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神子  作者: おくすりしをん
2/2

知識

目が覚めると、鈍い頭痛がした。口に出してしまうほどの痛みに、一瞬、昨日の出来事を忘れそうになる。全部夢だったのではないかとさえ思う。だが、目をやった先の鞄のお守りは、糸を残して無くなっていた。

一晩経ち少し冷静になった頭では、あの人とは関わり合いにならない方がいいと考え始めていた。どう考えたっておかしい、刀持ってるし。

(でも…)

起き上がって、ぎゅっと布団を握る。

(どうせこのまま、また昨日みたいなことが起きるなら、少しの希望に賭けてみたい。)

もう追い回されるのはごめんだ。向き合える力が欲しい。

布団から出、そのまま顔を洗いに向かう。ぼんやりとしていた思考が、冷水でぴしゃりと平行になる。きっと鏡の中の自分を見つめる。

今日が休校日で良かったと、心から思う。早くもう一度あの神社に行きたくて仕方がなかった。出かける服を選ぶのも惜しく、カエデは制服を着て家を出た。

(そういえば、あの神社なんていうとこなんだろ。念ずれば現れるって神主さんは言っていたけど。)

よく考えれば、なんてファンタジーな話なんだ。昨日はちょっと思考が危うい状態であったから、すぐ色々なことを飲み込めていたが、冷静になればおかしな話ばかりだった。

(とりあえず、大通りの道に出てこれたから、そこから逆算して行こう。)

いくらふわふわした状態であったとしても、どこから大通りに出てきたかは覚えている。しっかりとした足取りで、カエデは路地へと入っていく。しかし、そこは住宅街で、とてもあのご立派な鳥居が出てくるとは思えない。

(暗かったし、周りの景色も覚えていないからな…。)

頼りにならない記憶をたどり、住宅街をふらふらとさまよう。何も考えずに走っていたことを、今更ながらに悔やむ。

(うーん…一体どこにあるんだろ、念ずれば現れるって言ってもなぁ…。)

立ち止まり、よく神社の景観を思い返してみる。

立派な朱色の鳥居。境内には生い茂る木々。数段の階段。そして、見目麗しい神社の主。

(ほんとに綺麗だったよなぁ、あの人…人間じゃないみたいだった。)

住宅街の景色はひとつも覚えていないけれど、あの陶器のような素肌は、ありありと今もまぶたの裏に映し出される。脇差にされたあの刀も、美しく、芸術の一部のようだった。あの場所にあったもの全てが、あの人のための脇役だった…。

とそこまで思いを馳せたのち、ようやく時間の浪費をしていることに気づく。急ぎ我に返り、再びふらふら歩き出す。すると、わずかにお香のような香りが鼻をくすぐった。反射的に、左右を見渡した。こんなにはっきり匂いがするということは、このお香の原因が近くにある。咄嗟に神社が近いことを悟った。

(なんとなく、こっちな気がする。)

匂いではなく勘を頼りにカエデは歩き出す。すると間もなくして閑静な住宅街には似つかわない、あの立派な朱色の鳥居が目の前に現れた。

「あった!」

嬉しさのあまり、叫んでしまった。

あの数段の階段を、駆け上がる。鳥居をくぐると、風が吹き、木々がざわめいた。同時に、お香の香りが強くなる。風の強さに目を瞑り、再び目を開けると、そこにはあの美しさを変わらずまとう神主の姿があった。

