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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第四章 飛べる小鳥は星火の夢を見る
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百三十五話「改過自新」

「ギャアアア!?」


 劈くような耳障りな悲鳴。ちぎれた羽と八つ裂きになった体は、どうあがいてもその化け物がもう助からないことを暗示している。これで二体目だと、化け物によって崩された瓦礫の中に立っていた少年は静かに瞑目した。手応えがない、あっけない。胸中に広がるのはそんな感想。いくら幻獣人を殺すために作られた化け物とは言え、今幻獣人たちが滅びていないのが何よりの証拠。所詮こいつらは兵器にすらなれなかった哀れな怪物でしか無いのだ。


「……はぁ」


 まぶたを持ち上げる。手に握るは幼少の頃から何一つとて変わらない柄。そこから生えた刃は年々と伸びてはいるが、その変化に戸惑ったことはない。いつだって父から、祖父から、姉から……そうして叔父から教わったシロガネの刃は、シロガネにとっての何よりの武器である。

 ふっと小さく息を吐いた。たんと地面を蹴ると同時、飛び込んできた鳥を振り払うように刃を振るう。己の法力のその全てが集まって出来た刃は、それだけでも容易く生き物の皮と骨を断ち切る事ができた。決して心地のいいものではない断末魔。噴き出した鮮血を避けるように半身をずらして、シロガネは真っ直ぐに進んだ。あの蝉と比べればつつき鳥の強度など、綿にも劣るなんてことを考えながらも。


「…………」


 朱色の汚れがない髪が、羽織が、足を一歩と進める度に揺れる。切り裂いて、八つ裂いて、吹き飛ばして。四方からたかるかのように集まってくる異形たちを振り切って。その度に上がる耳障りな声も、咲くかのように飛び散る鮮血も、それらが全てシロガネにとっての過去の記憶を連れてくる。過去というには些か近すぎる、まだ生傷のまま癒えない記憶を。


『いつか、この日の惨劇を……日の下に詳らかに』


 あの日を思い出す。裏切りの饗宴。生ぬるい……いいや、優しい日々の中に居てもなお色褪せぬ、鮮血と絶望の記憶。自分を守って散っていった命と、残された亡骸。刃を持って戦うことすら出来ずに、手を引かれることしか出来なかった自分の無力に反吐が出そうになって。

 全部を失った。家族も、居場所も、安寧も。そして、自分の師だって。全て失って、しかし前に進むことしか許されなかった。それこそが自分に課せられた贖罪であり、無力な自分への戒めだと思ったから。自分はかつての叔父の、師匠の、その変心の理由を突き止めねばならない。復讐をするのではなく、真実を日の下に明らかにする。そうして彼がまだ何かの凶行を起こそうとしているのであれば、今度こそ止めなくてはならない。それが残されたシロガネへの義務。……けれどシロガネは、時折その重さに押しつぶされそうになる。癒えていない傷口に伸し掛かる重み、その度に悲鳴を上げるように生ぬるい鮮血は零れていって。


『ちゃんと、帰ってきてね』


 ……けれど、それでも。左手の小指が視界に入る度、黒い羽織が視界に入る度、敵を切り裂いた白刃の中に自分の左目が映る度。シロガネは何度だって現実へと引き戻された。今だってそう。脳裏を過ぎったのは祈るように自分と小指を交わした少女の姿。泣きそうな顔で笑いながらも、決してシロガネを止めなかったシロガネにとっての唯一。


「……わかっている」


 小指から伸びる糸を見て呟くと同時、人間の手による改造で出来たおぞましい怪物が視界に入った。どうやら見つけた獲物を襲おうと空から飛来し、そのかぎ爪で引き裂こうとしているらしい。悲鳴を上げる余裕もなく懸命に、さりとてよたよたと走る背中を、あざ笑うかのようにはためく翼が追う。

 いつかのシロガネなら、見ていただけだったのかもしれない。間に合わずにまた、何かが失われるのを黙って見ているだけだったのかもしれない。しかし今は、きっと違う。止めるだけの力がこの手の中にある。止めるだけの理由は、あの少女に教えてもらった。自分が迷惑を被ってもなお、笑顔を絶やさずに相手に優しさを返せるあの生き物に。あそこまでの根っからのお人好しになれる気はしない。けれど、自分の手の届く範囲なら赤の他人でも守ってやってもいいと思うようになった。


「グギャアアアアアア!?」


 ……とはいえ、己の中の不文律とも呼べる優先順位が変わることはないのだが。


「っ、!?……はぁ、はぁ……え、こ、子供……?」

「…………」


 たかだか数十メートル程の距離。それが何だというのだろう。一瞬でキメラと自分の間にあったその距離を詰めたシロガネは、逃げていた人物とキメラとの間に入ると同時に刃を煌めかせた。隙を突くかのような下から上にかけての一閃。それだけで人を狩ろうとしていた化け物は、あっさりと地に伏すことになった。それよりも強者である虎にその身を引き裂かれたから。

