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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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九十九話「籠繭」

 がたがたと、もはや何回目かもわからない大きな揺れ。相変わらず嫌な記憶を思い起こさせる揺れだと、何度と噛み殺したかわからない溜息はまた口の中に飲み込まれていった。どこかへ上っているのだろうか、傾きそうになる体を必死に支える。こちらに寄りかかってくる小さな影が、倒れ込んでしまわないようにと。

 食事を終え、呪陣とやらの充電も終えた後。私達はまたしても箱のような荷台の中にすし詰めとされた。ここが目的地ではないことはわかっていたが、まさか少しの休憩もないまままたしても馬車もどきを走らせるとは。奴隷側の人々に配慮しないのはわかっていたが、どうやら犯人達にとってもこの労働環境は劣悪らしい。もっとも、小さな女の子を虐めるような犯罪者に同情したりはしないが。


「…………」

「……ん?」

「…………」

「……ああ、大丈夫だよ。倒れないように気をつけてね」


 席、というよりも座る場所はさっきと変わらなかった。なにせ一番に馬車や荷台の近くに居たのは私達なのだ。さっさと乗り込んで、少女をまたしても一番壁側の場所に座らせて。そうして私達を心配して追いかけてきてくれたミーアさんが私の隣に座る。私はこちらを心配するように見上げてきた少女に、宥めるように微笑みかけた。恐らくは急傾斜によって寄りかかったことを申し訳なく思ってるのだろう。彼女の小さな体じゃ振り回されても仕方ないのだから、一々と気にしなくていいのに。


「……ミコちゃん、その子と知り合いだったの?」

「え? いえ、初対面でしたけど……」


 しかしそこで何を思ったのか、小声でこそこそと問いかけてきたミーアさん。私はそんな彼女の囁きに右耳を寄せつつ、首を傾げた。どうしてそんなことを問いかけてきたのだろう。私達がブローサの街……つまりはクレイシュからやってきたことをミーアさんは知ってるはずだし、それならムツナギの国に知り合いが居ないと思う方が自然だろうに。ましてやこんな少女と知り合う機会は、血縁関係でもない限りそうないはずだが。


「いや、喋らないその子の言うことがわかってるみたいだったから……」

「……ああ、成程」


 だが、ミーアさんとしてはそんなことは織り込み済みだったのだろう。さっきの問いかけは、その上での疑問だった。困ったように眉を下げたミーアさんの言葉に、私は一人納得して頷く。そのままちらりと視線を左隣に向ければ、赤色の瞳はぱちりと瞬きをした。不思議そう、その形容がしっくり来るような色合いを少女の瞳は浮かべている。

 この子は一切と喋らない。いいやもしくは一度か二度は喋ったのかもしれないけれど、私が聞き逃しただけなのかもしれないけれど。それでも口数が圧倒的に少ないのは確かである。会話ができない相手とコミュニケーションを取るのはとても難しいことだ。例えば私の苦手な教科の一つとして、コミュニケーション英語があるように。ちなみに筆記の方は可も不可もなくと言ったところである。


「いや、本当にわかってるわけじゃないんです。なんとなくこんなことを思ってそうだな、ってくらいで」

「まぁ、それはそうよね」

「でも、合ってるような気はします」


 けれど生徒同士ではお互いに話すのが必死なコミュニケーション英語とは違い、彼女の瞳には情報量が多かった。不思議そうな時は数回と瞬きを繰り返す。戸惑った時は瞳孔が右往左往とする。苦しかったり痛い時はきゅっと目頭に力が入る。それは確かに小さな、言ってしまえば大した変化ではなかったが、それでもよくよく見てれば容易に気づくことができる変化で。


「この子は、とても素直な良い子なので」

「…………!」


 だから、と私はミーアさんに微笑んだ。この子の根の優しさと表情の変化をかけ合わせれば、思っていることや言いたいであろうことを察することはそう難しい話ではない。これが表情を隠す相手だったら難しかったのかもしれないが、彼女はとても素直な少女だ。極僅かであれど、思っていることが確かに顔に出る。

 ……いや、それはあの男と接する時を除いての話だったが。あの黒髪の男と向かい合う時だけは、何をしていても彼女の赤い瞳は一気に虚ろに染まってしまう。恐らくは何かしらの表情を浮かべた結果、酷い目にあったことがあるのだろう。一種の防衛機能だ。自分を守るために、何も浮かべないための虚ろを少女は表情に浮かべるのだ。ただどうしようもなく、素直な性根だからこそ。


「……ミコちゃん、罪な女ね」

「えっ」


 そう思うとずきりと胸の奥が痛む気がして、思わず視線を下げた私。しかしその視線はすぐに持ち上がることとなった。罪な女? 一体ミーアさんは何を言ってるのかと怪訝な視線を向けるも、彼女はヘーゼルの瞳に生暖かい色を浮かべるだけで。何の話だろう。罪深いなんて、この奴隷騒ぎの犯人たちの方が余程そうだと思うのだが。


