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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第一章 マンホールの底からこんにちは
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十二話「過剰な慈悲は嫌がらせ」

 そうしてシロ様を綺麗にするため、水筒を片手に私達は水場へとやってきた。シロ様に連れられ辿り着いたのは、深い森の中でもより一層木々が生い茂る場所で。しかしその中心、そこには確かに水があった。土砂災害や何かで崩れたのか、勝手にできた大きな窪み。そこを埋めるのは透明な水だ。透き通るその液体は木漏れ日の光を反射して、まるで自分自身が輝いているかのように光っている。木々や植物に守られるように存在するその場所はまさしく、泉と形容するのが相応しい場所で。


「わぁ……!」


 田舎育ちでも滅多にお目にかかれない大自然の光景に、私の口からは勝手に感嘆の声が零れる。そこは神秘的で美しい、そんな場所だった。人の手が加わっていない、完全なる自然物の姿。ここが恐らく私の過ごしていた日本だったのなら、観光スポットして名を馳せたことだろう。とはいえこんな別世界でそんな想定をするのは、無意味以外の何物でもないが。

 胸に降って湧いた感傷を振り切るように、水筒を握りしめる。仕方ないこととは言え、まだ日本に帰りたいというそんな考えは捨てられそうになかった。帰れないと言われてはいそうですかと諦められるほど、物分りがよくはなれなくて。しかしそこで私の前で泉を眺めていたシロ様が、こちらを振り返る。私のものじゃなかった方の瞳と、目があった。


「……どうした」

「……ううん、何でも」


 木漏れ日に照らされた泉に立つ、白皙の美少年。振り返りこちらを見つめるその姿は現実味がないほど美しく、まるで物語の中みたいだ。心を読んだかのようなタイミングで振り返った彼に息を呑みそうになって、けれど私は彼の言葉にへらりと笑みを浮かべる。誤魔化すような言葉に眉を寄せられてしまったが、これは仕方ない。だって振り返る姿があんまりにも綺麗過ぎて、一瞬浮かんだ感傷なんてものは流されてしまったのだ。


「さて、水汲もっか!」

「……ああ」


 誤魔化されたと感じたのかシロ様は納得のいかない顔をしていたが、深くは突っ込まないまま私の言葉に頷いてくれる。私が彼の事情に土足で踏み込むのを避けているせいか、彼もまたそれに習うように深くは突っ込んでこない。それは楽だがこのままでいいのだろうか、そんなことを考えながらも私は水筒のカバーを外した。ふわふわのこのカバーは、水を汲むには少々邪魔である。

 きゅっと飲み口の部分を外して中を覗く。飲み干した記憶通り、その中身は空っぽであった。無限に水が湧く水筒に変わって無くて良かったなんて思いつつ、私はそれを泉の近くに立つシロ様へと渡す。自分で汲めと思われるかもしれないが、流石に渡せと言わんばかりに手を差し出している彼を無視することができなかったのだ。


「……これがお前の言う水筒か?」

「あ、うん。もしかして想定と違った?」

「ああ」


 しかし水筒を受け取ったシロ様は、その姿を見て首を傾げて。我が知っているのは竹で作ったものだ、そう短く告げながらもシロ様は水筒を眺める。その瞳には好奇心が煌めいていた。竹で作った水筒とは、歴史の資料集か何かに乗っていた工芸品のようなあれだろうか。朧気な記憶を思い出し、私は成程と頷く。それならば合成樹脂で作られた水筒は、彼には全く別のものに見えるだろう。


「まぁ観察は後にして、とりあえず綺麗にしよう?」

「……そうだな」


 とはいえ今はその知的好奇心よりも、身綺麗にすることを優先するべきだ。結局傷がどうなったのかに関しては聞いていないし、表面上は元気そうには見えるが恐らく完治したわけではないだろう。擦り傷から戦ったという熊の血が菌として入れば、大きな病気になってしまうかもしれない。

 そう考えて水を汲むことを促した私に、シロ様ははっとしたような顔をする。普段は他に中の人が居るのではないかと思うほどに大人びているシロ様ではあるが、新しいものに興味を示すその姿は子供らしい。それを若干微笑ましく思いつつ、私は泉の中に水筒を沈める彼の背を眺めていた。万が一にでも滑り落ちるようなことがあれば、直ぐにその体を支えられるようにと考えつつ。とはいえ彼の身体能力は高そうだから、恐らくそれを心配する必要もないのだろうけど。


「……汲めたぞ」

「はーい。じゃ、少し離れよ」

「ああ」


 そして私の予想通り、滑り落ちるなんてトラブルも無くシロ様は水を汲み終えた。泉から離れ私に近づいてきた彼にそう声を掛ければ、頷きと共に水筒を返されて。私はたぷたぷとなった水筒に蓋をしつつ、先を歩いていったシロ様を目で追う。

