百二十八話「そうして星は降る」
合図の音は一段と大きな紙花火薬の音。それがガッドさんから祭りが始まる前に聞いていたことだった。街に散っていく紙で出来た花びらと、心ごと弾けさせるような音たち。まだかな、次かな。音が一つ弾ける度、街の人達の歓声がその音に重なる度、心臓はどくどくと勢いを増していって。
「っ!」
「ピュッ!?」
「…………」
そうして時は来る。間違いなくこれだ、そう思えるような、ここからじゃ姿も形も見えない丘にまで届きそうな、そんな音。どん! 爆発したかのような音に肩を震わせれば、隣に居るシロ様の顔が盛大に歪んだのが見えた。どうやら隠しているとは言え性能の良い耳を持つシロ様にとって、その音は些か毒だったらしい。
けれど今はそんな彼を慰めているだけの余裕もなくて。私はばっと空を見上げた。来るはずだ、その予感に心臓はますますとうるさくなっていく。周りの歓声はまだ鳴り響いていて、街の中は温かな喧騒に包まれているはずなのに。それなのにまるで周囲から私だけ切り取られたかのように、どんどん耳に入っていく音は少なくなっていく。きん、とそんな高い音が聞こえてきそうなほどに、全てが真っ白になって。
……そしてぽっかりと切り取ったかのような私の瞳の中の空に、赤が散った。きっと私が最初に見つけたはずの太陽は、本物のそれよりも眩しかったと思う。
「わ、これ何……!?」
「ひ、光ってるの……?」
どんなに煮詰めた夕焼けも朝焼けも敵わない。真っ赤な真っ赤な翼。けれど見たこともない伝説を体現したかのようなそんな翼に、空を見上げていた人達が口を閉ざしていられたのは一瞬だった。降り注いだのは花びらではない、光る何か。拾い上げた人達が戸惑ったような声を上げたのを合図に、遠くからは大声が聞こえてくる。
「あー、聞こえてるかー!? それはこの間奴隷騒ぎの解決に協力してくれた法術師が悲しい思いをした街のために、って作ってくれたお守りだ!」
その声に私は一度空から視線を逸して、広場の中心の方へと目を向けた。そこには本日の祭りのために犯罪を防止するためのテントを開いていたディーデさんと、そしてオレンさんの姿がある。拡声器、もしくはそれに近しいなにか。それを掲げたディーデさんの言葉に、空を見上げたり拾い上げたお守りを手にしていた人達の視線が一気に集中した。説明を求めるような視線は、私が浴びてしまえば萎縮するであろうほどの好奇心を湛えていて。
けれどそれらに怯むくらいじゃ兵舎の団長という立場は務まらないのだろう。太陽の日差しに照らされた白い髪。皺が刻まれた壮年の男性の表情を言葉で示すならば、威厳と言うのがぴったりなのかもしれない。にかりと集中する視線を笑い飛ばしたその人は、叫ぶように言葉を続けた。
「中には人を守護するための炎が入ってるらしい! 開けなければ問題ないが、開けたら火傷の危険性があるらしいぞ! そんなわけで中身を開くのは厳禁で頼む!」
「……そもそも開けられないようになっているらしいですが、念の為。まさかこの街のために尽力してくれた方の善意を踏みつけるような真似は、この街の方々はしないとは思いますが。そんなことをすれば、まず間違いなくカグラ様からの天罰が下るでしょうね」
最低限の情報を告げたディーデさんの声に、補足するようにオレンさんの声が。その言葉に中身を開こうとしていた人達の肩がぎくりと強ばるのが見えた。成程、ディーデさんの言葉で好奇心をますますと刺激されてしまった人達を、オレンさんの毒で刺すという戦法らしい。カグラ様とこの街の偉人の名前を出されてしまえば、それに逆らえる人は中々居ないのだろう。視界に入る限りでは、誰もが大人しくミニ巾着から手を離し始めた。開かれなかった星々が、人の手の中で輝く。
「どうか、その星を大切に。それはかの法術士が、我々の願いに応じて作ってくださった身を守るためのお守りです」
拡声器越しのオレンさんのその言葉に、複雑そうな色が秘められていたのに気づいた人は果たして居たのだろうか。その言葉を受けてか、尚も降り注ぐ晴天の空の中の星に人々は手を伸ばし始めた。けれど決して取り合うのではなく、ただ無邪気にその輝きを享受するように。そこには大人も子供も関係ない、ただ輝く星に目を輝かせる人々の姿があった。天から与えられた祝福をただ享受する、祭りに浮かれた人々の姿が。
そんな光景を横目に、私はじっと広場の中心の方を見つめていた。そうしていれば、いずれ視線が合うのも必然だったのだろう。かちり、何かを探すように彷徨っていたオレンさんと視線がかち合う。私が真っ直ぐに見返せば、その人は一瞬怯んだように眉を下げて。しかし何かを飲み込むような一拍の後に、その人は小さく頭を下げた。それに込められた意図を、私はきっと知っている。
