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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第四章 飛べる小鳥は星火の夢を見る
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百三十七話「今に過去が重なっても」

「……遅い、ですね」

「……ええ」 


 街の西側でレーネさんたちと再会して、シロ様が私達から離れて、それからどれくらいが経ったのだろう。疲れ果ててか眠ってしまったダン君に肩を貸しつつ、先程から不安そうに手のひらをぎゅっと握りしめているレーネさんに私は笑いかけた。指先が白くなる程に握りしめられた手。きっとその手のひらには、爪の痕が残っている。痛々しい不安のサイン。ゆっくり細く吐き出された息は、いつかミーアさんを失いかけた時に彼女が落としたものに似ていた。


「あの、本当にシロ君は……」

「大丈夫です。今のシロ様がただの魔物に負けるなんて、ありえません」


 その不安を払拭したくて、何度目かもわからなくなった言葉を繰り返す。相変わらずレーネさんの表情がその言葉で晴れることはないけれど、これ以外に言いようはない。シロ様は、絶対に大丈夫。そう思える根拠はいくらだって私の中にあった。例えばあの森で暮らしていた時間だったり、極悪蝉を倒したときのことだったり。

 けれどそれを話すには、些かシロ様の事情が混み合いすぎているから。まさかクドラ族だから大丈夫だなんて、本人の預かり知らない場所で話すわけにはいかないだろう。少なくとも、私はそうしたくない。シロ様が私を信じて託してくれた秘密を、シロ様の許可なく話したくはない。きっと話したところで、シロ様は「お前の好きにすればいい」なんて鼻を鳴らすだけだろうけれど。


「……私、駄目ですね」

「え?」


 それでも、なんて考えていたところで聞こえてきたのは自嘲するかのような溜息。その言葉に、私はいつのまにか俯いていた視線を持ち上げた。すると視界に映ったのは、苦く笑って視線を下げるレーネさんの姿で。らしくない姿勢に、らしくない表情。苦く焦げたヘーゼルの瞳に、映る色はなんだろう。私の胸まで焦燥感で焦がしていくようなその色に、「急にどうしたんですか?」そう問いかけようとして。


「うち、母が居ないでしょう?」

「え、あ……そう、ですね」

「ずっと前に亡くなったんです。……討伐者の、仕事で」


 しかし私が問いかけるよりも早く、レーネさんは言葉を紡いだ。どこか寂しげな声色。亡くなった人を語る時の喪失感というのは、何年経ったところでその声音にまとわりつく。例え今は前を向いていても、失った時の悲しみが完全に癒えることはないから。それを、私はよく知っている。

 ……きっと、どこかで違和感を覚えては知らないふりをしていた。海嘯亭、そこで暮らしを営む三人の家族。そこに必要なはずのピースがないことに、私は気づいていて。けれどそれを深く考えることをしなかった。触れてはいけないような気がしたのだ。厳格だけど優しいお父さんと、しっかりものでお淑やかなお姉さん。そうしてちょっとお転婆だけど気配り上手な妹。完璧に回る歯車が、それを聞いてしまったら少しだけずれてしまうような気がした。


 討伐者。それは依頼を受けて魔物を倒す、命がけの仕事。


「あの日も、こんな感じで」

「……はい」

「お仕事に行った母を、家で父の手伝いをしながら待っていました。時々ミーアと遊びつつ、今日は帰ってきたらお母さんにどんな話を聞こうかって」


 震える声音は、乗り越えた傷を無遠慮にまさぐられているかのような不快感を耐えているようにも聞こえる。そんな無理をして話さなくても、そんなことを思った。けれど私は、黙って聞く方を選ぶことにしたのだ。きっと話してないと、レーネさんはもたない。それを直感的に感じたから。


「……でも母は、家を出たきり帰ってこなくて」


 ……シロ様と同じように、今と重なる過去に苦しんでいる。そう思ったから。


「……後日になって、腕だけが家に帰ってきました。私は父に止められて直接は見ていないけれど、大人たちが話していたのを聞いたから。後輩を庇って魔物に食べられた、ってことも」

「…………」

「当たり前が、当たり前じゃないことを知りました。平和な日々がいつまでも続くわけじゃないことも、今日隣に居た人が失われるかもしれないことも」


 凄惨とも言える記憶を語る声音は、もう震えてはいなかった。いや正確には、震わせる余裕すらもなかったのだろう。淡々と話すことでわざと感情の露出を抑えようとしている、私にはレーネさんの声はそんな風に聞こえた。だってそうじゃなければそんな風に、唇を噛み締めるだなんてこともしないだろうから。

 当たり前に今日隣に居た人が、明日居なくなる。私はその感覚をよく知っている。最初はよくわからなくて、理解したくなくて、それでも勝手に涙が流れて。そうしてどこか夢のような時間を過ごす。まるで最初から何もなかったような虚無感に襲われ、けれど家にいれば確かな記憶が胸を抉るのだ。ぽっかりと空いた喪失感に、「なんで」が押し寄せる。なんで奪われなければいけなかったのか、なんでもっと大事にしなかったのか。死という理不尽に対する怒りと、自分の不甲斐なさへの後悔。その暗い二色が、心を抉る。


