百十二話「歓迎会」
「おかえりなさい!」
「わっ!?」
そんなこんなで買い物を終えて、白い花の簪をケープに飾ったヒナちゃんと海嘯亭へと帰った私達。しかしそうして帰った私達を待ち受けていたのは、ある意味熱い歓迎だった。扉を開けた瞬間に聞こえたのは、ぱんっ、と何かが弾けたかのような音。その音と同時に散らばった色とりどりの何かに、思わず目を瞬かせる。そうしてその色彩の向こうには、いたずらに微笑むヘーゼルがあった。
「……ミーアさん?」
「うふふ」
いや、うふふではないのだが。楽しそうに微笑みを零すミーアさんを、私はじとりとした目で見つめた。クラッカー、だろうか。ミーアさんの手元に残った紐と、足元やら肩やらに散らばった色紙の残骸から先程の音の原因が何であったかを特定する。この世界にもあったのか、クラッカー。無いものとあるものの差異で、私の頭がいよいよと混沌を極め始めた気がする。
しかし今はそんなことよりも、この状況を落ち着かせるべきだろう。謎の物体を向けられたことで咄嗟に私を庇おうとしてくれたのであろう、私よりも紙まみれのシロ様。身長差のせいで何も見えていないが、それでも何かが起こったのは察したのか後ろから私を引っ張ろうとしているヒナちゃん。とりあえずこの二人を落ち着かせなければ。
「ヒナちゃん、ミーアさんの悪戯だから大丈夫だよ。シロ様、紙取るね」
くるりと振り返って赤い頭をぽんぽんと。ミーアさんの手を見るにもう追撃はないであろうと小さな少女を扉の先に招けば、ぱちぱちと瞬きを繰り返す赤い瞳は地面に散らばった色とりどりの紙を見つめていた。私の肩にかかったものとそれが同じなのを確認して、そこで漸く安心したのだろう。若干強張っていた表情はふっと緩む。
さて、ヒナちゃんはもう大丈夫だろう。次は真っ白な姿が大惨事になっているシロ様をどうにかしなければ。一応伺いを立てた後に、髪やら肩やら全身に散らばった紙をはらう。特に異論はないのか、少年はされるがままに大人しくしていた。それをいいことにぱっぱと色紙をどかしていく。地面に落とすのは……まぁいいだろう。ミーアさんが片付けるだろうし。というかこれ、入ってきたのが私達じゃなかったらどうしたのだろうか。下手したら怒られるのでは。
「で、どうしてこれを?」
「ん? 知らないの? これは紙花火薬よ。歓迎するときとか、お祝いのときとかに使うの」
「いや、そういうことじゃなくて……」
そんなこんなでシロ様を綺麗にし終えたところで、もう一度じとりとした視線をミーアさんへ。しかし彼女はどこ吹く風と言わんばかりに楽しげに微笑むだけだ。かみはなかやく。いや今はこれの名称を聞きたかったのではなく、どうしてこんなことをしたのか聞きたかったのだが。歓迎だのお祝いだのと言っているが、満足げなその表情を見るにミーアさんがやりたかっただけな気がする。
「まぁまぁ! もうご飯の用意もできてるから、先に歓迎会をしちゃいましょ?」
「……もう。わかりました」
「ふふ、ミコちゃんは話がわかるわね」
もう少し追求をしたかったところだが、上手い具合に躱されてしまった。食事の用意が出来てると言われてしまえば、冷めるのは勿体ないしなと言う貧乏性が出てしまうのである。まぁシロ様も別に怒っている様子はないし、ヒナちゃんは興味深そうに拾った紙を見つめているし、いいか。別に怒るほどのことでもないのだ。掃除が大変そうだな、と思うくらいで。
「さぁさ、行きましょ行きましょ! 主役が居なくちゃ話にならないものね!」
「わ……!?」
「ヒナちゃん、気をつけて歩いてね」
しかしどうやら今掃除をする気はないらしい。宿の受付の入り口がこんなに汚れていて大丈夫だろうかと心配になるが、ミーアさんはヒナちゃんの背を押したままに歩き始めてしまった。困惑の声を上げて前を行く背中に声をかけつつ、私はシロ様の方へ視線を動かす。先程から止まったままの少年は、何故か動き出す様子がなかったので。
シロ様の視線は、先程までミーアさんが居た受付のカウンターに向いている。何か気になるものがあったのだろうかと見つめるも、そこにはクラッカー……いや紙花火薬の残骸である紐しか無い。もしかして怒ってはいなそうだというのは私の勘違いで、内心静かな怒りを堪えていたのだろうか。それならば先程からずっと無言なのも頷けるような。
「……奇襲にいいな」
「…………」
違った。白皙の肌を持つ儚げで美しい少年は、今日も元気に戦闘民族脳であったらしい。本日三度目のジト目になりつつ、私はじっと残骸を見つめるシロ様の手を引っ張った。このまま置いておくと、いつまでも残骸を観察していそうだったので。
「おう、来たか」
「こんばんは、ガッドさん。今日はありがとうございます」
「よせよせ。これは礼でもあるんだからな」
そうして先を行った二人の背中に追いついて、そのまま四人で食堂の扉を開けた。そこには知った顔が三人と、見知らぬ顔が三人。自己紹介をしたいところだが、でもまずはこの場を用意してくれたガッドさんにお礼を言うべきだろう。そう考えた私は、今日もどこか厳つい雰囲気の彼へと頭を下げた。結局は降ってきた困ったような声に、すぐに頭を上げることになったが。
