百四十三話「眠っていた間のこと」
「……つまり、二人は私のために頑張ってくれてると」
「まぁそういうこったな」
あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら震える私と、それをにやにやと見守るレゴさん。動かない身体が恨めしい。これでは顔を手のひらで隠すことすら出来ないではないか。いや、一番恨めしいのは先走って二人に嫌われたのかと叫んだ己の口なのだが。
現在引き続きベッドの上。レゴさんの話を一通り聞き終えた私は、顔の熱さを落ち着けるために息を吐いた。心底恥ずかしい。だがいつまでも恥ずかしがってはいられないのである。とりあえず気分を落ち着けるため、今しがた聞いた話を一通り整理しよう。レゴさんが口を開かないでいてくれるあたり、今はその時間な気がするし。
さて、何から整理しようか。まず最初に、現在のウィラの街の状況について纏めるのがいいかもしれない。ええと、今日はキメラの襲撃があってから五日後……つまるところ、私は五日の間ぐっすりと眠っていたらしい。そうして五日の間に大概のことは落ち着いてしまったと、まぁつまりはそういうことである。
あの日、私が眠りに落ちた後。シロ様と兵団の人がキメラを全て駆逐したことにより、街に敷かれた法陣が本来の効果を発揮。集まってきていた魔物は突然逃げるように去っていったんだとか。そして残されたのは壊された街と、傷ついた人々。けれどレゴさん曰く、これでもウィラの街が受けた損害はかなり小さいものだったらしい。キメラの暴走や襲撃によって滅びた街や村は少なくないと語っていたその時の瞳は、剣呑な光を帯びていた。
「……その、キメラってそんなに有名なんですか?」
「ああ。どこで作られたかは明らかになっていないが……どこかから現れては惨劇を作り出すその姿には、作為的なものを感じる。なんて語られるくらいだ」
「作為的……」
「……ま、作為的ってのには若干俺の主観も入ってるけどな」
思い出しながら、おずおずと問いかける。すると完全に私の質問に答えるモードになってくれているレゴさんは、静かな声で返答を返してくれた。作為的。その言葉に背筋に冷たいものが落ちたような感覚に陥る。誰かが仕掛けた? 今回のことも? レゴさんは主観だというが、その推測はあながち間違っていないような気がした。人が作った魔物が、徒党を組んで突然街中に現れる。そこになんの裏も感じ取れないと言い張るほど、私は世界を無垢な目では見れなかった。
……いや、そのことについて考えるのはよそう。誰が街にキメラを仕掛けたなんて、私が考えても仕方ないことである。わからないし、わかったところでどうしようもない。そんなことを考えるよりも、情報を頭に叩き込むことに集中しなければ。
ええとそれで、どこまで整理したんだったか。ああそうそう、街の被害までだったか。レゴさんの話では確か軽症者や重傷者が相次いだ上、何名かの死者も出てしまったらしい。それでもキメラの被害と言うにはかなり軽微な被害だった、というのだから複雑な心境になる。なんでも兵団の避難誘導が上手かったことや、想定よりもキメラの討伐が速く済んだこと。それと医師が早く兵舎に着いていたことで、怪我人の怪我が悪化することを避けられたことが大きかったとか。これに関しては多少運があれど兵団の活躍だったということで、街での兵団の評判は徐々に回復しているらしい。街が滅びなかっただけかなり尽力してくれた、と。
「……兵団の皆さん、良かったですね」
「……実際はあの坊っちゃんの活躍が半々だったとは思うがな」
「あはは……」
……亡くなった顔も知らない人達のことを、私が気にしても仕方ない。去っていった人を悼み、残された人が無事で良かったことを思うくらいしか出来ないのだから。一瞬過ぎった暗い思考を断つと同時にオレンさんの顔を思い出して小さく呟けば、レゴさんは少しだけ困ったように笑った。まぁ確かにキメラに関してはシロ様の活躍が大きかったとは思うが、それでも街の人達を守ったのは間違いなく兵団の人達の功績だ。私達のくだらない茶々なんて必要なかったな、とちょっと恩に着せたことを申し訳なく思いつつ。
「ああそうそう、兵団と言えばあそこの団長とお嬢ちゃんとこの坊っちゃんがやりあったらしいぜ」
「え!? 喧嘩したんですか!?」
「……まぁ、詳しいことは後であいつに聞きな。少なくとも悪い方向に行ってなかった、ってのは保証しとくからよ」
しかしその申し訳無さは一瞬で吹き飛んでいった。団長……ディーデさんとシロ様がやりあった? どうやらこれに関してはレゴさんも詳細を知らないらしい。もしくは、話す気がないのか。何があったのだろうかと不安になりつつも、険悪な仲になったわけではないと手を振るレゴさんの言葉にひとまずは頷いた。これに関しては後でシロ様を問い詰めなければ。
