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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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百話「ヒーロー」

 風を斬る音が聞こえた。それは、見えずとも一閃と呼ぶに相応しい威圧感を感じるものだった。


「な、なんだ!?」

「っ、くそ、子供……!?」


 きん、と金属同士がぶつかり合うような高い音。そこから繋がって何かが地面に落ちたような鈍い音。恐慌で満ちた声が繭の外からいくつもと上がる。けれどこの繭の外で暴れる闖入者は、声を上げることがないまま。きっと恐らくは、上げる必要がないと思っているから。

 真っ白な糸で編まれた繭の中からは、外の様子を窺うことは出来ない。聞こえてくるのは音だけ。地面を軽やかに蹴る音、鋭く切り裂かれた高い風の音……やがて、何かを殴り倒したかのような鈍い音。それらが苦しげな呻き声と息を呑むような悲鳴に変わっていくのを、私は繭の壁越しに耳を澄ませていた。決して聞くのが心地良い音たちではない。けれどその声にどうか、彼の声が混ざらないようにと。ただそれだけを祈って。


「ミコ、ちゃん……」

「…………」


 しかし私に確信があったとしても、他の人達がそうでないのは当然のことだったのだろう。彼女たちはこの状況を把握できていないのだから。怯えたような声に振り返れば、そこには両手を胸の前で握って不安そうにこちらを見つめるミーアさんが居た。座り込んだ被害者の人達の中、一人だけ立ち上がった彼女がこちらを見ている。

 そのまま視線を下に向ければ、今度は赤い瞳と目が合った。今までにないくらいの困惑で揺らぐ瞳は、私だけを捉えて離さない。ざっと視線を動かせば、他の人も似たような表情を浮かべていた。不安と疑念と僅かな希望。それらを宿しながら、じっと私を見つめている。まるで私から目を離してしまえば、そのまま死んでしまうかのような必死さを持って。


「……大丈夫です」


 だからこそ、私は力強く告げた。外から聞こえてくる音は徐々に収まり始めている。この繭が開く時は近い。果たして彼がどんな風に戦っているのかわからない以上、外の惨状を想像するのは難しいことだけれど。されど例えどんな惨事が外に広がっていたとしても、その時に彼女たちに広がる混乱を少しでも収められるように。


「外には私の……私のヒーローが居ます。助けに来てくれたんです」

「……!」


 一瞬外で戦ってくれている彼を、なんと形容すればいいか迷った。恩人? 仲間? 大切な人? どれも正解で、けれどそのどれであってもこの繭の中に居る人々の不安を払拭することが出来ない気がして。それだけでは不安に揺らぐ瞳たちを、希望と言う一所に留めて置ける気がしなくて。

 けれど答えはとっくに心の奥にあった。ヒーロー、その言葉がこの世界の人々に通じるのかはわからないけれど。それでもそれこそが唯一の明瞭な答えなのだ。ヒーロー、明けない夜に黎明をくれる人。地獄の扉を開ける人。心の傷を暴くこと無く、ただ正しい言葉で寄り添ってくれた人。


「どうか、信じてください」


 赤い瞳と、再び目が合った。揺れていた瞳に自然と浮かんだ微笑みを向ければ、揺らいでいた瞳孔はぴたりと止まる。それは安心というよりは驚きによって止まったようにも見えたけれど、でも今はそれで良かった。怯えさえ止まってくれたのならそれで、それで良かったのだ。


「私達は、貴方達を助けに来たんです」


 さざめきが止まる、不安が消える。握りしめられた手からは力が抜け、瞳孔に光が宿る。そうして。


 そうして、音は止まる。


「…………」


 呻き声はまだ聞こえた。けれど足音も悲鳴も風切り音も、もう何も聞こえない。私は彼女たちから視線を逸らすと、再び繭の壁から耳を澄ませた。けれどどれだけ耳を澄ませても、意識を集中させても、聞こえてくるのは呻き声だけ。

 一瞬、胸に不安が過ぎった。本当に彼なのだろうかという疑念が、心をざわつかせる。さっきまでの全てが犯人たちの演技なのでは、そんなありえないことが頭を掠めるほど。いいやそれはありえなくても、今まで外で暴れていたのはもしかして彼ではないのではないか。犯人たちの言う「上の連中」とやらに何かを勘付かれ、この場が闇に葬り去られようとしているのではないか。悪い想像はどんどんと連鎖していった。行き場のない不安はどこにも逃がすことが出来ないまま、胸の中で蟠る。


