百十話「皆でおでかけ」
「それでは、お世話になりました!」
「……おせわに、なりました」
少しだけ強く吹いた風に乱れた前髪を直しながらも直角になるように頭を下げれば、慌てたように私の後ろに隠れていた少女もぺこりと頭を下げる。視界の端で揺れた赤い髪に小さく微笑みつつ視線を上げると、目の前のその人は少し戸惑ったような様子でこちらを見つめていた。神経質そうに寄った眉は八の字に、口元は何かを言いかけるかのように動いて。
「おう、こちらこそ……だ!」
「っ、!……団長、」
「はっ、辛気臭い顔を晴らしてやったんだ。感謝しろ」
しかし彼……オレンさんのその表情は、隣に立つディーデさんに背中を思い切り叩かれたことから崩れていった。恨めしそうに向けられた茶色の瞳を見て、快活に笑うディーデさん。その清々しいまでに悪びれない姿に何を言うこともできなくなったのか、またしても何かを言いかけた唇は引き結ばれた。はぁ、と薄い溜め息が正午も近い暖かな空気に混じって消えていく。諦めたかのような表情には、しかし先程までの意地の悪さは浮かんでいなかった。
「……色々とご迷惑をおかけしました。この件の詫びと礼はいずれ」
「いいえ、お気になさらず。ヒナちゃんの面倒を見てくれたのは本当のことなので」
「……本当に、感謝します」
溜息によって思考が少し整理できたのか、オレンさんはそこで先程私がしたような直角の礼を返してくれる。噛み締めるような言葉に隠された真意はいまいちわからないが、なんとなく悪い意味ではないような。背負った重荷が少しばかり減ったからか、今のオレンさんは先程と比べるとどことなく穏やかな表情のようにも思えた。
だからこそ、これ以上のいがみ合いや貸し借りは必要ない。気にする必要はないと言わんばかりに首を振れば、困ったように眉が下がる。礼は要らないと言ってるのにそんな顔をされる理由がいまいちわからないが、感謝してくれているのなら恐らくは悪い意味ではないのだろう。何かを考え込むかのような表情が、若干気になるところだが。
「……えっと、じゃあ行きますね。お仕事頑張ってください」
「おう。気をつけて帰れよ」
「はい! ありがとうございます」
まぁそんなのは私が気にしたところでどうしようもないことだ。もう一度だけぺこりと頭を下げて、気のいい言葉に笑顔を向けて。そうして私はヒナちゃんの手を引いたまま、二人と兵舎に背を向けた。反転した視界には、一足先に歩きだしていたらしいシロ様とリュックが見える。この様子だと、私達が頭を下げていた時点で歩きだしていたのかもしれない。……もしかしてそれが原因で、オレンさんは困ったような顔をしていたのだろうか。
「シロ様、ちょっと止まって!」
「……?」
シロ様はヒナちゃんと自分たちを引き離した兵舎に良い感情を持っていなかったようだし仕方ないかと、苦笑を浮かべつつ。しかしそう前を歩かれては、一緒に居る意味がないではないか。そう思うがままに声を張れば、小さな背中は怪訝そうに振り返った。恐らくは周辺の警戒をしてくれていたのだろう。閉じられたのは左の黒色、白銀の右目だけがこちらを見つめる。恐らくこれから街を歩くということでリュックにしまわれたのだろう。少年らしい華奢な肩に、毛玉の気配はなかった。
「はい、ヒナちゃんの手握って?」
「え……?」
「……何故だ。既にお前が握っていただろう」
そんな背中にヒナちゃんと共に駆け足で近づいて。そして止まっていた背中に追いつくと同時、私は一度ヒナちゃんの手を離した。そのまますぐさま反対側へと周り、私が握っていなかった方の手をシロ様の前で掲げる。日の下の温かなその手に、内心で小さな安堵を抱えつつも。
しかし今はあったかくなった小さな手にほっと和んでいる場合ではないのである。私の突然の行動に目を丸くしたシロ様に対してその手を握るように促せば、怪訝そうな声が返ってきた。ついでに、勝手に手を掲げられたヒナちゃんの戸惑ったような声だって。まぁ確かに私がヒナちゃんの手を握っている以上、それ以上の保護は必要ないのかもしれないが。