「わ、あ、こ、こんにちは!」

どぎまぎしてうまく話せない。

深は、まるで今日ここにカエデが分かっていたかのように、驚きもせずカエデを見た。

「来たのか。」

軽く深が身動ぎをする。ふわ、とお香の匂いが鼻に抜け、ああ、この人の匂いだったんだと気づく。

「はい、来ちゃいました。場所が分からなくて、お香の匂いを頼りに来たんです。」

念じても現れなかったよ、という意味を込めて言うと、深はふ、と笑みを浮かべた。

その美しさに、カエデはどきりとしてしまう。つくづく、綺麗な人だなぁと思う。

「よく来た。聞きたいことも話したいことも多々あるだろう、中へ入りなさい。」

白い着物を翻し、深は歩き出す。ぼーっと見とれていたカエデは、はっとして駆け出した。神社の裏手に回り玄関で靴を脱ぎ、案内されるがまま、廊下を歩く。深は不意に立ち止まり、とある襖を開けた。そこは、小さな畳の部屋だった。しかし、よく見ると奥には鏡が祀られ、まるで金庫のような扉が鏡の奥に備えられており、その前には恭しく御幣がひとつ立てられている。更に手前には三方と榊、徳利が供えられている。床にはホコリひとつ落ちていない。手入れされている部屋であることは明白であった。そして、ここが客間ではないことも、また明白であった。

「ここはこの神社の本殿だ。」

「えっ?」

驚いて、声を上げてしまう。大して神社のことを知らずとも、本殿が神聖な場所であることは知っている。そこははたして部外者を招き入れて良い場所なのだろうか。場違いではないかと居心地悪そうにたじろぐカエデに、深は優しく声をかけた。

「緊張せずとも良い。そこへ座れ。」

並んでふたつあるうちのひとつの座布団を指さされ、カエデは大人しくそれに応じた。対面するような形で、2人は居座る。

空気が張り付いているのが、嫌でもわかった。緊張して言葉が出てこない。ここに来るまでに考えた幾多の質問が、ひとつも声にならない。

何か聞かないと。せっかく場を設けてもらったのに。

考えても言葉は出てこない。

「あ、あの、」

被せるように、襖が勢いよくスパァンと開かれた。

「うっわ!」

驚きのあまり飛び退いてしまう。そこには小学生くらいの少女が立っていた。御盆片手に、器用に襖を開けたらしい。少し不機嫌そうに口元をゆがめ、少女はこちらへ歩み寄ってきた。

