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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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百五話「ヒナタ」

 そうしてなんやかんやと少女の件も纏まって。朝を迎え、木々の隙間から太陽の光が差し出した頃。被害者の人達の事情聴取もあらかた終わったらしく、私達は護送部隊と呼ばれる人達の到着を待っていた。何でも兵士の人が風運を使い、被害者の人たちや犯人たちを街まで送り届ける馬車を用意するようにと連絡してくれたらしい。自分では森の中を歩けないほどに衰弱してる被害者が居るからと。

 だが深い森の中、悪路を通り抜けるのは馬車の方が時間がかかってしまう。あれから数十分程経った気がするが、馬車の到着はまだのようだ。ちゃんとした馬車でこれだけの時間がかかるのだから、あの馬車もどきの行軍速度が遅かったのは当然のことだろう。何故そこで経費を削減したのか。


「……そういえば、貴方に一つ聞きたいことがあるんだけど」

「……?」


 慎重派と聞いていたのにどこか爪の甘い犯人たちに呆れながらも、私はそこで聞こえてきた声に目を瞬かせた。現在、私の傍に居るのは三人。くっついて離れない少女と、そんな私達を無言で見守るシロ様。そしてそんな少女に懸命に話しかけるミーアさんである。レゴさんはフェンさんの奥さんとお子さんの無事を確認するため、今は席を外していた。さっき視界に入った限りでは嬉しそうな顔で会話をしていたので、特に問題はなかったのだろう。私はそこで初めてあの二人組が目的の人だったと気づいたのだが。

 

「貴方の端名って、聞いていないわよね?」

「あ、確かに……」

「…………」


 まぁ結果オーライなのだからいいのである、うん。それはともかくとして、確かにミーアさんの問いかけは私としても気にかかるところであった。ずっと少女やら彼女やらこの子などと呼んできたが、これから一緒に旅をすると決まった以上呼び名が無いのは不便だろう。

 そう思って少女を見下ろせば、彼女はその問いかけに不思議そうに目を丸めていた。何を問いかけられているのがわからない、という顔である。端名、というのがわからないだろうか。確かにちゃんとした教育を受けていなければ、自分の呼び名にそんな通称が付いていることもわからないかもしれない。


「……ええと、家ではなんて呼ばれてた?」


 虐待の後に誘拐からの奴隷扱い。彼女が何歳で奴隷とされたのかはわからないが、そんな人生ではまともな教育を受けることなど不可能だっただろう。虐待をするような身内がまともに教育するとは思えないし。そんな考えの元、私は屈んで少女に視線を合わせて問いかけた。この聞き方ならば答えられるだろうと思ったのである。


「……やくたたず?」

「…………」


 しかし想像は上を行った。ぴしり、辺りの空気が凍る気配。こてんと首を傾げた無垢なその仕草が、余計に悲壮さをかさ増しにしている。いや、かさ増しなんてしなくても十分に悲壮なのだが。成程、この世は地獄である。少なくとも、この子にとっては。

 まさか、まさかまさか。名前すらも禄に付けて貰っていなかったとは。いやもしかしたら付けてはいるのかもしれないが、本人に認識されていない名前なんて名前じゃないだろう。いつか犬猫などに対して可愛いと言い過ぎた結果、「かわいい」が名前だと認識されてしまったなんて話を聞いたことがある。それは大変愛に満ち溢れていてほっこりするエピソードなのだが、この話はその真逆。全人類の怒りを買いかねない事件だ。少なくとも私は今、この子の身内に激怒している。


「……それは端名ではない。即座に記憶から消せ」

「そうね。消しちゃいなさい」

「……? うん」


 そしてそう思ったのはシロ様もミーアさんも同じだったらしい。聞いたことがないくらいに冷たい声で言い捨てたシロ様と、それに真顔のまま頷いたミーアさん。そんな二人の表情の変化にか、僅かに瞳を揺らしながらも少女は小さく頷いた。私が笑顔のままに二人の言葉に首を降ったのを確認しての動きである。


