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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第四章 飛べる小鳥は星火の夢を見る
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閑話「消えかけの星に」

「時空断裂!?」

「っ、そんな……」


 がたん、テーブルの上に置かれたグラスが悲鳴を上げる。それは驚きのあまり、テーブルを殴りつけるような形で立ち上がった少女が齎した衝撃が生んだものだった。なみなみと注がれた水が僅かに零れ、テーブルの上に水たまりを作って。けれどそれに触れる人物はこの部屋の中には居なかった。正確にはこの部屋に居る誰もに、それに触れるだけの余裕がなかったと言うべきか。

 印象的な旅人たちが旅立った翌日の深夜、海嘯亭にて。そこに集まるはこの店の主たるガッドと、その娘であるミーアとレーネ。そうして今しがた三人に喜ばしくない知らせを運んできたレゴと、一時的に店で保護されているユーリ。誰もが誰も、椅子に腰を掛けてはそれぞれの表情を浮かべて黙り込む。共通しているのは、誰しもが暗い色の表情を浮かべていることくらいか。深夜に相応しい沈みきった空気の中、窓から覗く月だけは嫌味なくらいに輝いていた。


「……間違いねぇのか、レゴ」

「残念なことに兵団の捜査が入った上での情報だ。その場に腕やら足やらは残されてなかったらしいが……」


 ふと重苦しい空気を、同じく重い重低音が切り裂く。どこか縋るような色を浮かべたその音は、しかしすぐに切り捨てられてしまった。ゆるゆると首を振った後、何かを思案するように俯いたレゴをガッドは静かに見つめる。やはりどこか、縋り願うような形で。


 時空断裂。それはこの世界における自然災害。世界を巡る法力の糸が「弛んだ」時に起こる、その名の通りその場の時空を断裂する災害だ。とはいえ断裂が起きた際に何が起こるのか、巻き込まれていた人間がどうなるのか、その辺りの情報は発生例が少ないせいであまり詳しくは解明されていない。わかっているのは時空断裂に巻き込まれた人間は全て、その後消息を絶っているということ。

 とはいえ、時空断裂は地震や津波といった災害よりは恐れられていない現象である。何故かと言えば、発生例が少ない上に今まで街中で発生したことがないから。レイブ族が発表した論文によると、人々が暮らす街中では何かしらの理由で法力が使われることが多い。故に法力の糸は常に「張り詰めた」状態になる。糸が「弛む」ことがないのだ。だからこそ人々が暮らす街や村では時空断裂が起こることはなく、また世界的に見ても法力の糸が「弛む」ことが少ないがために人の居ない外でも起こりにくい。極端に発生例が低い、それどころか普通に生きていれば起きるわけがない、そんな災害を恐れる人間は大して居ないということだ。


 ……しかしだからこそ、巻き込まれた際にはどうなるかがわからない。


「……なんで、そんな」

「……レーネさん」


 震えた声が、静まり返った世界で頼りなく響く。レーネの声だった。彼女はぎゅっと両の手で貰った緑のシュシュを握りしめながら、ヘーゼルの瞳から涙を零す。唇を噛み締めても止まらない涙に、どうすればいいのかがわからないと叫ぶように瞼が閉じられる。また一つ頬を伝った涙は、まるで一筋の傷のようにも思えて。

 その背を宥めるように撫でるユーリもまた、表情は浮かなかった。自分を助けてくれた少女たちが、未だ生還者が認められていない災害に巻き込まれたかもしれない。それを聞いて、どうして平気で笑うことができるだろうか。大して彼女たちと関わりのない自分ですらも心が引き裂かれそうに痛いのだから、彼女たちと深く関わってきたレーネたちの心中は察するに余りあるだろう。だからこそミーアも、立ち上がった状態から硬直したまま……。


「……生きてるわよ」

「……え?」


 けれどそこで一つの言葉が沈痛の帳に掛けられた空気を打ち壊した。強く、短く、さりとて噛み締めるように。ぎゅっとグラスを白く細い手が握ると同時、落とされた声。その声に部屋中の視線がそこに集中する。しかしその視線を受けても、その言葉を零したミーアは怯まなかった。ヘーゼルの瞳に強い光を宿したまま、彼女は全員と目を合わせる。レゴに、ガッドに、ユーリに。そうして、姉であるレーネに。


