百四十五話「厄介な事後処理」
その後、もはやこれは犯罪とかではなく介護なのでは? なんて悟りを開きつつも私は黙々とレゴさんが持ってきてくれたクッキーを消費し続けた。勿論シロ様に抱っこをされヒナちゃんにあーんをされてである。頼むから通報はしないでほしい。何度も言ってるがこれは不可抗力なのだ。こういう時はミーアさんのあの趣味が羨ましい。もしこれをされてるのがミーアさんだったら、こんな悩みなどせずにうはうはだっただろうに。いやミーアさんが相手だったらシロ様も抱っこはしないとは思うが。
まぁミーアさんのことはともかく。よもやお腹が破裂するのではないかという苦難にも耐えつつ、そろそろやめておけとシロ様が言うのも無視して、私はクッキーを食べ続けた。甘酸っぱいベリーのような味がする美味しいクッキーも、食べ続ければ飽きるらしい。新たな知見である。
そうして、そんなこんなで無心でクッキーを食べ続けた結果。
「ぐぐぐ……」
「すげぇな嬢ちゃん、ブリキの人形みたいだぞ」
「でも動けてますから!」
なんと私は体を動かせるまでに復活したのである! ベッドの上に座り込み、慣らすように左腕を上げ下げする私。その動きはレゴさんの言う通り油の刺さっていないブリキの人形のようではあったが、それでも動けるようになったことに変わりはないのだ。先程まで一切動かせなかった足だって多少は動かせる。ブリキのような動きであれど、動かすことは出来るのだ。
「まだあまり動くな。下手に体力を使うと悪化するぞ」
「う、はーい」
一から三、いや四くらいになったことを全身で喜ぶ私。しかし主治医にそう言われてしまえば、大人しく従う以外の選択肢はなく。何かの悪影響が出ないようにそっとベッドに左腕を降ろしつつ、私はシロ様の方に視線を向けた。今はベッドから降りているシロ様と、買ってきた食材を片付けるヒナちゃん。どうやら今日の治療?はこれでおしまいらしい。まぁそうしてくれないと今度は私が食べ過ぎで寝込むことになるからありがたいが。
「さてと、多少動けるようになったのなら今後の話でもしておくか」
「今後……?」
「お前が治ったら、どうするかについてだ」
しかし治療が終わったら終わったで今度は真面目なお話タイムらしい。スタスタと自分のベッドの方に歩いて行ったかと思えば、未だ跳ねていたフルフを片手で捕まえて座り込んだシロ様。ピュ!? なんて悲鳴のような鳴き声がその手のひらの中から聞こえてきた気がする。いい加減シロ様の手のひらに収監されるのは慣れただろうに。
そうしてシロ様が座れば、何かに気づいたように今度はヒナちゃんが自分のベッドへと駆けていった。たたた、という擬音が聞こえてきそうな可愛らしい動き。ぴょいっとベッドに飛び乗った少女は、どこか緊張したような面持ちでシロ様を見つめる。その動きの全部が可愛い。もしかしたらヒナちゃんは天使なのかもしれないと、そんなある意味いつも通りの考えが頭に過ぎったところで。
「とりあえずこの街から逃走しなければいけない」
「……ん? とうそう?」
「そうだ」
そこで聞こえてきたシロ様の言葉に思わず私は固まった。とうそう、逃走? 今逃走って言わなかっただろうか。いや間違いなく言った。言ったけれど、なぜそうなってしまったのか。皆目検討もつかないその言葉に、私は首を傾げた。勿論ブリキのような動きで、である。
「……逃げるやつ? 戦うやつ?」
「街から、と言っただろう。逃げる方だ」
どうやら間違いなく逃走、であるらしい。シロ様のことだからワンチャン闘争の方もあるかと思ったが、それだと街からという言葉と繋がらないし……。いや、そんなことはどうでもいいのだ。今大事なのは、「しなければならない」とシロ様が言ったこと。私達はどうやら、ウィラの街から逃げなければならない。それが何故かなんてことは、少し考えればいくつかの心当たりがなくもなくて。
「……私のこと? シロ様のこと? それとも……ヒナちゃん?」
「……!」
「……お前とヒナのことだ」
逃げるのには、何かの要因がある。例えば犯罪を犯してしまった犯人が追手から逃げたりといった、後ろめたい理由。当然私達はそんなのに関わっていないしこれから関わる気もないので、今回の場合はそちらに当てはまらない。つまり後ろめたくない理由で、けれど逃げなければいけない厄介な理由。それには当然、外的な要因……いつか話したような外の権力者が関わってくるはずだ。もしくは、シロ様の追手か。
けれど私とヒナちゃんの事というと、クドラ族の追手が来たとかではないのだろう。ということは、私達が権力者に目を付けられたケースというわけか。私の場合はお守りのことか、それとも籠繭の方か。ヒナちゃんの場合は恐らく……。いや、とりあえずシロ様の話を聞いてから判断しよう。頭の中で話を整理した私は、話を続けるのを促すようにシロ様を見つめて瞬きをした。するとそのアイコンタクトを受け取ったシロ様は口を開く。