「……でも、名前が無いのは困るわね」

「確かに。どう呼べばいいのか……」

「いや、それだけじゃなくって」


 さて、少女に名前はなかった。そういうことにしておかなければ怒りで何かしらをふっとばしてしまいそうなので、そういうことにしておく。主にこの子の実家とか実家とか実家とか。

 だが、それならばなんと呼ぶべきなのか。渾名とかでもいいのなら、いくらでも名前は思いつくのだが。赤い羽根だからアカネちゃん、とか? 可愛いとは思うが……などと考えていた私。しかしそこで心底困ったようなミーアさんの声が耳に入り、私は瞳を瞬かせた。視線を向ければ、ミーアさんの表情は思ったよりも深刻である。そういえばこの世界では、名前が重要だという話を聞いたような。何かあるのだろうかと、私はそこでシロ様の方に視線を向けた。するとミーアさんと同じように難しそうな表情をしていた少年は、わかっていると言わんばかりに頷いて。

 

「……名はその人物の魂に大きく関わってくる。本人がこれだ、と認識している名前があることでその者の魂は安定するのだ。だが、この子供には今それがない」

「……名前がないと、魂はどうなるの?」

「症例は色々あるが……意思の喪失や、重病に掛かる恐れ、法力の暴走など。いずれにせよ、碌なことにはならない」

「…………」


 成程、大惨事である。私はすっと表情を引き締めた。まさか名前一つでそこまで変わってくるとは。もしかしてこの世界では名前は何かの鎖みたいなものなのだろうか。明確に魂という概念があるようだし、その魂を体に縛り付けておくような役割。それを名前が果たしているのかもしれない。だからこそ名前がなければ魂が離れそうになって、その人に良くないことが起こる。そして名前が鎖だからこそ、それを自分から誰かに明け渡すことでその人が自分の魂の在り方を変えることができるようになる。私とシロ様の関係のように。


「……そうだ! ミコちゃんが付ければいいのよ!」

「えっ」

「どう? ミコちゃんからの名前、欲しくない?」


 魂を預け合う、いつかシロ様と交わしたあの儀式の意味が漸く少しわかった気がした私。けれどそんな思考は突然の振りによってどこか彼方へと飛んでいってしまった。まさかの名付け親。さっき渾名は考えたが、本名となればその責任感は段違いである。咄嗟に無理です!と、そう少女に問いかけているミーアさんに割り込みそうになって。


「……ほしい」

「う……!」


 しかし、しかしだ。僅かに茜色を煌めかせて期待するかのように見上げられれば、誰が無理だなんて言えるだろうか。純粋無垢な輝きに、私は小さな呻き声を漏らした。期待に答えないわけにはいかない。だが私のネーミングセンスは並だ。酷すぎるというほどでもないが、唐突なフリに最適解を導き出せるほどのセンスに満ち溢れているわけでもない。

 ちらりと、シロ様を見た。けれど今回ばかりは助け舟を出す気はないらしい。その目が語る。お前が付けなければ意味がないだろうと、そう言わんばかりに。確かにそうなのだ。この子はきっと、私だから求めてくれている。だから私が考えなければいけないわけで、シロ様の仰ること(目線だけだが)はご尤もなのだが……。


「ちょ、ちょっと待ってね」

「うん」


 タイムを求め、必死に考えた。やっぱりアカネちゃんか? 赤い羽根があるからアカネちゃん。安直だが、悪くはないだろう。しかしそれはこの子の個性が赤い翼だけと言っているようでどことなく複雑だ。ツバサちゃんも可愛いと思うが、同じ理由で却下。

 後は夕焼けや朝焼けみたいな髪の色から取って、アサちゃんやユウちゃんとか? しかし本名がそれだと端名は一体どうなってしまうのか。アちゃんとか、ユちゃんになってしまうのだろうか。もしかしたら問題はないのかもしれないが、私の感覚がそれはないだろと言っている。しかしそれならば、それならば。ぐるぐると思考が巡る。答えのない迷路に迷い込んだような気分だった。明確な答えのない回答を、どうやって導き出せばいいのだろう。