「はいお茶ね。珍しく客人だっていうじゃない、久々に深以外に淹れたわよ。」

ふたつの湯呑みをそれぞれの前に置いてくれる。

「あ、ありがとう、ございます。」

おずおず声をかけると、少女はぱっと顔を上げた。値踏みするようにカエデをじっと見つめ、その後すぐに深のほうを向いた。

「ねえ、大丈夫?この子を神社に入れて。あたし嫌な予感しかしないんだけど。」

初対面でずいぶんな言い草だが、その通りなので言い返せない。カエデとて嫌な予感こそしないものの、いい予感はしない。

そんな食ってかかる勢いの少女を、深は慣れたようにたしなめる。

「初対面の客人に失礼だぞ。きちんと名乗れ。」

ぷっと頬を膨らませ、少女は不貞腐れたように渋々カエデに向き直る。

「はじめまして。巫兎です。」

これでいい?と深を見つめる目つきは嫌悪に満ちている。カエデはすっかりこの少女に嫌われたことを悟った。

「あ、えと、私は有」

「有賀カエデね。知ってるわよ、昨日高らかに自己紹介してるとこ見てたもの。」

一を十で返される勢いに、もう逆らうすべは無い。

「昨日、どこかで見ていたんですか?神主さんしかいないと思っていました。」

なんとか返すと、巫兎はふんと面白くなさそうに笑った。

「ずーっと見てたわよ。あんたが奴らに追い回されてここに逃げ込んできたとこも、深があんたを助けたとこも。」

はぁ、とカエデは感心したように息を漏らす。周りに気を配る余裕が無かったとはいえ、人一人の気配すら分からなかったとは。

「小さい頃からあいつらが見えるんだっけ?っとに災難ねぇあんた。あいつら、自分のことが見える人間には、とことんしつこいタチだからね。」

膝の上に置いた拳をぎゅっと握り、カエデは聞きたかったことをぶつける。

「あの、あいつらは悪霊なんでしょうか。どうして私はあいつらが見えるんでしょうか。」

巫兎はちらりと深を見やった。それを説明するのは、深の役目らしい。ひとつ息を吐くと、深は口を開いた。

「あいつらは、悪霊だ。」

巫兎はつまらなそうに漂わせていた視線を、すっと深のもとへ滑らせた。

「お前は生まれ持っての霊感が強いらしい。ゆえに悪霊たちを引き寄せやすく、声も聞こえるのだろう。その力は代々のものか?」

いいえ、とカエデは首を振る。しかしすぐ、あ、でも、と付け加える。

「親戚に私と同じく霊感が強い人がいます。その人も私みたいに奴らに追われることがあるらしくて。直接的会ったことは一度しか無いんですけど、私と会ってすぐ、お前は見えざるものが見えるんだろうって言われて…」

頷きひとつせず、ふたりはカエデの話に聞き入っていた。

「でも、到底周囲の人は信じてくれないんです、奴らに追われてても、侮蔑の目を向けてくるだけで。」

唇をぎゅっと噛む。頭の中に、嫌な思い出が蘇る。

―ねえ、あそこに体が透けたおじさんがいるの。こっちにおいでって…お母さん怖いよ、助けてよ…

―気持ちの悪いこと言わないで!全く、あんたまで妄想癖がついたら、うちの一家が変な目で見られるんだからね!

―満に続いて、カエデはまでそんなことを…二度とそんなことを口にするな、分かったか。

家族からの、冷たい目、友人からの、距離を置くようなあの笑顔。

払拭するように首を振り、覚悟を決めたようにカエデは深を見つめた。

「だから、どうか身を守る術を、私に教えてください。お願いします。」

深々とカエデは頭を下げる。巫兎はわずかに俯き、深はカエデの頭をじっと見つめた。

「良い。もとよりそのつもりだ。頭を上げよ。」

目を見開き、頭をあげる。潤んだ目でカエデは深を見つめた。

「ありがとうございます!!」

もう一度頭を下げるカエデに、深は静かに微笑みかける。しかし、巫兎の表情は曇ったままだった。

「早速お前に話さなければならぬことがいくつかある。よく聞くが良い。」

はい、とカエデは力強く頷く。深は座ったまま、スラリと脇差の刀を抜いた。昨日、奴らを祓った刀だ。

「この刀は、あの御神体より力を拝借し、奴らを祓うことが出来るものだ。」

指さされた方向を見ると、あの金庫のような扉があった。

「あの中には八尺瓊勾玉という我が一族に代々つたわる神器が納められている。そしてそれを御神体とし、代々受け継ぎお祀りし続けていた。」

巫兎の顔がますます険しくなるのを、カエデはは知らない。食い入るようにその美しき刀を見つめている。

「この刀で奴らを祓うと、奴らはどこへ消えるのですか。」

カエデは刀を鞘に収めた。

「あるべき場所へ帰る。それは成仏という意味では決してないがな。悪霊となり、神仏の道に背いた者たちの魂が救済されることは決してない。」

少しだけ、カエデは悪霊たちのことを可哀想に思った。彼らとで元は人間、何か苦しいことや辛いことがあって、為す術もなく地に落ちてしまったのかもしれない。だからといって、他者を苦しめて良い理由にはならないが。

「同情してるの?奴らに。」

押し黙っていた巫兎が、静かに口を開いた。カエデは少し考えたのち、小さく頷いた。

「優しさが悪いことであるとは言わないわ。でもね、その同情が命取りになる。自分の身は自分にしか守れない。他者を思う気持ちは、強すぎると時に自らを苦しめる足枷となるのよ。」

覚えておいてね、と伝える巫兎の表情は厳しく、そしてわずかに切なそうだった。カエデは唇を引き結び、力強く頷いた。

「奴らの負の感情に飲まれると、人間であろうが悪霊と化す。」

代わって深が口を開く。小さくカエデは頷く。

なんとなく、気づいていたことだった。恐怖と絶望にわずかにでも心が支配されそうになると、あっという間に隙間に奴らは入り込んでくる。頭の中が、奴らの声で満たされてしまう。奴らと同じになると確証は持っていなかったが、飲み込まれたら終わりだと直感的に感じていた。改めて、恐ろしく思う。ぶるっと思わず身震いをする。