「……わかっているから、怖いんです」


 だから、怖い。シロ様が本当に帰ってくるのか、本当に無事で帰ってきてくれるのか、それを信じられない。喪失というものは一度知ってしまえば、決して忘れられないしこりとなって心に残るから。涙で濡れたヘーゼル。こちらを見つめるその人の瞳には、縋るような色が浮かんでいる。信じたいけれど信じられない。後ろめたさが混同しているのは、私達を信じられないことへの罪悪感からか。

 籠繭の中に、沈黙が落ちる。話すことを見失った空気感。舵取りは私へと委ねられた。じっとこちらを見つめるヘーゼルを、真っ直ぐに見返して一呼吸。何か上手いことを言えるような私じゃないけれど、なんならちょっと抉られた古傷が痛むけれど、それでもこれは私に任された役割だから。ここを守って、ここに居る人を守る。そうしてシロ様が迎えに来た時に、最善の状態でここを出るのだ。だからせめてものの誠実を、言葉にする。


「……それでも、大丈夫です」

「……!」


 何も上手いことは言えない。本当に。何かを失って、それを今でも傷にしている人に言えることなんてなにもないから。だから行動で示す。あの時ミーアさんを助けられたように、彼女を無事家族と再会させることができたように。遅れてやってくる行動の、時間稼ぎをする。


「確かにその時は届かなかったかもしれません。おかえり、って言いたかったことが言えなかったかもしれない」

「…………」

「でも、今回は絶対に大丈夫です。ミーアさんが帰ってきたのと同じように」

「あ……!」


 私の言葉はきっと、なんにもならないけれど。本当にただの、時間稼ぎにしかならないけれど。でも弱くて少しだけずるい私が出来ることなんて、これくらいしかないから。レーネさんとダン君の身を守って、一時的なとまり木になることしかできないから。木なら木らしく泰然自若と構えるのだ。

 ミーアさん、そう名を出せば華奢な肩が震える。何かに気づいたかのように見開かれた瞳。そう、彼女はおかえりを言えたはずだ。お母さんに言えることはなかったけれど、それでもきっと自分が母のようになって育ててきた妹には。大切で愛おしい、妹には。


「レーネさん、大丈夫です。大丈夫。シロ様に、おかえりって言えます」

「……っ、」

「それでミーアさんに、ガッドさんに、ただいまって言いましょう?」


 涙に濡れた瞳から、一滴と落ちていったそれに優しく見えるよう微笑む。いつもしっかりしていて、私の相談にも乗ってくれる、優しいお姉さん。そんな人にも弱いところがあって、怖いと思うものがあって。そんな姿を見ていると、どこか安心できる気もした。彼女のような素敵なお姉さんに、今の私は程遠いけれど。それでも全て完璧にならなくても、素敵なお姉さんになれるのだとそう思えた気がして。

 

「……ミコさんは、すごいわ」

「え……?」

「言葉が、法術みたい」


 まぁ、素敵なお姉さんとしては完璧どころか六割にも遠く手が届かないくらいなのが現状なのだが。レーネさんと自分を比べることもおこがましいなと、内心で溜息を吐きつつ。しかしそこで聞こえてきた声に、私は目を瞠った。正面には綻ぶヘーゼル。零れていった涙にたっぷりの不安を溶かしたのか、晴れやかにも見えるその色が私を見据える。

 そうして彼女は、安心したように笑った。喪失の過去を取り戻せた過去で塗り替えて。幼少期の不安を拠り所にするのではなく、確かに受け取った現実をとまり木に。失うばかりではなかった、瞳はそれを語っていた。私の言葉でそれに気づけたのだと、そう語る森の奥の木漏れ日のような優しい笑顔は美しい。同じ女ながら、照れてしまうほど。


「……これでも、最強の武人の相棒……なので」

「ふふ」


 そのせいで、せっかくの決め台詞は決まらなく笑われてしまったが。気恥ずかしくなって視線を逸しつつ、ふぅと小さく息を。相棒。口の中で転がした言葉は、勝手に出てきてしまった言葉ではあったが。でもまぁなんとも、口に馴染むと言うか。いやいや、あのシロ様の相棒だなんて、私にはもはやおこがましいとかいうレベルではなかったが。

 でも、いつか。いつか、そうなれたらいい。シロ様の相棒で、ヒナちゃんの理想のお姉ちゃん。そう胸を張って言えるようになりたい。私が結んだ縁の中でも、とびきり強い縁の二人と笑い会えるように。そのためには、もっと頑張らなくては。糸で人と縁を守って、言葉を重ねて。そうやって、シロ様には出来ない私だけの戦い方を、もっと、もっと、もっと。


 ……そんなことを考えている内、聞こえてきた聞き馴染んだ軽快な足音。それに私は小さく笑みを浮かべたのだった。

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