百五十三話「揺れの果てで辿り着いたのは」
揺れていた、と思う。ぐらぐら、ゆらゆら。そんな擬音じゃ足りないくらい、全身をシェイクされるような揺れにひたすらに苛まれていた。きっとそれは法力不足やら体調不良やらで意識を失った後も続いていて。
多分、色んなことを考えていた。この現象は一体何なのか、とか。この現象はいつになったら終わるのか、とか。でも揺れを味わい続ける内にそんな思考すらも打ち砕かれ、次第に意識は遠くなっていって。それでも、腕の中のヒナちゃんだけは決して離さないように。私達を守ってくれている糸くんとだけは接続を切らないように。ただそれだけを考え続けて、考え続けて。
「……コ、ミコ、聞こえるか?」
「……っ、」
ふっと、意識が上昇する。全身が嫌に気だるくて、上瞼を持ち上げる気力すら無い。けれど聞こえてくる声を無視するわけにはいかないからと、私は全力を注いで目を開いた。すぐに視界に入ったのは、サラサラとした白銀の髪の毛。そこから視線を僅かにずらせば、こちらを心配そうに見つめる二色の瞳と視線が合う。
「……しろ、さま」
「……法力不足か。仕方ないことだな」
距離感はやけに近かった。一歩間違えれば唇同士が触れ合ってしまいそうな、そんな。さりとて今更シロ様のお美しいご尊顔に畏怖は覚えたとて、ときめきを覚えたりすることはなく。ただ頬を撫でる手の温かさに、どうしようもないほど安堵した。私が生きていて、彼が生きている。それならば未曾有の超常現象に襲われたとしても、どうにでもなると思えたから。
私の体温も分けられたら、と頬に触れる手に自分の手を合わせようとして。しかしそこで私は自分の腕の中に誰かが居たことを思い出す。そっと腕の中を見下ろせば、そこには若干顔を青褪めさせながらも眠ったままのヒナちゃんが居た。あれだけ揺れれば具合が悪くなるのも仕方ないだろう。怪我がなさそうなのがせめてもの救いか。
「ミコ、内側の繭だけを解除できるか? これ以上の消耗は危険だ」
「……ん、やってみる」
眠る少女を起こさないようにとその顔にかかった髪の毛を払いつつ、私はシロ様の言葉に小さく頷いた。なんかずっと抜けていっている感覚があると思えば、原因はそれか。段々と蘇ってきた記憶。そういえば、私は外側と内側に籠繭を作るとかいう二重展開をやっていたのだった。揺れが止まった以上、多分もう二重展開は必要ないだろう。私の法力が消費されるだけだし。
……それに、外の状況を探る必要だってある。
「三、二、一……で解くね」
「わかった」
籠繭の先は、まだ籠繭。けれど更にその先には、一体何が起こっているのか。ヒナちゃんを改めて抱きしめ直した後に、私は囁くようにシロ様に告げた。私よりも危機察知能力の高いシロ様のことだ。私が懸念していることも全てわかっているのだろう。疑問もなく頷いたその瞳を確固たる信頼を以て見返しつつ、私は瞼を伏せた。
「さん」
声に出して一音目を呟く。確か私達は馬車の御者台に座っていたはず。座席部に貼り付けるような形で籠繭を作ったので、馬車が無事ならばきっとそのまま御者台に寝転ぶ形になるだろう。あくまで馬車が無事ならば、だが。
「に」
二つ目の音にシロ様が法力を集めだしたのがわかった。恐らくは、風為の白爪牙を準備しているのだろう。内側の籠繭に居る以上、外の籠繭が本当に無事かはわからない。もし魔物や危険な人が侵入してしまっていたりした場合の保険だ。
「……いち」
一。それならば安心して、あとは任せることができる。告げた数字の母音が口の中で消える瞬間、私は糸くんに願った。内側の籠繭だけ、解いてくれと。そうすればしゅるりしゅるりと力なく糸が這いずる音が聞こえたと同時、窮屈だった世界から解放される。
その先の世界は、一糸の崩れもない籠繭の世界だった。
「わ、」
どうやら外の籠繭は無事だったらしい。そうして籠繭が無事だったということは、馬車も無事だったということで。こつ、と頭に走った硬い感触に咄嗟に声が出る。柔らかい糸の枕から振り落とされ、硬い木材へと急転直下。ぶつけてしまった側頭部が若干痛い。
だが今はそんな痛みを嘆くより、馬車が無事だったことを喜ぶべきだろう。箱の部分はわからないが、少なくとも視界に入る前方部分に大きな損傷は見られない。謎すぎる現象に巻き込まれてしまったとは言え、貰い物は貰い物。大切にしてほしいと言われた手前、速攻で大破させてしまっては申し訳が立たない。