「わ……!」

「…………!」

「っ、また……!」


 しかしそれを聞き返すよりも早く、急停止による大きな揺れが体を襲う。既視感のあるそれは荷台内部に小さな悲鳴をいくつもと上げさせ、あちこちからは何かがぶつかったような鈍い音が上がった。私は咄嗟に隣の少女の体を左手で抱き寄せつつも、右手で荷台の壁に手をつく。揺れは、先程よりも大きかった。こんな狭い荷台の中でも尚、左手で抱き寄せた少女が吹き飛んでいってしまうのではないかと思うほど。

 だから離さないように、華奢な体躯をしっかりと支えた。一瞬だけ視界に入った母子の組み合わせは、誰もが同じようにしていたから。……いいや、そんなことは関係なかったのかもしれない。私がただ、そうしたかっただけなのかもしれない。耳に届いた詰まったような少女の声。それが揺れへの驚きからか、それとも私の行動への驚きから来たものなのかはわからないけれど。それでもその声が痛みから漏れたものではなかったことに安堵して。


「……降りろ」


 そうして大きくも一瞬な揺れが過ぎ去った後で。どうやら今度は目的にたどり着いたが故のブレーキだったらしく、振動が止まったかと思えば荷台の扉は開かれる。相変わらず鋭い瞳をした黒髪の男は荷台内を一瞥したかと思うと、端的に告げた。その声を恐れてか、手前側の人から順番に徐々に荷台から人は減っていく。当然奥の方に座っている私の番は、だいぶ先になりそうだった。

 だから。だから私は一生懸命耳を済ませた。聞こえてきた誰かが話している声、恐らくは犯人たちが話している内容を聞き取るために。物音をかきわけ、そこら中から聞こえてくる怯えたような呼吸を遮断して、話し声だけを聞き取るために脳を動かす。先に降りられない以上、別の情報を獲得するチャンスを無にしてはいけない。


「……れ残りは……」

「……ない。……だ。……は次の街で……」

「……手段は?」

「……から気球……らしい。この高度なら……ことができる」


 とはいえ私の耳は人耳。シロ様の優秀かつ可愛らしい耳とは違い、全てを聞き取ることは出来ず。ただ、それでもいくらかとわかることはわかった。気球、高度。この単語を聞き取れたことが大きかったのかもしれない。人の減ってきた気配に意識を現実へと集中した私は、すっと瞳を細める。


「……ミコちゃん?」

「……大丈夫です。行きましょう」


 足は用意していると言っていた男達の言葉、上り坂を上る感覚、気球と高度。少女とミーアさんと共に荷台から外へと降り立てば、冷たい夜の風が頬を撫でた。夜明けが近いのか、遠くの空は少し白んできている気がする。どうやら奴隷として攫われた人達は一箇所に纏められているらしい。黒髪の男が言葉も無く顎で差し示した場所に、少女の手を引きながら進んだ。内心で好都合だと、そんなことを思いつつも。

 そうして歩く最中、目に入ったのは気球。崖際に三つ並んだ予想通りのそれに、私はますますと瞳を細めた。若干認識がしづらい気がするのは、籠のところに馬車と同じような呪陣が描かれているからか。緑色に光るそれは夜の中では目立つはずなのに、周りにはそれを気にしている人達は居ない。これを用意したのが誰かはわからないが、相変わらず用意周到なことである。


 だが、もはやそんな隠蔽に意味はない。


「……お願い」


 ここが終着点で、私の限界。私はそう判断した。奴隷とされた人達と纏まって座る中、私は少女の手をそっと離す。そうしてそのまま、左の小指を隠すように右手を被せては握り締めた。願うような呟きは誰にも聞こえないまま、けれど左手を覆う右指の隙間からは何かが覗く。シロ様が掛けた術が解け、姿を現した乳白色の石が。同じく顕になったであろう左目は瞑っておいた。少しでも騒ぎにならないようにと。

 願った。不可視の糸をシロ様にだけ見れるようにしてほしいと、ただ。相変わらず私にも誰にも糸は見えないままだろうけれど、きっとこの糸は頼りになるあの少年には見えているはず。姿を顕にした指輪がその証明。私のよすがは、不可視の糸の先にある。


「……?」

「……ううん、大丈夫だよ」


 手を離したせいか、それともずっと左目だけを瞑っているせいか、こちらを不思議そうな赤い瞳が見上げた。それに淡く口だけで微笑む。大丈夫に、もうとは付けなかった。私が手を握っていなくても、貴方の手を握る誰かともうすぐ再会できるから。とも言わなかった。最後まで油断をするつもりはなかったから。だって、まだ終わってない。油断するなら、この子にさようならと告げるのなら、それは全てが終わった後。


