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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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九十八話「痛みを覚悟に、覚悟を信念に」

 硬いパンとその後に配られた水、それで本日の食事を済ませた私達。言っておくが夕食を、ではない。どうやらここで商品として扱われている私達の食事は、一日一食……しかも硬いパンと水のみ。存外美味しい食事というのは精神衛生を保つためには必需なことで、恐らくこの食事事情は奴隷となった人々の心を折るためのものなのだろう。実に胸糞悪い事情である。

 道理で何人かがあからさまに痩せ細っているものだと、内心で納得しつつ。たかだかパンの二つや一つで人間の栄養状態が上手く回っていくわけもないだろう。しかも小麦粉を練って焼いただけのパンなんて、もってのほかだ。なんとか彼女たちに早く美味しいものを食べて欲しいなと、暗く淀んだ空気の中私はそんなことを思っていた。


「おい」

「……!」

「お前の仕事の時間だ」


 しかしそこで私達、というよりは少女に声を掛けてきた黒い影。視線を戻せば、そこには厳つく眉を寄せながらも少女を見下ろす黒髪の男の姿がある。その視線に少女はぼんやりと顔を上げた。先程までは僅かに感情が見えた瞳が、虚ろに揺れる。ゆらり、ふらつきながら立ち上がったその姿に生気は見られなかった。


「……あ、あの……」

「あ?」

「っ、その仕事……わ、私も……何か手伝えることは、ありますか……?」


 瞬間、どくんと強く心臓が脈打つ。仕事とやらが何かはわからないが、嫌な予感がしたのだ。このまま彼女を一人で行かせたら、きっと良くないことが起こると。故に私は一人男に付いていこうとした少女の前に立って、男に乞うた。例え不機嫌そうな緑の瞳がこちらを見下ろしても、引くこと無く。

 それは一瞬のようで、しかし永遠のようにも思えた。威圧感の類は散々とシロ様の隣で味わってきたけれど、これは体感したことがない類のそれだ。選択肢を間違えたら飛んでくるのは暴力。理不尽でしか無いそれを、幸いなことに私は今まで体験したことがない。もしかしたら初めてとなるかもしれない今が少しだけ、いいやとても怖かった。目立つのは避けるべきだと、心のどこかで理性が叫んでいた。けれどどうしても胸のざわめきが収まらないのだ。


 このまま彼女を一人で行かせるのは駄目だと、誰かが訴えてくる。


「……は、お優しいことだ。いいぜ、特別に許可してやる」

「……!」

「……ありがとう、ございます」


 しかし殴られるかと思いきや、呆気ないほどに男は許可を出してくれて。向けられたそれは確かに嘲笑の体を成していたが、それでも暴力を振るわれることはなかった。先程銀髪の男が、私を「売れる商品」だと言ってくれたからだったのかもしれない。もしくは、その仕事において私に何らかの価値を見出したのか。


「っ、ミコちゃん、私も……!」

「……いえ、ミーアさんはここで待っててください」


 男の真意はわからないが、その仕事とやらが碌なものでないのは目を見開いてこちらを見上げてくる少女から伝わってくる。だからこそ私は、恐らく私達を心配して付いてこようとしてくれたミーアさんに首を振った。私の暴走に彼女までを巻き込むのは、あまりにも申し訳ない。

 それに。仕事の内容が禄でもないものなのはこの時点で確かなのだが、それと同時にもう一つ確定していることがある。それはその仕事とやらが、私の命や身体に深刻な影響を及ぼすものではないということ。私は一応、「売れる商品」らしいのだ。この奴隷の人達がどういう意図で商品として集められているかはわからないが、妙齢の女性ばかりがターゲットということは……まぁつまり、そういうことである可能性は高い。少なくとも、労働力としての商品ではないだろう。


「大丈夫です、直ぐに戻ってきますから」

「…………」


 だからその商品にみすみす傷を付けるような仕事だったら、私に与えられることはないはず。若干の怯えを隠しつつ、私はミーアさんに微笑んだ。私よりも余程不安そうにしている彼女の優しさに、胸の中で温かな何かが灯る感覚。そう、大丈夫だ。きっと大丈夫。今も私を信じられないと言わんばかりの瞳で見つめてくるこの子を一人にするよりは、絶対に。