今日の海嘯亭の食堂は、いつもとは違う姿だった。先程の紙花火薬のことから考えるに、主犯はミーアさんなのだろう。紙で作られた輪飾りやら、いつもは置かれていない珊瑚をモチーフにした大きなオブジェやら、その他諸々が食堂を賑やかに飾っている。統一性は感じられなかったが、歓迎の気持ちはひしひしと伝わってくる飾り達。それを見れば、先程の件は水に流してもいいのではなんて考えた。あれも結局は、私達を歓迎する意図でのものだったのだから。
「お嬢ちゃんたちが居なかったら、ミーアはここに居なかったかもしれねぇ。改めて、本当にありがとな」
「いえ。その、なんていうか……私が嫌だっただけなので」
今のガッドさんの言葉も、きっと。真剣な声音で告げられたもう何度目かもわからない御礼の言葉に、私は苦笑を浮かべて首を振った。ミーアさんと一緒に海嘯亭に帰ったときから、ガッドさんはずっとこんな態度である。私がしたくてしただけだし、そこまで気にしなくてもとは思うのだが。けれど何度礼を言っても足りないくらいだというあたり、この人は娘であるミーアさんやレーネさんを心底大事にしているのだろう。少々雰囲気が厳ついだけで、本当に家族思いな人なのだ。
「私からも、ありがとうございます。本当に感謝しているの」
「レーネさんまで……」
「ふふ、これで最後にしますから。ね?」
こんな人に育てられたからこそ、レーネさんも妹のミーアさんをとても大切にしているのだろう。続けられた礼にいよいよ困り果てた声を上げると、小さな微笑みとともにしっかりと頭を下げられてしまった。感謝してもらえるのはありがたい話だが、些か過剰な気がする。そもそも私は場所を伝えるようなマーカー的な役割と、一時的に被害者の人達を保護するような法術を使っただけで、根本的に犯人たちをなぎ倒してくれたのはシロ様なのだ。更に言えば、森から街へと被害者の人達を送り届けてくれたのは兵舎の人達だし。
「おうおう困ってんなぁ、嬢ちゃん」
「わ……!? れ、レゴさん……」
「今日は無茶してねぇな? 元気そうで何よりだ」
なんとかこの感謝!の空気が壊れないだろうかと考えていた私。しかしそこで私に救いの手は差し伸べられた。二人に頭を下げられてあたふたとしていた私を見かねてか、レゴさんが近づいてきてくれたのだ。まるで空気を流すかのように、褐色の大きな手が乱暴に私の頭を撫でる。乱暴とは言っても、決して痛くはないのだけれど。
快活に声を掛けて心配してくれたその人に頷きで答えつつ、私は内心で救世主……!と感動していた。なんせこういう時に頼りになる小さい仲間たちは助けてくれないのだ。シロ様は私の視線にそっぽを向くし、ヒナちゃんと言えば私が褒められて嬉しいのかうんうんと頷いているし。流石誰よりも頼りになるムツドリ族ランキング第一位である(私調べ) ちなみに誰よりも可愛いムツドリ族ランキング一位はヒナちゃんだ。これに関しての異論は認めないこととする。
「やめろ」
「ぐっ……!?」
「お前の撫で方ではミコの頭が取れる」
「いや取れねぇよ!? ……だ、大丈夫だからなヒナちゃん、取れねぇから、な?」
しかしそこで救世主に攻撃が。げしっと足の脛……弁慶のあたりをシロ様によって蹴られたレゴさん。恐らく相当痛かったのだろう。為すすべもなく崩れ落ちたレゴさんに重ねられたのは、冷たい一瞥という追撃で。足を抑えつつもそれに反射的に突っ込んだレゴさんは、そこで目に入ったらしいヒナちゃんの表情を見て動揺の声を上げる。なんせ私の頭が取れると聞いたヒナちゃんは、顔を真っ青にレゴさんを見つめていたので。
「……暴力は駄目だよ、シロ様」
「気のせいだ」
「流石に無理があるからね?」
脚の痛みを抱えながらも必死にヒナちゃんに弁解をするレゴさんを視界の外に、私はシロ様を困ったように見つめる。最近のシロ様は、若干レゴさんに当たりがきついような。いやきついというよりは、気安いと呼ぶほうが近いのかもしれないけれど。
無理がありすぎる誤魔化しで雑にうやむやにしようとするシロ様を呆れ顔で見つめつつ、しかし内心には嬉しく思う私が居た。ブローサの街で出会ったケヤさんを切欠に、シロ様は少しずつ人に心を許そうとしている気がする。例えば先程のミーアさんのことだって。ブローサに居た時のシロ様だったら、咄嗟にミーアさんを害してもおかしくはなかったはずなのだ。なのに私達を庇うだけ庇って、ミーアさんを怒ったりすることもしなかった。もしかしたら少しだけ、この少年が胸に負った深い傷が癒えているのかもしれない。温かい人たちとの交流が、シロ様に信じるということを思い出させているのかもしれない。
「はい、そこまで!」
シロ様の目には見えない傷も少しずつ回復しているのかもしれないなと、そんなことを考えて。しかしそこでぱんぱん、と響いた音に全員の注目がそちらへと集まった。音の出どころは、またしてもミーアさん。けれど今度は紙花火薬を使ったわけではない。高く二度手を打ち鳴らしただけらしい。集まった視線に、ヘーゼルの瞳は得意げに輝く。
「ご飯が冷めるから、歓迎会を始めましょ! ってことで……」
くるり。魅せるような一回転と共に二つの三編みが揺れる。たんたんと、軽い足音。最近攫われたことなんて一切と感じさせ無い、弾けんばかりの笑顔を湛えた少女は一人の人物へと近づいていった。ぽかんと自分を見つめていた、小さな赤髪の少女へと。三編みが大げさに揺れると同時、屈んだその手がヒナちゃんの両手を握る。
「ヒナちゃん、いらっしゃい!」
大きく響いたその声が、歓迎会の合図だった。