百二十二話「浄化の星火」
「……ミコ」
「うぉう!?」
「夜中に妙な声を出すな」
静まり返った夜の中。寝付けずに部屋を抜け出して一階のロビーのソファーに座って居た私は、そこで突如と聞こえてきた声に思わず間の抜けた声を上げてしまった。ばくばくと動く心臓を懸命に宥めて、ぼんやりと俯かせていた視線を持ち上げる。とはいえ私の端名を呼び捨てでそう呼ぶ人なんて、この世界には一人だけ。夜の影に染まる小さな背丈。こちらへと足を一歩踏み出すと同時に、白銀の髪がさらりと揺れる。
「……もう、シロ様のせいでしょ」
「人のせいにするな」
「はいはい、どうせ小心者の私のせいですよ」
苦情を告げるも相手にはされず。苦笑を浮かべてソファーの端の方へと体を動かせば、わかっていたと言わんばかりに少年は私の隣に座った。重心が僅かに揺らぐ気配。隣に感じる柔らかな温もりに、無意識の内に吐息が零れていく。
あんまりにも静かな夜は、世界に一人で取り残されたような気分になる。そう思ったことはないだろうか。昔、おばあちゃんもおじいちゃんも外に出ていた時。一人きりの家は何の音もせず、聞こえるのは時計の針が秒針を刻む音のみ。遠くから聞こえた人の声に安堵の溜息を吐いた記憶は、あれから背丈が見違えるくらい伸びた今になっても色褪せない。この世界は夜になるとすっかり寝静まってしまうから、シロ様の温度にどうしようもなく安堵した。一人じゃないことを実感できた気がして。
「……ヒナちゃんは?」
「毛玉とぐっすりだ。今日は体も脳も酷使した様子だったからな。朝まで起きることはないだろう」
「そっか」
感傷を抱えつつも問いかけを。一人にしてはあの子が不安がらないだろうかという懸念は、けれど脳裏に浮かんだふわふわの存在で一気に解消される。フルフが居るならば、ヒナちゃんが私と同じ感傷を抱く心配はないだろう。なんせあの毛玉は一匹でシロ様が五人分くらいに騒がしいのだ。
「……ヒナの言う『星』のことか?」
「……シロ様、名探偵?」
「お前のことなら推理せずともわかる」
不安がるヒナちゃんの前で騒ぎ立てるであろうフルフを思い浮かべれば、自然と口は笑みを形作る。ただその笑みは、あちらから返ってきた問いかけによって苦笑に変わってしまったのだけれど。星、その言葉に導かれるように隣の少年の方へと視線を向けた。すると彼も私を見ていたのか、視線はまるでパズルのピースのようにかち合って。
シロ様にしては情熱的な言葉だな。いや単純だと馬鹿にされているのかもしれないが。ふわりふわりと脳を掠めていった思考。しかし結局それらは、思考のリソースを大きく割いていた一箇所へと集まって。
『ガッド、さん……星が見たいって言ってた、から』
星を見せたい。お伽噺に憧れるような言葉が脳裏に過る。あの時の話し合いでヒナちゃんが言っていた星は、けれど子供が抱くような淡い夢ではなくて。確かに存在する奇跡だった。私は、私達は確かにその目で奇跡を見たのだ。「浄化の星火」 いつかレゴさんが気球の中で告げた、奇跡の力を。
瞳を瞬かせた私の目の前で、手のひらを表に目の前に掲げたヒナちゃん。そこに誕生したのは正しく星だった。星と称するしか無い小さな奇跡が、小さな手のひらの中に生まれる。純粋の白は転じて暖色へ、そうして傾斜を下るかのように緩やかに寒色へ。さりとて色が混じり合い黒になることはなく、光を着飾った彩色たちは混ざり合って再び白へと帰る。
『おんなじじゃ、ないかもだけど……これを、見せてあげたいの』
そういってはにかんだ少女の手の中で色彩豊かに輝く星の光は、正しくヒナちゃんの心を映す鏡のようだった。
「……どう思う?」
「間違いなく、狙われる」
短い沈黙の後に、主語の無い問いかけ。これでも伝わるだろうと思ってしまうのは信頼なのか甘えなのか。見事私の質問の意図を理解したらしいシロ様は、端的にそう告げた。そうだよなぁと胸中で独り言を。朱の神楽祭で、衆人環視の中でヒナちゃんが星を降らせれば、間違いなくあの子は狙われることになる。きっと、色々な何かに。
「あの法術は我が使うどの法術よりも強い力を秘めていた。その力がどう作用するかはわからないが、少なくとも何か強力な効果を秘めたものであることは想像に容易い」
「……うん」
まず最初に、シロ様が今言った強い力。書き取りの効果か、私にもその感覚が徐々にわかるようになってきていた。あの星を見た時、私の心に浮かんだのは畏怖という感情。神聖な何かを前に、跪きたくなるような衝動だったのだ。
例えばヒナちゃんが前座で、人が多く集まる中で、あの法術を使ったとしたらどうなる? ただでさえ赤い翼というだけで兵舎に引っこ抜かれそうになっていたヒナちゃんである。力を欲する権力者やら治安組織に目を付けられる可能性は高いだろう。また、祭りに来ているのが地元民だけという可能性は限りなく低い。ウィラの街だけならば兵舎と話を付けた後ということで多少は軋轢から逃れることが出来るかもしれないが、四方八方と手を出されれば守り抜くのは至難となるはずだ。全部シロ様が暴力で跳ね飛ばして良いのなら或いは……いやいや、それはナシである。シロ様に頼り切りになってはいけない。
