百二十話「前座の役目」
「……そうか、それは助かる」
帰宅後。ヒナちゃんが朱の神楽祭に参加する旨を伝えたガッドさんの反応は、どこかほっとしたようなものだった。こくこくと頷くヒナちゃんを横目に、夕食の海鮮丼を咀嚼しながらも周りを軽く見渡す。いつもこの時間ならば混み合っているはずの海嘯亭。けれど今日は何故かがらんと空いていて。
お客さんは私達とレゴさんを除き、二組。そのどちらもが宿に泊まっている人たちだったはず。ちゃんと話したことはないが、通りがかる時に挨拶を交わすくらいはしているので面識があるのだ。……そういえば、朱の神楽祭が近くなると飲食店は基本的に祭りの準備のために閉店するのだったか。思い返せば食堂前の暖簾になにか書いてあったような気もする。宿の方は年中無休でも、食堂の方はそうではないということなのかもしれない。例えば宿泊の客にしか、食事を提供していないとか。
「とはいえちっせぇ嬢ちゃんに、選手の方で参加させる気はないから安心してくれ。あくまで前座として、祭りを盛り上げるために参加してほしいんだ」
「前座?」
まぁ大半の店が閉まっている以上、食堂を完全に閉めてしまえば宿泊客が困るのを察してのことだろう。そんな事を考えていた私は、しかしそこで聞こえてきた「前座」という言葉に顔を上げた。選手、というのも初耳だったが前座とは一体。確か朱の神楽祭は、飛ぶのが大好きだった昔の偉人のために開かれている祭りだったはず。……とそこまで考えて、私は自分が思うよりも朱の神楽祭についての知識が殆ど無かったことに気づいた。朱の神楽祭って主に何をするのだろう。レゴさんが飛行大会と言っていた以上、飛んで何かを競うということはわかるのだが。
「朱の神楽祭のメインは、十人の選手による空の上での競争だ。街の上にコースを火の輪を作って、それら全てをくぐっってゴールに一番速く着いたやつが優勝……だったよな?」
「火の輪!?」
けれど私の想像よりも祭りの内容はだいぶ過激だった。私の斜め前の席、シロ様の隣に座っていたレゴさんからの説明に目を剥く。火の輪なんて、サーカスや外国のお祭りくらいでしか聞いたことがないのだが!? いやこれは外国どころか異世界のお祭りなので、ツッコミどころなんていくつあってもおかしくはないのだが。
「ああ。だから怪我人が出ることも少なくなくてな……そっちにこんな小さい嬢ちゃんを参加させるわけにはいかねぇだろ」
「さ、流石にそっちには参加してほしくないですね……」
さりとて祭りの内容が過激でも、ガッドさんの倫理観はしっかりとしていらっしゃる。大柄なガタイに似つかわしくない優しい手付きでヒナちゃんの頭を撫でたガッドさんは、もう片方の手で困ったように頬を掻いた。ヒナちゃんは私達の会話の内容に困ったように眉を下げながらも、手付き自体は心地いいからか頭をガッドさんの大きな手へと擦り寄せる。素敵な娘さんが二人居るお父さんの実力、恐るべしであった。
成程、それで選手ではなく前座と言ったのか。ガッドさんのこの口ぶりからして、前座の方はそこまで危険なものではないのだろう。そうでなければ、なんだかんだと子供の私達に優しいこの人がヒナちゃんに頼むこともなかったはず。
「前座はどんな内容なんだ?」
「ピュッ!」
ふむふむと納得したところで、私の正面から二つの声が。いつの間に食べ終わったのか、海老天丼の器に箸を揃えて置いたシロ様から飛んだ疑問。同じく海老天うどんを食べ終わったフルフも、聞かせてと言わんばかりに短く鳴く。……シロ様はともかく、フルフのそれは大盛りだったはずなのだが。
まぁ今はそれよりも朱の神楽祭、その前座についての方が気になる。ガッドさんの口ぶりからして危険なものでないのはなんとなく伝わってくるが、それでも内容を全て確認しなければ大手を振ってヒナちゃんを送り出すことは出来ない。シロ様の問いかけに乗っからせていただく形で、ガッドさんの方に視線をちらりと。すると心得ているというばかりに強面のその人は頷いて。
「前座の仕事は、さっきも言った通りに本筋の飛行大会の前に会場を盛り上げることだ。ムツドリ族の子供に花籠をもたせ、空を飛びながら花びらを降らせてもらうんだ」
「花びら……!」