「悪霊になると、思考や体は自分では操作出来なくなる。実体は失われ、ただ操られるように、奴らと同じことを繰り返すようになる。」

「じゃあ、私を襲ってきた悪霊の中には、もしかして人間のまま悪霊にされた人もいるかもしれないってことですか?私みたいに、追われて、恐怖に飲まれてしまって…」

そうだ、と無感情に深は言う。思わず吐きそうになる。あの中に、生きたまま取り込まれて、自分の意志と関係なく人を襲うようになって。もしかしたら昨日、自分もそちら側になっていたかもしれないと思うと、震えが止まらない。

「そうならないために、私はお前にこれから身を守るための術を教える。巫兎の言う通り、自分の身は自分でしか守れないからな。」

「はい。よろしくお願いします。」

力強いカエデの眼差しに、深はわずかに微笑んだ。その美しさと可愛らしさに、カエデの顔が赤く染まる。

「では、境内へ出よう。私は少し準備がある。巫兎、カエデを案内しろ。片付けはあとで良い。」

分かったわよ、と巫兎はゆっくり立ち上がった。続いてカエデも立ち上がり、急いで巫兎の後を追う。神殿から出ると、張り詰めていた空気から開放されたように、体の力がへなへなと抜けた。

こんなに緊張したのは久々かもしれない。あまりの緊張に足が痺れていたことも忘れていた。ジンジンと感覚のない足を引きずりながら、玄関に繋がる廊下を歩く。

「あの…巫兎、さん。」

「なあに。」

彼女の口調からは、当初のような刺々しさは無くなっていた。少しでも打ち解けてくれたのだろうか、とカエデは嬉しさを隠しきれない。

「すごく失礼なんですけど、深さんって女性ですか?男性ですか?」

凄まじい勢いで巫兎が振り返る。びくっとして足を止めると、詰め寄るように巫兎はカエデを睨んだ。

やっぱり性別のことは聞くべきじゃないか、なんてデリカシーのない質問をしてしまったんだ、と頭の中で後悔が渦巻く。

硬直したままのカエデに、巫兎は一転して、おかしそうに笑った。

「あははっ、あんた面白いねぇ。」

「だ、だって、中性的な声とお顔立ちだし、とても美しいので…今後失礼なこと言わないように知っておきたいと思って…」

まあ確かに分かりづらいよねぇ、と巫兎はくるりと前を向いた。両手を後ろ手に、楽しげにくるくる舞ってみせる。

「なかなか難しい質問だけど、一応深は女性だよ。この神社では性別なんて考えたこともなかったし、あたしらが生きてる世界では、あんたらの世界より性別なんてどうでもいいの。」

「そ、そうなんですか…ありがとうございます。」

巫兎たちが生きている世界とカエデたちが生きている世界。何も違いはないように思うが、恐らくあのような特殊な力を持っている深と、それに仕えている(?)巫兎は、きっとまた同じような力を持った人間たちとの独自のコミュニティを持っているに違いない。同じ人間であるからといって、同じような環境で生きているとは限らないし。そう結論づけ、カエデは納得した。