 いくら大容量の水筒と言えど、あんなに全身が血塗れなら泉をいくらか往復する必要はあるだろう。水を汚さないため多少は泉から離れる必要があるが、近場の方がいい。そうして恐らくシロ様もまた、私と似たような考えを抱いたのだろう。ある程度泉と距離を取りながらも、そう遠くない位置でシロ様はその足を止めた。私は水筒を抱えながらも、その位置へと駆けていく。大容量二リットル。いつもは私の腕には少し重いそれが、重さを感じないことに嫌な予感を感じつつも。


「えっと……ここでいい?」

「ああ。恐らく問題ない」

「わかった」


 とはいえひとまず私はその疑問を飲み込んで、少し遠くで立っていたシロ様へと駆け寄った。一応確認のため問いかければ、問題ないと頷かれて。どうやらここでいいらしい。確かに泉とは十分な距離を取っているし、彼の言う通り問題はないだろう。頷いたシロ様に頷き返し、私は水筒の蓋を開けた。


「……何をしている」

「え? だって、私の方がシロ様より背が高いし」

「…………」


 そうしてそのままシロ様の頭の上へと水筒を持っていこうとした私を、しかしシロ様は止めた。そうして不満そうな表情を浮かべた彼は、自分でやると言わんばかりに手を差し出してくる。けれど私はそれに首を振った。その言葉に彼の眉が寄ったことには、気づかずに。

 だって冷静に考えて、彼よりも背のある私がシャワーのように水を流した方が早い。そうして彼が自分の手で血を洗い流せば、一人でやるよりも余程効率的なはずだ。効率的にものを考えるシロ様が何故嫌そうにしているのか、それがわからずに私は首を傾げる。やらなければいけないこと、考えなければいけないこと。それらが積み重なっている今、時間は貴重な財産だ。ならば協力して早く済ませたほうがいいだろう。


「……わか、った」

「わぁ、すごく嫌そう……」


 早く済ませたほうがいい、自分の考えを告げた私にシロ様は葛藤するように目を伏せて。そうして少しの沈黙の後、渋々と言わんばかりに頷いた。その顔は初めて見る程の不満そうな表情を浮かべていて。それに思わず言葉を零せば、きっと睨まれた。多分早くしろと思っている。


「早くしろ」

「あっ、うん。じゃあかけるね?」

「ああ」


 言葉でも言われてしまった。「シロ様の仰せのままに」なんて無駄口を叩けば更に強く睨まれそうだな、なんてことを考えながらも私は合図を窺う。それに秒速で頷かれたことに思わず吹き出しそうになって、しかしなんとかそれを堪えて私はシロ様の頭の上から水筒を傾けた。


「あ、あんまりぐしゃぐしゃにしたら髪痛むよ?」

「……髪などどうでもいい」

「……それでそのサラサラヘアーなら、女の子の妬みを買うと思う」


 透き通った水は水筒を伝い、今では赤く染まった彼の頭へと流れていく。けれど水が落ちて白が覗き始めたその髪を、シロ様は乱暴に掻き混ぜていった。血が落ちさえすればどうでもいいと言わんばかりのその行動に思わず苦言を呈すも、あっさりと一蹴されてしまって。見た目は儚げな美少年のくせに、中身は少々男らしすぎる。というかそのスタンスでそのキューティクルなら、女子からの恨みを買いそうだ。私もあまり容姿に頓着するタイプではないが、シロ様の行動にはやるせない気持ちを感じたので。

 なんとなくもやもやした私を置いて、プチ滝行は順調に進んでいった。滑り落ちる水は彼の頭や肌を汚した赤を、あっさりと流していく。そのあっさり具合に本当にただの水か? なんて疑問を抱えながらも、私はそれ以上に無視できない疑問を抱えていた。リュックと同じ、考えたくないタイプの疑問を。


「……びしょびしょだけど、血は流せたね」

「これくらいならばすぐ乾く。助かった」


 そうして「一回の補給をすることもなく」シロ様の水やりは終了した。これを告げれば我は植物ではない、なんて返されるだろうなと現実逃避をする。半ば呆然としながら言葉を零した私を他所に、礼を告げながらもシロ様は淡々と服の水を絞っていた。彼だってこの異常に気づいているだろうに。思わず不満に思いながらも、私は水筒の中身を見つめた。中身は最初に見た時と変わること無く、たぷたぷのまま。まるで何も、使わなかったかのように。


「……水、減らなかったんだけど」

「そうだな」


 疲れたような溜息が零れそうになって、しかしそれを何とか抑える。あらかた予想を立てていたのか、シロ様の反応は冷静だ。せめて言っておいてくれれば心の準備ができたのに。デリケートな身長の部分を触れたことへの意趣返しだろうか。それに関しては全力で謝罪するので、この驚きと疲れを分かち合って欲しい。

 中身を腐らせないエコバッグ、大容量を超えた大容量のリュック、そうして水が減らず無限と化した水筒。それらは一般市民の私には少々恩恵が過剰すぎて。思わず私は私をこの世界に落とした神様に、こう言いたくなった。ありがたくはあるが慈悲が過ぎる、と。

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