「……太古、ムツドリ族は治癒に秀でたものが多かったと聞いたことがある。その傾向から考えるに、ヒナの力もそれら祖先たちと同じものと考えた方が自然だろう」
だからこそ考えなければ。治癒、シロ様の言葉に頭を働かせてみる。あの時はヒナちゃんの手の中で輝いていただけだったが、もしかすればあの星火には傷を癒やす力があるのだろうか。シロ様が今もクドラ族の秘宝であるクドラの瞳を引き継いでいる以上、力だって突然変異のものよりは従来の流れに沿って得たものだと考えるほうが自然だ。しかし私はそこではっと目を見開く。そうだ、例ならばいい例があるではないか。
「……例えば、カグラ様みたいな?」
「そうだな。彼女が降らせていたという星は、あの時ヒナの手の中にあったものと同じ可能性が高い」
カグラ様。ヒナちゃんが星を降らせたいと言ったきっかけの偉人。同じムツドリ族で同じ赤い翼で同じ星のような光の法術を使っていたその人と、ヒナちゃんの手の中の光は同じものである可能性は高いはず。私の声にシロ様は頷いてくれた。恐らくは私と同じような思考に至ったのだろう。
カグラ様は話を聞く限り、心根の優しい善人だ。昔の話だから脚色されている部分もあるだろうが、こうして語り継がれている以上、彼女の成し遂げた功績が人々に幸福を齎したのは間違いない。そんな彼女が年老いて飛べなくなった時、自分のために開いてくれた祭りにせめてもと癒やしの星を降らせる。うん、奇妙な話ではないはずだ。一つ気にかかると言えば、癒やしの法術だとするならば何故浄化なんて名前なのかというところだが。もしかしたら「浄化の星火」には何か別の効果があったりするのかもしれない。
「……その場合、前座にならない。ヒナが花びらではなく星を降らせれば、間違いなく騒ぎになる」
「…………」
ただ、今は名付けに疑問を持っている場合ではないか。シロ様の言葉に私は眉を寄せる。そう、今問題なのはお祭りでヒナちゃんが星火を降らせたいと思っていること。それを実行した場合、シロ様の言う通り間違いなく騒ぎになるだろう。さっき言ってた権力者やらに目を付けられるのはまだ穏便に済む方で、やり方によってはその後の大会が中止になるレベルの大騒ぎになりかねない。
なんせ太古の偉人が使っていた法術か、それに近しい奇跡が街に降り注ぐのだ。法術の勉強を始めたばかりの私でもなにか感じ取れるものがある、あの畏怖感と高揚を抱く星火が。それでもし大会が中止になったら? きっと準備をしてきた街の人達は残念に思うはずだ。奴隷騒ぎの件で傷を負った人達だって、一時の高揚に傷を委ねられないかもしれない。それに何より、自分のせいで祭りが中止になったと思ったらヒナちゃんはどうなるだろう。臆病で優しいあの子はきっと、ひどく自分を責めるはずだ。
結論から言えばヒナちゃんが星火を降らせるのは止めたほうが良い。そうすることが、保護者としての私達の役目。
「……うーん、でもなぁ」
「…………」
「それがヒナちゃんの『やりたいこと』なんだよね」
けれどそんなリスクを目前にしても尚、欲張ってしまうのは人間の悪いところなのかもしれない。いっそ利己的とも呼べる私の呟きに、いつのまにか視線を下げていたシロ様が再び私の方を見つめた。正気か。左右で色の違う瞳はそんな感情を乗せて私を見つめている。でも残念なことに正気だ。正気だからこそ、私は一生懸命考えている。ヒナちゃんのやりたいことを、ヒナちゃんが誰かのためにと抱いた優しさを、幻にしないために。
「星火をそのまま降らせるのは駄目。きっと皆、あの法術の力に気づいちゃう。そうしてヒナちゃんが降らせる以上、それを作ったのはヒナちゃんだと思われる可能性が高いよね」
「……だが、どうする? 小さく分けたところでアレの存在感は消えるように思えないが」
「うーん、そうだなぁ……」
とはいえ、そう簡単にナイスアイデアが降ってくることもなく。シロ様の言葉に頷きつつも、私は瞳を伏せた。ヒナちゃんの手のひらの光を思い出す。あれは小さく分けたところで大きく何かが変わるわけではない代物だ。例えば宝石がどれだけ小さくカットされても石ころにはならないように。
ならば、他に隠す方法は? 小さくしても無駄。あの存在感を隠すだけの何かがほしいのだ。例えばぱっと見た時に宝石だと気づけ無いようにするための、そんな偽装が欲しい。考えろ。もし私が家に金塊を置くのなら、他人に奪われる可能性がある貴重なものを持ち歩くのなら、どうやってそれを隠す? 光を小さくするのなら、何を使えばいい? 答えは思ったよりも簡単だった。
「……包む、とかどう?」
「……包む?」
「うん。例えば……」
そこで降ってきた、一つの案。ああそうか、そうすれば。視線を持ち上げて、隣のシロ様を見つめる。夜の中でも輝きが色褪せない瞳に、悪戯っぽく微笑んだ。隠す、そういえばその方法を私はよく知っていたのだ。あまりいい思い出とは呼べないが、今回ばかりは有効活用させていただこう。とはいえそのままではなく、私達なりにアレンジした形で。
「別の法術で目くらましにしちゃう、とか!」