「まず、お前の方から。どこかであの巾着を作った法術師がまだ街にいるとの情報が流れ出している。どうやらあれのおかげで街に観光をしに来ていたどこかのお偉いが助かったらしく、その法術師を探しているという話だ」
「……それ、捕まったら?」
「召し上げられるんじゃないか」
成程、中々に面倒な事態になっている。召し上げられるんじゃないか、そう言って僅かに楽しげに口角を上げたシロ様の目は、しかし笑っていない。胸中は私と同じなのだろう。面倒なことになったと思っているのだ。私としても召し上げられるなんてごめんである。私はただの女子高生……いや、旅人でいたいのだ。
「まぁお前の方はまだいい。その法術師は和装ということになっているから、その服を着ていればいいだろう。問題はヒナの方だ」
「…………」
「外見も割れている。まず間違いなく街の関門で引っかかるはずだ」
だがどうやら私の方はそこまで問題ではないらしい。確かに、服装でがらりと印象が変わるというのは私が住んでいた日本でもよく言われていたことだ。和装とセーラー服ではかなり印象が変わるのは、なんとなくわかる気がする。ようはセーラー服の私にはそれっぽい威厳がないのだろう。自分で言うと少し悲しいが。
何より、私の場合は人目のあるところで直接術を行使したわけではない。奴隷騒ぎの時はそうしたが、あの時あそこにいた女性たちは心神喪失気味と言うか、半分心が空っぽな人が多かった。そんなんではこんな特徴のない顔を覚えることは出来ないだろう。というか私の顔に基本的特徴というものはない。強いて言うなら眼帯くらいのものだが、奴隷騒ぎの時はその特徴もなかったわけだし。
けれど、ヒナちゃんはそうじゃない。
「それって、あの時のユーリさんのことでそうなったの?」
「……そうだ」
率直に言おう。ヒナちゃんは可愛い上、特徴の宝庫だ。ふわふわの赤い髪は人目を引くし、何よりも顔が可愛い。赤い髪のふわふわした雰囲気の華奢なムツドリ族ハーフの美少女、と手配されれば一発アウトである。しかもこうしてヒナちゃんが狙われている以上、術の瞬間を見られた可能性も高い。現に私の問いかけにシロ様は難しい顔で頷いたし。
「……ごめんなさい。わたしのせいで」
「ううん。ヒナちゃんは私のお願いを叶えれてくれただけだよ?……あ、そうだ! ありがとうって言ってなかったね」
「え……?」
自分が話の主題になっていることを察したのか、申し訳無さそうな声で謝ったヒナちゃん。ゆっくりと振り返れば、そこでは悲しげな表情で俯く少女の姿がある。だがヒナちゃんが申し訳なく思う必要なんて一切ないのだ。悪いのは人前でヒナちゃんの力を使うのが危ないと知りながら願った私と、欲深くもそんなヒナちゃんの力に目を付けた奴らである。……知らない人達を奴らというのはよろしくないだろうか。いや、今はそんなことはどうでもいい。
「ありがとうヒナちゃん。私のお願いを叶えてくれて、ユーリさんを助けてくれて」
「……お姉ちゃん」
今大切なのは、心からの感謝をヒナちゃんに伝えること。私の言葉におずおずと顔を上げたヒナちゃんに、優しく見えるように微笑んで私は感謝の言葉を告げた。すると真っ赤な瞳は零れそうなくらいに見開かれた後、きらきらと輝く。うんうん、やっぱりヒナちゃんにはそういう顔をしていてほしい。だってヒナちゃんは何も悪いことはしていないのだから。一人の人の命を救うこと。それがどれだけの人の人生を守るということか、私は知っている。
「……話を戻すぞ。つまり正攻法だと、我らは街を出られない」
「うん。かといって街にずっと居ると、変なのにヒナちゃんや私が誘拐されるかもしれない」
「それでどうするかというと……」
どうか正しいことをした彼女の心の中に、罪悪感なんてものが一欠片も残らないようにと祈りつつ。私は背後から聞こえてきた声にまたぎこちなく振り返った。話は大体わかった。この街の人なのかそうじゃないのかはわからないが、私達は面倒な人達に目を付けられた。門から出れば恐らくはその人達の息が吹きかかった人に止められてしまうし、しかしずっと街にいたところで、見つかるのは時間の問題だ。海嘯亭の人達を巻き込むことになってしまうかもしれない。
それならばどうするか、となると選択肢は自ずと見えていて。私はそこで言葉を切ったシロ様の視線を追いかけた。ここでこれまでずっと黙っていた彼が関わってくるというわけである。道理でシロ様が追い出さないはずだ。シロ様の視線の先、私と目が合った金色は僅かに細められる。そうして少し困ったように眉を下げたその人は……レゴさんは、いつものように頬を掻いた。
「まぁ、そこでまた俺の出番ってわけよ」