百十三話「もう一つの理由は今」
とはいえ歓迎会とは言っても、そう大きなものではなく。その内容は二時間ほど海嘯亭の食堂をお借りして、美味しい海鮮やら料理やらを提供してもらう程度のこぢんまりとしたものだ。ちなみに、発案者はミーアさん。それにガッドさんとレーネさんが乗った形となる。
なんでも、私達へのせめてもののお礼ということらしい。実はミーアさんが助かった後、私がその要因の一つとなったことを聞いたガッドさんからはいくつか提案を受けていた。宿代をタダにする、食事代をタダにする、それが要らないならせめていくらかの金銭を払わせてくれと。しかし私はそれらを全て断った。結果がたまたま上手く行っただけで、たまたまそれが誰かのためになったというだけで、私の行動が身勝手なものだったことには何ら変わりはない。その行動の結果何かしらの報酬を受け取ってしまうのは、今後の自分のためにならないと思ったのだ。シロ様も「必要ない」と言っていたわけだし。
『なら、こんなのはどう?』
しかしそこで声を上げたのがミーアさんである。どうしても何かしらの礼をしたいと思ってくれているガッドさんと、それをどうしても受け取れない私。その攻防を見ていた彼女が発案したのが、ヒナちゃんの歓迎会。ガッドさんが腕によりをかけた料理を、私達と新しく私達の旅の仲間になった少女に振る舞うということ。
最初は断ったのだが、盛大に歓迎してもらうことはヒナちゃんにとってプラスになると言われればぐうの音も出ず。それならばせめてお代を払うと言っても、なら他のお礼を払うまで父さんの心は晴れないわねと言われてしまい。つまり何が言いたいかというと、ミーアさんに口喧嘩で負けたということである。歓迎会をあちらの負担で開いてもらうこと、それで手打ちということにしたのだ。ここに居る間の宿代やら食事代やらをタダにするよりは負担が少ないと言われれば、もはや頷くことしか出来なかった。直接の金銭の受け取りは、それはそれで罪悪感があったし。
「……!」
「美味しい?」
「っ、うん……!」
しかしこうなった今となっては、歓迎会を開きましょうと言ったミーアさんには感謝しか無い。錦糸卵にいくら、きゅうりにカニにまぐろとサーモン。つやつやと輝く具材たちがふんだんにあしらわれたそれを一口食べたヒナちゃんの赤い瞳が、きらきらと輝く。美味しいと全力で語る表情の、なんと微笑ましいことか。寿司桶からお皿に盛られたそれはちらし寿司。とはいえちらし寿司にしては、具材の量が類を見ない多さになっている気がするが。気合の入りようがすごい。
「…………」
「ん、ほんとに美味しい……!」
ウィラの街に来てすっかり生魚にも慣れたのか、ヒナちゃんの隣ではシロ様ももぐもぐとちらし寿司を口に運んでいる。私も二人に習ってちらし寿司を一口と口に運ぶと、海鮮の旨味ときゅうりの爽やかさ、卵のまろやかさ、それらの調和された味が瞬時に口の中に広がった。はっきり言って、とても美味しい。ヒナちゃんがきらきらと瞳を輝かせながら食べているのも納得のお味である。これがガッドさんの本気らしい。ぶっちゃけ宿なんてしなくても十分料理人と稼いでいける気がするレベルだ。
「こっちも美味しいわよ!」
「お野菜も食べてくださいね。デザートもあるんですよ」
しかも並んでいる料理は決して、このちらし寿司だけではないのだ。ミーアさんが持ってきてくれた、花を模したカラフルな手毬寿司。レーネさんがおすすめしてくれたのは、透明な皮で野菜を鮮やかにつつんだ生春巻き。成程、どれも美味しそうである。というか、これらを作るのにどれくらいの時間を費やしたのだろう。ちらりと視線をやった先のガッドさんは、お酒を酌み交わしているのかレゴさんと楽しそうに会話していた。その表情はどことなく、達成感に満ち溢れているような。
手が込んだ料理の数々には、改めて感謝しか無い。内心でありがとうございますと手を合わせつつ、私はレーネさんおすすめの生春巻きをいただくこととした。オーロラソース、だっただろうか。ピンクのそれをディップしてぱくりと。小気味いい食感とソースの甘さが程よくマッチして、とても美味しい。皮もつるりと喉を通っていき、その感覚が心地よかった。こちらも絶品である。
「……あの」
「え……? あ!」
