百四十四話「仲良しと言えば聞こえはいいが」
「ミコ、口を開け」
「……ハイ」
「お姉ちゃん、次はこっちだよ」
「……ウン」
一口サイズに切り分けられた柿に似た色合いの果実。フォークに刺されたそれが早く開けと言わんばかりに唇を攻撃してくるのに、大人しく従いつつ。放り込まれた果肉を無言で咀嚼していれば、ベッドの左側に座ったフォークの持ち主は満足気に瞳を細めた。窓から差し込む陽光に照らされた白皙の肌の美少年。何日寝ていようがシロ様の麗しさは変わらない。いくら中身が戦闘民族であれど、美少年なことに変わりはないのだ。
そうしてりんごに似た味のそれを咀嚼し終えれば、今度は右側のベッド横に座ったヒナちゃんの手によって匙が近づけられる。匙の中身は得体のしれない紫のスープ。一見見た目で拒否したくなるが、漂ってくる香りは食欲をそそるような爽やかなそれである。どこか嬉しそうな少女のあーんに、半ば無心で答える。瞬間、口の中に広がったのはじゃがいものビシソワーズに似た味。人生で一回だけ食べたことがある味に、懐かしいなぁだなんてことをぼんやりと考えた。決して現実逃避ではない。
「ピュ!」
「ははは、仲良しだよなぁ」
何も考えるなと無心で嚥下と咀嚼を続ける。私は何も聞こえていない。この美少年と美少女に挟まれてあーんをされ続けるという状況も、それを微笑ましそうに見ている人が居ることについても、何も考えてはいけない。考えてしまったが最後、羞恥心で私は死ぬからだ。
というかワンチャン助けてくれないだろうか。ヒナちゃんが繰り出してくる匙の攻撃を受け止めつつ、私はちらりとレゴさんの方へと視線を向けた。シロ様は次の果物の皮を剝いている。チャンスは今しかない。しかし私の必死な思いが伝わっているのかいないのか、レゴさんは自分の手の上でご機嫌に戯れるフルフを見てほのぼのとしていた。頼むからこっちを見てほしい。
「あ」
! 来たか? 私の必死な救難信号に気づいてくれたのだろうか?
「そういえば買ってきた材料でクッキーとか作ってたよな。ミーアちゃんに預けてたろ? 忙しそうだし俺が取ってくるよ」
「ああ、頼む」
「ありがとう、ございます……!」
……どうやらレゴさんもまた敵だったようである。一度期待させてどん底まで突き落としたその人は、快活な笑みを浮かべると同時に部屋を出ていった。残されたフルフはそれでもご機嫌そうに、今度はシロ様のベッドの上で跳ねる。私は全くご機嫌じゃないというのに。いや、これは八つ当たりでしか無いけれど。
「お姉ちゃん、あーんだよ?」
「……ハイ」
更に突然の裏切りに愕然としていたのがよくなかったのか、匙を持ったヒナちゃんに窘められる始末である。瞬間左側から飛んできた厳しい視線に脅されるかのように口を開きつつ、私はひたすらスープを飲まされ続けていた。あー、美味しいなー。そう思わなければやってられない。身体が動かないのをこんなに恨めしく思うことになるとは、起きた時には想像もしていなかった。
さて、今何をやっている……というかやってもらっているかと言えば。なんてことはない。ただの治療である。傍から見ればちょっと犯罪的な食事風景にしか見えないかもしれないが、これは立派な治療なのだ。主に私の身体から抜けていった法力を取り戻すための。
レゴさんとの話を終えた後、タイミングよく帰ってきた二人。恐らく下でユーリさんから私が意識を取り戻したのを聞いたのだろう。猛ダッシュと形容するしか無い勢いで階段を駆け上がってきた二人は、その勢いのまま部屋の扉を開けた。この部屋の扉を開く時にあそこまでの音がしたのは初めてである。壊れてないよね? と不安になるレベルの音だった。なんなら今でもひやひやしている。もし壊れていたなら弁償待ったなしである。
「ミコ、そろそろ指先くらいは動かせるんじゃないか?」
「え?……あ! ほんとだ!」
まぁそんなこんなで帰ってきた二人に、というか主にシロ様に尋問のような問診を受けつつ。やっぱり身体が動かせないのは法力不足のせいと結論付けられた結果が、現状の一歩間違えれば通報を受けそうな食事風景である。美少女美少年に挟まれあーん。一部の変態ならば垂涎して喜ぶような状況だが、生憎と私には羞恥心しか無い。こんなに甲斐甲斐しく世話を焼かれることに慣れていないのだ。身体が動かせない以上、しょうがないこととはわかっているけれど。
しかしそんな私に差し込んだ一筋の光。ヒナちゃんからのスープを飲み干し、シロ様による二個目の果実を食べ終えた後、私はなんと指先が動かせるようになっていたのだ。たかが指先、されど指先。先程までのぴくりとも動かせなかった状況から考えれば大きな進歩である。思わず泣きそうになってしまった。
「だが、腕はまだ無理だな」
「う……」
「じゃあ、まだあーんできるね」
「……ウン」
しかしゼロが一になったとはいえ、所詮一は一。大きな進歩とはいえど、まだまだいつもの状態に戻ったとは言い難い。シロ様から無情に切り捨てられた私を襲ったのは、ヒナちゃんによる追撃で。若干ヒナちゃんが嬉しそうなのは何故なのだろう。役に立てて嬉しい、とかだろうか。それとも私が起きて嬉しいのだろうか。真相は闇の中である。
