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神子  作者: おくすりしをん
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出会い

「はぁ、はぁ、しつこいなぁもう!!」

路地という路地、角という角を曲がってかれこれ十分。「あいつ」はいつまで経っても離れてくれない。いつもなら、少し撒けばすぐに離れてくれるのに…!

そいつを撒くことに必死で、周りの景色を見る余裕はなかった。家の近くなのか、それともとんでもなく遠い場所に迷い込んでしまったのか、それすらも分からない。

ずり落ちる鞄を肩にかけ直し、めくれたままのスカートには気にもとめず、ひたすら走る。

体力も底をつき始めて、そろそろ足も限界に近かった。でも、立ち止まることはできない。立ち止まってしまえば、完全に「あいつ」に飲み込まれてしまう。もはや、完全に気力だけで走っているに等しかった。

「…っ!」

ふっと目の前に、見たことのある朱色の門が現れた。

鳥居だ。神社があるのだ。

そこからはもう、無我夢中だった。助かるかどうかなんて、もはや関係なかった。直感的に、行くしかないと感じたのだ。

残り少ない体力を振り絞って、その鳥居まで全速力で駆ける。後ろの「あいつ」は、時折気味の悪い笑い声を立てながら、ぴったりと背後について離れない。

数段の階段を駆け上り、鳥居の先へ滑り込んだ。ずざぁと派手な音を立て、一拍置いて膝がドクドクと痛み出す。

「ぅうぅ、あぅうぁう」

苦しげにうめく声を背に、その場に座り込む。

膝の痛みさえ気にならないほどの疲労に、肩を弾ませ息をする。恐ろしい、というより、助かった、という思いが勝る。振り返ると、息を飲んだ。「あいつ」は、「あいつら」になっていた。苦しそうに鳥居の外でもがいている。幾つもの手が、恨めしそうにこちらに伸びている。しかし今となっては対岸の火事、あの恐ろしさは消え失せていた。今や頭の中は、「あいつら」から逃げられた嬉しさで満たされていた。

「は、は、…は、ざまあみろ!」

悪態をつき、笑みさえ浮かべてみせる。が、これからどうしようか。ここから出ればまた「あいつら」はついてくるだろう。ずっとついて離れなかった「あいつら」が、すんなり諦めて帰るとは思えない。

(どうしよう、ずっとここにいるわけにもいかないし…)

逃げられた嬉しさはすっと消え失せ、考えれば考えるほど、再び恐怖が込み上げてくる。忘れかけていた先ほどの薄気味悪い笑い声が、脳裏に再び蘇る。

ヒトリニシナイデ

イッショニイヨウヨ

いつの間にか、うめき声だったはずの声が、風に乗ってそんな言葉に変わっていく。

ココハサムクテ、クラクテ、クルシイノ

冷や汗がどっと吹き出る。離れているはずなのに、目の前で囁かれているような、ゾッとするような声音。声に乗って、黒い空気が鳥居を越えてこちらに絡みついてくるような感覚。

ヒトリハイヤダ

ヒトリハイヤナノ

心臓がいやに早く波打ち始める。頭の中が恐怖で満たされていく。

(だめだ、のまれるな…!きをたもたなきゃ!)

恐怖に打ち勝とうと目を見開き、鳥居の向こうを睨みつける。しかし、まるで手応えがない。いるはずなのに、何も無い空を睨んでいるかのような、そんな不思議な感覚。

ザワザワと、一際大きく木々がざわめいた。

ハヤク、ハヤクコッチニ、オイデヨオォォァァァァ

悲鳴のような叫びとともに、木々の揺れる音がガンガンと頭に響く。それが奴らの声だということに気づくのに、少し時間が要った。

血の気が失せ、その場に座り込んだ。顔を覆い、すすり泣くことしか出来なかった。頑張れ、頑張れと心の中で自分を励ましたが、その声よりも大きな声で、奴らは咆哮する。目をぎゅっと閉じ、耳を塞ぐ。早鐘のような心臓の音で、頭の中が満たされる。

奴らの声、自分の心臓の音。頭の中に響くその2つの音に、ひとつ、異音が混じった。

砂利を踏むような微かな音。誰かいる。考えるより先に、縋るように振り返った。

「これはまた、変わった客人だ。」

月明かりに照らされて、顔がはっきり見えた。

さぁっと、風が吹いた。

そこには、白い着物を身に纏う、ひとりの人が立っていた。

綺麗な人だ…と今の状況を忘れて、その顔に見とれた。端正というにはあまりにも整ったその顔立ちは、形容しようがないほどに美しく、あまりにも人間離れしていた。まるで陶器のように色白く透き通った肌には、これまた職人がこしらえたとしか思えないパーツが埋め込まれている。時を忘れて、見入ってしまう。

「私の顔に何かついているか?」

まじまじと顔を見ていたせいか、不審がられてしまった。慌ててぱっと顔を伏せ、顔を赤らめすみませんと申し分程度に謝罪する。

「まあいい。ところで、何故お前はここにいる?そして何故奴らもここにいる。」

はっとして、鳥居の方を振り返る。奴らは未だ呻き声を上げながら、腕をこちらに伸ばしていた。改めて見ると、ぞっとするほどおぞましい。

「あ、あの、あいつらに追い回されて、で、この鳥居が目に入って、反射的に、」

ふうん、とその人は鳥居の向こうの「あいつら」とこちらを値踏みするように見る。そして一言、

「下がっていろ。」

とだけ告げた。

「…え?」

きょとんとして目を丸くすると、その人は静かに鳥居へ向かって歩み寄っていた。

「ちょ…危ない!」

制止の声も聞かず、その人はそいつのもとへ歩いていく。鳥居までたどり着くと、す、と何かを手にした。

刀だ。

一部の曇りもない銀色の切っ先が、奴らへ向く。恐ろしさや衝撃、不安よりも、美しいという思いが先走る。何か言葉を発することも出来ないまま、刀はゆっくりと振り上げられ、そして風を切る音さえも響かせず、静かに空を切り裂いた。