玄関に到着し、靴を履きながら巫兎は言う。

「そういえば、私には何者か聞かないんだね。深については性別とか色々気にするくせにさ。」

拗ねたような口調に、カエデはどきりとする。せっかく仲良くなれた気がしていたのに、失礼なことをしてしまったとカエデは分かりやすく慌てた。

「す、すみません!あ、えと、おいくつ…ですか?」

心底おかしそうに巫兎は笑った。

「あっははは!!やっぱりあんた面白いね、くくくっ、あはははっ!」

笑いの止まらない巫兎に、カエデは苦笑いを浮かべるしかない。

「女性に年齢を聞くのはナンセンスだよ、カエデ。ヒントをあげるとしたら、あんたより年上ってことくらいかな。」

えっ、とカエデは素っ頓狂な声を出した。小学生くらいの年齢だと思い込んでいたからだ。

「そうやってみんな見た目で決めつけるんだから。失礼しちゃうわよね。」

はあ、とカエデは驚きのあまり声も出ない。まさか年上だったとは。生意気な子供だと一瞬でも思ったことを後悔する。

ぷりぷりした様子で玄関の引き戸を開け、出ていくその姿は、とても年上には思えない。あどけなく無邪気なその姿に、カエデは笑いを隠せない。

「あー笑った!馬鹿にしてるでしょ!年上の癖に落ち着きがないって!」

「ち、違いますって!可愛いなって思って…あ、」

「ほら!可愛いって何よ!あたしのこと子供扱いして…深には美しいとか中性的だとか言う癖に!」

「何を騒いでいる。」

びくっとしたのはカエデが先だった。音もなくそこに現れたのは、準備を終えた深だった。散々深を褒めていたということがバレてしまったと、顔に熱が上っていく。

「先に境内に行っているよう命じていたはずだが、何故まだここにいる。」

「だって深!こいつひどいのよ!今からでも追い出そう!?」

喚く巫兎を微笑ましげに見つめながら、深はそのままカエデを見た。

「すっかり、巫兎と打ち明けてくれたようだな。」

そんなことない、ふざけるなと巫兎は喚いているが、深は無視して笑みをカエデに向ける。その笑顔に再び頬が赤くなりながらも、カエデは笑みを返した。

「ほら、行くぞ巫兎。客人を困らせてはならぬ。」

「むー!覚えておけよ、カエデ!」

ぷりぷりしたままの巫兎と、保護者のような深に連れられて境内へ行くと、そこにはひとつ人型の模型が置かれていた。

「これは…!?」

歩み寄ると、すぐに分かった。奴らと同じような、嫌な気配が漂っている。

(まさか…騙された?)

怯えた目で深を見ると、心中を察したように深は言った。

「これは私が鍛錬に使う的だ。中に悪霊を閉じ込めてある。力は弱まらせてあるから大した力は持っていない。お前が飲まれることは無い。」

ほっとして肩の力を抜く。それにしても、そんな芸当まで出来るなんて、本当にこの人は何者なのだろうか。

すっと深は刀を掲げた。腰を低くし、左足に重心を置く。切っ先を的に向け、鋭い眼光を放ちながら敵を睨みつけている。

思わず心臓が興奮で早くなる。沸き立つような緊張と感動に、カエデは息をするのも忘れて魅入った。

それは、一瞬の出来事だった。的は見事真っ二つに割れ、そのまま地面に消えた。跡形もなく消えたのだ。成仏したのだろうか、昨日の光景がふとまぶたに浮かぶ。あの悪霊たちも、この刀で切られたあと、こんな風に消えたのだっけ…。

