百二十四話「成長途中のお星さま」
「話は通してきたぞ」
「あ、おかえりなさいシロ様」
「お、おかえりなさい……」
その後も黙々とミニ巾着を量産する作業を進め。その間ヒナちゃんは私の隣で時折作業を観察しつつ、絵本を読んでは文字の練習を進めていた。お腹も空いただろうし先にフルフと朝ご飯を食べてきてはどうだろうと促してはみたのだが、シロ様が帰ってくるのを一緒に待ちたいと言われてしまえばそれ以上返せるような言葉もなく。まぁフルフもまだ眠っているし、皆で朝ご飯の方がいいのかもしれない。
そうこうしている内にシロ様のご帰還である。がちゃりと開いたドアの先から覗いた顔は、いつもに輪をかけた仏頂面。鍛錬のついでに話を付けてきてやる、だなんて私の頼みごとに頷いてくれたはいいが……シロ様は結構交渉事というか人と話すことが苦手だから、手こずったのかもしれない。そうでなければそんな表情はしないだろうし。いや、単純に話す相手が好きじゃないからこその表情なのかもしれないが。
「お疲れ様、どうだった?」
「……問題は起きていない」
「あはは、そっか」
どうやら本当に後者だったらしい。硬い表情のままふいと視線を逸らす少年に苦笑を。交渉を引き受けてくれただけありがたいが、この様子だと脅したりしていないかが少し心配である。まぁシロ様はそこまで短絡的な性格ではないとは思うけれど。
「え、えっと……?」
「あ、後で話すよヒナちゃん。ところで、今って疲れてない?」
「……? 元気、だよ」
私達の会話の意味がわからなかったのか、困ったように首を傾げるヒナちゃん。そんな少女の頭を撫でつつ、一度巾着を作る手を止めて問いかけを。すると今度は不思議そうな表情になったヒナちゃんは、ゆっくりと首を振る。少しお腹は空いているかもしれないが熟睡できたし元気ということらしい。そうか、それならば今のうちに実験をしておいたほうがいいだろうか。フルフも未だ眠っているし。
「……シロ様」
「わかった」
「ヒナちゃん、そこにある紐端っこに寄せてくれるかな?」
「う、うん……」
一旦裁縫箱を片付けて、場所の確保を。名前を呼べば私の意図を察してくれたのか、量産されたミニ巾着たちはシロ様の手によって部屋の端へと寄せられる。そこから一つ巾着を引き抜いて確保してくれる当たり、察しの良さが極まっていると言うかなんというか。もしくは私達が阿吽の呼吸、みたいなことになっているだけだったり? いや、調子に乗るのはよそう。
呆れたような極寒のジト目を思い出しては苦い笑みを浮かべつつ、私は今度はヒナちゃんに声を掛けた。すると何もわかっていないだろうヒナちゃんは私の言葉に頷くと同時、てきぱきと紐を寄せてくれて。今日も今日とて優しさが限界知らずの天使である。徹夜で情緒が不安定なせいか、いっそのこと泣き出したくなるレベルだ。深夜テンションとはかくも恐ろしいものである。
「……よし、いいかな。じゃあヒナちゃん」
「うん」
「今から、本当にヒナちゃんの星が巾着に入れれるかを実験します。私が『せーの』って言ったら、この巾着の中に星火を入れてみてくれる?」
「……わか、った」
勿論、それを表面に出したら間違いなく心配されるので決して出すことはないが。平静の仮面を被りつつも、これで準備は整ったと内心で呟く。今、部屋の中心はぽっかりと空いていた。何のためかといえば、実験による延焼を防ぐため。昨日は運良く燃え移らなかっただけ、という可能性も低くはないのだ。念には念を、というやつである。
この巾着と言ってシロ様を指差せば、巾着はシロ様の手からヒナちゃんの手へと渡って。小さな手が巾着……赤と黒の二色のそれを持つと同時、素直な瞳は緊張という感情に染まる。私はそんな少女の一挙一動を見逃さないようにと指輪に手を掛けつつ、一瞬だけシロ様の方へと視線を向けた。黒い方の瞳を閉じた状態の少年。手にはいつのまにか取り出したのか法符が握られている。恐らくは苦手な水の法術を使うためだろう。どうやらシロ様もシロ様で準備万端、ということらしい。
「……じゃあ行くよ、せーの!」
「っ、『お星さま! 集まって!』」
ならばもう躊躇する必要なんてない。星火によってミニ巾着が燃えないかの実験開始だ。万が一にでも聞こえなかった、なんてことがないように声を張って合図を。すると力強い合図の後に、釣られてかいつもよりも大きな声を上げたヒナちゃんの声が聞こえて。拙くも強い願いを持った言葉が、その唇から零れていって。
そして、光は生まれる。
「……燃えて、ない?」
「……そのようだな」
それは一瞬と瞬いた光景。極彩色が絡み合って睦み合って、光を作り出していくような。赤と緑と青、光の三原色。特別力強く輝いたその三色は、しかし次の瞬間に姿を消した。残ったのはヒナちゃんの手に乗せられた赤い巾着だけ。ほのかに温かな光を放つ、小さなお守りだけ。
どうやら本当に成功らしい。期待通りの結果だが、まさかここまで上手く行くとは。呆然と呟いた私の隣で、法符を持ったままのシロ様が告げる。依然警戒態勢ではあるものの、それ以上に好奇心が買っているらしい。ぽかんとしたままのヒナちゃんに近づいたシロ様は、その手からひょいと巾着をつまみ上げた。
「……気配はかなり薄れた。そして、吸われる感覚もない」
「……ということは」
「傍から見ればこれは光ってるだけの小さな巾着でしか無いな」
