の彼女や仲間たちが使っていたものだから馴染みがある。しかし金という言葉。それはどちらかと言えば、昔おじいちゃんに教えてもらった四神の話に近い気もして。だからこそ気になったのだが、シロ様が嫌がるのなら詳しく突っ込むのは避けたほうが良いだろう。本人も詳細は知らないと言っていることだし。
「シロ様は、全部使えるの?」
「……金以外は、一応使える」
「そう、なんだ」
けれどその代わり、一つ気になった私は問いかけた。結局金の話に繋がり、シロ様からは渋面を貰ってしまったが。それを誤魔化すように苦笑を浮かべつつ、私はそこで水筒を見やる。私達はシロ様を清めるために泉へと趣き、そうして水筒に水を汲んで彼の体を清めた。しかしこの話を聞いた後だと、果たしてそれは必要だったかという疑問が浮かぶ。
「えっと、それなら水の法術を使えば泉に行かなくても良かったんじゃ……」
そう。彼が金以外を使えるというのなら、属性の内の一つである水だって使えるはずだ。風と火が私の想像の範疇だったことを鑑みるに、水だってまた水を出すだとかそんな能力のはず。それを使えば、わざわざ泉に出向いて体を清める必要はなかったのではないか。さっきだってあんなにも軽やかに風を操ってみせたことだし。
「使えるとは言っても、得意不得意がある」
「え? そうなの?」
「ああ。我は風、準じて火の法術を得意とする。これは我個人と言うよりも、我の一族がそういう種族だからだ」
しかしそんな疑問には、あっさりと首を振られてしまった。どうやらその思考に思い至ってなかったとか、そんな問題ではなかったらしい。金から話が逸れたからか、眉の皺を解いたシロ様が淡々と言葉を続ける。いつも通りに戻ったように見える彼に内心安堵しつつ、私はまた首を傾げる。どうやら法術とは、私が思うよりも単純な力ではないようだ。
シロ様というかシロ様の一族の人達が得意なのは、風と火の法術。つまるところさっきあんなにも容易く風を操ってみせたのは、その術が得意だから。シロ様の話しぶりを聞くに、水や土はシロ様にとっての苦手分野ということだろうか。
「水も用意があれば使えはするが、著しく体力を消耗する上に大した量も出せない。こちらの方法の方が、余程合理的だ」
「そっか……」
一瞬浮かんだその思考には、まるで読んでいたといわんばかりににすぐさま答えが返ってきて。小屋が見えたからか、心做しか少しだけ進む足を速めたシロ様。それに付いていきながらも、私は一人考える。シロ様が思い至ってなかったのかもしれない。なんて一瞬そんなことを考えたが、私よりも余程冷静な彼がその方法を考えていないわけがなかったのだ。何を思い上がっていたのかと、少し恥ずかしくなる。
「…………」
そんな後ろ向きな考えを浮かべてしまったせいか、一度空いたその穴からは次々にずっと抑え込んでいた薄暗い考えばかりが浮かんできてしまって。私はそこで足を止めて、早足で歩みを進めていく少年の背中を静かに見つめた。徐々に遠ざかって置いていかれるのが、私が脳内で描いている二人の差を如実に表しているようにも思えてしまう。胸元がまるで重い鉛を飲み込んだかのように、徐々に重くなっていった。
シロ様は強いし冷静だし、不思議な力だって使える。それに比べて私はどうだろう。不思議な力を持つ道具はあれど、シロ様のように自分自身の力なんて何もない。現代日本で生きてきた以上現地人の彼よりも劣るのは仕方ないが、これではただのお荷物でしか無い気がする。だって生まれがどうあれ、私はもうこの世界で生きていくしかない。でも仮に、これから先も彼と共に歩くとしても。
何の力もない私は、彼にとって必要な存在だろうか。
「……どうした?」
「……ううん。私も法術を使えたりするのかな、って思って」
幻が漸く形を作ったように、一瞬過ぎった思考。しかしそれは、私が歩みを止めたことに気づいた彼によって遮られて。少し空いた距離、静かな瞳と共に問いかけてくる彼にへらりと呑気な笑みを浮かべる。それは、ちょっとだけ嘘だ。正確には、私が法術を使えればシロ様の役に立てるかもなんて考えただけ。足手まといじゃなくなるかな、なんて考えただけ。
ただの想像だ、使えるわけがない。だって私はこの世界で生まれたわけじゃないのだから、そういう風に作られたわけじゃないんだから。でももし使えたのなら、少しは彼の隣に居る正当な理由が出来るのかもしれない。そんな都合の良い夢を一瞬だけ、見そうになってしまったのだ。
「……その可能性はあるかもな」
「え?」
しかし一瞬きょとんと目を丸めたシロ様が、予想外に肯定の言葉を返してくるものだから。思わず間が抜けた声を零した私に、シロ様は早足のまま近づいてくる。そうしてその温かい手は、そっと私の腕を掴んだ。見上げてくる瞳には複雑な感情が浮かぶこと無く、ただただ透明な色が浮かんでいて。
「使い方を教えてやる。戻るぞ」
「……う、うん」
今度は距離が開きすぎること無く、手を引かれるまま私はシロ様の後ろを歩いていく。少年の体には似つかわしくないほどの力で腕が引かれるのは、少しだけ痛くて。
ただそんな現実味のある痛みよりも、怖いものがあった。それは、使い方を教えてくれるという彼の言葉。私はどこか漠然と、シロ様が使うような力が使えないことを理解していた。あの風を見た時から、あれを使うだけの力が自分には無いような予感。しかしそれを言い出せないまま、私はシロ様の後ろを辿る。鉛のように浮かんだ不安は、胸を徐々に焦がしていって。
振り返ること無い背中、それに蘇るのはあの日の視線の針。それに怯えたように生唾を飲み込んでも、今ここにあの人は居ない。そんなのは、痛いほどにわかっていた。