「おい」


 声が聞こえた。何事かを話し合っていた男たち、恐らくはツヅリカの部隊とやらと合流したのだろう。先程よりも人数が増えた男たちが、こちらをじっと見つめる。どの瞳も無機質だった。こちらを物としか見ていない、そんな色をしていた。その中の一人であるあの男が、黒髪の男が声を上げたのだ。

 ……奴隷とされている人達の人数は増えていない。かといって遠くに見えるもう一つの馬車の近くに人影はない。恐らくはツヅリカの部隊とやらの仕事は人を連れて行くことではないのだろう。つまり、被害者はこれで全員。ミーアさんは私の近くに居るし、恐らくはフェンさんの家族だという母子もこの中にいるはず。そしてなおかつ、被害者たちは私の近くに纏まっている。何故ならば私も、一応は被害者の一人だから。


「全員、五人から六人に纏まってこの気球に乗……!?」


 けれど私はただの被害者ではなく、彼ら犯人たちが心底恐れていた不穏分子でもあったのだけれど。


「な、なんだ……!?」

「っ、うわ、……!」


 最初の一糸。ひとひらが長い花びらを作るかのように、被害者たちの周りを太い糸が囲った。とはいえそれは人が目視できるほどの速さではなく、瞬きの内に一気に何段もが編み込まれていく。戸惑う犯人たちと境界を隔てるかのように、悲鳴を上げた女性たちを真っ白な糸が囲っていく。

 指編み、昔おばあちゃんから教えてもらった編み物の一種。生憎とかぎ針や棒編みに手を出す機会はなかったけれど、指編みについてはよく覚えていた。自分の小さな手ではどれだけ広げても細いマフラーを作るのが精一杯だったけれど、あの人は「こんだけ長かったら関係ねぇよ」と笑ってくれたから。


『我が気づいてからでは、遅い可能性がある』

『うん』


 頑強にと、出来るだけ丈夫にと、そう願う。さっき法力を持っていかれたのが少し痛かったかと思いつつ、でもそんなことは関係ないのだ。最初の花びらを模したかのような糸、その花びら同士の隙間を這うように新しい糸を動かしては一周と紡いで。糸くんはそれを高速で行っている。私が頭に描いた絵図を、代わりに演算しながらも紡いでくれている。それなら私がするのは、身を任せて願うだけ。


『だからそれまでは、私が持ちこたえるよ』


 そう、約束したのだ。シロ様に合図を送っても、相手の出方によってはそこに留まるのが難しい恐れもある。だから合図を送った後はこの指編みの要領で作った籠……シロ様曰く、『籠繭』に被害者たちと一緒に閉じこもると。シロ様が来るまではどんな攻撃も受け付けないこの籠の中で、待っていると。


「……くそ、なんだこれ!」

「刃が、通らねぇ……!」


 そして机上の作戦は現実に。一応この籠の効果はあの夜に試し済みだ。私が全力で願えば、この籠はシロ様の風為の白爪牙でも切ることが出来なかった。海嘯亭で作ったそれは今しがた出来上がったこの籠よりも遥かに小さかったが、そもそも彼らの技量がシロ様に届くわけもない。外側から聞こえた硬い金属音と悔しそうな声に、ほっと息を吐く。巨大化したことで精度は落ちた可能性があるが、どうやら問題はなさそうだ。

 いつか、あの極悪蝉に襲われた時。シロ様は私が戦うための硬い糸を出すのは不可能なのではと言った。それは正解でもあり、それと同時に間違いでもあったのだ。出来なかったのは、あの時の私。芽生えた力に困惑して、手を引かれてただけの私。今の私ならば並の刃物を通さないくらいの糸を紡ぐことが出来る。糸くんを信じることにした、私なら。


「……もうちょっと、待ってください」


 完成した籠の中、集まってきた視線。私の小指から糸が紡がれているのだから、こちらへと視線が集まるのはある意味当然のことだったのだろう。その視線を受けた私は小指を撫でながら、瞳を伏せた。変わらず左目は瞑ったまま、右目だけで辺りを一巡とする。向けられた視線に秘められたのは何か。恐怖、混乱、戸惑い……けれどそれらの中には確かに、一筋の希望があって。もしかして助かるのではなんて、そう願う心があって。


「きっと私の大切な人が、ここに来てくれるはずなので」


 それは現実になるのだと、私は微笑んだ。どこかから聞こえる風切り音、聞き慣れた大切な音。それが近づいてくる感覚に、心臓の鼓動は速くなっていく。鼓動はただ、告げていた。彼を信じていると、言葉よりも目よりも雄弁に。それは私だけがわかる、そんな音だった。

2022年の更新はこれで最後になります。これまで「四幻獣の

巫女」の連載に付き合って頂き、ありがとうございました。次回更新は1/2(月)になる予定です。三章も残りわずかとなりましたが、よろしければ最後までお付き合い下さい。

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