百二十五話「あいを知る」
さて、巾着は中に星火を入れても燃えない。無事に呪陣の効果が発揮したのも確認した。手元に残ったのは、光っているだけの小さな巾着。あとはこれを開けられないように縫い付ければ完璧に完成だろうか。そうしてしまうともはやこれは巾着の体を成さず、ただのお守りもどきになってしまうのだけれど。
「……そうだ。シロ様、話聞かせてもらっていい?」
「ああ。無事兵舎とは話を着けた」
「えっと……ヒナちゃんにも、わかるように……出来る?」
「…………」
けれど開けられて中に星火が入ってるのを見てしまえば、その力の強さに気づいてパニックになる人も居るかもしれないし。これは仕方ない処置なのである。とはいえ例え縫い付けておいたとしても、好奇心を抑えきれずにこの袋を開けようとする人は現れるかもしれない。人類皆行儀が良かったら争いが起きるわけがないだろう。その法則はこの世界にも当てはまるはず。
ただこれに関する対策も、一応は取っていた。ちらりとシロ様に視線を向けて尋ねれば、返ってきたのは先程と同じようなお返事。いや、話を知っている私ならばそれでも理解できるが。できれば兵舎?と首を傾げているヒナちゃんにも伝わるように話して欲しい。こんな朝早くから、一体シロ様がどこで何をしてきたかについて。
「……我は先程まで、兵舎に行ってきた。注意喚起、とやらを出してもらうためだ」
「ちゅうい、かんき……?」
「ああ。ミコが作った袋には、お前の星火の威圧感を抑える効果を持つ陣が縫われている。だが一度袋が開けられれば、我らが昨日感じた怖い感覚、とやらに気づかれてしまうだろう」
まぁ出来る?とは聞いたものの大した心配はしておらず。シロ様は言葉数が少なくはあるが、大概に説明上手なのだ。そうでなければ異世界一年生の私を引率など出来ないだろう。最近は一応手持ちの教科書二冊で学習を進めてはいるものの、まだまだこの世界で十年以上を過ごしてきたシロ様の知識量には敵いそうにない。
わかるな? そう問いかけたシロ様にはっとした表情を浮かべた後、小さく頷いたヒナちゃん。そう、私達がいくら頑張って呪陣を改良してはミニ巾着を量産して……なんてことをしても、好奇心からそれを台無しにする人が居ないとは限らない。先程も述べた通り一応は星火を入れた後に縫い付けて開けられないようにするつもりだが、それでもその糸を切って中身を探ろうとする人がいてもおかしくはないだろう。例えば、好奇心旺盛な子供とか。
「故に兵舎には当日、このお守りを開けようとするなという注意喚起を出してもらうことにした。名目上は中に火が入っていて、開けると火傷の可能性があるからと」
それでこその注意喚起である。朝、日が出てきたのを共に迎えた瞬間、彼から出てきた言葉には驚かされたものだ。なんせ兵舎にいい感情を抱いていないであろうシロ様が、自ら兵舎に行くと言ってきたのだから。まぁ話を聞けば成程な、とすぐ納得はできたのだけれど。用意周到なシロ様らしく、利用できるものは何でも利用するという心積もりらしい。
「ちなみにそれ、あっさり頷いてくれた?」
「こちらには借りがあるだろう、と言えばな」
「わー、シロ様強か」
例えばほら、ヒナちゃんを一週間監禁? 誘拐? していた事実をゆすりに使う、とか。涼しい顔でえげつないことを言い放ってくださった少年に苦笑を浮かべつつ。まぁわかっていてシロ様が交渉に行くのを止めなかった私も同罪だが。オレンさん、胃は大丈夫かな。神経質そうだったあの顔を思い出す。絶対苦労性なんだろうなぁ。ディーデさんは頼もしくはあったけれど、政策やら執務やらが得意そうなタイプには見えなかったし。
「ちなみに作成者についても言っておいた?」
「ああ。奴隷騒ぎを解決した法術師が、今後街に不幸が訪れないようにとお守りを作ったと伝えるようにと」
「……そういう風に兵舎が頼んだ、っていうのも?」
「……言っておいた。このお人好しが」
ただ一応は、救済策も彼へと預けておいて。お人好し、その言葉をもう何度シロ様から言われただろうか。へらりと笑みを返せば、返ってきたのは聞き慣れた溜息だった。だって仕方ないだろう。これは取引だ。兵舎の人達には、私達のエゴのために動いてもらう。それならば何かしらの利を相手に返すべきだ。
搾取してばかりの、利用してばかりの関係。それはそれでいいのかもしれない。それに汚い、だとか心がない、だとか外から言うつもりは勿論無くて。だってそれはその人達の事情なんだから、私が文句を言う権利はないだろう。まぁそれが私達に災難として降り掛かってくるのならば、遠慮なく文句を言わせてもらうが。
「ごめんごめん。でもさ、皆幸せ……そっちの方がいいでしょ?」
「…………」
