black cat
僕は一人で郊外の「black cat」に向かっている。スナックのある場所は地元でははちょっとした繁華街で、夜の静けさと、客引きの黒服の声と、眩い赤や黄色のてかてかと光るネオンサインが混じりあっていた。
書かれた名刺の裏の地図を見て、辺りをうろついている」と「black cat」はスナックビルの2階にあり、昭和の古びた看板を出していて、その年代を感じさせた。僕は、思い切って重いドアを開けて入った。外の闇の暗い所からきらびやかな光が漏れ出て、僕の目を眩ませる。僕が一歩足を踏み入れて、辺りを見渡すと、女性がカウンター内に三人とカウンターに座る男性が二人いた。一斉に僕の方を見る。「いらっしゃいませ」と女性が僕に声を掛ける。ハルカはそこにいた。小学生の時代のハルカの面影を残したハルカは「やっちゃん?」と驚きで目をしばたかせた。僕がハルカの服装を見ると、ハルカは黒色のロングドレスを着ていて、ドレスの胸元は開き、胸が強調されていた。僕はハルカの胸から目を逸し、空いているカウンターに座った。
「やっちゃん?」
とハルカは驚きを目に灯しつつ嬉しそうに言った。うんと僕は頷く。ハルカは、カウンターの中からおしぼりとバスケットに入ったつまみを出してくれる。「ひさしぶりねー」とハルカははしゃいでいた。目元に皺が寄る。
「何飲む?」
僕は、カウンター内に並んでいる焼酎のボトルを見て、
「黒霧島」と言った。声が掠れ、一つ咳払いをする。
「ひさしぶりー」とハルカの声は高く、懐かしそうに屈託のない笑顔を見せてくれる。でも苦労して生きてきたハルカの顔は、僕を悲しくさせた。ハルカの手を見ると、左手の薬指にバンドエイドが巻かれてあった。この欺瞞に満ちた世界の中で、どれ程君がどれだけ苦労したかはすぐ分かった。
「やっちゃん。いま、なにしているの?」ハルカは温かいおしぼりを「はい」と手渡す。ふと触れたハルカの手は冷たく、細かった。小学生のハルカはもう少し丸い手をしていたのでないだろうかと思った。
「運送会社」僕は呟く。
「そか。忙しい?」
「まあまあ」
隣の男性がカラオケを歌っていて、時折、音程を外し、マイクはハウリングを起こす。ハルカはその間、黒霧島の原液をグラスに入れ、水をポンプで入れ、水割りにしてくれた。僕は黙って焼酎の水割を飲むと、味は薄く、僕の体をいたわってくれる薄い焼酎の味に君の優しさが窺われる。ハルカはじっと僕の目を見て、顔から僕の服装を見る。
「独身?」
ハルカは僕の左手を見て、にこりとして言う。ハルカは唇にルージュの口紅をしていて。スナックの光で輝いていた。
「うん」
「わたしもなのよ」
その些細な言葉が僕の心の「中心」に突き刺さる。ハルカは小学校の顔と変わっていない顔で、「人生の」苦労を隠していた。ハルカはきらびやかな世界で生きていたんだと思う。
それを考えると俯くしかなかった「私は、一回結婚して、一人の子供が出来て、そのあと離婚したんよ」突然、ハルカの方言が混じる。その言葉を聞いて、僕は親近感を覚える。目を刺す光がきらきらと眩い世界を描く。
「やっちゃんは一人?」
「うん」
「そか」
ハルカとの間に沈黙が流れる。隣の男性のカラオケが終わり、ぱちぱちとスナックの女性が拍手する。
「カラオケ唄う?」
「いいよ」
「そか」
それ以上、何を言えたのだろう?
ハルカは僕の相手だけではなく、隣の男性の接客をする。「山崎さん。次何飲む?」と言って、微笑みを浮かべる。僕はその顔を見て、「帰るよ」と言った。「もういいの?」
旧友が来てくれた嬉しさと、悲しさが混じった顔をしていた。
「うん? いくら?」
「7000円」
僕はくたびれた財布から7000円を出して、カウンターに置いた。ハルカの微笑みは消え、僕は気まずくなり「また来るよ」とぼそっと俯きながら言う。ハルカは「じゃあね。絶対来てね」と言う。ちらっと彼女の顔を見ると眉が下に下がっていた。僕はスナックの重いドアを開ける。ぎしっと音を立てる。ドアを閉めて、僕はドアに背をもたせ掛け少しの間動けなかった。
僕はスナックに行った後も無性に飲みたくなって、居酒屋でビールをひたすら飲んだ。酔がの回ったぼんやりした頭で、小学校のハルカを思い出していた。「やっちゃん。今日一緒に帰らない?」「いいよ」小学校の時の君の輝いた笑顔がちらついて、僕は酒を煽った。僕は、ふと君との手紙を思い出した。僕たちは小学生の頃、手紙を何回か渡し合った。他愛もない話だった「担任の木崎、むかつく」とか「算数の文章題教えて」とか話だった。僕たちは卒業式に小学校の鉄棒の下に一緒に僕と彼女の手紙を埋めた、「10年後、一緒に手紙見ようね」「うん」その事を思い出して、「僕は何を書き」、「彼女は何を書いたのか」記憶に殆ど残っていなかった。僕はビールをグラス半分一気に飲み、明日、小学校に行ってみようと思った。