「ミコ」


 けれど。


「ミコ、聞こえるか」


 ……揺らぎのない声だった。先程まで大暴れに大暴れを重ねたかのような暴れっぷりを見せていたはずなのに。十数人が相手じゃ、息が切れるどころか怪我をしていたっておかしくないのに。しかし複数を相手取っても尚見える余裕こそが、彼を彼足らしめる証明で。

 声は目の前から聞こえる。どうやって私の位置がわかったのか、なんて。今更そんなのは聞くまでもないか。私は安堵から半ば泣き笑いのような表情を浮かべつつも、心の中で願った。どうか糸が、解けますようにと。そうすれば何の攻撃も通さなかった籠は呆気なく解けていき、そして目の前には彼が現れる。糸の壁が解けた先には、糸と同じ白銀の髪を淡い月光の下で揺らす彼が居た。


「……位置、ジャストだよ。シロ様」

「当たり前だ。お前の気配ならば、間違えない」


 たった一日か二日。その程度しか経っていないはずなのに、どうしてこんなにも懐かしい気持ちになるのだろう。相変わらずの美貌に、へらりと笑いかけた。するとふんを鼻を鳴らした少年は、けれど安心したように瞳を細める。シロ様も、同じ気持ちなのだろうか。胸が詰まるような安心が、胸を一杯に満たしているのだろうか。


「……よくやった」

「……うん」

「作戦は成功だな」


 思わず涙が滲みそうになったのを耐えつつも、私は恐らく彼にとって最大級の賛辞であろうそれに微笑んだ。作戦は成功、それも大成功。私は死ななかったし、捕まった人達をこうして助けることが出来た。不安定な足場を駆け抜けるかのような、そんな不安だらけだった作戦は無事今成功したのだ。それをシロ様の言葉で強く実感する。

 今でもこの行動が本当に正しかったのか、それはわからないままだけれど。見ないふりをするのは心苦しいからと、先もない危険に飛び込んでいったのは本当に正しいことだったのか。きっと今回の私の行動は、一側面から見れば愚かだと嗤われてしまうような行動だ。一歩間違えたら、絶望へと真っ逆さまに落ちていってしまうもの。大切な誰かを巻き添えにしてしまうもの。そのくせ、ただの自己満足でしか無いもの。


「……もう、こわいひと、いないの?」

「おかあさん、ぼく、もうなぐられないの?」

「まま、またぱぱに会える? ほっとさんど、食べれる?」

 

 でも、それでも。今繭の中から聞こえてくる声こそが、私の行動によって掴み取った結果だ。まだ状況を理解できていないのか、大人と称することが出来る女性たちは呆然と黙り込んだまま。けれど子供というのは柔軟力に長けているもので、今の状況をいち早く汲み取ったのだろう。付近に居た母親に問いかけるその姿は、無邪気だった。無邪気な喜びに、満ち溢れていた。

 その声で漸く実感できたのか、母親たちが涙を流しながらも子どもたちを抱きしめる。するとそれに感化された女性たちも、同じように涙を流し始めて。どれだけ、怖かったことだろう。中にはもはや人の不幸しか楽しみにならないほどに歪んでしまった人も居たはずだ。私は僅かな時間しかここで過ごさなかったけれど、この生活が何日と続いて正常を保てる人はきっと少ないから。


「……ミコ、ちゃん」

「ミーアさん」

「何があったかよくわからないけど、ミコちゃんが助けてくれた、のよね……?」


 だから私は願う。いつか正常だった人達がどうか、元の生活に戻ることで心から笑えるようになりますようにと。一欠片の悪意を決して憎んだり、恨みに思ったりはしない。そう思うことこそが自分の負担になると、少しばかり知っているから。つまり、嫌なことはさっさと忘れるに限るということだ。


「本当に、本当にありがとう……!」

「……はい」


 例えば今、捕まっていたことも忘れるかのような笑顔を浮かべて私にお礼を告げてくれたミーアさんのように。どうか、長く捕まっていた彼女たちが早くこの笑顔を思い出せるように。そんなことを願いながらも、私は小さく笑って抱きついてきたその人を抱きしめた。手が届く範囲に居るならば、諦めなくていい。そのことを強く実感するかのように。

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