よし。ディーデさんとシロ様のことは一旦置いておいて、話を続けよう。街の被害は軽微。とはいえ街のあちこちが破損したことによって、朱の神楽祭は今年は中止となってしまったらしい。それに関しては残念だという気持ちがなくもないが、仕方ないことではある。今は亡くなった人を悼むのに時間を使うべきだとも思うし。
それで、ここからはユーリさんの話になる。これに関してもレゴさんは現場に居たわけではないのでそう詳しくはないらしいが、飛び出していった私とヒナちゃんにレゴさんたちが追いついた時にはもうユーリさんは意識を取り戻していたらしい。何が起きたのかと言わんばかりに目を瞬くユーリさんと、そんな母親に抱きついて泣き喚くダン君。どうやら私が守りたかった理想の親子は、その罅をきちんと埋めたらしかった。
しかし、代わりに顔色の悪い私がシロ様の腕の中でぐったりと倒れ込んでいたんだとか。倒れ込む私を剣呑な表情で見下ろすシロ様と、私に縋り付いて必死に声をかけるヒナちゃん。その光景を見た時は血の気が引いた、とそう苦笑するレゴさんには若干申し訳なくなった。なんでも二人の恐慌っぷりはかなりのものだったらしい。次第に落ち着いたシロ様が法力不足なだけと見抜くまで、ヒナちゃんはずっと泣き止まないまま。動揺していたミーアさんとレーネさんが宥める側に回るくらい、その時のヒナちゃんは深く怯えていた。そう語るレゴさんの表情には、苦いものが浮かんでいた。
「……私が寝てるときも、怯えたり怖がったりしてましたか?」
「ん?」
「ヒナちゃんと、シロ様のことです」
ぼんやりと瞼の裏に過る光景が、胸を締め付ける。このベッドで微動だにせずに眠る私を注意深く見下ろすシロ様と、ぼろぼろと涙を零しながら私に縋り付くヒナちゃん。見てもいない光景がそれでも鮮明に描かれるのは、無意識下のうちに私がその光景を目にしていたからなのだろうか。
傷つけたくないのに、傷つけてしまう。何より大切な二人のことを一番大切にしたいのに、二人を守りたい私の勝手が二人を傷つける。とんでもない矛盾だ。私がもっと強かったら、何度も頭に過ぎったすぐには叶いそうにない願い。どうやったら私は、もっと強くなれるのだろう。
「……まぁ、初日はな。さっきも言っただろ?」
「……あ」
「見ててもしょうがねぇって、ヒナの嬢ちゃんの手を引いて坊っちゃんの方が出てったんだよ」
けれど後ろ向きな考えは、導くような言葉によって手を引かれて前へと押し戻された。無意識のうちに伏せていた瞼を開けば、そこには優しくこちらを見つめるレゴさんが居る。穏やかで優しい色を湛えた金色の瞳から感じ取れるのは、慈愛という感情。
……そうか、そうだった。今ここに二人が居ない理由。それは私が嫌いになったとかそんな馬鹿みたいな理由ではなくて、もっと綺麗で優しくて尊いものなのだ。すなわち、私を助けるために二人は今ここに居ない。そう語ってくれたレゴさんの優しい声音を思い出す。
私はユーリさんをヒナちゃんに助けてもらうため、糸くんを伝って自分の法力をヒナちゃんへと全ベッドした。話しぶりからするに多分それを、レゴさんは知らない。知らないけれど、ユーリさんを助けるために法力を使い果たしたことは聞いているのだろう。だからこそその法力を戻すために二人は今外に出ているのだと、柔らかい笑顔でその人は教えてくれた。
「さっきも言ったけど基本的法力ってのは飯と睡眠で回復する。それ以外の回復方法は……知らねぇなぁ。ないんじゃねぇか?」
「……そう、なんですね」
「おう。そんで、睡眠の方はともかく飯に関してはより効率よく法力を回復する食材があるんだわ」
「はい。それで二人は、それを探しに行ってくれてると」
やっぱり、私の法力をヒナちゃんに分けた話は伝わっていない。頭の端でそんなことを考えつつも、私は小さな笑みを浮かべた。さっきも聞いた話ではあるが、何回聞いても嬉しいことに変わりはない。二人がここに居ないのは、私のために頑張ってくれてるからなのだ。想われている。そう思えば胸に灯った炎が優しく点滅する。あの時私の必死な問いかけに爆笑したレゴさんを、恨めなくなるほど。
「嬢ちゃんも起きたし、二人の苦労もやっと報われんな」
「……お腹、破裂しませんかね」
「……胃薬、買っといてやるよ」
とはいえ、少しばかり不安な面もあり。先程も言った通り、私が眠っていたのは五日の間。そうしてシロ様とヒナちゃんが意気消沈していたのは初日のみ。つまるところ二人には四日程の猶予があったわけで。一度決めたら全力投球な二人が、四日間全力で集めた食材。若干その量が心配なのは、私だけだろうか。いや二人が集めてきてくれたものを食べないという選択肢はないのだけれど。
この後のことが心配になりつつ眉を下げた私を、レゴさんは憐れむように見下ろす。その彼にどれくらい食材が集まっているのかを聞きたいような、聞きたくないような。しかし私がそれを問いかける覚悟を決めるよりも早く、下からは慌ただしい音が鳴り響く、どうやら私には、覚悟を決める時間も残されていないらしいようである。