ガッドさんはなんでも作れるのかもしれないと、深く感心して。しかしそこで後ろから聞こえた聞き覚えのない声に、私は咀嚼をしながらも振り返った。そこに居たのは長い銀髪の女性と茶髪の男性、そして男性の足に隠れる小さな子供。私はそこで思い出した。そういえば料理に夢中になって、見知らぬ顔であった彼らに挨拶をするのをすっかり忘れていたと。
「す、すみません……ええと、初めまして? ミコです」
「ふふ、いいえ。こうしてお話するのは初めてですね。フェンの妻のユーリと申します。こっちは息子のダン」
慌てて口の中の物を飲み込みつつ、片付いたところで挨拶を。ぺこりと頭を下げれば、穏やかそうな風貌の女性……ユーリさんは、同じように頭を下げてくれた。それと同時に男性、レゴさんの仕事上の相棒だというフェンさんも頭を下げ。そんな両親の姿を見てか一拍と遅れて頭を下げた少年の、慌てた姿はどこか微笑ましかった。ヒナちゃんと同じ年頃だろうか。身長は同じくらいな気がする。
私があんな危険な綱渡りに出たもう一つの理由、フェンさんの家族。そんな彼らが揃ってここに居る。こうして話せば、すとんと実感は胸に降ってきて。嬉しいな、なんてそんなことを思った。幸せな家族の一つの形を自分がもし守れたというのなら、それに勝る達成感はないだろう。
「どうしてもお礼を言いたくて。それでガッドさんに頼んで、この場に参加させていただいたんです。私達親子を助けてくださって、本当にありがとうございました」
「い、いえ……! 私自身がそこまで何かをしたわけでもないですし、好きでやったことなので……!」
「それでも、貴方が居なければここに私達は居なかったかもしれません」
とはいえ結局は自己満足。それに丁寧なお礼を言われるのは、些か反応に困るというわけで。先程の挨拶の礼とは違う深々としたお辞儀に、私は彼女に見えていないのにも関わらず胸の前で両手を振った。しかし何度と繰り返したかわからない言葉にも、顔を上げたユーリさんは柔らかな微笑みと共に首を振る。どこか有無を言わさないその微笑みは、母親特有のものだろうか。母強し、とはまさにこのことなのかもしれない。
「……俺からもお礼を言わせてください。俺の大切な妻と子供を取り返してくれて、ありがとう」
「は、はい……」
その圧に負けて思わず言葉を飲み込んでしまえば、隣のフェンさんからも深々と頭を下げられて。もはやそれに返す言葉もなかった。今日で一生分のお礼を言われている気がするような。過剰なお礼を受け取るだけなのは、中々に心苦しいものなのだなと一人ごちる。しかし今度の私はこの場から逃げられなかった。なんせレゴさんがガッドさんと談笑している以上、私に助け舟が出される可能性は限りなく低いのだ。
ちらりと、後方を振り返ってみる。けれどやはり私の仲間たちが私を助けてくれる気配はなかった。ヒナちゃんは「お姉ちゃんが褒められてる!」と言わんばかりににこにことこちらを見守っているし、シロ様はこちらをガン無視で料理に夢中だ。時折美味しかったものをヒナちゃんのお皿に乗せたりしてるのは大変偉いと思うが、少しくらいこっちを構ってくれても良くないだろうか。だってシロ様こそが一番、この事件解決の功労者のはずなのに。
「…………」
一瞬それを二人に伝えようかと思って、けれどそれは鋭い視線によって押し込められた。一瞬だけ向けられた、シロ様からの「言うな」という圧。ユーリさんのよりもよほど鋭いそれに、私は口を噤むことしか出来なかった。というか何故私が何を言おうとしてるのかがわかるのか。もしかしてシロ様の持つクドラの瞳には人の心を読むような力があるのかもしれない。……あながちありえそうなのが怖いな。
「ミコさん?」
「あ、ええと……お礼はもう十分なので、今日はゆっくり楽しんでいってください。楽しそうにしてもらえたら、それだけで嬉しいので」
「……ふふ、ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」
シロ様とのアイコンタクトで空いた間を訝しがったのか、首を傾げたユーリさんに名前を呼ばれる。とはいえシロ様に釘を刺された以上、「あの時籠繭の外で犯人共をバッタバッタとなぎ倒してくれたのはこの子なんですよー!」なんて伝えるわけにも行かないだろう。言いたかった言葉を飲み込みつつ、当たり障りのない言葉を。それに優しく微笑んでくれた女性を見て、どうやら漸くとお礼ラッシュは終わったようだと一息ついたところで。
「……あ」
しかし私はそこで、一つ思い出してしまった。そう言えば賑やかなこの場を更に賑やかにするであろう、あの小さな影が居ないことに。