その光景を想像したのだろう。もぐもぐとちらし寿司御膳を頬張っていたヒナちゃんの瞳がきらきらと輝く気配。成程、前座とは結婚式のフラワーシャワー役の子供みたいな役目らしい。火の輪をくぐるのとは違い危険性も少ないし、何よりも楽しそうだ。それにきっと空を飛び回りながら花びらを散らすヒナちゃんははちゃめちゃに可愛いだろう。カメラが無いのが惜しい。
「大体子供が参加するんだっけか?」
「ああ。だが本来参加するはずだったユニのところの倅が夏風邪を拗らせてな。他に候補者が見つからなくて困ってたところだったんだ」
「成程ねぇ。そりゃあヒナちゃんに白羽の矢が立つわけだ」
話を聞いたところで危険がないと判断したのだろう。一度短く頷いたシロ様は、それならば異論はないと言わんばかりに黙り込んだ。それを見て苦笑を浮かべつつも、会話を引き継いだレゴさんによって概要は更に明かされていく。急にヒナちゃんに声を掛けるなんて、とも思ったがそういう事情があったらしい。つまるところヒナちゃんは代役というわけだ。
……街の上を飛び回る、というのは砂浜の上の空とは違って障害物がある以上多少心配になるが。話を聞く限りでは長く飛び続けることもなければ、危険物に突っ込まらせられることもない。ガッドさんの話だから不安は少なかったが、どうやら問題は全くと言ってなさそうである。ヒナちゃんもこころなしかそわそわと体を揺らしているし、恐らくは話を聞いてますますやってみたくなったのだろう。それならば私が言うことはないと安心したところで、海鮮丼の最後の一口をぱくり。ご馳走様でした。
「……昔は、星火だったらしいがな」
「……星火?」
「あ、ああ……聞こえてたか」
けれどそこでぽつりと落とされたガッドさんの一言を、思わずと私は拾い上げる。聞き流されると思っていたのか、はたまた独り言のつもりだったのか、私の言葉にガッドさんは驚いたように瞳を瞬かせて。星火、どこかで聞いたような。
「……昔の神楽祭は、前座でカグラ様が星火っていう法術で出来た炎を散らせてたって話があるんだ。祭りが出来た頃にはカグラ様もご高齢でな、飛行大会の方には参加できないからと」
「へぇ……!」
「それはそれは綺麗だった、って話だ。まぁ今じゃ見たことがある人なんて居ない可能性のほうが高いが」
だが問いかければ答えてくれるのがガッドさんの優しいところだ。懐かしむかのようにヘーゼルの瞳が細められると同時、その人はまるで絵本を読みかせるかのように優しく語ってくれた。成程、昔は祀られていた側のカグラ様が前座を務めていたらしい。その話だけでもなんとなく、去っていった過去の偉人の性格がわかるような。ムツナギで誇られている英雄はきっと、とても優しい人だったのだろう。
ガッドさんのヘーゼルの瞳には小さな憧れが浮かんでいた。星火。恐らくは星のように瞬く、綺麗な炎。それをカグラ様が降らせていたのは何百年も前の話で、きっと当時を知る人の殆どは世界を去っていってしまったけれど。それでも残る星がここにある。形を変えて花びらになっても、当時の彼女がその時星の光に込めていた気持ちは受け継がれているはずだ。祝福という、その感情は。
「まぁいまは星火の代わりに花びらやら、後は子供たちが自分で作った柔らかい飾りやら……そういうのを降らすのが普通だからな。ヒナの嬢ちゃんはなんか希望とかあるか? 時間がかかるのは難しいが……ある程度なら好きなもん用意してやれるぞ」
「う、うん……」
さて、ヒナちゃんはどんな星火を降らせるのか。問いかけられてか、何かを一生懸命に考えている様子の少女を見れば微笑ましさから笑みが零れて。ちらし寿司を食べる手が止まっているのは、少々いただけないが。
その後、ガッドさんがミーアさんに呼ばれて、レゴさんが先に部屋に戻るまで。それだけ時間が経ってもヒナちゃんは、時折考えたように思考の海に沈み込んではその手を止めていた。その様子に、いよいよシロ様が私にスプーンを渡してきたことに関してはヒナちゃんの名誉のために割愛させていただく。一つだけ語らせていただくのならば、正しく雛の餌付けになっていたと言うべきか。真面目な彼女はどうやら、小さな考え事一つにも一生懸命になってしまうらしい。
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これからも拙くはありますが完結まで頑張っていこうと思うので、応援していただけたら幸いです。読んでくださる皆様、いつもありがとうございます。