二色の瞳が手の中の巾着を検分する。成程、ヒナちゃんから速攻巾着を取り上げたのは万が一にでも呪陣が上手く発動せず、元の効果を発揮してしまう可能性を恐れてのことらしい。相変わらず用心深いと言うかなんというか。本当に頼りになる少年である。
まぁその懸念はどうやら心配が要らないものだったらしいが。くるくると表裏を見直して、そこでようやく何の不安もないと確信できたのだろう。つまみ上げたミニ巾着を再びヒナちゃんの手へぽとりと。そのまま未だぽかんしたままのヒナちゃんの赤い髪に、シロ様の手が触れた。
「シロお兄ちゃん……?」
「……美しい光だ。お前らしい力だな」
「……!」
不器用に動く、まだ幼い手のひら。不思議そうな声に返っていったのは、一段と優しい声で。シロ様のその言葉に、ヒナちゃんの大きな瞳が溢れんばかりに見開かれる光景を見た。驚いたように瞠られた瞳の奥、星の光よりも豊かな輝き。認められた、そのことがよくわかったのだろう。シロ様は動きも言葉も不器用だけれど、それでもそこに偽りがないことだけは確かで。そしてそれをヒナちゃんは知っている。
「……うん、私もすっごく暖かくて優しい光だと思うよ」
「……お姉、ちゃん」
「もうちょっと私がちゃんとした入れ物を作れればよかったんだけど」
「っ、ううん……! わたし、これがいい! お姉ちゃんと糸さんが頑張って作ってくれたの、知ってる」
噛み締めるようにゆっくりと、ヒナちゃんがシロ様の言葉に頷くのを見守って。でもシロ様ばかりに良い格好をさせるわけにはいかないだろう。なんせ私だってこんな素敵な光を作ることが出来るヒナちゃんを褒めたいのだから。それこそ、世界一だと胸を張って言えるくらい。
そんな考えのまま二人の方へと歩み寄って、一言を。膜を張った瞳がこちらを見上げるのに、小さく微笑んだ。ヒナちゃんは本当にすごい。赤い翼だからじゃなくて、特別な星の火を作れるからじゃなくて。あんなに傷ついて苦しんできても、こうやって無条件で私達を信じてくれるその強さが。特別な力をさらけ出すのは怖いだろう。誰かに預けるのは、もっと。それでもヒナちゃんは私達を信じてくれた。その心の強さが眩しくなって、思わずちょっとした冗談を。直後すごい勢いで首を振られてしまったので、気を遣わせてしまったと反省したが。
「……二人が何か考えて、でも私のおねがいを聞いてくれたの……知ってる」
「……!」
けれどそれはあながち冗談ではなかったのかもしれない。ぎゅっとほのかに輝く小さな星を握りしめながら、小さく言葉を落としたヒナちゃん。眉を下げたその表情に、もしかしてなんて考えた。昨日は出来る限り音や光を小さくしたとは言え、呪陣などの作業はこの部屋で進めていた。疲れているから目を覚ますことはないだろうと高を括っていたが、もしヒナちゃんが目を覚ましていたら? 私達の作業をたった一部だけでも、見ていたら?
「ヒナちゃん、」
「……昨日、このお星さまを見せた時。二人共ちょっとだけ、こわい顔してた」
「…………」
「だからきっと、これはちょっとだけこわい力なんだと思う」
きっとその想像は現実に起こったことだったのだろう。ヒナちゃんは存外、こちらの表情に敏感だ。本人の言葉通り、私達があの星火を見た時に表情を強張らせたことにちゃんと気づいていた。だからこそ少し寝付けなくて、そして私達が何かをしていたのを見たのかもしれない。
……知られたくない、というわけではない。何ひとつだって後ろめたいことはないから。けれどそれでヒナちゃんがせっかく自分の中に生まれた力を怖がってしまったら、と思うと声が出そうになかった。ヒナちゃんは宝物みたいにあの星火を見せてくれた。それなのに私達の反応のせいで、その宝物が怖いものになってしまっていたら。じわりとした後悔が胸を埋めていく。
「……でも、このいれものに入ったお星さまはなんだかあったかい。お姉ちゃんみたいな光」
「……!」
「……わたしもいつか、こんなお星さまを作りたいな。こわくなくて、優しくて」
けれど、それでも。それでもヒナちゃんは、宝物のように巾着を握りしめて謳う。きっと自分の星火に何かしらの畏怖感を抱いてしまった心はどこかにあって、しかしそれ以上の目標が彼女の中に生まれたから。
……そうだ、何を勘違いしていたのだろう。まだヒナちゃんはムツドリ族となったばかりで、その翼だってまた幼い。それなら同じように使えるようになった星火だって、きっとまだ成長途中なのだ。今は強大な力を持つ、畏怖感が強いだけの幼いお星さま。けれどきっといつかその火は、彼女の心と同じように成長していく。恐ろしさを知って、力の強さを知って、それでも尚ヒナちゃんがその力に溺れなければ。
「……出来るよ」
「……お姉ちゃん」
「絶対、出来るよ。ヒナちゃんなら」
そうして、ヒナちゃんが正しい星を心に灯せるように隣に居るのが私の役目。私とシロ様と、フルフの役目だ。私が頭を撫でると同時、シロ様の手がぽんとヒナちゃんの肩に乗せられる。願うように紡いだ言葉は、二人にどう聞こえたのかはわからないけれど。少しだけ泣きそうだったのはバレてなければいいな。ちょっとだけ感極まってしまったなんて、大分恥ずかしいし。
「……うん。ありがとう、二人共」
……生憎とお礼を言うその声は、全てを見通すような透明さではあったけれど。