奴らの断末魔が、わずかに聞こえたような気がした。息を飲んで、鳥居の向こう側を見守る。その時、黒い物体が天高く昇って行くのを確かに捉えた。

刀を携え、その人は戻ってきた。刀は月光を反射し、鋭い光を放っている。

「…あ、」

何か言葉を発しようと口を開くが、言葉は何も出てこない。あんぐりと口を開けたままでいると、その人は冷静そのものの口調で言い放った。

「いつも追い回されているのか、あのようなものに。」

頭の整理が追いつかないまま、機械的に頷いた。

「いつもっていうか…たまにです。でも、普段は諦めてどこかに行ってしまうのに、今日はやけにしつこくて。」

「そうか。」

その人は、刀を鞘に収めた。

「あの、ありがとうございました。」

ぺこん、と頭を下げた。今更になって、改めて恐ろしい体験をしたのだということを実感する。

「小さい頃から、見えないものが見えてたみたいなんです、私。だからもしかしたら悪霊?みたいなやつに引かれやすい体質なのかなって…さっきみたいなのも、まあよくあることで」

へへ、と苦笑を浮かべるも、その人の顔は無表情のままだった。沈黙に耐えきれず、ずり落ちてもいない鞄を、再び肩によいしょとかけ直す。

「あ、お守りちぎれちゃってる。これのせいだったのかな。」

見ると、常に鞄につけていたお守りが、紐だけを残して切れてしまっていた。大事にしていたお守りだったのになと残念そうな顔をすると、その人は口を開いた。

「また何か、危険な目にあったら、ここへ来ると良い。お前は奴らを引きつける力がほかの者に比べ強い。逃げるだけでない、身を守る術も、身につけなければならない。」

真剣な眼差しに射抜かれ、静かに頷いた。

「あ、でも、私適当に走って来たので、ここに来ようも…」

慌てたように言うさまに、その人は不意をつかれたような顔をした。そしてわずかに頬を緩めた。

「おまえが望めば、いつでもこの神社は現れる。必要な時、またここへ来たいと念ずれば良い。」

夢の中にいるかのような気分だった。一晩寝てしまえば、現実味のある夢だったと首を傾げる程度の夢の中にいるような感覚だった。

「本当ですか?また、助けてくれるんですか?」

ああ、とその人は頷いた。

「私はお前より、奴らを知っている。お前の力になってやれる。」

不覚にも、泣いてしまいそうだった。誰に言っても信じて貰えず、助けて貰えず、ずっとひとりで苦しんでいた。力になってくれずとも、状況を分かち合える人が出来たことが、何より嬉しかった。

「私はこの神社の主だ、深という。」

淡々とした声で、その人―深は言う。はっとして、急いで身なりを軽く整える。スカートがめくれ上がっていたことに、今更気づいた。

「私は有賀カエデといいます。よろしくお願いします。」

深は何も言わず、すっかり暗くなった夜空を見上げた。

「もう奴らは来ぬ。今のうちに帰るといい。」

はい、と小さく返事をし、カエデはもう一度礼をした。

「またここへ来させてください。自分のことを、守れるようになりたいんです。」

返事を待たず、失礼します、とだけ言い残し、カエデは鳥居を飛び出した。気が変わって、拒まれてしまったら嫌だったからだ。せっかく掴んだ希望を、手放したくはなかった。

気分が軽い。足取りも軽い。出会ったばかりの人を、信用してもいいの?と心のなかで問う声がする。でも、カエデは信用することを決めた。だって、助けてくれたのだから。確かに刀を持っていたし、普通に考えたら恐ろしい人だ。でもカエデはいつも、今日みたいに普通に考えたらおかしいことに巻き込まれているのだ。今更何が起きたってどうってことない、と自分の中で結論づける。

気づけばいつもの大通りにたどり着いていた。街の灯りが、やけに明るく頼もしく感じる。カエデは希望に満ちた顔で、家路を急いだ。


「よくあの子、ここに辿り着いたもんよね。」

静まり返った神社の中、ひとりの少女の声が響く。神社の賽銭箱の隣に腰を下ろし、足を前後に揺らす。

カエデが去った鳥居の先を見つめながら、深は何も答えない。

「ていうか、良かったの?あんなこと言って。きっと後悔するわよ。懲りないのねぇほんとに、あの時だって―」

「巫兎。口を閉じてくれ。」

巫兎と呼ばれた少女は、はぁいと返事をしつつ頬を膨らませた。よいしょ、とそこから飛び下りると、巫兎は深の隣へ駆け寄る。

「ま、これから退屈せずに済みそうだわ。」

んーっと伸びをしながら巫兎は言う。

「刺激的すぎるかもしれないけど。」

続けて言う巫兎に、深は結んでいた口元を静かに緩めた。

「そのほうがいいんじゃないのか?お前にとっては」

時と場合によるわよ、とまた頬を膨らませる巫兎に、深はわずかに微笑む。それから雲の隙間から覗く月を見つめ、深はそっと呟いた。

「有賀…カエデ、か。」



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