半ばあっけに取られて見つめる。凄いとか、びっくりしたとか、幼い感想しか湧き出てこない。凄さだけしか感じ取れない。

「深はさ、教えるのが下手なのよね。」

巫兎がこそっと囁く。

「だから感じ取れなんて言うのよ。どだい無理な話だわ。」

聞こえているぞとばかりに深がこちらを見る。カエデが身を竦ませると、ため息混じりに深は刀を下ろした。

「お前に剣術を学べとは言わないが、戦う術は身につけた方が良い。まずは力を感じ取れ。」

はい、とカエデは頷いた。

「こちらへ来い。刀を握ってみろ。」

言われた通りにそばへ行き、差し出された柄をそっと握る。

ドクンと心臓が跳ねた。握った手のひらから、まるで熱湯が内部から全身に注がれているかのような、不思議な熱を感じる。初めての感覚に、緊張と冷や汗が止まらない。

「お前が感じているそれは、普通の人間には感じ取ることが出来ない。持って生まれた能力に伴い、感じ取れる力だ。」

背後で見ていた巫兎は、少し不機嫌そうに腕を組み直す。

「修行すれば、その力を常時得ることが出来る。」

漫画の中の超能力のような話に、もはや頷くことしか出来ない。

深はわずかに震えるカエデからそっと刀を取り上げた。

「この刀には先程も話した通り、御神体である八尺瓊勾玉より授かった力が込められている。だから何の修行もしていないお前にも、この力を感じ取ることが出来たのだ。」

なるほどとカエデは納得する。未だ刀を握った時に感じた熱が、体を巡っている。鼓動が早く波打ち、カエデは肩で息をする。

「驚いているだろうが、慣れなければならない。修行を重ねれば、お前も自然と慣れるだろう。」

少し落ち着きを取り戻したカエデが、はい、と小さく返事をした。

見ていた巫兎はほっと息をつく。内心心配だったのだ。

「修行というのは、主にどのようなことをすれば良いのですか?やっぱり、剣道を教えてもらう?とか…」

「剣を極めたいのならそれも良いが、力そのものを得て奴らを寄せ付けない方法もある。」

力というのは先程お前が感じたものと同じだ、と深は更に付け加える。

「ただ、力を得てもそれを宿す依代が必要となる。私の場合はこの剣だ。」

好きなものに宿らせて良いと深は言うが、いざという時振り払えるようなものが良いだろう。そしていつも身につけていられるもの。お守りのような…

そこまで思い至り、はたとカエデは思いつく。

「もしかして、私が今まで襲われなかったのって、お守りがあったからなのかな。」

きょとんとした顔で二人がこちらを見てくる。心の中の声が漏れてしまったことに気づき、カエデは俯いて顔を赤らめた。

「いや、あの…今まで昨日みたいにしつこく襲われたことってあんまりなかったんです。で、昨日カバンに付けてたお守りがちぎれちゃってたことに気づいて…それで、ちゃんと今まで守ってもらえてたのかなって…」

自分でも何を言っているか分からなくなってくる。

「もしかしてとは思ってたんです、お守り無くしちゃったせいかなって。でも今の話を聞いて、ああもしかしてと思って…」

ああ何言ってるんだろう、という思いが強くなる。何を言っているんだときっと笑われる。

「ったく、自信なさげに話してんじゃないわよ、みっともない。」

巫兎に声をかけられ、喉の奥がひゅっと鳴った。

「あのねえ、あたしらは神社に関わってるのよ。お守りの重要性なんて、あんたより遥かに知ってるわ。あんたの言う通り、そのお守りが守ってくれてたに決まってんでしょ。」

顔を上げて巫兎を見ると、仁王立ちして偉そうにこちらを見ていた。

「そのお守りが果たしてどこで作られたかとか、実物を見てないからはっきりは言えないけどね。お守りっていうのは持ち主を守るよう力を込めて作られてるの。だから力こそ弱くともあんたを守るくらいの力はあったはず。」

笑わずに聞いてくれたことに感動し、カエデは顔を上げた。しかしその次に畳み掛けられた、落としてんじゃないわよ、罰当たり、の言葉にまた顔が下がってしまう。

「とにかく、だ。」

深が場を再び引き締める。

「依代となるものを見つけてくること。いつも身につけられるものが良いな。それを私が受け取り、神殿に奉ろう。」

「あの、私が力を得てから依代に私が力を込める…というのでは無いのですか?」

巫兎が深をじーっと見る。

「だからあんたの説明、分かりづらいのよ。」

押し退けるように巫兎が前に出る。深は言い返しはしなかったが、少し不機嫌そうに唇を歪めた。

「いい、奴らを祓えるくらいの力を得るには、やっぱり相当時間がかかるわけ。で、その間あんたが襲われないとは限らないでしょ?だからあんたが依代となるものをここに持ってきてくれれば、奴らを寄せ付けないための防具に出来るってこと。あんたを介さなくても、直接その依代に八尺瓊勾玉の力を込めれば、寄せ付けない程度の防具にはなるのよ。」

