王国軍の兵士 2
王国は、150人ほどの兵士をこの街に駐留させました。
街の規模からすればその人数では到底力ずくで街を統治できるというものではありませんが、それでもジョルディン伯爵家の私兵よりは十分に多いという、市民感情を過剰に刺激せず、それでも表立った反感を武力を背景に抑えるにはそれなりに効果的という、微妙なバランスを図ったずる賢いやり方でした。
駐留軍には警察権を含む行政権は何も与えられていませんでしたが、兵士の行動については全く街の司法権の埒外となりました。彼らが強制的に街の図書館のある庁舎の一部を占拠して自分たちの指令本部にしたり、『王国協力金』などと称して街の商店からみかじめ料のようなものの徴収を始めても黙認せざるを得ませんでしたので、事実上、街の権力構造の頂点に近い位置に駐留軍はいることになります。
要するに、ここグランド・ジョルディンの街は、元々の自治権に基づく統治と駐留軍による事実上の統治、……統治というにはあまりにもチンピラまがいのやり方でしたが、との二重統治のような状態にある訳です。
街の人達が、普段ならば決して黙っていることのないはずの理不尽極まる暴力に対しても、手を出さずに見守るしかできない理由はそこにありました。
さらに、王国軍の兵士達の資質にも大きな問題があり、事態を悪化させています。
王国軍の中でも、王都を含む中央地域に配備される兵士は、厳しい基準で選抜されたうえに十分な訓練と待遇が与えられています。
ただ、王国は広大ですので、必要となる兵士の数も必然的に膨大となり、全ての兵士を選抜に耐え抜いた優秀な者だけでかためる事はできません。しかも、度重なる出兵や内戦への対応により、兵の消耗は激しいものがありました。
その結果、中央地域以外の周辺地域については、かなり質の悪い人材でもどんどん軍に加えていきました。特に、内乱の鎮圧のように、兵の消耗が時に激しく、しかも勝利を得ても何も得るものがない戦、要するに領土も賠償金も獲得できずに、しかも名声すらも得られることがない戦いについては、いくら死んでも構わない人間、すなわち服役中の犯罪者や逃亡奴隷などが罪を許されることを条件に兵士に仕立てられ、最前線に送り出されていたのです。
ここ、グランド・ジョルディンに送られた駐留軍の兵士達も、大半はそのような者達でした。
そんな兵士達の中の一人が、今まさに、エリーをほとんど何でもない理由で殺そうとしているのです……。
でも、本当に命の危険があれば、人は力ずくでも抵抗するものではないでしょうか。街には冒険者もいます。もっとまともな退役軍人もいます。しかし……。
1年ほど前に、こんなことがありました。
2日後にまた別の街に向けて行商に出発することになっていた僕は、ガドを連れて東広場の市場に干し肉などの保存食を買い足しに行っていました。人混みの嫌いなクヌクヌは、その日は宿に引きこもっていたのです。
少し曇りがちの暗い空の日で、時々霧雨が降っていましたが、市場はいつもとさほど変わらず、たくさんの人や亜人で賑わっていました。
干し肉などを探すつもりでいた僕でしたが、少し寒くて身体を温めたかったので、屋台で、紫唐辛子入りの野菜スープをまず買いました。
「はい、大銅貨5枚ね」
屋台のおやじに銅貨を渡し、中をくり抜いて半分に割った大団栗の殻に入ったスープを受け取りました。
「今日は、ちょっと寒くなったせいか、紫唐辛子のスープがよく出るんだよ」
「うん。僕もそうなんだ、寒くてね」
おやじと話をしながら、スープを飲み、時々冷ましながら手のひらでガドにもスープを分けてあげていました。
ほとんど飲みきって、容器代わりの殻を捨てようとしたその時です。
「王国軍兵士に食料を渡せねえっていうのかよ、ぶっ殺すぞ、ババア!」
広場のかなり離れた反対側から、殺気立った男の怒鳴り声が響きしました。何か、物をひっくり返すような音も聞こえます。おそらく、王国軍の兵士が誰かに絡んでいるのでしょう。駐留軍が街に入って来てからは、本当に気持ちがふさいでしまいますが、時々同じような場面を見かけるようになっていました。
以前は、街の男同士、殴り合いのけんかなどしていることもありましたが、周りでははやし立てる野次馬も多く、時々笑い声も混じって、ちょっとしたお祭り、退屈な日常の中での小イベントのようなものでした。もちろん、適当なところで誰かが止めて、どちらかが大けがするようなこともまずありません。
でも、王国軍兵士に絡まれた時には、兵士だけが一方的に怒鳴り散らし、周りは静まりかえっているので、遠くからでも何となく雰囲気の違いが分かるのです。
ガドを連れて、怒鳴り声の方に近づくと、やはり兵士が果物を売っていた屋台をぶち壊し、売り子のおばあさんの首元をつかんでいます。でも、このままだと普段なら、誰も助けに入りません。
(ガド、助けないと……)
そう心の中でつぶやいた時、その日は今まで街では見たことのない、別のことが起こりました。
「いい加減にしなよ。あんたも立派な王国軍の正規兵なんだろう? こんなところで評判落とすことないだろ」
そう言いながら、冒険者らしき中年の男が近づいていったのです!
冒険者は、そのあちこちすり切れてはいるが手入れの行き届いた防具の様子からして、それなりのベテランのようでした。その冒険者は、兵士の肩に手をかけようとしました。
すると、『弱い犬ほどよく吠える』、とは良く言ったものです、近づいてくる冒険者が結構な強者であることに怯えたのでしょう、兵士は、左手でおばあさんの首元を掴んだまま、右手でいきなり剣を抜いたのです。
ところが、剣を抜き終わったその瞬間、その剣は一瞬灰色に変わったかと思うと、いきなりボロボロと崩れ落ちました。
おそらく、冒険者は中級魔術の心得があったのでしょう、用心のため仕込んであった自動防御魔法が発動して、兵士の武器が攻撃可能な状態になったと同時にこれを壊したのです。
兵士は腰を抜かし、おばあさんから手を離して、その場にへたり込みました。慌てて、その場にいた別の兵士が彼を抱き起こし、肩を貸して逃げていきました。
周りで見ていた人達は、小さな歓声を上げて、おばあさんを助け起こし、壊された屋台から散らばった果物を手分けしてかき集めました。ただ不思議に思われるかもしれませんが、誰一人として、冒険者を称えたりせず、嬉しそうとも悲しそうとも言えるような、複雑な顔をして、チラッと冒険者の顔を見ながらため息をつくのでした。
ここグランド・ジョルディンにはちょくちょく立ち寄り、旅の行商人である僕にとってもその頃にはかなり馴染みのある街になっていたとはいえ、まだ、十分には、その意味が分かりませんでした。
……しかし、その意味は、翌日にははっきりと思い知ることになりました。