けれど基本的に関係がない第三者には、何かを言う権利はない。だから私のこの行動を偽善と言う人が居ても、その言葉を聞く必要はないのだ。せめて責任を持って関わってきてから言って欲しい。責任のない言葉はどれだけ高尚であったとしても、価値はないのだから。まぁシロ様はばりばりに関わってきているというか私が物を頼んだ張本人であるので、ある程度のお叱りやら愚痴やらは受け入れる所存だが。
しかしどうやら文句はこれ以上無いらしい。ふんと鼻を鳴らして視線を逸した少年に苦笑を一つ。シロ様も大概お人好しと言うか、甘いと言うか。存外優しいこの子は文句を言いながらも、私の行動が嫌いなわけではないのだろう。なんだかんだで私達は価値観が合うのだ。……さて、シロ様は許してくれた。それならば、次は。
「……ごめんね、ヒナちゃん」
「え?」
私達の話に不思議そうに首を傾げていた少女の方へと振り返り、一言。すると瞬きを繰り返していた瞳は、困惑したように見開かれた。私が何を謝っているのかがわからないのだろう。そんな彼女に伝わるようにと、私は言葉を重ねる。鈍い痛みを胸に抱えながらも。
「このお守り、ヒナちゃんが主役なのに。どうしてもそれを、周りに話すのは駄目なんだ」
「…………」
眉を下げて、もう一度ごめんねと。先程とは打って変わり、罪悪感はちくちくと心を苛む。わかっている、これは仕方のないことなのだと。優秀な法術師、なんてことになっている名前が走っているだけの私が、このお守りを作ったことにする。そうすれば周りは納得し、まさか前座の時に空を飛んでいた女の子がこれを作っただなんて思いもしないだろう。
そうすれば、ヒナちゃんの身に危険が迫る可能性はぐっと下がる。いや可愛い上に赤い翼だし、ヒナちゃんを狙いに来る輩は少なからず現れるかもしれない。けれどこんな強力な星火を生み出すことが出来ると思われるよりはずっとマシなのだ。だからヒナちゃんが作ったという事実は、隠匿する。きっとそれが一番正しいのだ。けれどそれでも力目当てに寄ってくる奴らを全て拳で粉砕できるだけの力があれば、ヒナちゃんの名誉を私が奪うこともなかったかもしれない。そんなことを考えれば心は萎んでいって。
「……わたしが、危ないから?」
「!」
「わかってるよ、お姉ちゃん。絵本でも見たもん。すごい力を持ったおひめさまが、わるい人に狙われるおはなし」
しかしヒナちゃんは私が思うよりもずっと聡明で、そうして優しかった。眉を下げた私に何を思ったのだろう。首を傾げると同時、小さく笑った少女はたどたどしくも言葉を紡いだ。全部知っていると言わんばかりの大きな瞳に、ぽかんとした私の顔が映る。
「いれものを作ってくれたのも、お話しにいってくれたのも、全部お姉ちゃんとシロお兄ちゃんが、わたしを守るため……だ、だよね?」
「……そうだな」
「よかった……ええと、それならわたし、うれしい、よ?」
言葉が出ない私の代わりに、シロ様が相槌を打ってくれた。すると一瞬不安げだった瞳は、すぐに安堵に染まる。はにかんだ笑顔に、不満は一切となかった。あるのは純度百パーセントの好意と、こちらへの感謝だけ。
「二人がわたしを大事にしてくれるのが、うれしい」
……大事にしているのが、伝わっていたことだって嬉しいよ。すぐさまそう言えたら良かったのだけれど、胸が詰まって言葉が出なくて。成り行きでヒナちゃんを引き取って、それでも幸せにしてみせると誓った。日向を一緒に歩いていこうと、そう決意した。けれどそれが簡単じゃないことなくらい、私にはわかっていて。大きな傷を抱える彼女にとって、普通の世界を歩こうとするのはとても難しい話だから。
なのに、それなのに。もうこの子は日向へと向かい始めている。私の感情を何一つだって疑わず、純粋で無垢に信じて愛してくれている。ムツドリ族の愛とはこんなに深いものなのか、いやこれはヒナちゃんが強いのか。それに関しては生憎とわからなかったけれど、それでも今胸の中にある感情に名前を付けるのなら。きっとこれを、愛おしいと呼ぶのだろう。
「うちの子マジ天使……エンジェリック……!」
「え、え……!?」
「気にするな発作だ」
何やら言語変換が上手く行かず台無しになってしまった気はするが。ま、まぁともかく。これで話は決まりだ。全てが上手く行った以上、あとは準備を進めるだけ。朱の神楽祭まで、私はお守りを量産。ヒナちゃんは星火をお守りに入れつつ、空を飛ぶ練習。シロ様はその引率。若干ヒナちゃんの負担が心配だが、そこは法力の扱いに長けたシロ様に任せるとして。
「こ、こほん……よし、朝ご飯食べに行こうか?」
「……ほっさ、大丈夫?」
「それは忘れてくれていいから!」
今はともかく、この微妙な空気をどうにかせねば。不器用に笑って告げれば、心配そうに問いかけてきたヒナちゃん。それにすごい勢いで首を振りつつ。ねぇシロ様、笑ってるの見えてるからね!? 文句は口に出せないまま蟠るのであった。