「……敵は居ないな」
馬車が無事であったという事実に安堵しながらも気だるい体に鞭を打って起き上がれば、後方からはそんな声が聞こえた。どうやらシロ様の索敵も完了したらしい。まぁ籠繭が無事ならば侵入もないとは思うが、それでも一応確認しておくのは重要なのである。この世界は注意深くあらなければ、あっという間に足元を掬われてしまうような側面があるので。
とん、と軽い身のこなしで風為の白爪牙を仕舞ったらしいシロ様が再び御者台に登る。その手に握られているのは、フルフ。ぐったりしているようだが、ヒナちゃんと同じように酔ったのだろうか。いつものようにピュイピュイと鳴き声を上げない姿に一抹の不安を過ぎらせつつも、私はシロ様を静かに見上げた。二色の瞳は、相変わらず凪いだままにこちらを見つめている。
「……外、気になるの?」
「ああ」
その瞳を見れば大体言いたいことがわかってしまう辺り、私は大分シロ様に慣れさせられてしまってるらしい。しかしまぁ、だからといって求めに頷いてあげられるかはまた別なわけで。私は若干眉を寄せつつも、口元に手を当てた。それはまだ、早い気がする。
「……早計か?」
「……うーん」
確かに、外を確認しておきたいというシロ様の言葉はわからなくもない。現状把握は最優先で行うべきだ。けれど今は場合が場合である。今揺れは確かに止まっているが、よく考えればこれが終着点についたが故なのか、それとも途中停車によるものなのかはわからない。途中停車だった場合のことを考えると、繭を完全解放することへのリスクは捨てきれないだろう。
それに仮にここが終着駅だとしても、外が安全だとは限らない。先程も言ったとおり外を確認するということは、一度この籠繭を解かなければいけないということだ。大変申し訳ないことに私の法力は大分限界。外が危険だったとして、もう一度籠繭を張るのは恐らく無理だろう。そんな風に諸々のリスクや後のことを考えると、やっぱりシロ様の言うように早計な気がする。外の確認も勿論重要だが、今は馬車の損傷や荷物の状態を確認したほうがいいような……。
「……あ」
「……?」
「ちょっとシロ様、私を抱えれる?」
しかしそこで、天啓のように舞い降りた一つの考え。そうだ、そうすればいいのだ。そっと未だ眠ったままのヒナちゃんを御者台に寝かせつつ、私は手を伸ばした。すると私に何か考えがあると思ってくれたのか、ヒナちゃんのお腹あたりにフルフを降ろしたシロ様はすぐに私を抱えてくれて。
「どこでもいいんだけど、適当な壁辺りに近づいてくれる?」
「ああ」
本日は戦闘の必要がないからか、肩に担ぐ形ではなく横抱きだ。恐らくは私の体調を気遣ってくれているのだろう。シロ様による無言の優しさに感謝しつつも、私は適当な籠繭の壁を指差した。その指示通り、壁に近づいてくれるシロ様。迅速果断とはまさにこのことだろう。ちょっと大袈裟かもしれないが。
いや、そんなことはどうでもいいのだ。くだらない思考を遥か彼方に投げやりつつ、私は近づいてきた糸の壁にそっと手をやった。籠繭を解くことは危険だし、かといって糸で編まれた籠繭を一部だけ解くということも同じく危険である。この繭はみっしりと編まれあって強固な壁を作り出しているのだ。一部だけを解いては、他の場所の強度にも影響が出る。ならば、どうするか。
「……ここだけ、透明にして」
「!」
そう、一部分だけの色を変えればいい。糸くんは一応基本色は白という形で仕事をしてくれているが、服などを作る時にはその布に馴染むような色を使って仕立ててくれている。つまりカラー変更可能ということなのである。相変わらず本体より有能だ。付属品は私の方かもしれない。
そんな悲しいことは置いておいて。一部分の色を変えるだけならば、籠繭をもう一度作る負担よりも余程軽い。そうして私の読み通り、まるで窓をくり抜くかのように糸くんはその籠繭の一部分の壁を透明に変えてくれた。法力がない以上、適当に指示するよりはこうして直接出向いた方がいいだろうという読みも当たったのだろう。若干の消費だけで済ませることができたことに安堵して、けれどその安堵は長くは続かなかった。何故ならば見事透明になって外が見えるようになった先の世界には、予想外の光景が広がっていたから。
「……雪?」
籠繭にできた窓の先、そこにあったのは一面の銀世界だったのだ。