腑に落ちたような顔のカエデに、巫兎は勝ち誇ったように胸を張った。どうやら、深は説明が下手と言うより言葉足らずなだけらしい。

「でもやっぱりその力にも限界はある。蚊取り線香みたいなもんよ、時間が経てば無くなるでしょ?あれと同じ。そうなった時のために、修行して、自ら力を蓄えておく必要があるの。」

ちら、と巫兎は深を見る。上手い例えだろうと言わんばかりの表情に、深はため息をついた。

「ちなみに依代が必要だってさっき深は言ったけど、力を得ることが出来れば、身一つで何とかなることもあるわ。あんまり大したことの無い奴らだと、祓える力を持つ者にそもそも近寄らなくなる。」

そこそこ強い奴らだと構わず来るけどね、と巫兎は言う。ようやくカエデは口を開いた。

「つ、強い弱いもあるのですか、悪霊には。」

巫兎はもう一度深を見た。しかしそれには、次はあんたが説明する番、というような意味が込められていた。受け取った深が、続きを話す。

「この世への未練が強い者ほど、この世の者への執着が強い。だから代償も顧みずつきまとう。」

代償というのは、この世から消えてしまうことを言うのだろう。それを聞き、カエデはやはり、同情してしまう。

「奴らは集団で一人の人間を襲うことが多い。昨日襲った奴らと同様に。個では到底人間には勝てぬ。皆人間は生への意志を持つからな。たった一人のひ弱な力じゃ、その意志には勝てない。」

カエデは頷いた。そしてずっと聞きたかった、根本的なことを聞いた。

「奴らはどうして、人間を襲うのですか?」

真っ直ぐな瞳で見つめるカエデに、深は足元を見た。答えに迷っているのか、すぐに返事は返ってこなかった。巫兎も怪訝そうに深を見る。

やがて深が口を開くまで、随分と時が流れたような気がした。

「考えられるのは二つだ。一つは人間にとりつき、自分の未練を晴らす、もしくはとりついて闇から逃れたがっているか。もう一つは、仲間を増やしたいからだろう。苦しむ者を増やして、道連れにしたいのだ。」

そうかとカエデは俯いた。今カエデの中には、少なからず悪霊への同情が広がっていた。

「同情は禁物だからね、カエデ。」

巫兎の言葉に頷くも、心の曇りは晴れない。こういう心こそ奴らの思うつぼだというのに、どうにも落ち込んでしまう。

「早く力をつけないと、ですね。どうも私は心が弱っちいみたいなので。」

自嘲気味に笑うカエデに、巫兎は心配そうな表情を浮かべる。どうにかしてよと言わんばかりに巫兎は深を見上げるが、深は何も言わなかった。

どうにかしてこの落ち込んだ空気を何とかしようと思ったのだろう、巫兎は一転して明るい声を出した。

「ねえ、ご飯食べていかない?」

「はっ?」

突然の提案に、変な声を出してしまう。

怪訝というより不気味なものを見るような目で、深はじっと巫兎を見た。

「あたしさ、結構料理得意なのよね。なかなか客なんて来ないじゃない?こんなへんぴな神社にさ。深はこんな木偶の坊みたいな奴だし、美味しいなんて言ってくれないし。たまには普通の人間の声も聞きたいわけ。どう?」

ひどい言われようだなと深は巫兎を睨む。

カエデには巫兎が精一杯自分に気を使ってくれていることが分かっていた。申し訳なさと感謝で、あえて明るい声を出した。

「は、はい!ぜひ食べたいです!」

巫兎は嬉しそうににっこり笑う。

「そうと決まれば準備しなきゃね!」

「お手伝いさせてください!」

「あら、結構あんたいい子じゃない。じゃあ台所まで案内するからついてきて。」

「はい!」

わいわい騒ぎながら自分を置いていく二人を見て、深はひとり境内でため息をつく。しかし表情には、わずかに微笑みが浮かんでいた。


その日のご飯は、準備からとても楽しいものだった。

この神社には炊飯器がなく、どうやらかまどで炊いているらしい。初めて見ると感想を漏らすと、馬鹿にするなと言われた。しかし、炊き上がって味見に一口もらった白米は、今まで食べたどの白米よりもふっくらとして甘くて美味しかった。