「早くしろ」

「……はい」


 そのまま私と少女は眉を下げたミーアさんに見送られる中、急かす男に付いていった。恐らく男と話したことで辺りの注目も集めたのだろう。名前も知らない人達から四方八方と飛んでくる視線は、どこか居心地が悪いもので。

 同情、憐憫、そして少しの悪意。愉悦の滲むそれをまぁこんなところに居れば性格も歪むよなと、どこか達観した心で受け入れつつ。私は歩きながらも尚、こちらを揺れる瞳で見つめてくる少女を見下ろした。今その瞳に浮かぶのは、決してさっきのような虚無ではない。それに小さく安堵しつつも、私は冷え切った小さなその手を握った。大丈夫だよと、それを告げるように。


 そして。


「これに法力を入れろ。緑色に強く光るまでな」

「……これ、は」


 連れてこられた先は、馬車もどきの近く。すっかり存在を忘れてしまっていたそれは、ひっそりと佇むかのように木々の中にあった。男に促されるがまま馬車もどきの側面へと回れば、そこにあったのは大きな魔法陣のような何か。意味のわからない文字と円や線でできたそれの正体を、私は知っている。


「は、あそこのやつを見たなら知ってんだろ? これは呪陣だ」

「……え?」


 法陣だと、そんなことを考えて。しかしそれはすぐさま馬鹿にしたかのような男の声で吹き飛んでいった。じゅじん、聞いたことのない名前に戸惑いの声が零れる。けれどその声が聞こえなかったのか、男は得意げな声で続けた。


「これは俺達の上の上のお偉方がお書きになられた代物でな。何でも気配を悟られないようにする術が掛かっているらしい。動力源でもあるらしいが」

「……!」

「ま、俺らがこの商売をできんのは全部この箱のおかげってわけよ」


 成程、奴隷騒ぎがいつまで経っても解決しなかった理由の一端。それはこの馬車もどきにあったらしい。ついでに何故馬もなく動いていたのかもここで判明した。成程、全ては法力の力か。道理で目立つはずのこの大きい物体が目に入らなかったり、その存在を忘れたりと奇妙なことが起こっているはずだ。内部から反抗できないように力の弱い女性子供を集め、権力者の関係者は避け、なおかつ姿を消すことにも長けた徹底ぶり。この奴隷騒ぎの黒幕は、存外私が思うよりも大きな組織なのかもしれない。

 ……だが、それが何だと言うのだろう。そうだとしても私がやることは変わらない。例えこれから彼らを捕まえることで、大きな力を持つ誰かから恨まれたとしても。それでも今見ないふりをするよりは、後悔を永遠に抱えて生きていくよりは、余程マシだ。だが彼らを捕まえるために今は、とにかく従順なふりをしなくては。犯罪の一端に手を貸すのは、業腹だけれど。


「……私が、先にやるね」

「…………」


 先に手を当てようとした少女を止めて、私はその呪陣とやらに右手で触れた。物言いたげな視線に微笑めば、噛み跡だらけの唇にはまた歯が突き立てられて。瞳が揺れる、ゆらゆらと。心配と恐怖が切り替わっては現れて、赤い瞳に人間らしい層を作り出す。

 瞬間私は、良かったと思った。この子の中は空っぽじゃない。きっと本人は空っぽだと思っているのだろうけれど、根では何かが息づいている。虚無だけではない何かが、この子本来の優しさが。それならきっとこの地獄が明けても、彼女は普通に戻れるはずだ。例え今が罅割れてぼろぼろになっていたとしても、温かな家族の場所に彼女として帰ることが出来る。


 だから私は、指輪の幻影が解けないようにするため右手で法力を注ぎ込んだ。


「っ……!」


 想像してなかったわけじゃない。この子があんな顔をした理由を、あの男が厭味ったらしく笑った理由を。けれどまさかここまでとは思わずに、私は噛み殺しきれなかった悲鳴を零した。

 例えるならば、体内の血管から硬い何かが無理やり抜かれていくような感覚。喪失が痛みに重なって全身を苛み、こめかみには脂汗が滲んだ。痛い、痛い、痛い。あの夜に腹を殴られたときよりも余程、ただ苦痛を煮詰めたかのような痛みが右手から全身に広がっていく。思わず足から崩れ落ちそうになって、無様に叫んでしまいたくなって。