「あ、そういえばさ」
「なんだ?」
「なんで私、法力不足で動けなくなってるの? ちょっと変だと思うんだけど」
だがヒナちゃんが嬉しそうなら真相など何でもいいのだ。今はそれよりも気になることがある。ヒナちゃんが小さな手で果物をナイフで剝き始めたのを若干不安になりながら見守りつつ、私はシロ様に問いかけた。そう、今のこの状況についての疑問である。
法力不足で動けなくなるのが、例えばシロ様やヒナちゃんみたいにこの世界で生まれた人だというのなら話はわからなくもない。けれど私は異世界からやってきた、いわば別種族。元々法力なんて持っていなかった人間だ。そう、法力なんてなくても日本に居た頃の私は普通に動けていたはずなのである。それなのにこの世界に来て急に芽生えた法力が枯渇したから倒れた、なんて少しおかしな話ではないだろうか。元々無かったものが無くなったところで、それは私がこの世界に来る前の状況に戻っただけなはずなのに。
「……後で話す」
「……わかった」
シロ様は私の疑問に一度考えるように瞳を伏せて、けれど次の瞬間には首を振った。その仕草からはどこか、今話すべきではないという訴えが見えた気がする。気になるが、彼がそういう態度を取るならば今は聞かないほうがいいだろう。そういえば今は、レゴさんがいつ部屋に戻ってくるかわからない状況だ。私が異世界からやってきたということを彼に明らかにするのは、些かリスクが高いということかもしれない。ヒナちゃんには機を見て教えたいところではあるが。
「それよりミコ」
「ん?」
「試したいことがある。いいか?」
これから一緒に旅をするのだから、私達の事情は色々ヒナちゃんに伝えておいたほうがいい気がする。シロ様の事情はいくつかヒナちゃんに聞かせていいものかと憚られるものがあるが、知らずに巻き込まれる方が余程危険だ。ちゃんと話して、口外しないように口止めをする。ヒナちゃんはいい子だからきっと守ってくれるはずだ。
今日の夜辺りがいいだろうかとあたりを付けつつも、私はそこでシロ様の方に視線を向けた。試したいこと? この状況でそれを言われることに嫌な予感がしないでもないが、シロ様の瞳は真剣である。続きを促すように瞳を見返せば、小さな頷きの後に言葉は続いた。
「もしかすればお前の法力を戻すのに役立つかもしれない」
「!」
そう、私にとっての福音である。天の助けとも呼べるそれに、私は一も二もなく頷いた。スープと果物二つを食べただけでも割とお腹がいっぱいかつ羞恥心で死にそうだと言うのに、まだ私が自由にできるのは指先だけ。この生活が長く続くのは正直耐えられそうにない。お風呂のことなんかは大分考えたくないレベルだ。今度こそ爆発して死ぬかもしれない。
だから完治に役立つというのならば、その申し出は受ける以外の選択肢がなかった。期待の籠もった目でシロ様を見つめれば、シロ様はまたしても小さく頷く。そのまま少年はベッドの反対側……すなわちヒナちゃんの方に食材の入った籠を置くと、真っ直ぐに立ち上がった。その行動に、一生懸命果物の皮を剝いていたヒナちゃんまでもがシロ様に目を向ける。一体何をしてくれるのだろう。シロ様のことだ。もしかしたら一瞬で法力を回復させるような画期的な案が思いついたのかもしれな……。
「っ、え……?」
しかしそんな私の期待は、立ち上がった彼によって横抱きにされた瞬間に崩れ落ちていった。
「……あの、シロ様?」
「この状態で法力を使う。瞳の影響で我とお前の親和性は高い。故に法術を使う際に漏れ出た法力がお前に流れるはずだ」
「…………」
ひょいっと横抱きにされたと思ったら、そのままベッドに乗り上げられて座られる。現在、ベッドの上でシロ様に横向きに抱きかかえられ座り込んでいる状況。これはなんの罰ゲームだと意識が一瞬遠くなりそうになって、けれど淡々とした言葉が間違いなく今が現実であるということを訴えてくる。その証拠にシロ様は片目を閉じて、いつものように風を使って街を探っている様子だ。違う、こうじゃない。私が望んだのはこういうやつじゃない。いっそ暴れたい気持ちだったが、生憎と今私が自由にできるのは指先だけであった。
「ヒナ、食べさせるのはお前に任せてもいいか?」
「! うん!」
「…………」
しかもあーんは続行である。嬉しそうなヒナちゃんの声に微笑ましいという感情が浮かばないのは、未だ現実を受け止めきれていないからか。美少年にベッドの上で抱っこされ、美少女にあーんをされる。あれ、おかしいな。なんならさっきよりも犯罪臭が悪化している気がする。こんなのは望んでいなかったのに。視界の端でフルフが跳ねる。それすらも今の私にとってはどこか遠くに感じ。
「……なんか悪化してんな?」
その呆けた状態はレゴさんが大量のクッキーが入った籠を抱えて部屋に戻ってくるまで続いたのだった。