「……!」


 ……けれどその時、一つの光が目に入った。少女の髪を、木漏れ日が照らすのを。それにどことなくくすぐったそうに、彼女が体を揺らすのを。


「……ひな、た」


 ふっと、これだという感覚が胸の中に広がっていく。これしかないと、心の奥から誰かがノックをした音が聞こえた。ずっと影を歩いてきた彼女が、明けない夜に苦しんできた彼女が、これからは光が射す道を歩けるように。日向を歩いていけるように。


「……ヒナタ?」

「……うん、ヒナタちゃん」


 小さく開いた口が、私の言った名前を反復する。聞いたことのない言葉を初めて告げるかのような、不器用な発音。戸惑うように揺れる瞳。しかしそれでもその声からは、宝物を抱きしめるかのようないとけなさが感じられて。

 この名付けは、私の覚悟の証でもあった。この子は私を守ると言ってくれたけれど、私だってこの子を守りたい。冷たい世界で優しさを忘れなかった、心にずっと朝を宿していたこの子を。だからこそ、私も覚悟を宿してこの子と接する。この先この子に日向しか歩かせない、暗い夜を一人で歩かせない。そんな覚悟を、そんな願いを名前に預けた。ヒナタという、その名前に。


「……ならば、端名はヒナだな」

「……ヒナ」

「ヒナちゃんね、可愛い名前じゃない!」


 一瞬の静寂の後、噛みしめるような間の後。もしかしたらそれこそが魂と名前が結び合った瞬間だったのかもしれない。そうしてそんな静寂の後、シロ様は淡々と告げた。成程、ヒナタちゃんだからヒナちゃん。相変わらず安直だが、わかりやすいシロ様のセンスは嫌いじゃない。見たところ、ヒナちゃん自身も嫌ではないようだし。

 ミーアさんからのチェックを無事通り抜けたことに安堵しつつ、私はじっと少女を……ヒナちゃんを、見つめた。すると赤い瞳は真っ直ぐにこちらを見返してくれる。こころなしか、先程よりも明るくなったように感じる光を宿して。きらきらとした瞳に笑みを零すと、釣られたのか彼女の口元も自然と綻んだ。それはとても可憐で愛おしい、そんな笑顔だった。


「これからよろしくね、ヒナちゃん」

「……うん」


 遠くから、何かが地面を駆けるような音が聞こえる。もしかして護送部隊とやらの迎えが来たのだろうか。それならばその馬車に乗って、海嘯亭に戻って。そうしてこれからはこの世界をシロ様と現在進行系でお留守番中のフルフと、ヒナちゃんと歩いていくのだ。この残酷で、けれど美しいもので溢れている世界を。








 城崎尊、元女子高生。気球に乗ってクドラが統治している土地からムツドリの領地であるムツナギへと移った私は、赤い羽の手がかりを得るために降り立ったブローサの街で多くのことを学んだ。生魚は世界が違っても美味しいこと、もふもふは全世界共通で愛されること、誰かに贈られた力だからこそ大切にしなければいけないこと。そして、もっと誰かに頼ってもいいということを。

 そうしてとある事件をきっかけに出会った少女、ヒナちゃんを旅の仲間に私はこれからも歩んでいく。もっとこの世界のことを、自分に与えられた力のことを知るため。シロ様を襲った陰謀の裏を解き明かすため。その果てに、私達だけの安住の地を探すために。

これにて第三章は終幕となります。この後一週間ほどのお休みを頂き、次回更新は1/23の月曜日です。

ブックマークや評価ポイント、そして日々のいいねなど読んでくださっている皆様からいつも書くためのモチベーションをいただいております。いつも、本当にありがとうございます。これからも鈍足進行ではありますが地道に完結まで頑張っていきたいと思っているので、これからも「四幻獣の巫女」と尊をよろしくお願い致します。

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