「……お前は、人に恩を売るのがうまいな」
「……え!? ひ、人聞きが悪すぎる……」
「ふん」
淡く微笑めば、自分よりもよっぽど年上のはずのその人は困ったようにますますと眉を下げて。その一連の流れを見ていたのか、隣に居たシロ様から上がったのは謎の言いがかりであった。動揺のあまり裏返った声で首を振るも、どうやらこの少年には全く響いてないらしく。……けれど、短く鼻を鳴らしたその姿はどこか満足気でもあった。あれほどお人好しと罵ってきた割には、ご機嫌なような? 何か心境の変化でもあったのだろうかと、首を傾げ。
「っ、ミコちゃん!」
「わ……!?」
しかしそれを考える暇もなく、私は後ろから思い切りと抱きつかれた。ぐらりと揺らいだ体。シロ様が咄嗟に肩を支えてくれなければ、あえなくファーストキスを地面へと持っていかれていたかもしれない。抱きついた影へとの心当たりは一つしか無かった。流石に今のは危ないと注意するべきだろうか、そんなことを考えながら振り返って。けれどその先に待っていたヘーゼルの煌めきに、私は言葉を失った。
「すごい! すごいじゃないこれ! まるで絵本の中の朱の神楽祭みたい!」
「……え、ええと」
「ええ、本当に! すごく素敵な贈り物です」
まず一番に目に入ったのは、ミーアさんの目を焼くような輝き。子供みたいに無邪気にはしゃぎまわるその人の笑顔は、太陽にも負けないくらいに眩しかった。手の中に握られたのは深い青と白い布を合わせたミニ巾着で、彼女の手の中でそのお守りはきらきらと輝いてる。海みたいだと、その姿に最近よく行っていた浜辺が頭を過ぎった。
さりとて輝いているのはミーアさん一人ではなく。声のした方に視線を向ければ、今度視界に映ったのはレーネさん。彼女は美しいそのかんばせを朱色に染めながら、無垢な少女のように手の中でお守りを抱きとめていた。鮮やかな緑と黄色の布の組み合わせ。木漏れ日が降る森のような光は、成程確かにレーネさんを思い起こさせる。偶然拾い上げただけにしては素晴らしすぎる神様の采配に、私はなんだかおかしくなった。
「……これは、嬢ちゃんたちが作ったのか」
「……はい、秘密ですよ」
だからか、続いたガッドさんの声にも冷静に対応できてしまって。三人目のヘーゼル。姉妹よりも一回りも二回りも大きい手の中にあるのは、渋い赤色と黒色のお守りだった。料理でよく火を使うガッドさんに、やっぱりそのお守りはぴったりで。指し示されたかのようなそれに思わずくすりと笑みを浮かべて答えれば、ふっとヘーゼルは綻んだ。見上げた瞳は、透き通るような青空を映す。
「それは、重大な秘密を聞いちまったもんだな」
「他言厳禁よ、ミーア」
「ええ!? 名指し!?」
「そりゃそうだろ。家で口が一番軽いのはお前だからな」
空はまだ、赤い翼はまだ、光を降り注いでいた。落ちた星を拾った子供の歓声。こっちの色のほうが好きだから交換しようと強請る声。まだ拾えていなかった人の、安堵したような溜息。全てが混ざりあった世界の中では、とある一家の声なんてあっという間に溶けていって。
不満そうなミーアさんの声。それにまた一つ小さな笑みを零しつつ、私は遠く空を見上げた。街の上を障害物を避けるようにして軽快に進んでいく、小さな姿。今、あの真っ赤な翼に目が向いている人はどれくらい居るのだろう。誰しもが降り注ぐ星に夢中な世界。平等に与えられる祝福にはしゃぐ世界。けれどそんな中で私だけは、青空を泳ぎ回る赤い太陽に夢中だった。
「……ピュ!」
「ああ、そうだね貴方と……」
「…………」
「ふふ、シロ様もか」
いや正確には、私ともう一人ともう一匹、だったか。喧騒から二人と一匹で外れて、ただ空を見上げる。はためくのは赤いスカート。自由に羽ばたいた翼が、小さな気流を生み出しては空に溶けていく。縦横無尽、自分の庭かのように空を駆け回るその姿は目が焼けてしまうくらいに自由だった。あの時無抵抗に殴られていたあの子と同一人物だとは、到底思えないほど。
感慨、そんな感情が心を満たしていく気配。街に降り注ぐ流れ星と、痛いくらいに眩い太陽。その二つが共存する世界は、ミーアさんの言う通り絵本みたいな世界観で。でも、ここは間違いなく現実だ。私達みんなで作り出した、現実なのだ。
遠く空を飛ぶあの子と、目が合った気がした。見開かれた赤い瞳は、瞬間に花が咲くかのように綻んで。そうしてその小さな唇は、「おねえちゃん」と言葉を紡いだ。とびっきりの祝福が降り注いだかのような、優しい笑顔とともに。