「皆でのおでかけって、そういうものなの!」
だがこれは保護とかそんなんじゃないのである。いくら私達の安全のためと言えど、シロ様が辺りの警戒をするために一人離れてしまうのはいただけない話だ。だってこれは皆でのおでかけで、皆での思い出作りなのだから。一人だけ純粋に楽しめないなんて、そんなのはナシだろう。まだどこか距離があるように思える二人にも、少し仲良くなってほしいし。
「……わか、った」
「……うん……?」
それはあまりにも幼いズタボロな理論だった。皆仲良くなんて、いっそのこと吐き捨てられそうなくらいに幼稚な。けれどきっぱりと言い切ったのが功を奏したのか、それとも二人が「皆のお出かけ」という概念に詳しくなかったからか。困惑しながらも小さく頷いたシロ様は、私によって掲げられた小さな手をそっと握る。その手を反射的にか、ヒナちゃんもきゅっと握り返し。そしてそのまま二人は困ったように視線を合わせた。ぎこちない雰囲気がなんとも微笑ましい。
……子供らしいな、と思った。お姉さんとの約束のためにいつも背を伸ばして大人顔負けに自分を生きようとするシロ様と、経歴が経歴なだけに甘えることがとっても苦手なヒナちゃん。私なんて比べようもないくらいに二人は大人で、子供を知らなくて。もしかしてそんな二人に少しくらい子供であってほしいと思うのは、ただの私の我侭なのかもしれないけれど。というか私だって、まだまだ子供なわけだし。
「じゃ、行こっか!」
「うん……!」
「……ああ」
でもそれでも、私は少しばかり二人よりお姉さんなわけで。事件が解決してまだクドラの手も伸びていないムツナギでならば少しばかり羽目を外しても良いのでは、なんてことを考えるわけで。
シロ様が握ったのはヒナちゃんの左手。その反対の右手側へと回り込み、再びヒナちゃんの手を取った。あくまで周りの人の迷惑にはならないようにと、出来る限りヒナちゃんにくっつく。するとどこかくすぐったそうに中心の少女は笑った。それを見てか、僅かばかりにシロ様もヒナちゃんの方へと体を寄せて。どこまでも不器用に、けれどどこまでも優しく。
「まずはご飯にする? 前に食べたホットサンドとかどうかな」
「ああ、確かに絶品だったな。ヒナはどうだ?」
「……食べて、みたい」
さて、早速おでかけだ。時刻も正午に回った頃だしまずはお昼ご飯かと問いかければ、小さな頷きが二つ返ってくる。現在リュックに収納されているフルフが居れば、狂喜乱舞に跳ね回るだろうななんてことを考えて。
「あそこは食材の説明も面白い。ヒナの勉強にもなるはずだ」
「そうなの……?」
「……お姉ちゃんは教育に良くないと思うな……」
しかし続いたシロ様の言葉には表情を引き締めて首を振っておくこととする。私的にあのメッセージカード状の説明は大幅な減点ポイントだ。ぶっちゃけ要らないと思うし、少なくともピュアで可愛いヒナちゃんの目には触れさせたくない。戦闘民族ゴリラ族なシロ様ならばともかく。
若干不満そうなシロ様と、その点に関しては一切引く気が無い私。そんな私達の静かな攻防に挟まれたヒナちゃんと言えば、少し困ったように眉を下げていて。けれど私達に争う気はあっても喧嘩をする気はないと悟ったのだろう。やがてその表情はふにゃりと緩んでいった。どこまでも幸せそうな、ただの幼い子供の表情へと。
……尚、その後の昼食で結局ヒナちゃんは説明を目にしたし「わかりやすい、ね……?」と読み込んでは頷いていた。ショックが走る私を他所に、満足気に頷いていたシロ様。それに対して小さな怒りの念が浮かんでしまったのは、罪ではないと信じたい。だって教育に悪いだろうといじける私を、頭の上でぽんぽんと跳ねるフルフだけが慰めてくれていた。なんせ二人は本日発売したという突き鳥とトマトのホットサンドの、「人を突いて殺害する突き鳥をこれでもかと突いた商品」という説明に夢中だったので。