「……っ、は……!」


 でも、そうしなかった。それはいっそのこと、男の前で無様に倒れてやるかという意地だったのかもしれない。私が願えば、糸くんは答えてくれる。今は見えない指輪の着けられた左手の小指から流れを意識するように、出力を高めた。すると淡い緑に光っていた呪陣は、全身を濃い緑に染める。瞬間満腹になったのかなんのか、全身を苛んでいた痛みはすっと引いていって。成程、呪陣とやらはよく言ったものだ。これは使用者の法術を手助けして導く法陣とはまるで違う。使用者の法力を奪って自らを描く、呪いのような力。


「……は、一発で満タンか。見事なもんだな、どうやら人間にしては法力が多いらしい」

「……っ、」

「なんだ、喜べよ。少なくともこの絞りカスよりは利用価値があるって言ってんだ」


 満足したのか、地面に座り込んだ私の後ろで男は笑う。だがそれに言葉を返す余裕もなく、私は左手の小指を見下ろした。どうやらシロ様が掛けてくれた法術は切れることがなかったらしく、相変わらず指輪は見えなかった。私の顔をじっと見つめている少女が表情を変えていないということは、左目に掛けられらた方も解けていないのだろう。

 息が切れた。心臓の鼓動は痛みの余韻でか、まだばくばくと激しく脈動している。でもその中には、二つの安堵があった。一つは、シロ様が掛けてくれた法術が解けなかったこと。きっと私が自ら法力を出力したわけではなく、内部の法力を吸引されるという形だったからなのだろう。私の法力は余波すらも残すこと無く、この呪陣に吸われた。だから、シロ様に掛けられた法術が解けることはなかったのだ。ちょっとした賭けだったが、どうやら上手くいったようだと安堵して。


 そして、もう一つは。


「……大丈夫だよ」

「……っ!」

「これくらい、大丈夫だから」


 ゆらゆら、ぐらぐら。私と同じようにぺたりと座り込んだ少女が、私の傍に寄り添った。こちらを見上げる瞳は揺れている。どうしてと、そう問いかけるかのように。赤い瞳は痛みを湛えていた、初めて見る表情だった。おかしな話である。この子は何も痛くないはずなのに。殴られた時の方が、余程痛かったはずなのに。

 恐らくこの子は、こう思っている。私が痛いよりは、自分が痛いほうがマシだと。そっちの方が受け入れられると。けれどそれでも私は、自己満足にもこう思うのだ。この痛みを、この子が背負うことがなくてよかったと。きっとそれを言うにはもう手遅れで、慣れたようなこの二人のやり取りを見るにこの子は何度もこの行為を重ねてきているのだろうけれど。それでもこんなに小さな体躯に、新しい痛みが蓄積しなくて良かったと思った。


「……ふん、名前も知らねぇガキにお優しいことだな。奴隷にするのは惜しいくらいだ」

「……どうも」


 だけど、安堵の裏で怒りは蓄積する。あろうことか散々と利用したこの子を絞りカスと言い、あんなにも乱雑に扱って。甚振って、利用して、苦しめて、心を奪って。自分の代わりに痛みを背負った私を心配してくれる優しいこの子を、この男たちはこんな傷だらけになるまで痛めつけたのだ。


「もし売れなかったのなら、この役立たずに変わる新しい動力源として飼ってやるよ」

「…………」


 嘲笑めいた言葉に、返事は返さなかった。沈黙の影で唇を噛みしめる。売るだとか、売れないだとか。飼うだとか、飼わないだとか。そんなことを言っていられるのも今のうちだ。怒りは覚悟に変わり、私の中に折れない信念の炎を灯す。

 決めた。何があっても絶対に、この男たちから奴隷にされた人々を助け出す。私の願いを尊重してくれたシロ様のために、めちゃくちゃな持ち主に振り回されながらも許してくれた糸くんのために。私の全部を使って、この地獄を終わらせるのだ。そうして言ってやる。全てが終わってお縄に付いたこの男の前で、もうこの少女を利用できなくなった男の前で。


『この子はお前に飼われていたわけでも、役立たずでもない』


 そう、言ってやるのだ。

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