 つつき鳥よりは多少強度があるようだが、あの森で戦った蝉とはもはや比べるまでもない。跳ねられたのは鳥の頭。鮮血が吹き出すと同時、馬のような体が崩れ落ちていく。三回目となるそれを感慨のない瞳で見送った少年は、戸惑うかのような声に振り向いた。当然、知らない顔である。目立った特徴もない平凡な容姿の黒髪の男。遠くで見ていた時には気づかなかったが、七歳くらいの子供を抱えている様子だ。道理で亀と見紛う程の速度なはずだと、内心で納得しつつ。


「……お前、光る小袋は?」

「えっ、あ、あります……」

「ならば余計に走るのではなくそれを握りしめ、隠れていたほうが懸命だ。その子供共々生き残りたいのであれば、だが」

「……!」


 シロガネの高慢な態度にか、気圧されたように敬語を使う男。子供に偉そうにされて憤らない当たり、理性的な人物なのだろう。それはこんな状況でも自分の命を顧みず子供を守ろうとしている姿勢から察することができた。ならば一つくらい助言があってもいいかと、シロガネは淡々と告げる。その言葉にハッとしたようにポケットから小袋を取り出した男は、そっと泣きじゃくる子供に小袋を握らせた。先程まで殺されかけていたというのに笑って大丈夫だと宥める、黒髪の男。その姿はどことなく、美しい大樹が咲く街で出会ったとある店主に似ている気がした。殺されかけてもこちらへの思いやりを捨てることがなかった、馬鹿みたいなお人好しに。


「あ、君は……!」


 助かればいい、だなんて彼女のような甘い考えを抱くつもりはないけれど。それでもここに来ていたキメラは確か三匹。つまり先程のが最後の一体だった。この周辺のキメラが消えた以上、キメラに引き寄せられて集まった魔物たちも別のキメラの方へと再び集まっていくのだろう。この男がじっとしているのであれば、助かる確率は高い。それに安堵を抱く自分を、随分生温くなってしまったと嘲笑って。しかし悪い気分ではないというのだから、大概に救いようがないというか。

 大体は全部あの稀代のお人好しのせいだと、間の抜けた笑顔を思い出しつつ。シロガネはふいと男と子供に背を向けた。すると男はどこか案じるかのようにシロガネへと声を掛けてきて。大方シロガネの身を心配しているのだろう。先程シロガネがキメラを倒していたのを見ているくせに、である。人間はもしかしてお人好しばかりなのかと、今まで出会ってきた顔を思い浮かべながらシロガネは嘆息した。多分、そんなことは決してないはずなのに。


「……その小袋を作った法術師とやらの、相棒だ」

「え?……あ!」


 だが侮りもなにもない純粋な自分への心配を蹴り飛ばすのは、些か気が引けて。結局シロガネは少しは男の気が晴れるようにと、小さな声で告げた。彼女を偶像とした法術師は大層持ち上げられているらしいし、こう言っておけば自分が実力者であることも伝わるだろうと。されど、言葉を尽くすことはしない。そこまでする程の義理は無いからだ。


「……はぁ」


 余計な時間を使ってしまったと思いつつ、シロガネはそこで一度風為の白爪牙を仕舞った。そうして懐から一つの法符を取り出す。いや、法符というよりは呪符と呼ぶべきか。そこに記されるは、いつか彼女によって伝えられた呪陣。それをシロガネなりに書き換えたものだ。姿を紛らわすことが出来る効果を持つ呪符。それに法力を注ぎこむと同時、再び自分の懐へと仕舞う。

 何かに活用できるかと思って書いておいたのが、まさか本当に効果を発揮するとは。これで一々助けた相手に姿を見られることもなくなるだろう。今の相手は幸いにも面倒が少ない相手だったが、シロガネの実力を見て守れだなんだと縋られても困るのだ。いくら多少温い場所に落とされようとも、シロガネが守りたいのはあの少女とあの少女が大切にしている者のみ。それ以外を守ってやる気など甚だ無い。手の届く範囲であれば、命だけなら助けてやってもいいが。


「…………」


 やっぱり毒されているな、なんてことを考えながら再び手に握るは風為の白爪牙。彼女が居る西側のキメラは、恐らくは狩り終わった。クドラの瞳が訴えることに間違いはない。それならば次に優先すべきは、自分たちが庇護しているあの幼い少女と知り合いたちが居る中央か。そんなことを考えながらもシロガネはただひたすらに地面を走り続ける。彼女と小さな毛玉と新たに増えた小さな仲間との日々を取り戻すために。

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