巫兎の出す料理は本当に美味しいものばかりだった。美味しいですと口に出すと、食べながら話すなと怒られたが、その顔には隠しきれない嬉しさが滲んでいて、カエデもとても嬉しくなった。

野菜や豆腐ばかりのヘルシーな料理だったが、肉が欲しいとは思わなかった。どうやら精進料理というらしい。元々は仏教の戒律に基づき、殺生の要らない料理として、僧が食するものらしいが、それを聞いた深は、今や神仏習合だからと笑った。

あっという間に平らげたカエデに、巫兎は丁寧な箸使いで白米を口に運びながら問いかけた。

「カエデは学生なの?」

どうして分かったんですかと聞くと、呆れたように箸で制服を指された。恥ずかしさで赤面してしまう。

「はい。高校二年です。」

恥ずかしさを払拭しようと早口で答える。

「へえ〜高校生か。どう?楽しい?」

カエデは正座していた膝の上で、ぎゅっと拳を作った。

「…はい!楽しいです。」

巫兎はそっか、と言いながら残ったご飯を一気にかきこんだ。深はもうとっくに食べ終わり、ひとり食後の茶を楽しんでいる。

「お前が落としたというお守りは、どこで買ったものだ。」

唐突な話題の変更に巫兎は眉をひそめたが、何も言わずに皿を重ね始めた。

「あ、えっと…もらったものなんです。親戚の人から。」

どこで買ったのかまでは聞かなかった。ただ、きっとこのお守りがお前を守ってくれるとだけ言い、くれたのだ。

「それからだいぶ悪霊に追いかけられることも無かったんで、守ってくれてたんだと思います。それからずっと会ってないなぁ…懐かしい。」

巫兎が茶を注いでくれた。香ばしく温かい茶の匂いに、心まで落ち着いていく。

「じゃあ落としたの…残念だったね。」

巫兎の言葉に、静かに頷く。

「申し訳ないとも思うし…とても罰当たりなことをしてしまったと思います。」

巫兎は項垂れるカエデに、同情の視線を送ることしか出来ないようだった。

「罰は人間が勝手に作った自分たちへの戒めだ。それに、わざと落としたわけでもないのに、神は罰しないよ。」

あら珍しい、と巫兎が茶々を入れると、深は凄味をきかせて巫兎を睨んだ。励ましてくれたんだ、とカエデは嬉しくなる。

「ありがとうございます、深さん。おかげで元気が出ました。」

素直な言葉だった。

「いい笑顔じゃない。いつも笑顔で毅然としていることが、一番大切なんだから。」

「お前もたまにはそういうことを言うのだな。老婆心臭いが。」

「うるっさいわね、黙ってなさい!」

その掛け合いに、また笑ってしまう。

「さ、あんたはもう帰りなさい。夜になると危ないからね。人間も。」

はい、とカエデは立ち上がる。鳥居までだけど送っていくと言ってくれたので、お言葉に甘えてそうしてもらうことにした。

だいぶ日は傾いていたが、まだ夕日が沈みきってはいなかった。随分変な時間に夕飯を済ませてしまったようだった。

「本当に今日はお世話になりました。」

改めて深々と頭を下げる。

「依代となる物を見つけたら、またここへ来い。なるべく近いうちに。」

カエデは頷き、では、ともう一度頭を下げると階段を数段駆け下りた。

もう一度挨拶をと振り返ると、もうそこに二人はいなかった。そんなに下りるまでに時間は経っただろうか?首を傾げるが、位置的にちょっと見えなくなっただけだろう。そう考え、鳥居に向かって会釈をすると、カエデは足早に家路についた。

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