「ミコちゃんはよくわかんないけどすごい丈夫な糸を出せるし、シロくんはすっごく強いし、仮に二人が怪我したとしてもヒナちゃんが治せるでしょ……あと、フルフちゃんは可愛いし」

「……ミーア」

「っ、だから! だから……生きてるわよ! 絶対に!」


 それはあまりにも、彼らが生きていると断定するには稚拙過ぎる理由付けで。それでも顔を真っ赤に染め泣きそうな表情を浮かべた少女は、何度だって「生きている」と告げた。糸も、強さも、治癒も、ついでに可愛さも。そんなのは未曾有の災害において何の意味もないかもしれない。そうは分かっていても尚、それでも生きているはずだと叫んだ。そう、希ったのだ。

 だって約束を結んだから。また会いに来ると、自分を助けてくれた黒髪の一見頼りなさそうな……されど心に穏やかで強い意思を宿した少女と。自分の人生も家族も全てを救ってくれた優しくて可愛くて温かな少女と、そう約束を結んだのだ。彼女が約束を破るわけがない。暗い絶望の中、それだけを頼りに星を見上げる。例えどれだけその星が、消えそうな光のまま瞬いていても。


「……そうだなぁ」

「……レゴ」

「ミーアちゃん、俺が間違ってたわ。確かにあいつら、殺しても死にそうに無いもんな」


 けれどふと、その星が輝きを増す。それはレゴの呟きだった。厳しい光を湛えていた金色が、へらりと柔らかく和んでミーアの稚拙な言葉を彩る。それはやっぱり、地に足が付いていないような現実味のない言葉だったけれど。それでも「生きていてほしい」と。そう籠もった願いだけは、本物だった。


「……次は、タダで宿に泊まってもらうんだったな」

「……ふふ、今度は家に招きたいんだったわ」


 馬鹿げた願いだろう。叶うわけなんてないと、そう嘲笑で一蹴されるような。しかしこの場にその痛切なほどに必死で、ただ希望に縋るだけの願いを蹴ることができる人間なんて一人も居なかった。未来への希望を一欠片ずつ零した後、ガッドとユーリは視線を合わせて笑う。冷たい現実を見て苦しむくらいなら、儚くも優しい未来を見ていたい。そうやって、信じていたい。それらを願うには、自分たちは年を重ねすぎたけれど。それでも、今だけは。


「……私は」

「……お姉ちゃん」


 そうして朧げだった星が徐々に光りを強めるのを、一足先に絶望に堕ちかけて泣いていた彼女は何を思ったのだろう。一歩と歩き出した妹に、置いてけぼりを食らった姉は何を考えたのだろう。迷子のように言葉を落とす姉を、ミーアは真っ直ぐに見下ろした。普段は頼りになるのに、喪失だけは酷く恐れてしまう姉を。

 ヘーゼルの瞳がかち合う。迷うような色を浮かべたヘーゼルが、強い意志を湛えたヘーゼルを見上げる。きっとそれだけで十分だったのだろう。どうして、なんで、あの子達が。願う前に落ちてしまった言葉を拾い上げては胸にしまって、レーネは言葉を一つ零した。星を輝かせる、弱々しくも確かな言葉を。


「……やっぱりもう一度だけでもいいから、会いたい」


 それ以上、言葉は必要なかった。ぎゅっと落ちてきたかのような妹の抱擁を受け止めつつ、レーネは心のなかでひたすらに願いを繰り返した。どうか、どうか。この世界にもし、神様なんてものが居るのならば。ならば私から喪失を奪ってくれた彼女を、彼女たちを、生かしてくれますようにと。何度も何度も、同じ願いを繰り返す。それしか出来なかったから。願うことしか今の彼らには、出来なかったから。


 ……その願いが現実のものになったと彼らが知るのは、少し遠い未来の話だ。

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